【再録】老桜は眠る

2021年11月発行の楊普アンソロ『42 僕たちの恋模様』に掲載していただいた楊戩と普賢のお話です。
たくさんの楊普を集めたすばらしいご本でした。ありがとうございました。

あとしまつ後の教主楊戩と普賢の話。いつも誰かを助けているだろう普賢が、誰かに助けられる側になったらどうだろうと考えて書いたお話です。

「理由がなければ、いけないかな」


「僕は、なにができたんだろう」
白々とあけた空をその目に映しながら、普賢はぽつりと呟いた。体はすっかり濡れそぼって、でも手には葉と花弁をかたく握りしめたままだった。
「神になって、仙人よりももっと永い時を手にいれて、だからもう、だれかを失う痛みを感じなくてもいいと思ってた。……さよならが、こんなに痛いなんて知らなかった」
とっくに知っていると思っていた。でも、いつになってもだれになっても、慣れることなどない。
……それでいいんじゃないでしょうか」
楊戩の言葉に、ちらと向いた目がどこか縋るような色をしていた。
「間違っていないと思います。やり方はどうであれ、あなたがそういう人であったから、あのかたはきっとあの最期を見せた」
彼がここに二人を来させたのは、生まれ変わりたい、生き直したいと痛切に願いながら、叶わなかった彼が、それでもその長い生がけっして幻ではなかったことをだれかに知ってほしかったからではないだろうか。人知れず生きてきた者のささやかな願いを、ちゃんと見届けさせるために。
ずいぶん経ってから、普賢は大きく息を吐いた。
「ほんとうは、神はそうあるべきなんだね」
なにかを救うのではない。どんなにつらくても、哀しくても、手を差し伸べることすらできず、無力さに崩れそうになっても、そっと見届けて寄り添うために、これからもあり続けるのだ。

土を掘り、落ちた枝を二人で埋めた。立ち枯れてなおそれは神であったものの存在感を残し、空に腕を広げていた。まだこれから何年も、鳥の止まり木としてそこにあり続けるだろう。時には巣を作らせ、時に羽根を休ませ、すこしずつ、すこしずつ風化し、やがて土に還るにちがいない。
山を降りながら、これからの話をした。すべてのデータを集めることはかなわなかったが、最期に彼が残したなけなしの新芽を持ち帰り、神界に植え直すことはできそうだった。「花が咲いたらお花見をしよう」と普賢は手のひらに包んだそれを愛おしげに見つめる。まだ見ぬ未来を思い描きながら、すこしだけ吹っ切れたようでもあった。
帰り道を、今度は迷わなかった。なぜこの一本道をあんなにも迷ったのだろうと楊戩が首を傾げると、普賢はくすくすと笑った。
「どうりで、遠くを眺めてなにか楽しげにしていると思ったんだ」
つまりは老木の気まぐれに遊ばれたのかもしれないが、それで退屈がしのげたのであればわずかながら役に立ったのだろう。あるいは、彼も普賢との対話をすこしでも引き伸ばしたかったのかもしれない。自分が、自分として必要とされる、それはどんな形であれ喜びにはちがいないのだから。
神界と蓬莱島との分岐に立って、普賢は片手を差し出した。
「ありがとう、楊戩。また手伝うことがあれば声をかけてよ」
「もちろんです。……今度はこんなに心配かけないでほしいものですが」
これからもこんなことがあるかもしれない。未踏の山を登るような道の先に、それでも不思議とあかるい未来が見える気がした。握手を返す楊戩に、普賢はふと、声をひそめる。
「ひとつ、教えてくれるかな」
はい、と頷く楊戩を、のぞきこむ目がいたずらっぽく細められた。
「あのとき訊かれたこと——あれは本当?」
「あれ?」
「きみは、僕が好き?」
気になりつつ、結局聞けずにいたそれを、彼も気にしていたらしかった。
「そういうあなたはどうなんです」
こんどは目を逸らさず、すこしばかりはぐらかしてみせる。普賢はやはり困ったように笑った。
「僕はちゃんと答えたよ。きみを尊敬しているし信頼している。……好きだよ」
「本心ですか?」
「よほど信用されていないんだね」
「信用ならしています。信頼も。でも——
返事を待つ普賢に、笑いかけてからその身を引き寄せた。
「こんど、ゆっくり答えます。また会いに来てくれますか」
耳元にささやけば、腕がそっと背中にまわされる。
「よろこんで」
どこからか、季節外れの桜がひとひら、忍び笑いをするようにひらりと舞いおちた。