しちろ
2023-05-07 19:35:43
17320文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 4 episode.0

宝石泥棒編は一時休止して、主人公二人の話。出会い、ニキータ商い道中、他1話。17,000字。

 

Dear my Fa’Diel


 それはすべてが始まった日のことだった。
 金髪の少女が、ラピスの騎士や真珠の姫と出会うより少し前――とてつもなく大きな樹の夢を見た日、といえばわかりやすいだろうか。

 私は愛です。

 カイはその神秘的な夢に、特別な感銘を受けたりはしなかった。
 彼女がもう少し信心深いか幼ければ思うところもあったのかもしれないのだが、彼女は特別信心深くもなかったし、少女と言える年齢ではあっても、見た夢を現実と思えるほどには幼くなかった。せいぜい、夢の輪郭だけはなんとなく覚えていて、なんだかブロッコリーが食べたいな……などと思ったくらいだ。罰当たりなことこの上ない話だが、事実なのだから仕方がない。

 ただ、この日はやけに目覚めがよかった。

 朝。奇跡のように美しい。
 生まれたての陽光に照らされて、世界が琥珀色に輝いていた。
 窓から差し込む朝日に導かれるかのように、カイは自然と目を覚ました。
「おっはよー! サボテン君!」
 いつもの習慣で小さな相棒にあいさつ。カイがいくら話しかけても、シャイでむくちなサボテンはめったに返事をしない。
 窓を勢いよく開け放つと、さわやかな草原の風が瑞々しい香りを乗せて室内に吹き込んできた。 
 緑風がカーテンを大きくそよがせ、カイは一つ伸びをする。深呼吸とともに、澄んだ空気が身体の隅々まで染み渡った。

 静かで明るくてきらきらしくて。
 大樹の葉を濡らす朝露は太陽の光を受けて煌めき、小鳥が実をついばみさえずっている。
 昨日と同じようでいて、今日から新しい何かが始まることを、世界はじっと息を押し殺して期待している。身体中がうずいて、どこかへ走り出したくてたまらなくなる、そんな一日の始まり。
 少女はいつものように身支度を整えて。
 出がけに手にしたのは愛用の槍と、冒険のお供の小さな荷物。
 自分を呼ぶ誰かの声に応えるかのように、カイは家の扉を開き、弾む足取りで世界へ駆け出して行ったのだ。



 ドミナの町の商店街には空き家がある。
 通り過ぎる者たちは誰も気に留めない、人々の記憶から忘れ去られた家。
「商店街にある空き家をご存じですか?」
 その日訪れた教会で、カイの興味をもっとも引いたのは、その空き家にまつわる話だった。それも、お堅い教会の管理者はするにしては、ずいぶん子どもじみた。
「端っこにある小さな家でしょ? あの家がどうかしたの?」
 ヌヴェルに聞き返しながら、カイは記憶を掘り起こす。
 そこにあってないような、時を止めたような家。カイにしても、ヌヴェルに言われるまでは空き家のことなど気にも留めていなかった。確か、宿の斜向かい辺りにそんな家があったはずだ。
「長年、持ち主もわからずそのままになっているのですけどね。いつから言われ出したのでしょう。想いを込めてあの家の扉を叩けば、友達を呼ぶことができると言うのですよ」

 ――子どものおまじないみたい。

 カイが思った通り、まじないとか噂話のたぐいですけどね、と本を片手にヌヴェルは言った。こんな根拠のない話を、女神の奇跡以外信じない彼がするのは珍しい。
 誰でもできる、簡単なおまじない。
 ふうむ、小さなころに聞いていれば熱心に試したかもしれない。
 

 想いを込めて扉を叩けば、友達を呼べる。
 そんな話を真に受けていたのかいなかったのか。


 ふと誰かに呼ばれた気がして、カイは町の中で足を止めた。
 彼女が目を止めたのは、商店街の隅にある空き家。
 マイホームと同じ様式の茅葺き屋根に、玄関を彩る緑の庇、青みがかった壁。ラビを模した可愛いポスト。
 記憶におぼろだったせいかもっと小さな家だと思っていたが、こうして見るとそんなこともない。今日のこの日まで忘れていたことが奇妙に思えるくらい、きちんと手入れされた家だった。人気がないだけで荒れてもいないし、町の風景にしっかり溶け込んでいる。

 ――試しに叩いてみようかな。

 もしかしたら、少しだけマイホームに似た外観が、カイをそんな気にさせたのかもしれない。自然と空き家のポーチを上がっていた。 

……想いをこめれば」
 カイは扉を叩こうとして考えた。

 ――……ううん、友達か。

 冒険好きのカイは、仲間がずっと欲しかった。
 目的を同じくする冒険者同士が一時的に手を組む、なんてことはよくある。町によっては、そのための酒場や紹介所があったりもする。
 けれどカイは欲しいのはその場限りの仲間でなく、苦楽を共にし時には背中を預け、肩をならべて歩けるような、そんな相手。
 年の近い友達ならレイチェルやドゥエルがいるが、レイチェルは武術をやらないし、一緒にチャンバラごっこをして遊んだ剣士のドゥエルは一体なにがあったか十代にして後進に道を譲るとか言い出した。

 カイはイメージしてみた。

 そうだなあ。自分と歳が近くていろんな話ができて、できれば、一緒に冒険できるような友達だともっといい。
 そして叩いた。
 ウソかマコトか、小さな子どもみたいな、他愛のないおまじない。

 いち、にい、さん、し、ご、ろく。

 なな。

 空き家の扉。
 ノックを七つ。
 私の友達になる人だあれ。
 
 

 ■■■
 
 

 少年は本を読んでいる。

 音のない家だった。
 彼以外に動く者はない。暖炉に火はなく、時計の針も動かない。
 ときおり、ぱらりとページをめくる音だけがする。

 真っ暗な世界に存在するのは、ただ一つ。赤いポストのある小さな家。
 空には一つの星もなく、鳥も虫も鳴かず、大樹の葉が風にそよぐこともない。
 夜は明けることはなく、朝は来ない。
 永遠の檻に閉ざされた、たった一人のほかには生命のない世界。
 この世界が時を刻まなくなって、どれほど経ったことだろう。
 彼の手にした本の文字はすっかりインクがかすれて、ほとんど読み取ることもできなくなっていたが、他にやることがないのだから仕方がない。
 

 彼――シオンは元から口数が少なかった。
 晴れれば果樹の手入れをしたり狩りをし、雨が降れば書を読んだ。
 小さなサボテンとひっそり暮らしていただけの、とくに目立つ所のない少年。
 ただ、物静かな瞳の奥底に、隠し切れない好奇心がのぞいていた。

 私は愛です。

 彼は歩いた。心の中の白い地図。イメージで生み出される世界。
 彼自身が何かを探し、求めていたわけではない。
 シオンは何も知らない。声の言う『愛』なんてわからない。
 ただ、興味を持っただけ。
 自分を呼び、求めている声の主に会ってみたいと思っただけだった。


 以来、繰り返される夢。同じ朝。
 何度歩んでも突き崩されて、そのたびシオンは崩れた積み木を一から積み立てた。
 わずかな希望を求めて抗い続け、いつしか瞳に思いつめたような光が宿るようになり、それすら色を無くして微かになり果てても、歩いて、歩き続けて、誰かに手を差し伸べて、歩みは少しずつ遅くなって。
 疲れ切った彼は、ある時、ついに歩みを止めた。

 ――とうとう自分は、どこにも行けなくなったのかな。

 目の前に広がる、真っ暗で何もない世界。
 ポキールが言うには、心がある人じゃないとどこかには行けないらしい。
 世界へ踏み出す足を失い、新たな世界を見る目を失くし、自分を呼ぶ声すら聞こえなくなった英雄は、最後に自らの手で固く扉を閉ざした。


 以来、シオンはこうして本を読んでいる。
 この暗い世界には収穫する果実もないし狩る獲物もいないし、友達のサボテンもいないけれど、旅に出る前のように誰にも会わず、一人で過ごしていた。
 もともと無口だから、喋らないのは苦にならない。
 なかには時々、よそから自分を喚ぼうとする奇特な声もあったが、ひたすら無視するうちにそれもなくなった。英雄を止めた少年は、いつしか誰からも忘れられた存在になっていた。
 それでシオンは構わなかった。臆病でも卑怯者でもなんでも、別にいい。
 誰かに会う気なんて、なかったのに。


 ふと、誰かに呼ばれた気がして、シオンは本から顔を上げた。
 

 いち、にい、さん、し、ご、ろく。

 なな。

 彼の住む家。
 ノックが七つ。
 私を探している人だあれ。



 七つ目の音が鳴った時、少年は椅子から音もなく立ち上がっていた。

 出がけに剣を手に取ったのは、彼が出かけるときのただのくせ。
 世界を閉ざして初めて、シオンは外への扉に手をかけた。
 理由は彼にもわからない。
 ずっと前に旅を止めてから、他人と関わろうと思ったことなどなかったのに、なぜこの時に限ってそんな気になったのか。もし誰かに問われたとしても、シオンは首をひねっただろう。

 少年は誘われるままに扉を開く。

 光射す扉の向こう側にあったのは、彼のよく知る、けれども一度も訪れたことのない、知っているけれど知らない町。
 部屋の片隅に立てかけられた錆びついた聖剣が、軽い音を立てて転がった。
 
 
 
 ■■■
 
 

 空き家の扉、ノックが七つ。
 はじめてカイがドアを叩いた日。

 世界と世界の扉が開いた。
 
「あ、あの、はじめまして」
……何の用?」 



『Dear my Fa’Diel』 おわり