えのうえ
2024-01-09 21:14:09
21579文字
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俎上の輪舞曲

ごった煮チャイマ。様子見のジャブ。そしてジャブ。
問題があったら消します。



 七

 ナイス12ワンツー珈琲屋本店。ちなみに、分店はない。頭から最後までで一つの、そういう店名らしい。店主は高年の女性で、口数が少なく、無愛想という表現がよく当てはまった。ナポリタン・オムレツがおすすめ!! とメニュー表に書いてあるが、これは彼女の案だろうか。
「私はこれね」と向かいに座るウー・ロンがメニュー表を指さした。食パン一斤はありそうな、フレンチトーストだった。上に果物とホイップ、アイスクリームがのってある。写真だけで胸がムカムカしてくる。
「三十分程お時間を頂戴しますが、よろしいですか」若い店員が静かに問う。店主同様、表情が乏しかった。
「ええよ、ええよ。公平くんは? 何にする?」
「えっと……じゃあ、このナポリタン・オムレツで」
 店員が淡々とメニューを復唱する。一度ウー・ロンの顔を見たように思えたが、それは一瞬のことで、すぐに厨房へと消えていった。

 カーナビが目的地到着を告げたのが数分前。と、同時にウー・ロンの「お腹空いて死にそう」との申告があり、入店に至った。
 店内に客は四組。皆それぞれに会話や食事を楽しんでいるようだった。飾られた絵画や生花のセンスは良く、昔ながらの店によくある程よい緊張感があった。店内に漂う深いコーヒーの香りも相まって、居心地はそう悪くない。状況が異なれば、あるいはもう少し近場であれば、定期的に通いたくもなるだろうとも思った。
「ちょっと出てくるわ」突然、ウー・ロンが立ち上がった。「すぐ戻るさかい、公平クンはゆっくりお食事しといて」
 公平の返事も待たず、ウー・ロンが席を離れる。店主に「かやくのテイクアウトってすぐできんの。一つ欲しいんやけど」と尋ねた。店主が頷き、茶色い紙袋を手渡す。
「ホンマ、先食べといてな」ウー・ロンが言った。
 まさか一人で台帳を見に行く気かと眉根を寄せる。ウー・ロンの特性を考えると、もしかすれば、それすらも叶わない可能性はないか。まして店に戻ってくることなどできるのだろうか。
「アレのことはわかってるし、別に迷子の心配もいらんからね。私の庭みたいなもんで、嫌でもたどり着く」
 ケラケラ笑いながら、ウー・ロンがドアを開けた。カラコロとベルの音が店内に響く。
「ナポリタン・オムレツでございます。鉄板が熱くなっておりますので、お気をつけください」
 いつのまにか側にいた店員が、公平の前に皿を置いた。ぶわりと湯気に、視界を遮られる。公平は席を立ち、入口へと駆けた。ベルを鳴らし、ドアを開ける。
 まだ追いつけるだろうか。そう思ったが、ウー・ロンの姿はなかった。店を出て、右に進んだのか左に進んだのかさえわからない。小さく舌打ちをする。ウー・ロンが信じるに足るか、と自問にはすぐ「あいつ、嘘とかつけなさそうだしな」と自答があったが、同時に己も以前、兎馬に「公平さんって嘘つけなさそう」と笑われたことを思い出し、それを打ち消した。
 公平は大きく息を吐き、店内に戻った。カラコロとベル音に背中を押され、カウンターへと向かう。「会計を」
……まだお食事が残っています」
 店員の黒い目が、机上のナポリタン・オムレツから公平へと移された。刺すような視線だった。「申し訳ないが、急いでいるんだ。会計を」もう一度言う。
「お客様。まだ、お食事が、残っています。それに、お連れ様のフレンチトーストの調理も既に始めております」
 店員が、電子アナウンスのように淡々と告げる。ウー・ロンといい、皆どうしてこうも頑ななのか。
 頭が痛い。もうどうにでもなってしまえ、と思った。となれば、どんなトラブルにも対応できるよう、まずは腹ごしらえを。前職よりの学びを優先させるべく、公平は席に戻った。


 八

「お待たせいたしました。『ノリテツミチ考案 特製フレンチトースト』でございます」
 と店員が大きな皿を運んできた時だった。
 ナイス12ワンツー珈琲屋本店のレトロなドアが勢いよく開いた。
「あ! 丁度やーん」
 ウー・ロンだった。配膳されたフレンチトーストを見るなり、言葉のあやでもなく弾む。
 その手や顔には血がついていた。服は黒いため判別しづらいが、異様な艶があるように思えた。
 ウー・ロンは、店奥に設置された手洗い場で肘まで流し、店員から渡されたおしぼりを嬉しそうに受け取る。それが肌を拭うたび、白い布が赤く染まっていくようだった。「何があった」己の前に座ったウー・ロンに、公平は聞いた。
「大丈夫、私の血ィとちゃうから」
「答えになってないだろ」
 プルルルと着信音がした。己のものではなかった。すぐ向かいで、ウー・ロンが動く。神妙な面持ちで、腰からスマートフォンを引き抜き、「はい」と呟いた。
「先生の指示通り──はい。奥の部屋で転がってますよ」
 ひどく気味が悪かった。いつものように口端を上げているが、あのあらゆる人間を小馬鹿にするようなものとは少し違った。緊張しているのだ、彼女は。公平は思わず唾を飲み込んだ。
 ウー・ロンは続けた。
「はい、その件は、はい。感謝してます。では、はい、失礼します」
 ウー・ロンが電話を切るのと同時に、店内にいた客達が一斉に立ち上がった。勘定もせず、ぞろぞろと入り口へ歩いていく。
 ウー・ロンが中国語で短く呟いた。それから振り返って「集会所の子らには絶対手ェ出さんといてくださいよ」と声を張り上げた。

 入店ベルの鳴り止んだ店内は一層静かに思えた。客はもう己と、眼前のウー・ロンしかいない。店主は厨房で、店員はカウンターの内側でぼうと立っていた。
「金のことは、そない急がんでも良うなったで。私の交渉術に感謝しいや」ウー・ロンが分厚いフレンチトーストにナイフを刺しながら言った。
「急げと言ったり、大丈夫だと言ったり、随分勝手だな。ちゃんと説明しろよ。それとも何だ、マフィア様方は、俺たちヤクザをガキの集まりだとでも思ってんのか」
「ヤクザァ? 公平クンはただの通行人やろ、前に自分で言うとったやんか」
 公平は眉を潜めた。確かにそう言ったが、今持ち出す話ではないし、掘り下げる必要も全くない。
「とにかくな、もう若坊ぼんに貯金は必要なくなったんよ。で、その曰く付きの五十億へそくりをどうするかって決めるには、めちゃくちゃ繊細な配慮がいってやなァ……これ以上は堪忍して」
 果実の甘い香りがアイスクリームに溶け、爆ぜるようにして公平の鼻腔に流れ込んだ。ウー・ロンは、くたくたに柔らかくなったパン生地で上のトッピングをえぐり取って、口へと運んでいく。もはや歯の不要そうなそれを咀嚼しながら「ただ、」と呟いた。
「約束通りコピーはとってきたで。送るから、連絡先教えて」
 公平は意識的に警戒をにじませながら、スマートフォンを取り出した。ロックを解除し、メールアプリを開いて見せた。
 ウー・ロンが今までにないほど真剣な顔で指を走らせる。たちまち一通、メールが届いた。
 URLをタップする。容量が大きいのか、読み込みバーの進みが遅い。カラメリゼされたパンの上で、アイスクリームがまたじわりと溶けた。
 パッと画面が切り替わる。公平のスマートフォンの画面に、女性の顔がでかでか映し出された。兎馬から送られた写真を思い出し、脳内で比較する。まず間違いないだろうとわかった。
 ウー・ロンが言う。
若坊ぼんの副業仲間で、ただの半グレちゃんやな。そっちのシマの近くが溜まり場っぽいし、ハッパでハイんなって度胸試してとこちゃうか」
 指を動かす。画面が切り替わり、一気に文字が増えた。それを斜め読みする。あらゆる個人情報が載っていた。出生地に家族構成、それに幼少期の思い出まで。
 そして、
桜羽さくらば旭」
 その、たった三文字が公平の指を止めた。
 どこにでもある名前だろうか。
 姓も、名も、生年月日も同じ。そういう人間がこの世にどのくらいいるのか、見当もつかない。
 公平の困惑をよそに、ウー・ロンはフレンチトーストを頬張りながら「良い名前やねぇ。あったかそう」と笑った。
 言葉に詰まる。
 桜羽旭の名がどうしてここにある。君は、親父の、桜羽さんの一人娘じゃないか。


 九

 アイスクリームが溶け、パンの中へと沈んでいく。
「なんや。もしかして知り合いかいな」ウー・ロンが咀嚼の隙から言った。そして手を伸ばし、公平からスマートフォンをすくい取った。指をすす、と動かす。
「ちなみに、こいつの出生時点の戸籍はこれな。そっから五回も変えとるね。ただのアホか、ドアホなマニアか。どちらにせよ、こいつの台帳は変更点ばっかりやから、こないに容量が大きいんや」
「なら、本物の桜羽旭は? 今は別の名前を名乗ってるってのか」
「そりゃあまあ、せやろな。ていうか、公平クンはこの・・桜羽旭にお年賀送りたかったんと違うん?」
 返された画面をじっと眺める。確かにそうだ。全くその通り。公平がすべきなのは、事務所にカレーをかけた犯人を探すことで、桜羽旭・・・の消息について調べることではない。
 ウー・ロンの言葉を全て信じるのならば、公平に課せられた問題の殆どは解決したと言える。あとは親父に必要事項を報告し、ドラッグ漬けの不法者に対してどう灸を据えるか。公平はただ指示に従うだけだ。
桜羽旭が、なんで私らのとこにたどり着いたんか。今どこで何をしてるのか。そんなことを考える前に、己の行いを見直してみたら?」
……そうだな」公平は首肯した。
 少なくとも、己にとって全ての変化は必要であったのだと理解している。だが当時の親父──桜羽の家族はどう思っただろう。
 離婚が成立してからは、顔を合わせていないと本人は言っていた。
 それでも、何らかの影響を与えてしまったのだ。それも、これまでの人生を塗り替えたくなる程の。
 公平には桜羽旭の選択を責めることはできなかった。

「そっちはこれからどうするんだ」公平は聞いた。
「そやなぁ。大阪城城主でも目指そうかな。もしくは、タイムマシンの開発に励むか」
……トウって奴は迎えに来ないのか」
「それは絶対ない。というより、私が嫌。できれば、もう関わりたない」
 ウー・ロンはケラケラ笑った。気づけば、あんなに大きかったフレンチトーストは、もうあと一口しか残っていない。
 店員がピッチャーを抱えてこちらへと歩いてくる。
「公平クンも、人生やり直したなったら連絡して。特別価格で対応したるわ」
「なるほど。おトモダチ割ってやつか」
「そうそう。公平クンのやったら、大体一千万くらいで売れると思うよ」
 自分の人生にその価値がつくのは、高いととれば良いのかそれとも逆か。公平にははかりかねた。
「それで、売ったということは新しい戸籍を買わにゃならんわけだろ」
「さすがは極道、思考が反社! その通り、これがこの商売のミソでなァ。買うときは大体その倍は必要になる。一応ローンも組めるけど、ゴツいマージンが掛かってくるから、あんまりオススメはせんよね」
 ウー・ロンのグラスに水が注がれていく。
「戸籍を変えて人生が良くなれば安い買い物やけど、そうならん奴もわんさかおる。結局生活をつくるのは自分やもん。なァ?」
「そうですね」店員がにこりともせず答え、公平のグラスにもピッチャーを傾ける。小さくなった氷が注ぎ口から勢いよく飛び出して、水中に落ちていった。


 高速道路降り口。公平はブレーキを踏んだ。
 いつもは静かな車内だが、今はカーラジオが流れていた。学生時代から前職時代にかけてよく聞いていた番組で、テーマに沿ったエピソードを話したり、応募のあった曲をかけたり。考え事にはちょうど良いノイズだった。
 ブブブ、とバイブレーションとともに、スマートフォンの画面が光った。
 ちらりと目をやる。ウー・ロンからで、何事かと近くのコンビニエンスストアに車を停めた。もうトラブルは十分だと嫌悪が過る。
 未読メールは二件あった。一方はウー・ロンからで、もう一方は兎馬からだった。無論、不安要素の大きいウー・ロンの方を開く。
 件名はない。
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 まず空白。
 そして空白、空白空白空白。
 長いスクロールの先で、数字十一桁と漢字三文字が並んでいた。