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わからん
2024-08-12 10:45:16
43237文字
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五夏
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【五夏】所詮は紙切れ一枚
元軍事用アンドロイド五×修理技師夏のSF風味五夏
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3.
まるで糸の切れた人形そのものだった。彼は最後に何と言ったのだろう? 少なくともあれは彼自身の言葉ではなかった。もっと根限的なもの、いわば彼を構成するシステムが表層に現れ、彼の口を借りて周囲に告げているようだった。
エラーコード。倫理コードによる全機能のロック。
夏油が抱きとめるより早く悟の体は崩れ落ち、金属が落ちる重い音を立てて床の上に倒れ伏した。
部屋は静寂に包まれていた。突然稼働を停止して沈黙した悟。悟に恐怖するあまり気を失った男
……
。
とはいえ、一番にやることは決まっていた。夏油は警察へ連絡し、ボディのへこんだ旧型アンドロイドと、危害を加えた疑いのある男の身柄を引き渡した。男のこめかみの怪我については正直に話した。幸い、夏油も怪我を負っていたことから、正当防衛として片付けてくれるようだ。アンドロイドへの暴行がボディにどのように残るのか、警察側もある程度は知っている。あとはアンドロイドのコアに残されている記録映像から、男が日常的に暴力を振るっていた証拠を拾い上げるだけだろう。
問題は悟だった。警察が引き上げた後にいくら夏油が呼びかけ、体を揺すっても悟の目蓋は固く閉ざされたままだった。彼のうなじを探り、スリープモードの解除や再起動を促しても反応は無い。ただ、電源ボタンの隣に埋め込まれたランプが真っ赤に光り続けており、夏油が今まで見たことの無い反応だった。
苦心しながら悟の体を待合室の長椅子に寝かせ、男に殴られて腫れた頬を冷やしながら、夏油は途方に暮れた。倫理コードによる全機能ロック、という事象は夏油も職業柄知っていた。通称倫理ロック。倫理的道徳に背く行為をアンドロイドが考えついた瞬間、その実行を阻止するため自動的に働くシステムだ。解除には製造メーカーへ連絡し、直接解除してもらうしか方法が無い。しかし、悟のシステムは先ほど何と言っていたか。本部の管理部署? おそらくは軍内部にある、アンドロイドを管理する部署のことだろう。しかし、戦争が終わった今、軍は解体されている。「リユース」で民間人の手元に渡った他の軍事用アンドロイドはどう対処されているのだろう
——
民間企業がこのリスクを考慮しないはずが無い。おそらくは、倫理ロックも汎用型向けに変えられているはずだ。悟は忘却処理が施されている特殊な個体で、コアをそれほど大きく弄ることができず、一部の機能を汎用型から置き換えられなかった。思わぬところで弊害が出たものだ。
アンドロイドの機体には精通しているが、内部システムとなると夏油はお手上げである。とはいえ、易々と諦めるわけにはいかない。一番に助けを求められるとすれば自分と悟の他に事情を知っている七海だ。悟の頭部と新しいボディを接続したのは彼が所属する会社の工場であるし、夏油と悟との橋渡しになってくれた人物である。七海にメールを送ると、定時を過ぎた後であるのにすぐ電話が入り、助けになれるかは不明だが明日見てくれるらしい。感謝の言葉を述べ、夏油は診療所を閉めるために作業へ戻った。
翌日の診療所は午前いっぱい休むことにする。七海は約束通り九時過ぎに診療所を訪れた。
「おはようございます。急にご連絡してすみません」
「こちらこそ申し訳ありません。うちの設計ミスです」七海は夏油よりも深く、長いあいだ頭を下げていた。「端末を持ってきたので、これでロックを解除できないか試してみます」
七海はノートパソコン用の鞄を肩から提げていた。彼の端末と悟のうなじにあるプラグを繋ぐ。しばらくの間キーボードを打っていたが、七海は溜息と同時に首を振った。
「駄目です。軍のシステムからでないと入れません」
「どうしても無理ですか」
「もっと詳しい者なら突破できるかもしれませんが、ハッキングとほとんど変わりませんね」もう少し試してみますと七海は画面に向き直った。「綻びがあるかもしれませんから」
「ハッキング
……
って、法律とか社内規定的に大丈夫ですか、それ」
「会社にばれたらまずいでしょうね。ですが軍の所属からは離れているアンドロイドですし、ログを抹消すればグレーゾーンだと思います」
案外に大雑把な性格だと思ったが口に出さないでおく。システムと格闘している七海を見守っている途中、インターホンが鳴った。宅配ですと普段通りの元気な声が響き渡る。夏油が玄関へ向かい扉を開けると、宅配ドライバーの灰原が荷物を持ったまま会釈した。
「こんにちは! Y運輸です、サインお願いします」
「どうも。いつもありがとうございます」
「とんでもないです! あ、今日の荷物重いので中までお持ちしますよ」
「助かります。お願いしてよろしいですか」
荷物が多いとき、彼は時々待合室まで荷物を運んでくれていた。廊下を進んでいる最中、そういえばと灰原が首を傾げる。
「今日は先生がいらっしゃるのに、午前中はお休みなんですね」
「実は助手のアンドロイドが倒れてしまって」
「ええっ」荷物ごと背中を仰け反らせて灰原は驚いた。「それはまたどうしてですか? 倒れたってことは、何かしらのエラーですよね」
「そうなんです
……
メーカーの方に対処してもらっているので、うまく復旧すると良いんですが」
「よければ僕も見ましょうか? こう見えても自分、前職はアンドロイドのシステム設計をやっていたので」
「そうだったんですか。いえ、お気持ちは嬉しいですが、お仕事中でご迷惑だと思いますし
……
」
そうしているうちに廊下が終わり、待合室へ戻ってきた。普段なら長椅子を回り込み、受付のカウンターへ荷物を置きに行く灰原はしかし、悟と七海の姿を見た途端ぴしりと固まる。
「七海」
「え」
隣から本来は聞こえないはずである男の名を聞き、夏油は灰原を見た。
「七海だよね?」
黒い目が驚愕に見開かれている。
夏油以外からの呼びかけで訝しげに顔を上げ、彼の姿を認めた七海の目もまた、丸く見開かれた。
「
……
灰原?」
「やっぱり七海だ!」灰原の顔一面に喜びの笑顔が広がっていく。「久しぶり! うわあ昔よりカッコよくなったね! 目は悪くなったの? 最後に会ったのいつだっけ、僕が辞めたあとに二人で飲みに行ったきり?」
「ちょ、ちょっと待ってください。お二人はお知り合い
……
なんですか」
茫然と灰原を見つめる七海との間に割り込み、夏油は会話を強制的に断ち切った。彼の発した問いに、はいと灰原が大声で肯定する。
「僕が新卒で入った会社の同期です。ね、七海」
「あ
……
ああ、いいえ
……
はい」
聞いたことの無いほど震えた声だった。七海は鼻からずり落ちた眼鏡のブリッジを押し上げ、端末を置くと立ち上がる。
「灰原はどうしてここに
……
宅配業者?」
「そう! 今はY運輸のセールスドライバーをやってるんだ。引っ越し配達何でもお任せ! みんなでにぎやかワイワイウンユー」
最後のは夏油もCМで聞いたことのあるフレーズだった。絶句する七海の脇を通り抜け、灰原はカウンターへ荷物を置きにいった。こちらへは戻らず、七海が長椅子の上に置き去りにしていた端末を覗き込んでいる。
「何だこれ。夏油先生、こんなのはマキナのシステムじゃありませんよ。助手さんはどこの機種でしたっけ?」
夏油は灰原と顔を見合わせた。彼は降参したように溜息をつき、夏油先生、と小声で言う。
「灰原
……
彼はうちに居た頃、優秀なシステム設計者でした。彼に聞いてみませんか」
「何をですか」
「軍の防御システムを突破できるかどうか」
「防御システム?」
七海の声を拾ったらしい灰原が首を傾げた。混乱した夏油が七海を見ても、彼は確信を持ったように頷くだけだった。
「夏油さん。厳しいことを言いますが正直、私一人の力では難しいです」
「もしかしなくても深い事情がある、って感じですね」と灰原が神妙な顔で聞き直す。
夏油は七海に頷き、灰原に説明すべく口を開いた。
事情を聞いた灰原は会社に電話してきますと言って廊下に出て行った。しかし如何せん、声が大きいので、会話の内容は夏油と七海に筒抜けである。
「お疲れ様です! D地区を担当している灰原です。 えー、さっきまで配達に回っていたんですが、配達先でご家族のおじいちゃんが倒れちゃってて! 通報して、それで救急車が来るまで看病しなきゃなので、終了の時間が予定より一時間くらい遅れると思います! え? まさか、放っておけなんて酷いこと言わないですよね? そんなことしたらおじいちゃん死んでしまうかもしれないんですよ、人命より会社の利益が最優先なんてこと、言いませんよね? 今日は荷物そんなに多くないので普段より少し遅れるくらいにとどめられるとは
……
はい、助かります。配達が再開できたらまた連絡するので。はーい、失礼しまーす」
「図太いやつですよね」
七海の呆れた声に自分でもよくわからない曖昧な相槌を返す。灰原の足音が近付き、話がつきましたと顔を覗かせる。
「ありがとうございます。ですがやはりご迷惑だったのでは」
「そんなことないです! 助手さんの復旧が完了するまで何時間でも居座ってやりますよ。さて」
灰原は長椅子を回り込み、七海のパソコンの前に座る。
悟の体を長椅子の上に横たわらせているため、端末は床の上に置いていた。頭の上からキャップを取り、あぐらをかいた灰原は、七海と夏油を振り返った。
「今から三十分くらい頑張ってみます。後ろから見守ってくれるのはいいですけど、話しかけないでくれると助かります」
「わかりました」
「あ、もし会社から電話がかかってきたら七海が出て適当に言い訳しといて。配達先でおじいちゃんが倒れてたって設定にしてるから、ちょうど帰ってきた家の人とか救急隊員とか」
「無茶ぶりを
……
」
顔をしかめながら七海が灰原から携帯電話を受け取る。
「じゃあ始めますねー」
ふう、と一息ついて灰原の手がキーボードの上に置かれた。
システムに関しての知識が皆無である夏油から見ると、まるでピアノの演奏を見ているようだった。キーボードの上を滑る灰原の手は迷いが無く、素早い動きでコードを書き出していく。彼の後頭部ごしに見えた画面上には様々なコードが編まれ、画面の上端へ流されていき、当然ながらそのひとつとして意味は理解できない。
灰原は時折、小声で独り言を呟き、あるいは左手の小指と薬指でパソコンの端を叩きながら、キーボードを打ち込んでいく。夏油の腕時計が作業開始から三十分後を示した頃、灰原が手を止めた。
「
——
入れました」
「本当ですか」
「おそらく、助手さんは相当昔に製造されたんじゃないですかね。コアのコードにかなり古いのものがいくつかありました」灰原は答えながら両手を組んで天井へ伸ばした。「あ、古いから脆弱だっていう意味ではないですよ。そういう面は確かにありますけど、必要最低限のアップデートはされてます。軍の立場から見れば弱いと思いますが、僕ら一般の目から見れば充分に強固なセキュリティです。一見では突破できなさそうな独自のコードもたくさん入っていたし」
「つまり
……
」
「コアが昔の仕様で助かりました。新しい機種だったら突破できなかったかもしれません」
両腕を伸ばし切ると、灰原は再びキーボードの上に手を置いた。七海が膝で前へ進み、灰原の隣に座り込む。
「再起動は?」
「今探してる」あった、とすぐに灰原が呟いた。「再起動できるよ。ただ
……
先生、倫理ロックの原因は何ですか? 場合によっては再起動してすぐにロックがかかる恐れもあると思います。原因となった思考プロセスも削除しないと。あるいは事情があれば残します。この行動をすれば倫理ロックがかかる、と助手さんが学習するはずですし、僕たちが懸念しているよりも倫理ロックは繰り返さないはずです」
灰原の言葉に夏油は顔を俯かせ、思案した。
なぜ悟のコアに倫理ロックがかかったのか? 疑いようがなく直前の出来事が原因だった。彼は夏油が男に殴られたのを見て反撃に出たのだ。素人目で見ても隙がなく、訓練を受けた者の動きだった。悟が元軍事用アンドロイドであることを、夏油はそのときようやく思い出したのだった。
しかし、男を制圧するのなら、最初の一撃だけで充分だったはずだ。悟は倒れた男を引きずり起こし、追撃を加えようとしていた
——
否、殺そうとしていたのかもしれない。乱れた前髪の隙間から見えた瞳は常よりも瞳孔がいっぱいに見開かれ、振り上げられた拳は形を歪ませながら力んで震えていた。あの拳を受けていたら男の頭は潰れていただろうと確信できる。倫理ロックがかかったのも当然だ。
夏油はふと顔を上げて灰原に尋ねた。
「倫理ロックがかかる直前までの思考プロセスを、ログで確認できますか?」
「できますよ。今映しますね」
キーボードを打つ灰原の両脇を夏油と七海で占領する形で、三人は一つの画面を覗き込んだ。
「これがログの画面ですね。えー、記録映像を見ていたようですよ」
画面中に並ぶ数字とアルファベットの羅列は夏油が見てもわからない。灰原が画面の一部を指差した。
「ここですね。何がしかの記録映像を見た直後、コアが大きな混乱状態に陥って
——
」彼は、次にログの隣にある波のようなグラフを指でなぞる。確かに、それまで平行だったのが、急激に上部へ突き上がっていた。「
……
これ以上の閲覧は危険だと判断したのか、倫理コードによって強制的に意識を落とされました」
グラフは底辺に落ち、横這いに伸びていた。
「何を見ていたんでしょうね」と七海が呟いた。
「こればかりは本人に聞かないとなあ。コア内部への接続はさすがに無理。これ、七海の社用パソコンだろ。圧倒的にスペックが不足してるよ」
「
……
倒れた日の朝、『夢』を見たと言っていたんです」
「夢?」
灰原の問いに夏油は頷いた。
「先ほどお伝えしたように、彼は軍に所属していた頃の、記録映像の大部分を削除されています。ですが、削除されたはずの映像を見たと。人間に危害を加えようとした事実に加え、軍人時代の記録映像をこの時に見て、倫理ロックがかかった可能性はあると思います」
「助手さんは消されたはずの映像をなぜか思い出しているってことですか」
「ええ。憶測ですが
……
」
夏油を見つめる灰原の目は好奇心に輝いていた、と言っても良い。彼の性格を知っている七海が肘を掴んで静止しなければ、そのまま矢継ぎ早に質問していただろう。灰原は画面に向き直って腕を組んだ。
「倫理ロックの直前まで助手さんが見ていた映像を消してしまうと、その『夢』ごと無かったことにされてしまうかもしれません。原因が分からずじまいになってしまいますから、思考プロセスを消さずに起動させたほうが良いと僕は思いますね。助手さんも学習するはずですし」
夏油は頷いた。「私もそう思います」
「七海もそれで良いよね」
「夏油さんが良いとおっしゃるのなら」
灰原は頷くと、おもむろに七海の肩を叩いて立ち上がる。
「ロックは解除しておいた。あとは再起動するだけだから七海が引き継いで。僕はそろそろ行かないと」
「ああ」
「ありがとうございました、灰原さん」
「こちらこそ!」
言うや否やどたばたと部屋を後にし、廊下を駆けていく。だが玄関の扉が開く音は聞こえなかった。足音が廊下を引き返し、灰原の首から上が廊下の角から待合室へ覗いた。
「そうだ七海! 今度ご飯行こうよ。チャットの連絡先と電話番号は昔から変わってないよね、よかったら夏油先生と助手さんもご一緒にどうですか?」
キーボードに手を置きかけた七海がこれ見よがしに深い溜息をついた。「灰原
……
」
「実はさっきのお話を聞いてすごくワクワクしています」大声を上げる灰原の目は輝いていた。「助手さんの『夢』についてもっと詳しく知りたくて。もちろんお二人ともたくさんお話したいです。あとで七海経由で連絡するので、それじゃ
——
」
「灰原」膝を立てた七海が声を張り上げた。「忘れ物だ」
フリスビーと同じ要領で投げられたキャップが宙を飛ぶ。難なく捕まえた灰原は照れ笑いを浮かべて去って行った。
「相変わらず雑だなあ。ありがと七海!」
静寂が訪れた。七海が再び溜息をつき、眼鏡のブリッジを押さえて俯く。
「
……
元同僚がすみません」
「とんでもない。助かりました。彼がいなければ悟は起動できなかった」
ああ、と七海は否定とも肯定とも取れない曖昧な相槌を打った。
「機械マニアなんです。誘いの件は私から断っておきます」
「いいえ、よければご一緒させてください。悟はまだあまり外を出歩いたことがないんです。お二人がいれば安心ですし」
そうした言葉が出たことに夏油自身驚いていた。自覚が無いだけで、悟が倒れたことに相当参っていたのかもしれない。七海も灰原も仕事上の付き合いしか無いのに、プライベートで会う約束を取り付けてしまうなど、普段の自分なら絶対に考えられないことだった。
灰原の存在が大きかった。七海が被っているビジネスの皮が破れ、素の姿が垣間見えたので親近感が湧いたのかもしれない。意図せぬところで発生した縁に、楽しそうだと柄にもなく思った。そういうことにしておく。
長い沈黙の末、七海は片手で眼鏡のブリッジを押し上げて夏油を見た。
「
……
私もぜひ。後日連絡します」
「よろしくお願いします」
「では、思考プロセスは消さずに再起動させますので」
はいと答えた夏油の声は微かに震えていた。彼は無意識のうちに、傷口が残る手首を服の上から撫でていた。
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