【再録】老桜は眠る

2021年11月発行の楊普アンソロ『42 僕たちの恋模様』に掲載していただいた楊戩と普賢のお話です。
たくさんの楊普を集めたすばらしいご本でした。ありがとうございました。

あとしまつ後の教主楊戩と普賢の話。いつも誰かを助けているだろう普賢が、誰かに助けられる側になったらどうだろうと考えて書いたお話です。

「理由がなければ、いけないかな」


肌を刺す夜の冷たさに目を覚ました。腕の中にいた人の姿はやはりなく、頭を巡らせて暗がりに目を凝らす。草を踏んで数歩進んだところで、楊戩は足を止めた。眠る桜の木の根元に、彼がうずくまり動くのが見えた。手元がぼんやりとあかるい。
焚火か——いや、
——なにをやってるんですか」
つかつかと近づき手首を掴んだ。触れていた球体がころりと転がる。見まちがえるはずもない、青白い光を発するそれは唯一無二の彼の宝貝。普賢はああ、と息を吐いてから「ごめん」とちいさく呟いた。
「ごめんはいいから。どういうことか説明してください」
「そんなに怒らないで。まだ夜だよ」
「そんなことはわかっています」
木の根元、幹からわずかに削りとった木片が散らばっている。こまかく砕かれたその一部が宝貝の青白い光に照らされるのを、楊戩はたしかめた。
……採取してどうするつもりですか」
一目でわかった。組織細胞を採取、解析し、その一部を神界に持ち帰る。それが彼が考えた方法だ。
「移植すれば、なんとかなるかもしれない。だからやってみようかと」
「宝貝を使う理由は。採取、移植するだけなら、宝貝はいらないでしょう」
…………
「普賢師弟、」
黙りこんだ普賢の手首をぐいと引き、上向かせる。観念したように普賢は息を吐いた。
……木片の細胞や年輪から過去の情報を引き出してデータ化、持ち帰り移植する。それで彼自身を完全に再現できるかもしれない。……で、答えになっているかな」
「それでこんなにも消耗していると?」
「消耗なんてしていないよ」
「僕が気づかないとでもお考えですか」
おかしいと思った。魂魄体である彼は本来眠らない。あまつさえ、疲れを感じるはずがないのだ。人の話半ばで眠ってしまう、それは彼の身に何かが起こっている証拠。おそらく何百年、何千年にも積み重なった膨大な歴史、刻んできた過去、そうした古木のデータをすこしずつ宝貝に移していた。だからこんなにも時間がかかっていた、いや、気づかれぬよう引きのばしていたのだ。
「どうしてですか」
問い詰める口調は自然、厳しいものになる。掴んだ手に力が入った。
……救えるかなって思って」
目を逸らさないまま、それでも普賢は笑顔を崩さない。
「だからといって、こんなにもあなた自身をすり減らす必要がありますか」
「大丈夫だよ。もうすぐ終わる」
土に汚れたもう片方の手で、普賢は目の前に落ちる長い髪に触れた。
「彼から細胞を取って移植するなら簡単だけれど、でもそれは今の彼じゃない。彼の記憶や、生きてきた歴史や思いは消えてしまうんだ。もう僕はだれ一人失わない。失いたくない——仙人だって、道士だって、妖怪だって、」
「だから……!」
言い切らないうちに、思わず抱きしめた。体は幻のように儚かった。
「だから、どうしてそこにあなた自身を含めないんですか!」
不安だった。またいつかのように、だれかのために惜しげもなくその命を差し出してしまうんじゃないかと。一枚の紙切れを手放すようなかろやかさで、目の前から消えてしまうんじゃないか、そんな不安を打ち消したかった。嫌でも思い出すのは、掬っても掬っても指の隙間から零れていく、それを見ているしかできないあのもどかしさと絶望。
もうだれ一人、失いたくなかった。ここにはいない魂であっても。——神であっても。
「僕だって、もう失うのは嫌なんです……
絞り出した声に、普賢は「僕もだよ」と笑った。
「おなじだね、僕たち」