井見
2023-12-29 22:06:05
33915文字
Public 真Ⅲ二次
 

【再録】明くる日のベルスーズ

縦書きリーダー用です。
2022年の終わりに発行した真Ⅲマニクロ同人誌の再録です。


ベルが鳴る


 学校をふけるのは思いの外簡単で、僕は拍子抜けした。
 気分が悪いと保健室に行けば、ベッドで寝るよりも早退を促されたし、言う通り教室に戻って荷物をまとめていると、心配そうな顔をした千晶が「顔、真っ青よ」と手伝ってくれた。「ノートと先生はオレに任せろ」と勇が明るく言い、誰も僕の体調を疑ってはいなかった。それくらい僕はひどい顔色をしていたらしい。とはいえ本当に体調が悪いわけでもなくて、ただ僕はもうここにはいたくなかったというだけだった。
 昼休み、わずかな時間も部活動に励む勤勉な学生たちを横目に、ほとんど閉じられている校門を手で押す。駅への道は程々に賑わっているが、日中ということもあってか学生は少ない。
 僕と同じように学校を早退したのか、あるいは遅刻して今から向かっているのか、ちらほらと見える中高生たちは少し目立っていた。時折詰襟の学生とかもいて、なんとなく余計なことを思い出す気がした。余計なことを思い出して、意識を逸らしたかった。
 真っ黒い詰襟の制服。今時かぶっている人なんて滅多にいない学帽。どこにでも連れていく黒猫。
 結局彼は自分のいるべき場所へ帰ったのだろうか。僕は知らない。別れの言葉はなく、時間も無かった。この世界が創られるのに巻き込まれたなら、もしかしたら死んでしまったかもしれないし、あるいは当然のようにこの世界、この時代の一員にさせられているのかもしれない。それはちょっと面白いけど、気の毒でもある。
 そんなどうでもいい考え事は、ちょうど駅に着いたのと同時に消えていく。
 でもそれは、考えなくてよくなったからだった。
 鞄の中の定期券を探そうとして、僕は目を疑った。
 人の多い改札。どんどん人が入れ替わっていく。その中でちょうど、たった今、真っ黒な布をなびかせて、いつのかわからない帽子を被って、男が改札機に切符を滑り込ませていた。
 思わずその場に立ち止まってしまう。急いでいる人に背中を突き飛ばされてから、僕はようやく我に返った。
 改札機に定期券を押し付ける。
 影を追う。
 直進?
 曲がった?
 わからない。
 壁際で待ち合わせをしている人がいるので、話を聞いた。幸いあの格好はとても目立つから、得られる断片的な情報を付け足せば、どちらのホームに向かっているのかはわかった。よくないと思いつつも、僕の足は早まる。次の電車に乗ろうと急ぐ人たちと一緒に、僕は階段を駆け下りていく。
 ちょうど電車が来た。右と左、最悪なことに同時だ。電車を待つ人たちの中を階段から探して、目標の黒い影へ。さすがに追いつかないから、とりあえず同じ電車に飛び込む。
 ドアが閉まる。
 駆け込み乗車はおやめください、とのアナウンスに口の中で謝罪を述べつつ、荒い息を整える。心拍数がはやい。この車両の隣の隣あたりに、見間違いじゃなければ、いるはずだった。
 思い切って、車両を繋ぐ扉を開けた。
 この車両にはいない。
 隣の車両にもいない。
 さらに隣の……すぐにわかった。乗客たちの視線が集まっていた。
……ライドウ」
 注目もものともせず、彼はすげなく立っていた。昇降口のドアにもたれるようにして、移り変わる外の景色を眺めているようだった。
 僕が彼の名前を呼んでから、一呼吸分の時間が空いた。それからゆっくりと僕の方を向くのが、まるで人形みたいで、本当に同じ人物なのだとわかった。
「やあ」
「やあ、じゃないだろ……
「こんにちは、か?」
 澄んだ眼差しは、余計にたちが悪い。目立っているのは格好もだし、たぶん顔のせいでもあった。気が散るので、車内の注視を背にする。
「なんでここにいるんだよ」
「少し観光……調査をしてから帰ろうと」
「正直だな」
「ゴウトと話しあった結果だ」
 そういえばそのゴウトは、と聞くと、ライドウは口に人差し指を当てる。
 マントが体の前で少しこんもりとしている。腕を組んでいるのかと思っていたが、どうやらその中にこっそりと隠しているらしい。開いた隙間からちらりと尻尾が振られるのが見えた。
「賭けは僕の勝ちだな」
 唐突にそうライドウが言うので、首を傾げると、彼はもう一度口に人差し指を当てた。仕方がないので僕は彼の顔を見つめる。
 十四代目葛葉ライドウ。
 学ランだけならいざ知らず、今の時代被っている方が珍しい学帽と、姿を覆う黒いマントが異様な統一感を醸し出している。目鼻の整った端正な顔がそれを余計に後押しするから、やけに気迫があった。実は人じゃないと言われても納得しそうになるが、彼は人間だった。
 そして僕にとっては、あの世界で戦って、戦って、最後に少しだけ一緒に戦った、奇妙な縁のある奴だ。
 一緒にいたのは短い間だった。
 何度か拳を交えて、とうとう本気の戦いかと身構えた僕をよそに、彼らは連れにならないかと提案した。真相を、なんて言って、結局こいつも『わかっている』ような顔をしているのがいやで、僕はすぐに踵を返した。でも待っていると言っていたから、気になって戻ってみると、彼らはやっぱりそこにいた。時間が止まっているみたいだった。なんとなくこっちが悪いことをしている気分になって、一緒に行くことだけは頷いたのだった。
 それから塔を登り、カグツチを殺し、気づけばこの日常だ。思えばカグツチに挑む前にでも、さよならの一つくらいは言っておくべきだったかもしれないが、こうやって再会したのなら、結局いらなかったらしい。
 口を開こうとすると、電車が少し揺れた。僕は吊り革を掴んだ。
 ぷしゅ、とドアが開く。ライドウたちはどこまで乗る気なのだろう。なんて聞こうと思っていたら、二人は悠々とドアの向こうへ消え……まずい。僕も急いで降りた。
 駅の外はひらけていた。振り返ると、駅には飯田橋駅と記されていた。
 ふだんは使わない駅だから、景色は目新しく見える。古い造りの大きな橋が川の向こう岸まで延びて、ゆるやかに上る坂へ続いていた。
 ライドウは少し歩いてから、こっそりと腕の中のゴウトを地面に下ろす。そして二人は橋の袂まで迷わずに進んでいく。僕もここで解散というわけにはいかないので、小走りに追いかけた。
「ここも観光か?」
「いや。ここから帰る」
 彼はくるりと振り返って、橋の中腹に視線を向けた。あそこが目的地らしかった。
「見送りありがとう。この格好はどうやら目立つらしくてな。
 君と話していると、他の者から余計な詮索を受けずに済む」
「まあそうだろうな……でも、僕と会ったのはたまたまだろ? それともに待ち伏せでもしてたのか」
「最後に……君の学生の姿でも見ておこうかと思った。それだけだ。
 あの時の君は、学生とは言えない見た目をしていたから」
 あの時。
 こいつがここにいるということは、やっぱりあの世界は夢じゃないという確かな証拠だ。いい加減わかってはいるが、もう疲れた僕が作り出したまやかしか何かかもしれない。
 確かめるために、ライドウの鼻先をつまもうとして、はし、と腕を掴まれた。
「さわれるんだな」
「互いにな」
 じっと見合ってから、手が解放された。
 実体がある。ほんもの。
 僕はこの手が握る銃で何度も撃たれたし、この手が握る刀で何度も斬りつけられた。その時の鈍い痛みはまだ思い出せてしまう。見たこともない悪魔たちも、震え上がりながら走った道も、立ちはだかるように待つ姿も、全部ほんとうだ。
 ‪──どうして、どうして今になって目の前に出てくるんだろう。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
 無事な姿が見られて良かった。
 姿を見せずに帰っていてほしかった。
 ちゃんと別れが言えそうでよかった。
 何も言わずに、そのまま別れていたかった。
 どれも本心だった。
「なんで、学校に行ってる僕なんか見たかったんだ。
 ……いや。違うな。なんで今だったんだ。
 もっとはやく、僕の気づかないうちに、さっさと帰ってくれてたら……
「全部夢だとでも思えたか」
 唾を飲み込む。思わず目が泳いでしまうのは、わかりやすすぎる回答だった。
「僕にとっては夢ではない。僕はこの記憶そのまま帰るとも」
 ライドウは重心を預ける足を換えて、ゆっくりと腕を組み直した。今もつけている武器たちが揺れると、ちゃり、と音を立てた。
「世界が創り直されるとき、僕たちは弾き出された。気づけば、世界の狭間を繋ぐ回廊を漂っていた。
 選択肢は二つだった。
 このまま何もせず、帰るか。あるいは君に別れの言葉一つでも言いに行くか。
 考えるまでもなく、帰るべきだった。新たな世界に混ざり込み、余計な影響を与えるべきではない。だが僕は……
 足元のゴウトがライドウを見上げていた。ライドウは彼にちらりと目を向けると、少し目を伏せながら息を吐いた。
「ゴウトと賭けをすることにした。
 ほんの一瞬こちらの世界に入り込み、一度だけ君に背を見せる。君が追いかけてくるのなら、僕の勝ちだ。追いかけてこないのなら、負けだ。
 こうして僕は君に捕まった。
 ……追いかけっこは、楽しかっただろう」
「なんだよ、それ……
 彼はくすりと口元で笑うから、僕は思わず拳を握りそうになる。
 深く考える暇はなかったが、偶然にしてはタイミングが良すぎると思いはした。やっぱり罠みたいなものだった。追いかけるべきじゃなかった。追いかけないわけにはいかなかった。
「君はなぜ僕を追いかけた?
 気のせいだと捨て置けばいい、そうは思わなかったのか」
 心を読まれているような気がしても、睨みつけることしかできない。
 ぱっと消えた人物が目の前に現れたら、やっぱり追いかけるだろう。それにあの機会を逃したら文字通り二度と会えない気がしたし、何よりもう会えないのかもしれないのだったら、僕だって。
 ぎゅっと言葉を飲み込む。その間もライドウはじっと僕の返答を待っていた。思わずゆっくりと視線が落ちていく。
 彼の纏うマントの隙間からは白いベルトが覗いていて、腰からは長い刀が下げられていた。ライドウはきっと帰ってからも同じように悪魔を殺して、従えて、傷を作りながら走るのだろう。それが彼にとっての日常で、今の僕にとっての非日常だ。
「ほんとうに、帰るのか」
「ああ」
「どうして帰るんだ」
「家へ帰るのに理由がいるのか?」
「でも……おまえは違うだろ。
 ここでも戦って……帰っても戦うんだろ、そんな格好で……おまえだって僕と同じ、高校生じゃないか。あんなのが……ずっと続いてるだなんて……おかしい、おかしいよ」
 目まぐるしい戦いの光景がフラッシュバックしていた。命を削り合う時間が永遠にも感じられるくらい続いていた。魔力が傷をみるみる塞いで、脳の神経物質みたいなものが痛みをかき消す。異常だ。あの世界の命の重さは砂つぶよりも軽かった。
 ライドウは少し黙って、首をことりと傾げた。ややあってから、口を小さく開いた。
「案じてくれているのだな。ありがとう。
 似たようなことを聞いたことがあったから、少し驚いてしまった」
「ありがとうって……
 素直に礼を言われてしまうと、こちらとしても口を閉じるしかなかった。
 ……世界なんて、あるきっかけで急に滅んでしまうものじゃないか。命がけで守ったってしかたないよ。おまえだって見ただろ、あの世界を。いつか全部なくなってしまうかもしれない。それなのに意味があるって言えるのか? そんな行動に、そんな世界に。
 そう聞いてやりたかったが、意味を為さないとわかった。わかっていた。
 彼の目には迷いが無くて、そんな逡巡はとうに通り過ぎているのだと思えた。
 でも僕には、理解ができなかった。
「そう難しく考えることでもないよ。
 ここへ来る前に、上司には珈琲でも淹れて待っていてくれと言ってしまってな。
 だから冷めてしまわぬうちに帰らねば。約束を反故にはできない」
……そんなことで……
「そんなことさ」
 ライドウは帽子の鍔を掴んで、ふっと表情を緩めた。
「──‬そんなことでいい」‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
 それは僕へ向けられた言葉ではなく、自分自身へ語りかけているような、微かな声だった。
 聞こえてしまったのが、いけないことな気がした。
 僕は黙ってしまった。ライドウも、僕を待っていた。
 すると空気を断ち切るみたいに、電車が豪音ととともに駅へ着いた。駅から人がどっと溢れて、多くが橋に流れ込んだ。賑やかな雑踏はたちまち僕らを現実へ引き戻した。
 ゴウトが急かすように鳴くと、ライドウは頷いた。
「ここへ来ようと僕が無理強いをしたから、気を悪くしたみたいでな。先程からにゃあとしか言わない」
 ゴウトは喋らないのかと聞こうとしていたら、先に説明を済まされた。本当か、なんて思っても僕には確かめるすべがない。
 じっと見つめてみれば、ゴウトの緑色の眼が僕を見つめ返す。声さえ聞こえなければ、一見ただの綺麗な黒猫だ。でもその目には確かな意志が宿っているのがわかる。にゃあ、ともう一度鳴くその顔は、人間の笑顔にも似て見えた気がした。
「そろそろ僕達は行くよ」
 声に顔を上げると、ライドウは、僕に右手を差し出していた。
 少し考えてから、僕はそれを握った。
 握手を求められているのだと理解するのに、少し時間がかかった。
 僕たちはおわかれをするのだった。
 ライドウの手は僕と同じくらいの温度で、さらさらと乾いていて、少しごつごつしていた。僕の手は湿っていて、まるで子供みたいだった。
 彼はぎゅっと力を込めた。刀を振り回すのとは違う、確かめるような強さだった。ちょっと痛いのが、逆に優しかった。
「達者でな」
「ああ……ライドウも、ゴウトも。元気で」
 言うと、僕らはどちらからともなく手を離した。
 たぶん、二度と会うことはないんだろう。当たり前だけど、手紙を書くとか、そんな約束はなかった。書いてもいいけど、届きやしないのだ。
 突然、小学校の頃の友達の存在を思い出した。もう名前も顔も覚えていない彼は、転校してどこかの街へ行ってしまった。クラスのお別れ会の後、みんなに囲まれているあの子に話しかけるタイミングはなかった。次の日から、あの子の机は空席になった。
 あの子とライドウは、僕の心の似た場所にいた。
「では、さよならだ」
 ライドウは今度こそ頷いて、僕を真っ直ぐに見た。
「やはり別れを言えてよかった。
 心残りになるからな」
 彼は笑っていた。安心したみたいな微笑みは、彼にはよく似合っていたけれど、少し大人びすぎていた。
 僕はライドウの鼻をもう一度つまもうとして、今度は成功した。いつもの仏頂面の方が、僕には見慣れていた。
「うん。さよなら」
 それだけ言えた。
 急き立てるように、次の電車が橋を揺らした。ここまで響く到着のメロディと、発車のベル。それが合図だった。
 おもむろに歩き出すライドウの背を、ゴウトが追いかけた。
 二人は川の向こう岸へ続く大橋を迷いなく進んだ。橋の中腹で、黒い二つのシルエットが人影に隠れた。
 僕は瞬きをした。
 もう二人はいなかった。


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