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井見
2023-12-29 22:06:05
33915文字
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真Ⅲ二次
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【再録】明くる日のベルスーズ
縦書きリーダー用です。
2022年の終わりに発行した真Ⅲマニクロ同人誌の再録です。
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日は昇った
夜が明ける前に目覚めたのは、たぶん偶然じゃなかった。あの日からずっと眠りが浅い。深く眠ることがすっかり下手になっていた。何度も起きて、その度に時計を確認し、肩を落とす。諦めてベランダで日の出を見届けると、あとはもう学校に行くくらいしかやることがなかった。
開門時刻から少し経った学校の空気は爽やかで、思わず深呼吸をしたくなる。学内にいるのは、朝練に励む熱心な部員たちや、朝番の先生たち、試験勉強を今から始めている真面目な生徒たちだけで、ずっと静まっていた。
誰もいない下駄箱で靴を履き替えていると、すでにローファーが収められている場所があった。橘の名字を見て、僕はすぐに納得した。千晶の朝はいつも早い。
教室のドアを開ければ、やはり千晶がいた。誰も見ていないのに凛とした姿勢で、机に開いた教科書とノートに向き合っている。集中している様子なので声をかけるか迷い、僕はそっと後ろを通って、自分の席につく。すると彼女は顔を上げて、こちらをちらりと見た。
「ずいぶんはやいのね」
さっきまで教材に向けていた真剣な眼差しは解け、彼女は優雅に微笑んで、僕へおはようと告げた。挨拶を返して、邪魔してごめんと謝った。
「今日ははやく目が覚めたんだ」
「いいじゃない、毎日そうしたら? きっと遅刻しなくなるわよ」
「あれは悪かったって」
くすくすと笑って冗談を言う千晶の姿が珍しくて、僕はまじまじと彼女を見つめる。
千晶は早くから登校して、誰もいない教室を一人占めするのを気に入っているのだと言っていた。「わたしだけのものになったみたいに思えるでしょ?」という言葉は、言われた時にはよくわからなかったが、今なら少しわかる気がする。朝の教室には、放課後とは違う、まだ誰も吸っていない空気が満ちていた。
千晶は椅子を僕の方に向けて、慣れたように足を組んだ。机の上に開いている、今日の授業の予習ですらない、きっとさらに難しい受験対策の問題集は、僕のせいでお役ごめんらしい。
「ねえ、聞いた? そろそろ先生復帰するらしいわよ。さっき職員室で聞こえてきちゃった」
「そうなんだ。勇が喜ぶな」
「でも勇くんならもう知ってそうよね。どこかで噂を嗅ぎつけるの、やたら上手だもの」
「確かに」
他愛のない話をしながら、僕は鞄に入っている今日の分の教科書を机に収めていく。と、凶々しい表紙が目に入った。
「何それ? また変な本買ったの?」
昨日もらった月刊『妖』だった。あのまま家に帰ってすっかり忘れていた。見ないようにしていた、が正しいかもしれない。
経緯を正確に説明するのは面倒なので、僕はまたいつかのように、
「読む?」
と雑誌を千晶のところに持っていく。
千晶は、自分からは手に取らないが、案外こんなゲテモノとでもいうものに少し好奇心があるようだった。お嬢様育ちだから、こういう類のものに接する機会が少ないのだろう。
ページをめくりながらするコメントは、聞いたことのあるものだ。でもここはあの不気味な病院ではなく、ただの学校だからか、千晶には少し余裕が見える。口元でくすりと笑いながら、やぁね、と小馬鹿にしつつ、それでもちょっと首を左右に振って、怖がっているのがわかりやすい。
「新宿衛生病院
……
って、先生が入院しているところでしょ。ふつうの病院だったじゃない。あんなところで、カルトの実験? なに、先生も参加してるってこと?」
「意外としてたかもよ」
「やめてよ、君まで
……
」
ページも後半に差し掛かってきたところで、扉がガラッと音を立てて開いた。朝の早い人は意外と多いんだなと思って見ると、早朝とは縁遠そうな奴がいた。
「よっし一番乗り
……
じゃないのかよ。んだよオマエら、早すぎない?」
「勇くん? なんでまた
……
補習でもあった?」
「違いますー」
勇は鞄を自分の席に放り投げると、僕らがいるところまでやってきて、適当な席を陣取った。
「オマエら知ってる? 今日はさぁ、先生が来るんだってよ! 祐子先生が!」
勇は瞳を輝かせる。
「そうなの? 先生、そろそろ復帰するらしいとは聞いてたけど
……
」
「そうなんだよ。いきなり復帰するんじゃなくて、一度最近の学校の様子を見たいんだってさ。先生らしいよなー。
で、いつ来るかは知らないけど
……
教室も見に来るかもって!」
「それで、気合い入ってるってわけ」
「その通り。今日だけは遅刻できないからな
……
いつもの一時間前に、目覚ましを四つはかけた。これで真面目な新田勇くんを見せる準備は万全!」
「調子いいわねぇ。早起きしすぎて、授業中に居眠りしてる時に来たらどうするのよ」
「それは
……
その時のオレが頑張るから大丈夫」
あのねえ、と千晶のスイッチが入る。
いつものように二人は軽い口論を始めるが、千晶がこれだけ口を出すのも本当はめずらしかった。千晶は誰かと言い合いをしていると、大抵どこかで「もういいわ」と切り上げてしまう。ぱたりと見切りをつけるみたいな癖は、思えば昔からだった。
「ていうかさぁ、その雑誌なに? 千晶の趣味?」
少し面倒になると、勇はこうやって話題を切り替える。こんなやりとりも、もう何度繰り返しているかわからない。
「そんなわけないでしょ。はい、返すわ」
まるで犯人を指し示すかのように、千晶は月刊妖をずいと僕へ押し付けた。
「妖、ねえ。オマエも案外物好きだよなぁ。こういうのって買うと結構いい値段しない?」
そのまま勇は雑誌を僕の手から抜き取って、ぱらぱらと中身を物色する。
「もらった物だよ」
「もらった? 誰に」
「この作者。話してたらくれたんだ」
「
……
オマエさぁ、変なヤツ引き寄せるオーラみたいなの出てるんじゃないの?」
「じゃあ勇くんもその引き寄せられた一員ね、きっと」
「その理論だと千晶もだろー」
「わたしは昔からの付き合いだもの」
「いやいや昔から放ってたって、絶対」
またいつもの流れになった。二人の軽快な話し声は、僕を遠のかせていく。
あの世界にいた人間は、僕を強烈に揺らがせる。
テレビに氷川の姿が映ると、僕は目が離せなくなる。あの男はあの時目の前にいて、僕を何度も殺そうとして、そして僕に殺された。あの男が憎むままのこの世界で、今どのように生きているのかは知らない。もしかしたらもう一度受胎を試みることもあるのかもしれない。僕が望んだはずの世界に彼がいるままなのは、まあそうなっても構わないか、と僕が思っているからなのかもしれなかった。
そして僕がもっとも目にするのは千晶と勇の二人の姿だ。二人はただの高校生で、いつも通りに授業を受けて、自宅へ帰っていく。
東京が滅んだあの日まで、僕が何の疑いもなく続いていくと思っていた景色がここにある。ここにあるのに、僕は何度も何度も頭を振りたくなる。
夢を見ているのだと気づきそうになるみたいに。
言い聞かせるみたいに。
でもこれは夢じゃないと、あの人なら言うだろう。
高尾先生。
あの人だけは、覚えているのを知っている。
お見舞いの時、僕たちに受胎についての会話はなかった。勇や千晶のように、先生もまた覚えていないのだろうと思っていた。体を案じる話、進路の話、先生の代わりに担任をしている副担任の先生の話。そんな他愛のない話題で、その日は終わった。
そして僕の部屋のパソコンには、一通のメールが来ていた。
先生は覚えていた。
きっと何から何まで。
メールには返信しなかった。できなかった。
文字にできるほど、心は鮮明じゃなかった。
それきり、先生とは何も話していない。
このままじゃいけない。僕はそう思った。
*
先生は午前の授業には現れなかった。落胆する勇を置いて、僕は席を立つ。
先生がいる場所には、心当たりがある。
授業に復帰するために学校へ一度顔を出す。それは確かにその通りなのだろう。だが、先生が学校へ来た理由は、それだけではない気がした。
もし先生が、僕を待っているとしたら。多分、あそこだけだ。
階段を上る。誰もいないのは、この先が行き止まりだからだ。
普段は鍵がかかっていて、誰も利用することができない。しかし、今日はドアノブがくるりと回った。鍵が開いている。開けると、風がぶわりと吹き込んでくる。
学校の屋上。やはりそこに、先生の姿があった。
「来てくれるって思ってた。でも、よくわかったわね」
先生はすっかり普段の格好をしていた。白いジャケットコートに、黒いパンツ。高いヒールをいつも履きこなしている。
「ここからなら、街がよく見えるから」
そう言うと、先生は微笑む。顔の見えない夢を思い出しそうになる。
「屋上は、入っちゃいけないのよ」
鍵をちゃりと手で弄びながら、先生は僕を見つめた。
少しの沈黙があった。
雲が空を覆っていたけれど、隙間から光が差し込んでいた。明かりが先生の背を照らしていた。あの日がここにはあった。
口を開こうとして、少し震えた。
聞きたいことがいっぱいあった。言いたいことがたくさんあった。だから、先生には一番会いたくなかった。会って、聞きたかった。誰に対しても飲み込むしかない感情が、先生には溢れそうになる。
だって先生は覚えている。あの世界の全部を。かつての世界が滅んでいくのを。なぜ覚えているかなんて知らないしどうでもいい。
ただ、本当に覚えているなら、覚えているなら僕は、
「どうして、」
教えてほしかった。
「どうして、この世界があるんですか」
ずっと僕は、わからないんだ。
全部無くなるんだと思っていたんだ。続きはない。あそこで終わり。世界は滅んでみんなが死んで、その続きは一ページだってない。それでいいって、思っていたはずなのに。
「君が望んだからよ。他の誰でもない、君の」
先生が返すのは、予想通りの答えだった。そんなことはわかっていた。あの世界で残っているのは僕だけだった、だから僕の意志なんだ。客観的な事実は、きっとそうなんだろう。でも欲しいのはそんな言葉じゃなかった。何か、僕を頷かせてほしかった。
「望んだつもりはなかった? 欲しい世界ではなかった?
私には、これが君が心から望んだ世界なんだと思えたわ」
先生には、僕の苛立ちは見通されていたようだった。どこか諭すような、甘ったるい声で、先生は続けた。
「私は、病院の屋上に立っていたわ。こんな風に。
洗濯物が風に吹かれていた。
鳥が鳴いていて
……
日差しが暖かった。
手すりの向こうには、たくさん建物があった。
道路には車が行き交っていて、人が歩いていた。
遠くで、保育園の園児が歌を歌っていた。
公園で子供たちがはしゃいでいた。
……
私は、わかったわ。君の手で、世界が創られたんだって。
君は、きっと納得できていないのね。
この世界に。君の望んだ、自由な世界に」
「自由
……
」
先生は僕を見ているはずなのに、先生の表情はよく見えなかった。先生の声がひどく耳に響いていて、僕はまたあの夢を見ているような気がした。
「この世界は、君は自由よ。
何にでもなれるし、何にもなれないかもしれない。
幸運は君を祝福するし、理不尽は君を襲うでしょう。
それを世界のせいにしてもいい。自分のせいにしてもいいわ。
でも、それができるのは、君が自由だからよ。
全てが決まった世界では、答えも決まっている。声を上げることなく、粛々と世界を遂行して、終わっていく。定められた円環の中で、眠るように生きるのでしょうね。
……
それはきっと優しい世界だと思うわ。でも、ただ同じところを回っているだけなら、それは止まっているのと同じ
……
」
先生は遠くを見つめていた。何を言っているのか、相変わらずよくわからない。わかるのは、先生はこの世界を受け入れていて、僕はそうじゃない、ということだ。
「氷川は、言っていましたよね。自由なんて、元の世界に嫌というほどあったって。
どうして滅ぼしておいて、この世界を受け入れられるんですか。この世界はそのままだ。先生の滅ぼしたかった世界そのまま」
「だからよ。私は
……
私がわかったの。私は、この世界が悲しく見えていただけ。そうだって認めてあげられたら
……
世界が違う風に見えた」
「
……
自分勝手だ」
「そうね」
悪びれもせず、先生はそれだけを答える。屋上の手すりに手を預けて、空を見上げる。
先生はそれきり黙っていた。僕も黙っていた。
僕の気がもう少し立って、先生の体を押せば、この人は地面に真っ逆さまだろう。でも、そんなことをする気にはならなかった。そうしたところで、何かが変わるわけでもない、と僕はすでに諦めていた。
受胎の日もそうだった。先生や氷川、誰かを殺せば世界が元どおりになるだなんて思えなかった。目の前の砂の世界も、悪魔になった体も、僕はとりあえず飲み込むしかなかった。僕がもし普通の東京の人たちみたいに、受胎に巻き込まれて死ぬはずだったら、その時も僕は諦めていただろう。
「そういえば先生は、どうして僕たちを
……
いや、僕を、巻き込んだんですか」
あの日僕らが病院に行かなければ、他の人間たちと一緒に死んでいたはずだった。先生は僕らを呼んだ。僕を呼んだ。あの夢は確かに僕だけに語りかけていた。
「僕の命をつなぎ止めたい。あなたはそう言っていた。だから僕はあの世界に入った。入ってしまった。入れてくれなんて頼んでいなかったのに」
一条の風が合図だった。
「
……
ある生徒に、君は似ていたの」
先生は目を伏せながら、思い出すように言った。
「この学校に来る前の学校の子だったわ。
進路相談をたくさんしたわ。ずいぶんと悩んでいた。興味がないわけじゃないけど、あるってほどでもない
……
なんてことを何回も言ってたかしら。
私はどんな進路でもよかった、彼が納得できるものなら。たくさんの選択肢を見つけて、話をして、そして彼は選んだの。自分の行きたい道を進んでいったの。
そしてある日、連絡が来たわ。ご家族から。亡くなったってね。
それ以上のことは、教えてもらえなかった。どうして死んでしまったのか、調べればわかったかもしれないけれど、意味を感じられなかった。事故や病気、殺人、自殺、どれであっても、事実なのは、彼が死んでしまった、ということだった。
聞かされた時には、もう葬儀も済んでいて、彼の墓もできていた。
お墓は、小さかったわ。でもいつも、お花が替えられていた」
先生は口をつぐんだ。今にも泣きそうだった。それでも、背筋はぴんと伸びていた。
「
……
私は、悲しかった」
絞り出すような、小さな声だった。
「でも私は、それに気づけなかったの。
私は悲しかった。それだけでよかったの。でも、それがわからなかった。世界全部が悲しく見えてしまった。この世界は間違っている。そう思ったわ
……
。
氷川の言う通りだった。私は世界を創り直したかったんじゃない。滅ぼしたかった。
もし私が本当に創世の力を手にしていたら、きっと何もない荒野が広がっていたでしょうね。
だからこそ、この世界は
……
きっと、君が創ったものなんだわ」
「違う」
「どうして?」
僕は言い切っていた。自分で自分に少し驚いた。
もう一人の自分が、勝手に言葉を紡ごうとする。
「だって、僕は、全部ここで終わりだと
……
思った。
こんな世界、望んじゃいなかった。全員が死んで、
……
殺して
……
意味もなく終わっていく。そうなんだって。世界を創ろうとか、世界を壊そうとか、もう全部どうでもよかった
終わったんだ、全部、あそこで
……
」
「受け入れることと、諦めることは違う」
先生は柵から離れて、僕へ一歩踏み出した。
「心は自由よ。だからこそ、わからないもの。私も、わからなかったもの。
君は受け入れていたけど、君は諦めなかった。
……
ううん、諦められなかったのかもしれないわね」
甘い声が、こだましていた。
僕には、やっぱりわからなかった。
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