しちろ
2024-02-14 16:12:12
19116文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 6

『コスモ』 19000字。


「最初から、気づいていたみたいね」
 たじろぐ気配のない真珠姫を見て、宝石泥棒は薄く笑った。
 逃げ場のない洞窟の奥深くに、珠魅狩りと姫、一対一。姫には圧倒的に不利な状況である。
 大樹の家でサンドラが瑠璃の姿を借りて近づいたとき、真珠姫はこう言ったのだ。あなたはだれだと。
 珠魅狩りに襲われて、姫一人では抗うことなどできない。真珠姫はいともたやすくサンドラの手に落ちた。だが対抗するすべはなくても、今の真珠姫は少なくとも、レイリスのときのような、守り人の陰に隠れて縮こまっていただけの姫ではなかった。早々に変装を解いていたサンドラは、思ったよりは愚鈍ではないようで安心したわ、と目を細めた。
「せっかくのご招待なのに、こんなじめじめした場所で悪いわね。少し、時間が欲しかったものだから」
「時間?」
 その気さえあれば、サンドラはたやすく真珠姫の命を奪えるはずだ。こんな場所を選ぶ必要はない。鍾乳石から雫がしたたり落ち、冷えた音を立てた。
「わたしを、ころすの?」
「まだね。貴女には聞きたいことがあるもの。貴女の騎士ともお話ししたいし……ね」
 真珠姫の顔つきが険しさを増す。サンドラは自分を、瑠璃をおびき出す餌にするつもりなのだ。
「瑠璃くんなら、わたしのそばにはいないわ。あなたの思うようになんて、いかないわ」
「そう? 私は来ると思っているけどね……。いいの? 姫が、騎士はいないだなんて教えちゃって」
 強気にも思える真珠姫の台詞は、サンドラが予想していたものからかけ離れていたらしい。
 サンドラは小首をかしげると、小馬鹿にするように唇をゆがめた。
「私が刈り取ってきた中でも、一番弱々しかった貴女が、そんなことを言うようになるなんて。変われば変わるものね……何があったか知らないけれど」
 それを教える義理は、真珠姫にはない。
……どこまで思い出した? 真珠姫」
 サンドラの目つきが変わった。射殺すような目で射抜かれて、真珠姫は気圧されそうになる。
「なぜ、わざわざここまで来たか、わかる? がっかりしたのよ。こんな場所にのんきに迷い込んで、何もかも忘れてしまった貴女を見て。為すべきことを放り出して、自分のことだけで精一杯の貴女を見て」
 真珠姫がメキブの洞窟に来たのは、一度きり。考え事をしていてうっかり迷い込んでしまった日……カイたちと初めて出会った、あの日だ。
 真珠姫の疑問を読み取ったか、サンドラは自分から答えた。
「そうよ。あの時、私もいたの。貴女の居場所を、貴女の騎士に教えたのも私。……貴女の騎士は、教えてくれなかったみたいね。なぜかしら」
 真珠姫を揺さぶるような言葉を吐き出しながら、サンドラは、まったく気楽なものね、と手の中のナイフを転がした。
「今の貴女とは、お話ししたい気分なの。夏の頃とはちょっと違うように見えるもの」
……しらないわ。わたしは、なにも」
「本当かしら」
 サンドラが顎を上げ、目を眇める。獲物を威圧するようでもあり、どこか侮蔑するようでもあった。
「貴女には役目があったはずよ。貴女にしか果たせないであろう、大事な役目が……そのために皆の前から姿を消した」
……しらない」
「そして、『貴女』が『今の貴女』であることを選んだのならば、今の貴女にも相応の役割を与えられているのではなくて? バカバカしいほど職務に忠実で融通が利かなくて……貴女はそういう女だったもの」
「しらない、それはわたしじゃないわ」
「強情ね」
 サンドラが真珠姫の胸ぐらをつかみ上げた。
 襟元をぐっと引き寄せ、顔を近づける。
「本当に薄情ね。私の顔も忘れちゃった?」
 真珠姫は息を詰め、サンドラを睨み付ける。強いまなざしは、か弱い姫のそれとは程遠い。
「どう? 少しは思い出したかしら? 貴女の役目を」
「何度聞いてもおなじよ……あなたが言う役目なんか、わたしはしらないわ!」
「このっ……!」
 とうとうサンドラが激高した。捕らえられたまま、拳を高々と振り上げられ、真珠姫は思わず目を閉じた。
「真珠姫から離れろ!」
 暗がりから鋭い叫び声が飛んだ。同時に、駆けてくる複数の音がみるみる近づく。
「瑠璃くん!」
 黒曜石の剣を抜いた瑠璃、そして槍を構えたカイだ。二対一の状況にもかかわらず、サンドラは余裕の表情で真珠姫の首元を片腕で締め上げ、核にナイフを押し当てた。
「フフ、やはり来たわね。待ってたわ」
「真珠姫を返してもらう」
「私が素直に言うことを聞く女に見えて?」
「聞かせてみせるさ!」
 これまでの経験から、下手な攻撃をしたところでサンドラにかわされることなど、瑠璃は百も承知だった。マントで半身を隠し、長剣の柄に手をかける。
「運命の剣よ!」
「フ、遅いわ!」
 サンドラの手元から銀の光が飛んだ。
 即座に反応した瑠璃が身を引いたが、一歩遅かった。サンドラの放ったカードは瑠璃の核を深々と傷つけて、後方の岩に突き刺さった。瑠璃が耐えきれずに膝を折る。
「瑠璃!」
「瑠璃くん!」
 真珠姫は必死にもがき、サンドラの腕から逃れた。かよわい姫の力のはずだが、意外なほどあっさり解放される。
 自由になった真珠姫は騎士の元へ駆け寄り、ドレスが汚れるのも構わず膝をついた。血の気が引いた。瑠璃の核には、絶望的なまでに大きなひびが入っていた。
「動かないでね、お嬢さん。もう一枚、そこの坊やに投げられたくなかったらね」
 サンドラは油断なくカイを牽制する。動きを封じられたカイは、槍を握ったまま歯噛みした。カイ一人では、真珠姫と負傷した瑠璃、同時に二人は守れない。
「真珠姫……貴女の愛しい瑠璃君の核が傷ついてしまったわよ?」
 サンドラがくすくす笑った。
 真珠姫は地面に両手をついたまま、肩を震わせるだけだ。
「どうするの、お姫様? 貴女の癒しの涙で、騎士を救わないでいいの?」
「ヤツの言うことなんか、聞くな……
 面白がるようなサンドラと苦しげな瑠璃。ふたつの言葉が交互に真珠姫の耳を打つ。
 これまでに感じたことのない、凍てつくような恐怖感だった。泣かなければ、涙を流さなければ瑠璃が危ない。
「瑠璃くん……
 いくら絞り出そうとしても、涙は出ない。泣き方がわからない。人間にはあれほど簡単に流せる涙が、真珠姫にはただの一滴さえままならない。
「やめなさい、サンドラ」
「王……
 現れたのは、異形の男。真珠姫に記憶にない人物だった。
「傷つけあうことに意味はない」
「宝石王。私は許せないのです。この娘が……珠魅のすべてが!」
 サンドラの瞳は今や、激しい殺意と暗い憎悪に支配されていた。優美な怪盗の貌も、冷徹な珠魅狩りの貌も脱ぎ捨てた復讐者。怒りをあらわに、サンドラは厳しく糾弾する。
「なぜ、涙を流せない? 答えなさい、真珠姫!」
「悲しくても……涙が出ないの……。わたしたちは泣けないのよ」
「貴女も、癒しの力を持たぬ名ばかりの姫というわけね……
 真珠姫は立ち上がると、瑠璃をかばうように立ちふさがった。
「そうよ……珠魅は、とっくの昔に涙を失くしたのよ……
 胸がざわついていた。
 どこからともなく、ささやきが聞こえてくる。
「珠魅が無くしたのは涙ではないのよ……胸の核に聞いてみなさい」
 真珠姫はサンドラを見据えている。白くかよわい拳は、指の爪が食い込むほどきつく握りこまれていた。
「わからないのね……古の記憶を受け継ぐ貴女にさえ……
 サンドラがゆるゆると首を振る。怒りから一転、その顔は深い失望に満ちていた。
「輝きを無くした汚れた石、瑠璃の騎士と真珠の姫よ! 二人まとめて核をいただく!」
 ナイフを構えるサンドラが、真珠姫の瞳にスローモーションのように映る。
 心の奥底から聞こえていた。自分の名を呼ぶ、もう一人の彼女の声。
「癒しの力とはいわない……せめて」
 ここではない、遥か彼方を、透かし見るような目。
 いつか対峙した時とは、もう違う。今は恐怖を感じなかった。
 わたしは涙を流せない。騎士を癒すことはできない。
 涙を流すことのできない、名ばかりの姫。
 どんなに口惜しくても、誰から蔑まれても、それは受け入れざるを得ない、厳然とした事実だ。

 ――姫よ……。私が……私さえ、涙を流すことができたならば……

 なげかないで。嘆かないで。
 名前すら忘れてしまった、かつてのわたし。
 今、わたしはあなたの手を取る。あなたの声を受け入れる。
 わたしの、あなたの、願いは未だかなってはいない。
 わたしに大切な人を癒すことができないのならば。
 涙を流せないのならば、せめて……
 わたしは求める。
 かつて得た知識、力、武器の振るい方、戦い方。敵を砕き、討ち果たした感触。核に刻み込まれた記憶の数々。
 わたしは……

 ――そう、『わたし』『私』は。

 『騎士』だ!

「せめて、闘う力を! 騎士の力を……!」
 
 真珠姫の、『琥珀色』の目がかっと見開かれた。核の奥底から、失われていた記憶が沸き上がり、全身を駆け巡る。
 真珠の核を中心にあふれ出た煌めくマナの輝きが、薄紅色の花として具現化する。
 いなや、花々から白い閃光がほとばしり、真珠姫の身体はまばゆい光に包まれた。



 ■■■



 真珠姫は目を閉じ、左手を核に添えた。
 静かにうつむいて、祈りを捧げるように――あるいは、何かと対話をしているように。
「癒しの力とは、言わない……
 真珠姫を取り囲むように、淡い光がぽつぽつと浮かびはじめる。
「せめて、闘う力を! 騎士の力を……!」
 瞳が色を変えた。澄んだ翡翠色から、琥珀の色へ。真珠の核が、強く、白く煌めきをはなつ。
 光――視覚化されたマナはみるみるその密度と光度を強め、花の蕾の形に集約した。
 やがてマナの蕾は艶やかに花開き、姫の姿をみるみる変えていく。

「レディパール……!」

 サンドラが慄いた。
 真珠……と瑠璃がか細い声でうめく。
 光の中から現れたのは、漆黒のドレスに身を包んだ女。珠魅である証の核は、黒真珠。真珠姫によく似ている。けれどもすべてが、まるで違う。纏う空気が、誰も寄せ付けない美貌が、氷のような冷たさが。
 突如降臨した美しい騎士は、片手に巨大な槌を携え、無言で佇んでいた。
「サンドラ」
 黒衣の女が冷えた眼差しを送る。凛として美しいが、真珠姫よりずっと低い声。
「私と剣を合わせる気か?」
「まさか」
 サンドラが後退しながら、光る小石を投げた。
「貴女を相手に、そんな馬鹿な真似はしなくってよ」
「あれは……!」
 宙で光を放ち、巨大な獣となる。
 細長い首と歪な頭部、異様に膨れた腹。ジオの闘技場にいた魔物――ジュエルビーストだ。
 カイが槍を構えて前に出ようとすると、レディパールは至極冷静に言い放った。
「助けは無用だ」
 巨大な槌を手にしているにもかかわらず、動きは速い。
 黒真珠の女は眉一つ動かさず、魔物の核を正確に、かつ粗雑に打ち据えた。強かに打たれ、歪な核は見るも無残に砕け散る。形を留められなくなったジュエルビーストは、生まれたばかりであっけなく霧散した。断末魔というにはあまりにもか弱いいななきが残響し、悲しげに尾を引いた。
「貴女の姉妹のようなものを平気で斬り捨てるとは、見上げたものね」
 サンドラが皮肉げに笑う。
 レディパールは意に介することなく、まったく違う問いを口にした。
「蛍は生きているのか?」
「貴女はいつも言っていたじゃない。答えは自分で探すものだと」
「そうだったな……
 レディパールとサンドラのやり取りは、明らかに旧知の間柄のものだ。カイは眉を寄せて聞いていた。
「今日のところは見逃してね。またお会いしましょう、珠魅の騎士よ……
 サンドラはあっさりと退散し、カイ達が残された。ひとまずは、黒い騎士に救われた形になったが……
「真珠………………
 倒れこんだ瑠璃が、レディパールへと手を伸ばす。
 その手を取ろうともせず、レディパールは感情のこもらぬ表情で、瑠璃を厳然と見下ろしていた。
「真珠姫はもういない。君は自由だ」
「あなた、レディパール! 待ってよ、瑠璃をこのままにする気なの?」
 カイは、立ち去りかけたレディパールの肩に手をかけた。
「そもそも、あなたは誰? 真珠ちゃんはどこに行ったの」
「離せ。私がこの男にしてやれることなど、何もない。君に話すこともな。それから、その核の傷のことならば――
 レディパールは、瑠璃を振り向きもせずに言う。
「たしかに深いが、命に関わるほどのものではあるまい。二度と剣を握らず、静かに暮らしさえすれば、な。彼は騎士ではあるが、守るべきものがいなくなった今、無理に命を懸けて戦うこともなかろう。人間の娘よ、君もだ。君にも世話になったようだが、珠魅に関わるのはこの辺までにしておきたまえ。君自身のためにもな」
「なっ」
 あまりの言い草にカイは言葉を失った。瑠璃は今まで命がけで、本当に命がけで真珠姫を守ってきたのだ。
 カイの力が緩んだすきに、レディパールは彼女の手を払いのけた。
「ラピスの騎士よ、苦労をかけたな」
 最後に、そんな言葉だけを残して。
 それが聞こえたのか聞こえなかったのか、瑠璃は意識を手放した。
 残されたのはカイと瑠璃……それから、とどまっている宝石王。
 王と呼ばれた男は、瑠璃の傍らに膝をついている。傷ついた瑠璃をどうするでもなく、ひび割れた核を痛ましそうに見つめていた。
 槍を手に警戒しながら、カイは男の脇に立つ。
「あなた、サンドラの仲間だったんだね。宝石王と呼ばれていたけれど。瑠璃をどうするつもり」
「先ほども言ったとおり、私に名はないよ。王というのも、彼女が私に与えた呼び名というだけだ。この美しい石を害するつもりもない。みてやりたまえ」
 宝石王は、瑠璃のそばからすんなり退き、カイに場所を譲った。耳元に顔を寄せ、名を呼んだが答えはない。
 カイはまよわず瑠璃の腕を自分の肩にかけると、上体をぐいと引き上げた。
「一人で連れ帰るつもりかね。ここまでの道のりは容易ではなかっただろう。あなたまで倒れてしまうよ」
「そんなことは言ってられないよ。安全な場所に連れて行かなきゃ」
 二人でようやくたどり着いた洞窟の最深部だ。だからといって、どうやって帰るかまで考えていられない。
「人間でありながら、珠魅とともにいるお嬢さん」
 サンドラの仲間ならば、敵であるはずだ。
 それなのに、男の呼びかけはひどく同情的で、哀切を含んでいるようにすら聞こえる。
「あなたも、珠魅とともにいるならば、こんな伝承を聞いたことがあるだろう。珠魅のために涙する者すべて石と化す。おそらく、珠魅と人との関わりを禁じた言葉なのだろう。……私にはわかる気がするよ」
 最後のほうはカイを見て、宝石王は言った。思わず、カイは嫌気混じりのため息をついた。
……あなたもそれを言うんだね。珠魅とは関わるなって」
 サンドラやルーベンス、アレックス。瑠璃や真珠姫と出会って以来、幾人もの人物からさんざん受けてきた忠告だ。
「珠魅だの人間だの泣けだの泣くなだの、珠魅は人にも仲間にも背を向けてばっかりだ。でもね。あたしは、目の前で倒れた友達を放っておくことなんてできないよ」
 前を向いたままカイが口にする。男は沈黙した。
……そうかね。友か」
 男はおもむろに、カイの背に向けて、ひれのある手のひらを持ち上げる。ゆっくりと行われたその仕草はあまりに自然で、愁いを帯びた瞳には、悪意は少しもこめられていなかった。
「お嬢さん、友ならば救ってやりなさい。彼を、この石を死なせてはならぬ」
「え?」
 カイに向けられた手のひらから、真っ白な白い光があふれた。それは瞬く間にカイと瑠璃を包み込み、視界がぐにゅりと歪む。
 カイには経験のないそれが、エメロードやヌヌザックの使った魔法と同じものだと気づいたのは、光が消えてからだった。
「ここは……あの人、なんで……
 開いた口から呆けた声がもれた。
 真上まで高く昇った太陽、明るい陽射しの中にいた。小鳥がさえずっている。
 傷ついた瑠璃を抱えたまま、カイはマイホームの前に立っていた。



『コスモ』 おわり