えのうえ
2024-01-09 21:14:09
21579文字
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俎上の輪舞曲

ごった煮チャイマ。様子見のジャブ。そしてジャブ。
問題があったら消します。



 間奏とエピローグ


 私は、ナイス12ワンツー珈琲屋本店を飛び出した。
 三十分もある。もし、少し過ぎたとしても彼女らが上手く対応してくれるだろう。
 シャッターだらけの商店街へと走り入る。肉屋や古本屋等の抜け殻しかなく、薄暗い。人通りも殆どなかった。
 向かいで五人組がたむろっている。若者に中年、性別も様々だった。内一人が私に気がついた。
「你好……ってあれ? ロンさんじゃないですか」
 他四名からも「ロンさん?」と声が上がり、私はたちまちのうちに囲まれてしまった。
「半年以上もお休みで辞めたのかと思った」だの、「怪我してる」だの、口々に話し出す。
 彼らは、私の属する組織が運営する宗教団体の、信者達だった。もちろん、私もその一員であると思われている。
 私は、意識して口角を上げた。「リーダーに挨拶したいんだけど、今集会所にいるかなぁ」
「ええ。いつもみたく、奥のお部屋に籠もられてますよ」
 誰かが私の腕を絡め取る。
 ほらな? 迷う心配はなかったやろ。私は心の中で呟いた。


 どん。
 ナイフが背中を刺した。痛そうだな、と気の毒に思う。
「はァ?」若い女性が振り向いた。痛みからか、顔をギュッと顰めていた。
「半年ぶりやな、若坊ぼん」私は言った。
「私のことをそうやって呼ぶの、アンタだけよ。どあほ」
「んにゃー、でも若坊ぼん若坊ぼんやん」
「マジで、そのクッソ胡散臭い訛りやめてくんない?」
「こっちのがキャラ立っててええやろ」
 私は彼女に笑いかけた。
 部屋の隅には大きな観葉植物が置いてあったが、世話をする人間がいないためか、葉の上には薄っすらと埃が積もっていた。壁に掛けた絵の趣味も悪い。取り繕うように仕立てた小粋さと、すぐ側に流れる殺伐とした空気がアンバランスだ。どれもこれも彼女の趣味ではないのだろうが。
若坊ぼんが悪いんよ。なんで義安幇なんかにチョッカイ出すかな。ヤサイに細工して横流しとか一番アカンやつやん」私は言った。
 彼女の表情筋がぴくぴく痙攣していた。顔に笑みを浮かべたいのだろうと、推測できた。そうだ。どんな時も、負け顔などすべきではない。
 彼女が数歩後ずさる。すぐに本棚にぶつかって、「うぅ」と喘いだ。
「痛そやな」
「アンタが刺したんでしょ」
「うん。まぁ、そやね」
 BGMもなにもない室内では、どちらかが口を噤めば途端、静かになる。時計の針と空調の音、ジィジィ鳴く蛍光灯、彼女の息遣い。見つめ合うには居心地が悪く、私は俯いた。自分の右手がナイフを握っていないのが見えて、ソワソワした。
「全く、卑怯なやつ」と彼女が言う。私は首肯した。その通りと思ったわけではないが、特に異論もなかったからだ。
「アンタさ、本当に私が全部悪いと思ってんの。私が自分の意志で、他人の畑を荒らしたって、本当にそう思ってんの」
「何やねん。急に。めっちゃ元気かよ」
「同じ施設で育ったよしみだからね、良いことを教えてあげる」
 彼女が私の方へと歩み寄ってくる。顔にゆったりとした笑みを浮かべて、痛みなんかないみたいだった。
 肩を掴まれる。長い爪が服の上から食い込んでくる。「痛い」と思わず声が漏れた。
「私の方がもっと痛いっての。……じゃなくて、今は誰が悪者かって話をしてんだろうが」
 私が答えようとすると、彼女が手の力を一層強くした。「黙って聞け」と睨まれる。
「義安幇が怖いけれど、自分も同じ地位にいると証明したがっているのは誰? あいつらの畑を荒らして満たされた気になってるのは、一体誰だろうね」
 彼女は続けた。
「私は、そうするように指示を受けて動いた。それをまあ! バレたからと梯子を外してこども・・・に押し付けるだなんて、お父さんもお小さいこと!!」
 お父さん──つまり、この面倒ごとの種はボスが蒔いた種ということか。その気付きに驚きはない。やはりそうか、と口端が下がる。
……きっと、向こうさんも気づいとるやろな」
「アンタがそう思うんなら、そうなんじゃないの」
 壁掛け時計をちらりと見る。公平はまだあの店で待機しているだろうか。ただの内輪揉めに二度も巻き込んで申し訳ないと考えが過って、すぐに消えた。一度目はともかく、今回は退く機会を与えたはずだ。負けた私が悪いのだが、できることはした。更に言い訳をするのならば、私だって巻き込まれた側なのだ。
「見てなさい、今回の天下は長く続かないから」彼女の笑い声が静かな部屋にこだました。
「大将首が八回落ちても死なん組織てどないよな。やってられんわ」
「ほんとよね」
 彼女が背中に手を伸ばした。歯の隙間で呻きながら、刺さっていたナイフを抜いた。肉が切れ、血がとくとく流れ出してくる。
 痛そうだった。それなのに、彼女の表情からはそれが微塵も感じられない。育て親の口癖を思い出す。『笑一笑、少一少、恼一恼、老一老』その精神はかくあるべきだろう。
「それ、お土産?」
 ナイフの先端がこちらを向いた。赤く光っていて、不気味だった。
 私は紙袋を差し出した。先程ナイス12ワンツー珈琲屋本店で購入したものだった。
「かやく一個。お父さん・・・・がまた私に喧嘩ふっかけてきたら使うたろう思とったけど、あげるわ」
 紙袋とナイフを交換する。
 軽いハグを受け入れていれば、彼女の荒い息が耳にかかった。
「迷子のミー・ロン。やっぱ、アンタには賢い先輩が必要だよ」
「ほな地獄旅行の準備でもせないかんな」
「なにそれ」
「なにって、若坊ぼんも知っとるやろ、あの人らが……ってキツいキツい。ボケの解説なんかやりたないわ」
 私は彼女の背に手を伸ばした。指先が触れる。体温と血液が混ざり合って、あたたかくも、冷たくもあった。
「みんな生きてるよ」
「はぁ?」
「殺した私が言うんだから間違いない。何だったら隠れ家も教えてあげよっか」

 私は走った。ボスの指示通り、彼女を刺した。また、公平との約束であった台帳データもコピーした。
 どん。
 ナイス12ワンツー珈琲屋本店の扉を押し開く。
 こんなふうに、まな板の上から飛び降りれたなら。そして、自分の人生の鍵を取り戻せたなら。先輩、クレ、若坊ぼん。言葉が転々と浮かんでは消えていく。
 私は、口角を上げた。
「あ! 丁度やーん」
 カラコロとベルの音が店内に響いた。


  *


 珍しく砂嵐の止まったカーラジオから、五時を告げるチャイムが流れだした。窓の外のそれとは少しずれており、輪唱でもしているみたいだと才郷さいごうは思った。
 その時、プルルル、とあたりの電話が鳴った。
 フロントドアの向こうで当が「はい」と低く応える。続いて、男の声。才郷はカーラジオの音量を下げた。電話に対する配慮というよりも、己の好奇心からくる行為だった。
 当のアーモンド型の目がちらと己を見たのがわかった。すぐに距離を取られる。表情すら見えず、時折彼女が頷いたり、腰に手を置いたりするのを眺めるほかなかった。
 三分も経たぬうち、電話を終えた当が乗り込んでくる。そして「近國おおくに社長が、すぐ帰ってこいって」と吐き捨てた。
「えー! 今からっすか」
「どうやら《図鑑》のところで何かあったっぽいぞ」
「うわぁ……ライブ、絶対間に合わないじゃん」
 高い倍率の中をやっとのことで勝ち取った、などということはない。来週も、再来週も同じ顔ぶれで、同じような内容のライブがなされるはずだ。しかし、せっかく当が興味を示したというのに、と悔しさがこみ上げる。
「空席作っちゃうのは申し訳ないよね」
「ほんとっすよ。いや、仕方ないんすけど。でもなぁ……タイミングが悪すぎる」
 ゆったりと車が走り出す。
 移ろう車窓の景色をぼうっと眺める。暖色の光が水溜りを反射して、屋根やテントの上でキラキラ光っていた。
 ビル、カフェ、学習塾。仕事や学校終わりの人々が歩いている。己は人生の楽しみを一つ捧げてまで仕事に戻るというのに、街はすっかり休みムードだ。まさに労働真っ最中なラジオパーソナリティの、「お仕事お疲れ様です〜」という定型挨拶でさえ恨めしい。

 カーラジオから流れる籠もった声が、明日の気象情報を告げていた。雨、雨のち晴れ、晴れのち雨と、憂鬱を掻き立てるように言う。
……ライブなんですけど、実は来週もあるんス。良ければ再チャレンジいかがですか」
 才郷は聞いた。己の諦めの悪さに、苦笑もした。
「そうだな。次は、行こう。もし来週も社長から電話が来たら無視してやろう」
「っすね」
 右折車線に入る。車が減速する。
 隣り合ったセダン車の黒い窓から、白いプードルが顔を覗かせていた。奥からぬっと手が生えて、犬の足を左右に動かしだした。才郷は思わず手を振った。
「何やってんの」と当が笑う。
「超かわいいワンちゃんがいたんすよ」
 くそったれかもね人生は〜と男性ボーカルが歌い出した。