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残りの夜が来た
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スラダン
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花形と藤真がそれぞれ別の高校出身だったら?というパラレルシリーズ
違う高校出身で同じ大学の花藤 藤真だけバスケをつづけている
花形に彼女がいて藤真は花形をこじらせている
2010年からいろいろなところで4年に1回更新してる 死ぬまでに完結させよう
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ビニル傘が出会いを奪った
雨になりそう。雪ではなく。
アパートから5歩離れたところで湿り気を嗅ぎとった花形は、傘を取りにいったん部屋に戻ることにした。大学まで5分、目的地の農学部棟まで8分、授業までの時間はまだもう少しある。自分ひとりやそこらのために傘たてを買う気にならないので、ビニルの傘は花形のうちのドアノブに引っかかっている。
再び外にでると、それほど冷たくない湿気を帯びた空気が顔をなでる。雪が降らないのは別に暖冬だからとかではなく、単にこの地域ではまだ雪が降らないというだけのことなのだろうが、それでもこの暖かさはやっぱり暖冬なのだなとぼんやり考える。無責任に危惧を抱こうとしたが、あまりうまくいかなかった。具体性を伴ったのは冬の雨を億劫と思う気持ちと、雪なら休講かもしれないのにという気持ちだけだ。
数時間後、果たして雨は降った。雨が降ってくると屋外は途端に寒々しくなる。傘を持ってきて正解の花形は、コンビニに足止めを食らう人々を尻目にさっさと扉を押した。外にも雨宿りらしき人間が突っ立っていて、その茶色がかった髪の毛が視界の端に入った。
「あ」
という声はその茶色がかった髪の毛の方から聞こえた気がするが、花形は、そういえばコンビニはなんで自動ドアじゃないんだろうということを考えていたので、特にその出処を確かめることはしなかった。だが、同じ人物の「ちょっと」という第二声がこちらの肩を叩きながらだったので、やむを得ずそちらを見ることになる。
彼はちょっと見ないようなきれいな顔をしていた。
「俺?」
「そう」
何だろう。ナンパ。くだらないことを考えながら、なんとなく彼の顔を見たことがあるような気がして記憶を探る。
「何」
「傘さ、入れてってくれない?」
「いてっ」
傘の金具に右の親指を挟まれた花形は声を上げた。そしてやっぱりナンパかなあと思う。違うか。ひったくり。ついでに「ビニル傘と100円ライターの出現が世の中から出会いを奪ったのだ」という国語教師の言葉をなんとなく思い出した。
ナンパでもひったくりでもなく、藤真という彼は、実は花形と同じアパートの同じ階に住んでいたということで、そしてそのとき傘も小銭も持ち合わせていなかったということで、しかし濡れるのはいやだなあと思っていたら、幸運にも花形を見つけたということだった。なんとなく見たことがあるというのは、そういうことのようだ。ビニル傘による出会いもあるのだと花形は感心した。そんなに大それた出会いではないが。
「どお。おいしい?」
話を聞いているのかいないのか分からない彼女は、こちらが喜んでいるかどうかではなく、おいしかったら半分は自分で食べようというような口調で尋ねてきた。花形は、彼女が焼きあげたばかりのアップルパイを一切れ手で掴んで口に運んでいる。咀嚼している間も生地が全然まとまらなかったとぼやいていて、言葉通り途中から適当になったのだろうと推測できる投げやりな見た目のパイだったが、彼女の作るものは大概おいしく、これも例に漏れなかった。
「おいしい」
鼻からシナモンが抜ける。私も食べようと手を伸ばす彼女は大きな目をしていて、そういえば、藤真という彼も目が大きいなとぼんやり思う。
互いを認識したせいか、藤真とは、コンビニでの一件以来よく顔を合わせるようになった。同じアパートの同じ階という点で半分予想していたが、彼はやっぱり同じ大学だった。学校へ行く時間が何度か重なったので、大学までの5分の間、花形は彼と少しだけ話をした。当たり障りのない、学部どことか部活やってるとかそんな話だ。彼が花形と同じ漫画を好きだと言っていたのと、高校時代はどちらもバスケ部だったこと、藤真は今でもバスケを続けている上に体育学部だと言っていたことは覚えているが、それ以外に特に記憶に残るような話はなかった。ただ、あの大きな目は花形の頭に住み着いていた。
彼ほど整った顔だと女の子にどれくらいもてるんだろう、とくだらないことを考えながら、頼りないアパートの階段を登ると当人がいて、花形はおそらくにやりとしたのだと思う。にやりとされた方は変な顔をしていた。
「おう」
「ども」
挨拶なのか何なのか、しかし花形は彼が「お疲れ」などという妙な挨拶をしないことに好感を持っていたので、この挨拶はこれでいい。それよりも、藤真は脳内の彼ほど大きな目をしていなかった。
「
…
何?」
「いや」
一瞬の違和感はすぐに消えたが、今度はそんな誤解を持ってしまっていた自分に違和感を覚えた。藤真はこれからアルバイトに行くのだと言って、さっき花形が登ってきた頼りない階段を、音を立てて降りていった。
夜に彼女が勝手に来て、花形はまたケーキの毒味をさせられた。青森出身の彼女のうちにはりんごがたくさんあるようで、今日もアップルパイだった。花形がおいしいと言うまで手を伸ばさない彼女の顔を見て、自分は藤真と彼女の顔を混同していたのだろうかと考える。混同するということは似ているということなのだろうか。顔かたちは全然似ていないのだが。
「何?」
「いや。
…
今日の、なんか苦いな」
「あ、ばれた?」
りんご焦がした、といって、彼女は真顔のまま舌を出した。
その日の藤真はマスクをしていた。花形の知らないどこかで猛威を振るっているといううわさのインフルエンザ対策かと思いきや、対策ではなく、彼は実際に風邪を引いているのだという。
「咳がとまんねー」
「学校いくの?」
「単位やばいんだ」
「
…
授業何?」
「二外」
「
…
なに?」
「スペ語」
「先生誰?」
「秋山」
「あいつ、皇太子に似てるよな」
「はあ?」
藤真はそういって、えらく咳き込んだ。「笑わせんな」
咳だか笑いだかが止まるのを待つあいだ、花形は藤真の額から鼻の頭にかけてを観察した。かすかに火照っているように見え、何の考えもなくその汗ばんだ皮膚に手を当てた。藤真はびくりとして思い切り体を引き、花形も彼の反応に驚いて手を離した。
「
…
何」
「悪い」
藤真はまた咳き込む。痰の絡んでいない空咳のせいで涙目になっていた。
「熱あるんじゃない、か、と、思って」
「
…
わかんねえ」
「計ってないの」
「持ってねえもん、体温計とか」
「
…
うちにあるけど、計ってく?」
「
…
いや、いいよ」
体温計見たら余計辛くなりそう、と、藤真は花形よりも先に階段を駆け下りた。それからこちらを見上げ、大きな目を見開いて、「お前の手が冷たいだけかもよ」と言った。咳の合間だったから声が震えていた。マスクが大きすぎて表情がわからなかった。
『りんご終わったから』
彼女はこのところ毎日花形のうちに来ていたので、電話越しの声は久しぶりだった。アップルパイを焼く必要がなくなったので、今日は家でゆっくりするのだという。どんな理由だと思ったが、こちらも毎晩彼女に来てもらう必要があるわけではない。
「そう。ごちそうさま」
『私、忙しくなるかも』
「あれ、就活?」
『
…
院に行くかも?』
「へえ。
…
院試って来年じゃないの?」
『うん来年。でも、他大に行こうと思って』
「
…
へえ、どこ?」
『はんだい』
「え?」
『は・ん・だ・い』
「え、大阪?」
『うん、あさってくらいからそっちの研究室に行ってくるから。りんごなくなったし、しばらく家にいないかも』
以前りんごの入ったダンボールを放置したまま家を空けてコバエを育ててしまったことがよほど嫌だったのか、りんごりんごと連発する彼女の声を、花形はぼんやりと聞いた。他大なんて、意外だ。そういえば以前そんなことをいっていた気もするが、花形はそのことを、自分の就職活動や自分の課題や自分の研究に追われてすっかり忘れており、また最近はそんな話もなかったので、てっきり彼女も忘れていると思っていた。思ってから、そんなわけない、と思った。いくら彼女だって自分の将来のことを忘れているはずがない。ましてやこんな季節に。
花形は少しだけ呆然とした。
「
…
わかった」
『とおいわー、大阪』
でもそこの先生につきたいんだよね、と言って、それから律儀に挨拶をして、彼女は電話を切った。彼女はきっと、無表情で大きな目を見開いたまま話していたのだろうと花形は推測した。靴下の中で足先がとても冷たくなっている。
部屋中が湿っぽい気がして、外を見ると雨が降っていた。あわてて干しっぱなしだったバスタオルを取り込んだ。えらく寒かった。タオルを乾かすために、半ば無意識にこたつのスイッチを入れる。
これをやると臭くなると彼女は言っていた。気がする。
花形は一度入れたタオルを引っ張り出し、きちんとハンガーにかけた。なぜか動揺していた。遠距離恋愛というものになるのだろうか、とぼんやり考え、そこまで執着心があるのかどうか分からない、分からないという自分に驚いたからだった。
なんなんだろう。
花形には持て余す気持ちすらない。
「
…
知らねーよ」
藤真は鼻声で言った。初めてわざわざ時間をとって膝を突き合わせている。学内にあるチェーン店のカフェでこんな話をしたくはなかったが、藤真があと20分で授業だと言うのだから仕方がない。
「面倒なら別れりゃいいだろ。で、別れるのが面倒なら耐えろよ」
「
…
別れるのが面倒って、藤真お前、結構アレだな」
「アレってなんだよ。
…
だってそうじゃん」
っていうか、そんな話かよ、と、藤真は吐き捨てるように言った。もしかしてものすごく忙しい時に誘ってしまったのだろうかと思い、花形は少し反省した。藤真が、知りあって間もない花形から見ても明らかにわかるほど機嫌が悪いようだったからだ。
「なんで俺なの」
「
…
俺のことあんまり知らない人に聞こうと思って」
「
…
そう」
藤真はコーヒーの入った紙コップの蓋の穴に口をつけた。一口吸い、すでに空だったらしいコップをテーブルに置き、それからはん、と鼻を鳴らし、窓の外を見た。
「薄情な上に図々しいな、お前」
「
…
割と言われるんだよな」
事実を述べると、藤真は外を見たままぶっと噴出し、少しだけ笑った。花形は異常なまでに救われた気分になり、彼がこちらを向き直すのを待ったが、藤真はいつまでたってもこちらを向かなかった。
彼は外を見たまま、「お前のこと好きになったら、なんか大変そう」と言った。
その無表情が彼女に似ていると思った。
彼女が大阪にいる間、花形のところには一度も連絡がこなかったし、花形からも連絡しなかった。そういえば、そもそもこちらから連絡をとったことは、数えるほどしかなかった。それで良いと思っていたのだ。本当にそれで良いのかどうかはわからない。
藤真の風邪はすっかり治り、最近は、自主トレで夜道を走るのだというジャージを着た彼とよく遭遇する。
「寒くないの」
「さみーよ」
「
…
俺も走ろうかな」
ストレッチをしていた藤真はかすかに眉を潜め、低い姿勢のまま花形を見上げてきた。
「流されるタイプなんだな、お前」
花形は少し考え、「多分」と答えた。藤真はその答えを聞いてから、なぜかにやりと笑い、夜の街に消えた。
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