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えのうえ
2024-01-09 21:14:09
21579文字
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俎上の輪舞曲
ごった煮チャイマ。様子見のジャブ。そしてジャブ。
問題があったら消します。
1
2
3
4
5
三
「もうちょいこっち詰め、チャンさんが入れやんて困ったはるわ」
相変わらず流暢な関西弁だ。チャイニーズマフィアのくせに、とも思った。
公平は、背中をぎゅうと掴む手に従って、尻をずらした。
視界は依然、頭から被せられた布が主導権を握っている。呼吸の度に、じとりとした熱気が顔に張り付いて気持ちが悪かった。
膝上に程よい重量のものが置かれた。花籠であるのは明白だったが、一瞬江戸時代の拷問が頭を過る。
直後、ドンと右肩に人のぶつかる圧があった。その感触、衝撃から、チャンさんと呼ばれた人物の姿を想像し、己の辞書から薄墨で書かれた『逃走』の二文字を完全に消し去った。
公平は、努めて冷静に「提案がある」と言った。無論、己の右側に座った人物に伝わるよう祈りながら。
「俺は抵抗しない。だから、これを取ってくれないか」と付け足してみる。
右側の人物は微動だにしない。膝上の小刻みな重量変化は、〝彼女〟がその中身を覗きでもしているのだろう。口の中が乾きだし、無いはずの小指の先がキリキリと痛んでくる。
数秒の沈黙が続いた後、「残念ながら、答えはノーだ」と返答があった。子どもをあやすような響きを持った声だった。聞いた途端に、交渉事には慣れているのだなとわかる、余裕を含んだ声。それは左右どちらかではなく、前方から聞こえてきた。
「もちろん、君のためを思ってのことだよ。生活の選択肢を減らしたくはないだろう?」
「
……
そうだな。もうこれ以上は勘弁願いたい」
「あ、やっぱりソッチも大変なんだ」
「このご時世に大変じゃない勤め人なんていないだろ」
「どうだろうね。私は勤め人ではないから」
「あんたプーか」
「プーでもパーでもないよ。ごく普通の、自営業者」
どうにも情報が読み取れない。声から男性であることは推測できるが、その人物像は不明だ。それどころか、会話の主導権まで握られている。先程から前進している車も、どこに向かっていることやら。
「じゃあその、ごく普通の自営業者様が寂れた町の、貧乏ヤクザなんかに何のご用で?」
「簡潔に言うとね、公平さんさ、謀反に興味ない?」
は、と短く息が漏れる。「は」と発声を交えてもう一度。
車が二秒程停止し、再度動き出す。ガタガタと尻を伝わってくる振動から、線路を渡ったのだとわかる。公平の左では、〝彼女〟が笑いを堪えているようだった。「プー、パーて
……
」と小さく呟いている。
どう? と念押しの言葉が、公平の要領を掴めずにいる頭に割り込んでくる。
「ああ。君の美意識に合った言い方に変えようか」
車が停止した。カッチカッチとハザードランプの点滅音が車内に響く。公平は続く言葉は何かと思案したが、己の美意識などわかるはずもなく、暗闇の中で口を閉ざした。
「ちょっと困ってるから助けてほしいんだよね」
未だ笑いに震えている〝彼女〟と石の如く動かぬ〝チャンさん〟に挟まれながら、公平は首肯した。己に向いた救助信号を我関せずとするのは、公平にとってはなかなかに難しいことだと思ったからだ。
四
詳細は彼から説明すると言い残し、車は去った。公平はまだ頭に袋を被せられたままで、腕を引く力強い手に従って歩いた。共に降ろされた人物から「ソレもう取ってええで」と気だるげに告げられる。
幾分か気が和らいだのは、視界不良から開放される喜びと、己の腕を引くのが〝チャンさん〟ではなかったことによる安堵のせいだろう。
空いた右手で布を取る。
ぱっと光を受けた視細胞が慌ただしく切り替わっていく。見えた世界に、公平は目を瞬いた。
あんなに怪しげなことをしておいて、駅から俺の家まで送迎しただけってのかよ。公平は苦笑した。同時に、納得もした。
「鍵」
〝彼女〟が言う。
公平は己のパンツスーツのポケットから本皮のキーケースを取り出した。前職時代に奮発して買ったもので、定期的に手入れを施しながら使い続けていた。
自宅の鍵、車の鍵、事務所の合鍵、金庫の鍵。全て一纏めになったそれは、その質量以上の重みがある。もっとも、公平が一括して管理せねばならない程に人材不足なのが問題なのだが。
無言のままドアに近づく。〝彼女〟は一歩退き、公平が解錠するのをじっと待った。静かにできる時もあるのだな、できればずっとそのままでいてくれ、と願わずにはいられない。
シリンダーに鍵を差し込んだ。反時計回りに九十度。静かな共用廊下にガチャリと小気味よい音が響いた。
ノブを下げて扉を開ける。「どうぞ」と促せば、〝彼女〟は手刀を振って中へ入っていった。靴を脱ぎ揃えるところを見るに、日本人的な作法は身についているらしかった。ガサツな関西弁といい、ますます得体がしれない。
狭い玄関のすぐ先にあるダイニングキッチンには、一人用にしては大きい冷蔵庫があり、その隣には電子レンジ、炊飯器、オーブントースターといったセット家電たちが並んでいる。
公平は花籠を机の上に置いた。
「それで? 俺は何をすればいいんだ」
勝手に居間まで進み、ソファに腰をおろしていた〝彼女〟に向かって言った。立っていればそうはいかないが、今は己の方が高い位置に視線がある。相手に威圧感を与えるには丁度いい距離感だった。兎馬くらい悪人面が上手ければこういう小細工も必要ないものを、と眉間に力が籠る。
「ははは。兄ちゃん、レオンみたいやなぁ。無法
者
もん
やのに、花がよう
似合
にお
うとる」
打っても打っても響かない。まるで感触のないやり取りに、体力が削られる。公平は大きくため息をついた。食器棚からコップを二つ取り、冷蔵庫で冷やしてあったお茶を注ぐ。そして、花籠の側にドンと置き、手前の椅子に腰掛けた。
腕を組む。茶を飲む。足を、組みかえる。
薄く目を閉じて様子を伺っていると、「はぁ」と頭を垂れた後立ち上がる〝彼女〟の姿が見えた。スリッパをかしゅかしゅ鳴らしながら、こちらに向かってくる。
公平の向かいの椅子が引かれたのを確認し、公平はもう一度「何をすればいい」と問うた。
「
……
単刀直入に言うと、半年前、ウチんとこのやつがよこした五十億あるやろ。あれを返してほしい」
「はぁ?」
「だから、半年前にウチんとこのやつがよこした五十億あるやろ──」
「それはさっき聞いたよ。
……
はぁ? 意味がわからん」
「あれはもともと、私の前任がボスの息子のへそくり用金庫からちょろまかした金やってんよ。もちろん一気にやないで、何年もかけてちょっとずつ拝借してたみたいやから」
「それで、今頃やっと気付いたってのか。間抜けな話だな」
「せやねん。まあでもアレちゃう、流れで契約させられた保険の月額料金がわからんとか、お国のやってる貯金制度に加入したものの今いくら貯まってんのかな、とか。そんなんと同じちゃう? 知らんけど」
確かに、半年前〝彼女〟を巡った依頼で五十億の支払いを受けたし、その金はまだ使わずにとってある。すぐに全額払い戻せと言われればできなくもない。外部委託先に上手いこと言って引き出せばいいだけだからだ。ここで一番困難なのは、親父を納得させること。
「だから謀反か」
「わかってくれた? さすがは極道! 道、極まってるわぁ」
嘘をつくか、正面から説得するか。どちらを選んだとて、組の現状を考えると火に油だ。カレーぶっかけ事件の犯人はわかりません、五十億の返金処理をさせてください。こんなことを言われた日には、俺が親父でもさすがに激怒するだろう。
「前任者は探したのか」半年前の兎馬の情報と目前に座る〝彼女〟。その他の情報を照らし合わせれば、答えは薄々予測がついた。半ば答え合わせのような感覚で尋ねてみる。
「探すも何も、死んでんのにどうやって」
まあそうだろうな、という不謹慎な感想が浮かぶ。
「私かってな、まだ引き継ぎの途中やってんよ。せやのに、こんな面倒事のこしていきおって。かなんわ、ホンマ」
顔を顰める〝彼女〟に「お互い大変だな」と慰めの言葉を送る。ヤクザも、マフィアも、根本は同じらしい。楽なのは頂上の富裕層ばかりで、それ以下は雲の先を見つめすぎて首を痛めるか、反対に下ばかり向くようになるかのどちらかだった。
「もうメンドイから名前で呼ぶけど、公平クンが引き受けてくれて助かったわ。やないとミヨっちゃんに言うて、マトリ動かす羽目になるとこやった」
車内の声の主といい、こいつといいどうして俺の名を知っているんだ。という疑問は、その後に続く嫌な響きによってかき消された。
「おい。どうしてそこで麻取が出てくる。っていうかミヨっちゃんて誰だよ」
「ミヨっちゃんは、ミヨっちゃんよ。マトリのミヨシ君。これはオフレコやけど、彼、トウの農園に潜入捜査してるみたい。内緒な」
トウ? 農園? 潜入捜査? と新たな疑問が絶え間なく浮かぶ。公平の深まる眉間の皺に気づいた〝彼女〟は悪戯っぽい表情をした後、更に続けた。
「もし公平クンの協力が得られやんくても、ウチの
若坊
ぼん
が待ってくれるわけやない。先に金の最終着点に辿り着いて、殴り込みに行くかもしれんし、そうなったらウチもトウのとこも商売あがったりやん。公平クンらの命も危ないし、で、マトリに垂れ込んで、公平クンの組全員を大麻所持かなんかでしょっぴかせよかって話になってたんよ。金は上手いこと回収させりゃええしね」
公平は自身の手が震えていることに気づいた。一拍おいて、己は今怒っているのだと認識する。俺の美意識だなんだと
吐
ぬ
かしておいて、最初から選択肢などなかったではないか。そう思った瞬間にあの車内でのやり取りが全て茶番じみてきて、羞恥すら感じた。
警察とヤクザとマフィアが同じであるわけがない。当たり前だ。同じなのは公平自身だ。服や装飾品ばかりでなく、己の立ち位置が、ずっと変わらないままなのだ。天を仰げば果てなく続く魑魅魍魎の巣があり、垂れた糸を掴んでも遊びで切られるような、そういう場所に己はいる。
「何回も言うけど、ホンマに公平クンが引き受けてくれて良かった。私も自分らの都合で大勢の人生に傷をつけたいわけやないから」
「お前はそういうしかないんだろうけどな、俺にとってはそれすら自分勝手な言葉に聞こえるよ」
「そう怒らんとってや。ちゃんと協力仰ごってトウのこと説得したん私やで? 半年前に助けてもろた恩もあるしさ、頑張ってんよ。仲良うしたって、な?」
顔は半笑いであるし、髪は愉快気に跳ねている。しかし、付き合いの短いなりに、〝彼女〟が本気で申し訳なく思っているのだろうとは伝わってきた。「もういいよ」
「親父は俺が説得する。その代わり、お前もこっちのヤマに手を貸してくれ」
「わかった。けど、そのお前ってやつ止めてくれへん? もう私ら友達やのに」
言われてはたと思い出す。こんなに濃い時間を共有した相手だというのに、名前も年齢も性別も知らないままだった。〝彼女〟の友達発言には一瞬引っかかったが、逐一突っ込みだすと面倒なのでスルーしておく。
「じゃあ名前は。何て呼べばいい」
公平の言葉に〝彼女〟が視線を彷徨わせる。本名を言う気がないのだろうと察しがついた。
「えーと、じゃあ〝ウー・ロン〟で。ウーでもロンでもどっちでもええよ」
コップを掲げた自称ウー・ロンがにこやかに言った。中身は烏龍茶じゃなくて麦茶だが、本人がそれでいいならそれでいいか。公平は頷き、大きく息を吐いた。結局、名前・年齢・性別全て不詳のまま、協力関係が結ばれた。カチン、と安いガラスコップのぶつかる音が、室内に響いた。
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