シノハラ
2024-09-16 22:03:50
43860文字
Public 戦パ
 

最果てから少し前

謹慎期間中に弾丸帰省をするアベンチュリンとそれに着いていったレイシオがツガンニヤの砂漠で2つ約束をする話です。
もうちょい追加で修正してスパークの新刊にする予定


    5

 結局朝日が地平の近くににじり寄っている気配を察するまで二人で空を見上げてから、揃ってテントに引っ込んだ。それから太陽が上がって気温が上昇する一時間かそこらだけ仮眠して、しぱしぱと瞬きをしながら再びテントから這い出した。どうやら、その時間はアベンチュリンもぐっすり寝られたらしい。
 もう厚着なんてしていられなかったので昨日と似たような格好に戻して、朝食は宇宙船の中でいつもの内容を摂ることにした。昨日のダメージが残っているのか体がいつもの量を胃に入れるのをやや渋ってきたものの、熱中症対策に食事は重要なのでくたびれた胃腸には一旦観念してもらうことにする。
 とはいえ、昨日のようにあちこちを出歩く予定は今日はなかった。あと数時間もしないうちに、宇宙船はここから離陸する手はずになっているからである。天気と磁気の予報を見る限り、時間をずらす必要はなさそうだった。
「レイシオ、髪を一房切ってほしいんだけど、頼めるかい?」
 銀色の髪を切るための鋏を取り出したかと思うと、思いもしない依頼を投げかけられる。ぴかぴかと光る鋏は使い込まれているようには見えず、アベンチュリンがこの日のために購入したようだった。
「君が後からプロに整えてもらうつもりなら構わないが」
「随分不安になる物言いだな。そんなに君不器用だっけ? 手術はしないタイプのお医者様だった?」
「人の髪を切った事がないので保証できない」
 手慰みでくるりと回された鋏の軌跡を目で追いながら、髪については自分の前髪くらいが関の山だと主張する。もちろん外科手術で鋏は用いられるが、肉と髪の勝手が同じであるはずがない。
「まあいいや。君が大失敗して目も当てられないことになっても、どうせ会議に出る前にはちゃんとすることになるだろうから」
 最後にもう一度くるりとアベンチュリンが鋏を回して、刃の部分を握ってレイシオの方に差し出してくる。さすがに一房程度ではそんな惨状にはなるまいと溜め息を吐きつつ受け取ると、彼の体温が移った金属が手に乗った。
「内側からでいいか。量に希望は?」
「うん、それで頼むよ。量はそうだな……指でつまめるくらいはどう?」
「僕が判断するものではないだろう……
 アベンチュリンの後ろに回って目立たなさそうな場所を捲って問いかけると、提案と共にかくんと倒れた頭に合わせて髪が指先から逃げていく。鋏を持っていない方の手で彼の頭の位置を固定してから再度彼が指先で示した量を摘まんで根元の辺りに鋏の背を差し込んだ。
 ぷちぷちと音を立てながら体から離れる髪を取り落とさないように気をつけながら切り取ると、レイシオは髪の持ち主に断ち切れた髪を渡してやった。捲った髪を元に戻して二、三指で空気を含ませるように梳いてやってから違和感がないかを確かめる。
「どう?」
「素人目では違和感はない」
 じゃあ大丈夫かなんて言いながら、アベンチュリンが礼を述べてレイシオから鋏を取り上げた。両手を塞いだ状態で一度鋏を入れていた鞄に鋏を戻して、代わりに小箱を取り出して髪を納める。
 それから箱を片手に日が高くなった野外に出ようとするので、今度は変に我慢せずに日傘を手に彼の後に続いた。
「昨日も差しておけば良かったのに」
「君……いや、君の言う通りだ。僕に付き合わせて悪かった」
 図星を突かれて思わず反論しようと思ったが、今回はアベンチュリンが概ね正しい。ぱっと見で分かりやすい異物を持ち込みたくないなんて部外者の感傷に付き合わせて、アベンチュリンは昨日行動制限をかけられたと言っても良い。むしろレイシオが平身低頭で謝罪する必要があるはずである。
「僕がどこかに行きたいように見えたかい?」
 ぺたんぺたんと音を立てながら、下ろされたままだった宇宙船の階段を下りながらアベンチュリンがレイシオを振り返る。その問いへの答えをレイシオは持たない。
「まあ、行きたいんだろうなとは僕だって思うよ。でも、肝心の場所が分からないんだから、どこにいたって一緒だった」
 だからレイシオが気にすることではないのだと、アベンチュリンはほんの少し笑みを浮かべながらレイシオに告げる。事実をそっくりそのまま伝えてくれるアベンチュリンにレイシオは促されるまま頷くしかなかった。
 外は二人が宇宙船に逃げ込む直前よりも当然気温が上がっていて、記憶が正しければ風も強まっていた。時折傘を風に煽られながら進んでいくと、比較的登りやすい極小規模な丘と呼ぶべき隆起をアベンチュリンは目標にしたようだった。
 その端に辿り着くと自身の髪を入れていた小箱を取り出して、アベンチュリンはその半分を指先で摘まんだ。価値を見いだされる事の多い金糸をアベンチュリンは空気にさらすと、ぱらぱらと風に乗るように少しずつ指から散らしてしまう。色素の薄くて細い金糸はすぐに二人の目には映らなくなって、どこに流れていくのかも分からなくなってしまった。
「もう半分は君にお願いしてもいいかな」
「今か?」
「ごめん、言葉足らずだった。僕が死んだ後にお願いしたい」
 エヴィキン人にその手の儀礼があるのかと思ったが、どうやらそういうことではなさそうだとレイシオは思い直す。
「骨となると僕の場合なかなか難しそうだから」
 その言葉が決定打となり、アベンチュリンの行動は生前葬の真似事なのだとレイシオは理解した。アベンチュリンから彼の髪の入った小箱を受け取りつつ、彼が言う通り骨の扱いは難しそうだと考える。むろん、骨をツガンニヤのような星に持ち込んで墓地以外で骨をどうこうするのが難しいという話ではない。
 彼に身寄りがないとは言え、籍の関係がないものが骨を受け取るのはなかなか難儀であるはずだった。それに加えアベンチュリンは現在も死刑囚であるわけで、遺体の回収は更に困難を極めるだろう。であれば彼が選んだように簡単に体から切り離せて、腐りもしない髪や爪辺りが適切なのだろう。
「君はここに戻りたいんだな」
「こんな砂や岩ばかりのところじゃなくて、他の場所の方がいいと君は思うかい? 僕はこれからの人生で第二の故郷を見つけるべきなのかな」
 それは、と口にしてからレイシオは言い淀んでしまった。何の躊躇いもなくそう思える場所ができるのは、きっとアベンチュリンにとって悪いことではないはずだった。けれどそれで本当の故郷への思いが薄まるかと言えば、おそらく違うのだろう。
「僕ももっといい場所なんていくらでもあると思う。カンパニーで仕事を始めてあちこち行って、こういうところで暮らしたいって思う場所だってあった。そのままそこで骨を埋めたいって思えるのが一番良いって、僕も分かってる」
 丘の終端のちょっとした崖になっている部分――とはいえ落ちたところで骨を一つ犠牲にする程度の高さしかない場所にアベンチュリンは腰を下ろしてぷらりと足を投げ出した。危ないと一応指摘してみたが、君がいるところだって五十歩百歩ではないかと返されてしまう。確かに彼の言う通りだろう。
「でも、どこか一つって言われたらここしかないんだ」
 喧しいアティーニクジャクを思わせる仕事中の振る舞いはここにはなかった。幼い頃の彼でもなく、公的なアベンチュリンでもない彼がツガンニヤで最後になるかもしれない時間を過ごしている。そんな場面に立ち会って、これを最後にしてやりたくないと思わない人間の方が少ないだろう。
「骨を持ち込む方法も探しておこう」
「本当? ありがとう、君が言うならできる気がしてくる」
 ぱっと顔を上げたアベンチュリンが目を細めて破顔して、決して安請け合いをしてはいけない用件だとレイシオは覚悟する。方法はいくらでもあるだろうが、彼のためになるべく綺麗な手を使ってやりたいと思った。
……すぐには無理だからな」
「だろうね。じゃあまずは懲罰会議を頑張らないと」
「まな板の鯉の今の君にできる事があるのか?」
 急に現実的な言葉が出てきて気分を引き戻されながら、レイシオは思わず眉を顰めてしまう。トパーズが公言していたはずだったが、彼らほどの立場になってしまってはどいつもこいつも金で動くような輩ではなくなってしまっている。
 となれば、彼らがアベンチュリンを評価するときに重要視するのは自分、もしくは十の石心の成果となるわけだが、それは日頃の仕事ぶりから判断されるものだろう。ピノコニーという仕事を終えてしまった今、アベンチュリンにできる事などさしてないはずだった。
「そうだな……僕の女神様への信仰心を磨くくらいかな。スギライト辺りがお腹を壊せば有利になりそうだ」
 つまるところ、言葉の綾ということらしい。大仰に溜め息を吐いてやれば、アベンチュリンが苦笑する。
「これを撒く場所に希望があれば聞いておくが」
「どこだって良いよ。ツガンニヤは風も強いし、いつかきっと僕が住んでいた辺りを通り過ぎるんじゃないかな」
 手の内の小箱を揺らしながら尋ねると、アベンチュリンがどこまでも見通せてしまいそうな地平線に視線を投げかける。彼の意見を汲むのであれば、骨もどこかに埋めると言うよりも散骨がベターなのだろう。先ほどの彼の髪のように真っ白な遺骨がぱらぱらと舞い上がる雲一つない空をレイシオは鮮明に思い描きながら一度瞼を落とした。
「そろそろ帰ろう」
 しばらくそのまま二人で地平を前にしてから、アベンチュリンがこれと言ったきっかけもなく告げて立ち上がる。
「今回はありがとう。君が付いてきてくれて嬉しかった」
 ぱたぱたとズボンに付いた砂を払いながら、アベンチュリンがレイシオに視線を合わせずに礼を述べた。礼節を欠く行為だとは感じてしまうが、必要以上に重たさを持たせたくはないのだろうと指摘は避けることにする。
「君じゃなきゃ、僕の昔話なんてできなかった。母さんと姉さんの話。それに、母さんと姉さんが教えてくれた父さんの話」
 くるりと踵を返した遠心力でうっかり後ろによろけてしまわないか案じてしまったが、アベンチュリンの足の裏はしっかりと大地を掴んでいる。同胞が虐殺されたはずの砂漠で、彼はレイシオが想像していたよりもずっと落ち着いた時間を過ごしていたと思う。
「きっと君ならずっと忘れないでいてくれるだろう? それが何より嬉しいんだ」
「そうだな。そういう作りの頭をしている」
 そういうところもなお良いのだと、アベンチュリンは満足そうにレイシオに笑いかけた。彼は何の苦もなくいつまでも自分の幸福な記憶を誰かに覚えていてほしくて、この旅の道連れにレイシオを選んだのだ。
 どうやら、レイシオが願っていたこととアベンチュリンが求めていたことは最初から綺麗に重なっていたらしい。出来過ぎの結末に思わず口角をゆるりと上げてしまってから、一度アベンチュリンに視線を合わせる。
 日焼け止めの塗り直しなど一度もしなかったはずの彼の肌は、赤くもなければ焼ける様子もない。対してレイシオの肌は日焼け止めの塗り直しが足りなかったのか、少し赤らんでしまっていた。気づいてしまえば、途端に肌がひりひりと痛むような気までしてくる。
 アベンチュリンの日を避けるように長く伸びたまつげが作る影の下ではっきりと主張する虹彩も、きっとこの眩しさに適応した仕組みをしているのだろう。守られるものもなく細々と血を繋ぎ続けた種族の末端である彼の体はきっと誰よりもこの星に適合しているはずだった。
 その心と体がここに帰りたがるのは当然の話なのかもしれない。
 栄養や大気、提供される医療の質の観点から、アベンチュリンは今までのエヴィキン人よりも長く生きられるだろう。けれど、成長期に晒されていただろう劣悪な環境を思えば、レイシオの種族の平均値は超えられないはずだった。
 いつか至るだろうその日にレイシオは対峙しなければならない。逃れられぬ断絶を受け入れるために、レイシオは手の内の小箱をそっと握り込む。
 彼がいなくなった後もレイシオはずっと彼を覚えている。そして、いつかその日々に価値を見出し、歴史の狭間から拾い上げる誰かの存在を信じて自身が抱える知識ごと彼を宇宙に手放す日が来るのだ。そんな日が少しでも遠くにあるように、とレイシオは祈ることしかできない。かつて、彼への祈りを綴ることしかできなかった時のように。
「忘れられないだろう。君の事も、この旅も」
 レイシオの返事にアベンチュリンはやはり満足そうに相槌を打つ。からりと晴れた、レイシオにとっては風の強い日のことだった。