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えのうえ
2024-01-09 21:14:09
21579文字
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俎上の輪舞曲
ごった煮チャイマ。様子見のジャブ。そしてジャブ。
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1
2
3
4
5
一
直ぐ側を、電車がゆっくりと通り過ぎた。雨を切り裂いてガタンゴトンと風情を響かせる。
時折ワイパーが誰かに手を降るように起き上がっては、また寝た。
才郷
さいごう
はクーラーに手を伸ばした。弱冷風が出ている。じとりと全身を覆う汗は、この程度では引きそうにない。グローブボックスから扇を取り出し、ぱっと広げる。和紙風の紙に滝を登る鯉の絵が描いてある。一つ百円の安物だが、なかなか便利で良かった。
数分前まで元気にうたを歌っていたカーステレオは、再びざあざあと砂を吐き出していた。チャンネルを弄りながら、運転席側の窓に目をやる。ちょうど
当
あたり
が店主に手を上げたところだった。どうやら、「才郷には内緒の話」は終わったらしい。
ワイパーが起き上がる。滲んだ視界に、黒い影が映った。びゅう、びゅう、ともう一度ワイパーが寝起きする。
黒い傘を持った男性だった。年齢はどうだろうか。石づきがこちら側へと傾けられていて、顔はよく見えない。足運びから、若いこと──だが少なくとも己よりは上だろうと推測する。
ふと男性が立ち止まった。店先に停まる営業車の存在に気がついたのだ。再度歩き出したものの、先程よりペースが遅い。警戒されているのかもしれない。
バタン、とドアの開閉音を右方の耳が拾う。「お待たせ」と上着についた水滴を払う当に、才郷はティッシュペーパーを三枚渡した。
「当さんは花束を渡したことってありますか」
「あるよ」
「貰ったことは?」
「それも、ある。父親から大学の入学祝いだったかな」
「え、当さんって大卒だったんですか」
「なわけないだろ。受験もしてねえわ。あほの親父が、てめえのメンツ保とうと頑張っちゃったんだよ」
当が吐き捨てるように言った。戯けるように歪められた横顔の奥で、男性が傘を閉じ、迷いない足取りで店内へと入っていくのが見えた。
「あのサラリーマンもそうなのかなぁ」
「どうかな。知り合いの結婚式とか、上司の定年退職祝いの可能性もある」
「あと、ドラマのクランクアップとか?」
「それは一部の人間以外には珍しいだろ」
くつくつと当が笑い声をあげる。雨粒を踏み潰しながら、車は進む。『フラワーショップトーマ』のテント屋根が、遠ざかっていく。
「話変わるんですけど、明日の夜って空いてます? もし良かったら一緒にお笑いライブに行きませんか」
チケットが余ってて。と付け足すと、当のアーモンド型の目がちらりとこちらを向いた。「いいよ」
「才郷がいつも話してるから、ちょっと興味あったんだよ」
ざあざあと雨が降り続いている。カーステレオからは、人声が流れ始めた。
二
フラワーショップトーマの店主は、その店名の通り『トーマ』といった。兎、馬と書いて
兎馬
トーマ
。恐らく本名ではないが、本人がそう言うのと、控えめにつけられた名札から、皆そう認識していた。
背は低いが、その分筋肉があり、鉢を提げる時には二の腕がこれでもかと隆起した。顔の上半分、頭髪と眉毛はなく、代わりに武将のような口髭を生やしている。頭から爪先まで、ちぐはぐという言葉が付き纏う。
「最近慌ただしいみたいですね」と少し高いハスキー声で兎馬が言った。「組事務所の門にカレーぶっかけるなんて、とんでもない奴がいたもんだ」
「お前は都内専門だったろうが。誰から聞いた」
「
公平
きみひら
さんのことは、公平さんより知ってますよ。それがウチのサービス理念っすからねぇ」
兎馬がカウンター裏から持ってきた丸椅子に腰をおろす。引かれたクッションはすでに人の尻の形に凹んでいた。若干の温もりを感じ、思わず眉間に力が入る。
兎馬の言ったことに間違いはない。先週金曜日の朝、公平が事務所に着いた際にはすでに全てが起こったあとだった。事務所の門に打ちつけられたカレールーと漂うスパイスの香り。弟分達の青白い顔は、当分忘れられそうにない。
「それで?」兎馬を睨み、カウンターに肘を付く。「いくらでやってくれんの」
ふ、と兎馬が小さく鼻を鳴らした。口を囲うように生えた髭が大きく歪んでいる。ヤクザである自分よりも極悪人面なのではなかろうか。
「公平さんいつも頑張ってるし、安くしときますよ」
立ち上がる兎馬の坊主頭がきらりと光った。後光を携え己を見下ろす姿はいやに神々しく、癪に障る。
公平が黙ったままでいるのをいいことに、兎馬は鼻歌混じりに店内を歩き始めた。時折足を止め、花をいくつか摘み、ステップを踏むように戻ってきた。
「忙しい公平さんのために、今回は籠にしておきましょう。そのまま飾れますし、手入れも水の継ぎ足しくらいで済みます」
白バラとブルースター、かすみ草を詰める手は素早く、そして丁寧だった。普通の花屋としても十分やっていけそうだ、と素人ながらに思う。
「エンコヅメなんて、今どき流行らないでしょうに」
兎馬の声が室内に響く。うるせえ。と一言答え、小指の欠けた左手でカウンターを軽く叩いた。俺だってな、と反論じみた思いは喉頭で抑え込んだ。
立ち上がり、兎馬を見た。十数センチ低い場所にある額に、USBをつきつける。「監視カメラのデータをコピーしてきた。画質は粗いが、ないよりマシだろ。どう使うかはお前に任せる」
「どこまでやりますか」
「これはあくまで俺の独り言だが、犯人探しはそれをすることに意味があるんだ」
「お得意のメンツってやつですか。警官時代と何も変わらないな」
確かに、と同意しそうになり口を噤んだ。
内胸のポケットから財布を取り出す。レジスターに示された依頼料、つまり花籠代をコイントレーに並べた。
兎馬がふ、と声を漏らした。その視線の方向ではたと気づく。
財布も腕時計も、長らく買い替えていない。スーツも同じブランドのものを着続けている。あの頃と異なる点があるとすれば、己の左半身が小指一関節分軽くなったことくらいだった。
生花を持ち歩くことには慣れた。家に帰った後、ラッピングを解き、茎を切り、花瓶に飾る。ガジュマルやらサボテンの時もあったが、基本的には兎馬のメモ通りに手入れすれば問題なかった。唯一の難点といえば、『フラワーショップトーマ』の紙袋が自宅隅で山を作っていることだ。花束をいれるためにマチが広く、おまけに防水加工も施してある。店主に似合わず清楚なデザインで、高級デパートを思い出させる仕上がりだった。一向に朽ちず、綺麗なままなので、捨てるタイミングがわからないでいた。
電車を乗り継ぎ、自宅最寄りの駅に降り立つ。駅員ひとりと少ない乗降客。改札にできていたであろう水溜りは、すでに均された後だった。控えめに発せられた「ご乗車ありがとうございました」の声と、ピピッという軽い電子音に送られながら改札を出る。
傘を右手に、沿線を歩く。
現在、公平の両手は塞がっている。
後方でバシャバシャと雨を踏んでいた車が停まったことに、違和感はなかった。
しまった、と思ったのは背中の傷が傷んだからだ。
銃声が、突如床が抜けるなどという理解の追いつかぬ恐怖が、白く咲いた菊の花々が、走馬灯のように全身を巡った。
「よお、兄ちゃん。ちょっとツラ貸せや」
耳馴染みなどあるはずもない訛りだ。それを懐かしく思うだなんて、きっと俺はどうかしている。
「ちゃんと返せよ」
返答した瞬間、視界を奪われ、呼吸もしづらくなった。半ば引き摺りこまれるようにして、公平は車体ステップを跨いだ。
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