わからん
2024-08-12 10:45:16
43237文字
Public 五夏
 

【五夏】所詮は紙切れ一枚

元軍事用アンドロイド五×修理技師夏のSF風味五夏

1.


 注文品の納期が当初より早まったと連絡が来たとき、夏油は診察中のために電話を取れなかった。
 つくづく人手不足を実感させられる瞬間だった。こういうときこそ助手がいればな、いいや助手は今手配をしているのだった、と脳内で一人会話を完結させつつ、患者の訪問が途絶えた瞬間を狙って折り返す。
 三コール目で七海が電話に出た。
「夏油です。先ほどは出られなくてすみません」
「お忙しいところすみません。折り返しありがとうございます」それでと七海が本題を切り出した。「ご注文頂いた件で、工場から数週間ほど納期が早まるとの回答をいただきまして。記憶処理が予定より早く終わりそうとのことです」
「そうなんですか、助かります……失礼」
 受付のベルが鳴った。お待ちくださいと端末から顔を離して呼びかけ、再び電話に戻る。
「納期は最短で構いません」
「承知しました。明日明後日には回答できそうだとメーカーから聞いていますので、わかり次第お伝えします。今日は取り急ぎのご連絡でした、お忙しいところ申し訳ありません」
「とんでもない。よろしくお願いします」
 電話を切った端末を手に、診察室から待合室へ移動する。受付で待っていたのは宅配業者だった。前は年配の男性だったのだが、最近になって新人らしい青年に代わったようだ。明るい雰囲気で、えくぼを浮かべてはきはき喋るので好ましい。夏油に荷物を渡したところで、青年はそういえばと首を傾げた。
「近いうちに何かお荷物が届く予定でも?」
「助手を頼んでいまして」
 答えながら受領書にサインを書く。
「助手さんですか! へえー、楽しみですね」
「ええ。ただ、メーカーの方が直接納品に来られるので、そちらには配達をお願いしないかもしれません」
 そう言って受領書を返すと、途端に青年はがっくりと肩を落としてしまった。
「そうなんですかー。またここに来られると思ったんですけど。夏油先生の診療所、静かで良い匂いがするので好きなんですよね」
「そうですか」
「木の良い匂いがします。こういうお部屋って、今はあまり無いじゃないですか」
 ぐるりと診療所を見回しながら青年が言った。郊外で見つけた木造の空き家を改築した、診療所の全体的な雰囲気は、病院というよりも工房と表現したほうが正しい(尤も、診療所とはいえ夏油が診ているのは人間ではなかったが)。木目が剥き出しの部屋を夏油も気に入っていたので、褒められて悪い気はしなかった。
 青年は肩を竦めて俯いたあと、何かを思いついたのか顔を上げた。「じゃあ今度来たときはその助手さんにも会えますかね?」
「どうでしょう。半年先の納品になると最初は言われていたので」
「まあ精密機器ですからねー仕方ないですねーいやあ楽しみですねー、自分も前はそっちの業界で働いていたんですよー。あ、手足の関節部分、特に指の点検は来たあとすぐにしたほうがいいです! パーツが細かくて初期不良の頻度が一番高い部位だし——もちろんそうなる確率は低いですが——万が一の時はすぐに連絡しないと、購入者の過失損傷だって取り合ってくれないケースが多いんですよ。メーカーの人が納品に来るなら、点検に立ち会ってもらったほうが証人にもなってくれるのでおすすめです」
「はあ」
 それじゃ、と会社のロゴがプリントされたキャップを被り直して彼が出て行った。診療所内に静けさが戻ってくる。来客はいない今のうちに今日の診察内容を纏めておこうと、夏油は診察室へ引き返した。
 
 納品日が来た。
 七海と配送業者が箱を持って夏油の診療所を訪れた。彼らよりも僅かばかり縦に大きい、長方形の白い箱である。側面にはメーカーの名前と管理番号が刻印されていた。
 待合室の長椅子を壁際に寄せて作ったスペースに箱を置くと、業者が箱にカッターを入れていく。夏油と七海が見守るなか蓋が開けられた。表面に敷き詰められている梱包材を除ければ、真っ白な体と髪を持つ青年が、一糸纏わぬ姿のまま胸の上で手を組み目を閉じていた。
 まるで眠っているようだった——機械である彼を、生物と定義付けられるならば。
 助手は成人男性の最新モデルだ。人工皮膚で覆われた全身は一見すれば人間と変わりない。しかし、手の下の胸は微塵も上下せず、彼には生殖器が存在しなかった。体毛は無く、一見すれば女性のような柔らかな丸みを帯びているだけだ。
 業者の男が助手の頭部を持ち上げて白銀の髪をかき分け、うなじの電源ボタンを押した。駆動音も何も聞こえないままに助手が目を開ける。青金石を嵌め込んだような、無機質な輝きを放つ青い瞳が天井を見上げた。その双眸は大きく見開かれたまま瞬きひとつしない。
 夏油は知らず、自分が息を詰めて助手を見つめていたことに気付いた。助手の顔は人形のように美しく整い、夏油にそうした趣味は無いものの、魔力でもあるのかと疑ってしまうほど、抗いがたい不思議な魅力を放っている。
「基本システムをインストール中です」業者が助手の頭を箱の中へ戻しながら夏油に言った。「三十分くらいかかると思うので、再起動までお待ちください」
「少し触れても良いですか」
「強い衝撃を頭に加えなければ大丈夫ですよ」
 夏油は助手のそばに跪き右手を手に取った。
 持ち上げた指は人肌に温かく、本物と同じ弾力と柔らかさを持っていた。
 外見は人間と変わらない。しかし、生殖器の無い体に、毛穴やささくれひとつ見当たらない皮膚——彼は人類が生み出した作品のひとつだった。あらゆる部位の造形が完璧すぎるがゆえにかえって、彼は人間ではないのだと、夏油ら人間に知らしめているのである。
 視線を上げて再び彼の目を見たが、白い睫毛に縁取られた碧眼は変わらず、宙空を見つめたままでいた。
「何かありましたか」
 背後に立っていた七海が夏油の手元を覗き込んでいた。夏油は振り返り、指の関節は納入直後一番に確認すべきだという、宅配の青年との会話をかいつまんで伝えた。七海は低く唸ると頷く。
「うちとしては不本意ですが、その人が言った通りです。動かしてみて詰まった感じや、ぎこちない感じはありませんか」
 夏油は助手の右手を親指から順に折り曲げていった。次いで静かに開いていく。左手も繰り返し折り曲げては開いたが、異常は見つからなかった。
 彼は再びボディに目を移した。腹から胸と上ったところで視線が止まる。助手の首には、首全体を一周する細い線が入っていた。
「ボディを交換したんですよね」
「ええ。首に継ぎ目があります。気になるようであれば服などで隠して下さい」
「彼に名前はありますか」
 七海は思案するように腕を組み、部屋の隅の長椅子から端末を手に戻ってきた。夏油の隣でいくつかメールを開き、ひとつを指し示す。
「軍用時代の識別番号ですが」
 七海の指先が画面上の文字をなぞり、夏油が読み上げた。
「『五番』」
「夏油さん。折角ですし、今のうちに手続きを終わらせてしまって構いませんか」
「良いですよ」
 七海は夏油を促し、長椅子とともに隅へ寄せられたテーブルを挟んで腰掛けた。続いて営業鞄から出した書類とペンを夏油に差し出してくる。
「受領のサインをお願いします」
「はい」
「あとは説明書ですね。保証書も兼ねていますので、失くさないようお願いします」
 ペンを走らせ、印鑑を押してしまえば、助手は夏油の所有物となる。
 呆気ないものだと夏油は思った。こんな紙切れ一枚で、疑似的ではあれど家族が一人増えるのだ。あのアンドロイドが夏油のものになる。友人のように気さくに接することも、それこそ道具のように壊れるまでこき使うことも、すべては夏油一人の意思に委ねられる。
 夏油は書面にサインをし、印鑑を押して七海に渡した。
 
 
 
「ここは受付兼待合室。奥の扉が私の診察室、さらに奥の扉に処置を施すための部屋がある。受付のカウンターにパソコンを置いているが、きみの物だから好きに使ってくれて構わない」
 夏油は受付のノートパソコンから目の前に立つアンドロイドに視線を走らせた。五番は静かに夏油を見つめ返している。平均よりも大柄な体躯である夏油より僅かに目線が高い。彼が来ているスラックスとシャツは夏油が買い与えたものだが、裾や袖が少し短そうに見えた。今度の休みに彼の服を買うことを頭の中でメモしつつ、説明を続ける。
「きみは主に待合室で受付を担当し、私一人で行えない処置のとき補助に入ってもらう。ご覧の通り個人の小さな診療所だからあまり忙しくはない。いずれは私の仕事も任せたいと思っているが、まずは受付から学んでほしい」
「はい。よろしくお願いします」
 成人男性の平坦な声で五番が答えた。
「敬語は硬すぎるな。口調の変更は?」
「承知しました。どういった口調をお望みですか」
「フランクな感じで構わない。私以外の人には敬語で」
「わかった」五番は答えて頷いた。「もっと砕くこともできるけどこれでどう? 病院だからフランクすぎても人間からの反感を買うだろうし。他にも変更したいことがあったら遠慮しないで言って」
「それくらいで良いだろう。きみからも何か質問は」
「無いよ。俺たちはまず学習しないと意味が無いから」
「一人称は私……いいや、僕、かな」
「わかった。それで、僕は何をすればいい」
「受付に置いたパソコンにここの資料が入っている。まずはそれに目を通してくれ。電話があったり、誰か来たら私を呼んでほしい。奥の診察室にいるから」
「わかった」
 五番は頷くとカウンターの内側に入り、パソコンを起動すると自身のうなじに手を回した。アンドロイドはそこに電源ボタンと、端末と接続するためのコードが内蔵されている。彼は引き出したコードの先端をパソコンと繋ぎ、画面をじっと見つめたまま動かなくなった。
 
 待合室から少女の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
 慌てて診察室から出ると、二人組の少女が部屋の入口で五番を指さしている。二人とも五、六歳ほどに見える。それぞれ金髪と黒髪だが顔が似ていた。二人が声を揃えて叫んだ。
「ロボットだ!」
「こんにちは。ご用件をどうぞ」
 うなじにコードを戻して立ち上がりながら五番が答えた。彼が夏油の方を向いて言う。「ドクター、お客様だよ」
 五番の言葉に、彼女たちはようやく夏油の存在に気付いたらしい。二対のはしばみ色の瞳が説明を求めている。夏油は五番を親指で指差しながら答えた。
「私の助手だ。今日からここで働くことになった」
「でもロボットだよ」金髪と黒髪のうち、金髪の少女が言った。
「正確にはアンドロイドだね。お仕事を手伝ってくれる人型ロボットのことで、美々子と菜々子や私よりもずっと賢いんだよ」
「じゃあ先生の助手さん、一万二千三百四十五かける五万四千三百二十一は?」今度は黒髪の少女が言う。
 五番の回答は二秒にも満たなかった。
「六億七千五十九万二千七百四十五。診察券と登録票をお出しください」
「すごーい。でも数が大きすぎて本当に正しいのかわからないや」
「うーん、そうだね。菜々子」
 黒髪の少女が金髪の少女に同意した直後、彼女たちが持っていたケージから犬の鳴き声が聞こえた。二人は五番に言われた通り、ポーチから診察券と登録票を出して受付に並べた。五番はそれらを手に取ると受付処理を進めている。初めてとは思えないほど手際が良かった。夏油が関心しながら見ていると、処理を終えた五番がパソコンから顔を上げて言う。
「枷場ソラ君。奥の診察室へどうぞ」
 
「スリープモードにしてもいいかな」
「大丈夫です。夏油先生」
 ケージを診察台の上に乗せ、中に手を入れると、しばらくして夏油は犬型のアンドロイドを抱き上げた。
 白い毛並みを持つ小型犬型のアンドロイドである。アンドロイドは夏油の腕の中で固く目蓋を閉じ、ぐったりと脱力している。
「ドクター」そばに立っていた五番がアンドロイドを指差して言った。「これは?」
「これじゃない、ソラ。マルチーズのソラ」
 菜々子が即座に言い返した。五番は菜々子を見下ろし、夏油に視線を戻した。
「ソラはペット用の犬型アンドロイドだ。菜々子が言ったように犬種モデルはマルチーズ。どこが悪くなっていたんだい」
「右足です。ぎーぎー鳴って、歩くのも大変そうだった」
 美々子の説明を聞きながら、夏油はソラの右足を持ち上げて折り曲げた。手のひらに詰まった感触が伝わり、股関節から軋むような音が聞こえる。
「何かが噛んでいるな。分解しよう」
「録画していい? ドクター」
「構わない。後ろから撮ってくれ」
 夏油の肩越しに手元を覗き込む五番の青い瞳が燐光を発した。録画が回されているのを確認し、夏油はソラの右足を分解する。細かなパーツが台の上に並べられ、右足が胴体から外れた。視界の隅に見えた五番の顔が離れていく。夏油は双子を呼び寄せ、胴体の一部を指差した。
「股関節のパーツが擦り切れている」
 双子が夏油の両脇に近寄ると、彼はペンライトで内部の一箇所を指し示した。五番も三人の頭越しに覗き込んでいる。
「この裏側。他のパーツと噛み合って動く部分で、周りと比べてサイズが大きいから、足を動かすには大事な部分だ。この擦り切れ方は……
 夏油はしばらくの間考え込み、息を吸った。
「ソラの歩き方が変になったのは、ここ二ヶ月で最近だけかな」
「んー、たまに足を引きずっていたかもしれないです」と答えたのは美々子だった。「寝たりとか座ってたりして、それから立ち上がって歩くとき。たまに一、二歩だけうまく歩き出せてなくて、ぎこちない感じ」
「なるほど。……ここのパーツは、交換となると周辺のパーツも一気に取り換えないといけないんだ。そうなると色々取り寄せたりしないといけなくなるから、一日で終わらない。とりあえずは経過観察だね。油を差し直して、パーツも磨いてある程度滑らかに動くようにしよう。どうなったか確認したいから、ひと月後にもまた来てほしいな」
「わかりました、先生」
「ソラをお願いします」
「うん。危ないから下がっててね」
 工具を手に作業へ入ろうとした夏油の両肩に重みが加わった。録画モードを起動した五番が、夏油の肩に手を置いて手元を覗き込んでいるのである。頬を掠めかねない近さに彼の顔があった。呼吸を必要としない体は白い睫毛の先まで微動だにしない。ふと顔が傾き、夏油の瞳を見つめ返した。瞬きひとつせずに見開かれた青い瞳の奥で、焦点を調節するレンズが拡張と収縮を繰り返している。
「作業しないのか。ドクター」
 夏油はため息をつき、作業を開始した。
 作業は三十分もかからなかった。パーツをはめ直し、手動で異音が鳴らないか確かめる。それからソラの首元にある電源ボタンを押した。微かな起動音が聞こえ、ソラの四肢がぴくりと動いたかと思えば、両眼がゆっくりと開かれた。むくりと体を起こし診察台の上で立ち上がる。双子が喜びの声を上げた。
「動いた」
 ソラは鼻を鳴らしながら診察台の上を歩き回り、縁のにおいを嗅いでいる。視線を感じたのかふと顔を上げ、録画モードを終了させた五番と目が合った。その場に座り込み、舌を出して呼吸——本物の真似に過ぎないが——を繰り返しながら尻尾を振る。五番は腰を屈め、ソラと目の高さを合わせた。
「ドクター。僕を見ている」
「珍しい、人見知りなのに」と呟いたのは菜々子だ。隣で美々子があっと声を上げる。
「ソラと目の色が似てるからじゃない?」
「色」五番は呟き、さらに顔を近付けた。「似ているだけで同じじゃない。大体、マルチーズの本来の瞳の色は黒で——
 続きの言葉は遮られた。間近で五番の顔を見上げていたソラが、台を蹴って五番へ飛び込んだのである。五番は咄嗟に抱きとめたが、ソラはさらに、彼の胸元に前足をついて顔を舐め始めた。目を見開いたまま五番の動きが固まる。双子が鈴の音を転がしたような声で笑い転げた。
「あはは、びっくりして固まってる」
「ソラが初対面で懐くなんてめずらしい」
「私も噛み付かれそうになった記憶があるし、同じアンドロイド同士、通じるものがあったのかな」
「ドクター。ドクター」
 五番がソラに顔を舐め回されながら夏油を呼んだ。
「ドクター、これ、どうしたらいい」
「下ろしてあげたら」
「無理だ、力加減を間違えて折ってしまいそうだ。柔らかい。小さい。細い——
 耐え切れずに夏油の口からも笑いが零れた。
「簡単だよ。そのまましゃがんで、腕を下ろせばいい」
 五番は数秒固まり、膝を折り曲げた。旧式のロボットを思わせるぎこちなさだった。地面が近付くとソラは四肢をばたつかせて五番の腕から飛び出したが、今度はきゃんきゃん吠えながら後ろ脚で立ち上がり、彼のズボンに爪を立てている。
「ドクターのズボンなのでやめてください」
 五番がソラを捕まえようとするが、手の間を器用にすり抜けていく。
「先生、助手さんはどうしてソラにも敬語なの?」
「設定の問題だな、私以外に対しては敬語を使えって言ってしまったから。手こずっているようだから彼を手伝ってあげて」
 美々子がソラを捕まえてケージの中へ押し込んだ。ケージの中に閉じ込められたソラはなおもぐるぐると歩き回っていたが、五番の姿を認めると立ち止まり、じっと見上げている。
「助手さん、首に傷があるよ」
 五番の後ろに立っていた菜々子が彼のうなじを指さした。シャツの襟の隙間から、首を一周するような線が覗いていた。
「バーコードと……横に数字が書いてある。『5』?」
「これは傷ではありません」五番が菜々子を見上げて答えた。
「でも切れたみたいな痕だよ」
「僕のボディは過去に大破しています。処置として別の個体のボディを繋ぎ合わせました。これはその時の手術痕です」
 菜々子は首を傾げた。
「夏油先生とは違うのね」
「ドクターと?」
「あのね、先生の手首にも似たような傷があるの。先生は、菜々子と美々子だけとの秘密だよって言っていたけど、助手さんも同じなのかなって」
「それは僕と同じではありません。推測ですが人間の自——
 五番が結論を言いかけたところで、夏油が待合室への扉を開けた。
「二人とも、次の人が待っているから今日はここまで。ソラは絶対安静だからね。五番君、会計をお願い」
「わかった」五番はあっさりと話題を転換し、処置室を後にする。
 双子は顔を見合わせ、彼の後を追って部屋を出た。
 
「彼はリユースの……
 言いかけた老女は唇を閉じ、首を振った。
「ごめんなさい。私もこの呼びかたは好きじゃないのだけれど、ニュースではこう言っているものだから」
「別に、気にしていません」
 素っ気なく答えたものの、夏油の眉間にはしわが寄っていた。親指の腹で押しほぐし、首を振る。
「ご想像の通りです。彼は元軍事用アンドロイドでした」
 診察台の上にはスリープモードの男性型アンドロイドが寝かせられていた。その胸に片耳を押し当てるようにして、五番が床の上に座り込んでいる。五番とアンドロイドのうなじは一本のコードで繋がれ、見開かれた五番の瞳の表面を、演算式と思われる数字の羅列が上から下へ流れていく。夏油と老女はその様子を遠巻きに眺めていた。
「先の戦争で建物の崩壊に巻き込まれ、腹から下がねじ切られていたそうです。救難ビーコンを発信していたので幸いにも救助は間に合いましたが、コアが発狂寸前で復旧処置にかなりの時間がかかったとか。彼のコアに軍人時代の記録はほとんどありません。首から下は別の汎用型個体のものだと聞いています」
「むごい話ね」老女が呟いた。
「彼らを戦わせたのは我々人間です」
「そうね」夏油の話に彼女は頷き、嘆息した。「実はね、あと何ヶ月かしたら、私のところにもリユースの子が来る予定なの」
 夏油は診察台のアンドロイドを指さした。「彼は?」
「引き続き家のことを任せるわ。新しく来る子には私の身の回りの世話をしてもらったり、話相手になってもらう予定なの。前線で看護師を務めていたそうよ」
「ご家族はいらっしゃらないのですか」
「娘が一人。けど、結婚して中央の方に行ってしまって、なかなかこっちにまで下りて来られないんですって。戦争が終わってもう何年も経つのに、移動の規制がかかったままなのは不便ねえ」
 夏油は曖昧に頷いた。沈黙を貫いていた五番の目が瞬く。表面を流れる数式の洪水は途端に消え失せた。彼は上体を起こすとプラグを抜き、床から立ち上がる。壁に寄りかかっていた夏油は壁から背を離した。
「ドクター、不具合の原因がわかったよ。一人で留守番している最中に、階段で足を踏み外したみたい」
「まあ」老女が口元を覆った。「どれくらいひどく転んでしまったの?」
 五番の青い瞳が老女を見下ろした。「一番上から三段おりたところで踏み外して、七段下の踊り場まで転がり落ちました。その時に頭、首、肩、足、不具合が出ている箇所を強くぶつけています」
「まあ、大変」
「人間なら即入院だな。ありがとう、分解して診てみよう」
 夏油の言葉に五番は首を振った。
「ドクター、あの個体は稼働から十五年以上経っている。階段を踏み外すなんて初歩的な歩行ミスをアンドロイドが起こすはずがない。あのボディはもうとっくに限界だ、修理するよりも新しく買い換えたほうが」
「五番君」
 彼は口を噤んだ。夏油が隣の椅子に腰掛けていた老女に深々を頭を下げたが、彼女は慌てたように首を振った。
「いいの、いいのよ。彼が言ったことは正しいわ。けどね、愛着があるから、買い換えたくないの。私のわがままだわ。それだけなのよ」
「申し訳ありません。彼はまだ倫理プログラムが未発達で……
「大丈夫。しっかりしてる子じゃないの。さ、どうぞ修理してくださいな、夏油先生」
 そう言い、彼女は椅子に深く座り直した。
 夏油は再び深く頭を下げると、五番を呼んで診察台へ近付いた。
 再起動したロボットと共に老女が去ると、夏油は玄関のプレートを「CLOSE」に返し、鍵を掛けた。振り向くと五番が廊下の半ばに立ち尽くしている。
……一日を終えた感想は」
「感想?」五番は首を傾げた。「それは人間の価値観だ。ロボットに感想は必要ない。僕たちは与えられた仕事をこなすだけ」
 夏油は溜息をついて眉間に親指を当てた。「オーケイ、わかった。言い方を変えよう。一日働いてみて疑問点や不明点はあったかい」
「無い」
……そうか」
 それから夏油は口を開きかけたが、やめた。今の自分は冷静ではなかった。無益な言葉しか出てこないように思われたし、彼との口論は時間の浪費に過ぎない。物事の効率を優先するのはロボットの存在意義だ。今更何を言ったとことで、五番の前提は覆らないだろう。深呼吸を繰り返し、夏油は五番の横を通り過ぎた。
「おいで。見せたいものがある」
 廊下の途中に置かれている、スタッフ以外立ち入り禁止の立て札の先は二階に繋がる階段である。夏油が一段目に足をかけて呼ぶと、五番は後ろから静かに着いてきた。
 
 今からおよそ百年前の事——この国は滅亡の危機に瀕していた。
 国内史上最大の大量虐殺事件「大事変」。
 その終焉から間も無く勃発し、近年まで続いた「呪霊百年戦争」。
 「大事変」について現在まで残されている情報は少ない。だが、この事件がいかに大規模で、凄惨だったかは読み取ることができる。夏油が住む都市の郊外からはるか西へ行くと、半径数百メートルにも及ぶ巨大なクレーターが広がっている。周囲は不毛の土地。クレーターは人為的なもので、「大事変」首謀者の攻撃によって生じたと言われる。
 事件が起こったきっかけも、首謀者に関する情報も、いつ終わったのかさえ定かではなかった。判明している明確な事実はごく単純なことだけ——「大事変」首謀者の攻撃は当時の国の軍事力を持ってしても防げなかった。
 クレーターの出現からたった三日で国土の七割が焦土と化し、半数以上の国民の命が失われたとされている。
 虐殺が繰り返される中、「大事変」がどのように終わったかは定かでない。確かなのは、首謀者に国は全く歯が立たなかったこと。しかし奴らは「大事変」開始から数日後に突如として姿を消した。それとほぼ同時期に、万の数に及ぶ異形の怪物——通称「呪霊」が、戦の傷も癒えていない国内を立て続けに襲い始めた。
 「呪霊百年戦争」の幕開けである。
 国同士の争いではなく、突如現れた怪物と人類の、存続をかけた戦いだった。
 しかし戦況は絶望的だった。人手と戦力不足に国が喘いでいるさなか、幸いにも「大事変」が終わったかと思えば、どこからか大量発生した化け物が国全土を覆い尽くしたのだ。いよいよ滅亡の危機に陥った暫定政府は新たな決断を下す必要に追い立てられる。
 戦力は枯渇したが、人類には知恵と技術、大量の資源が残されていた。
 ならば。人間の代わりに、呪霊と戦うロボットを——
 かくして国は、人類の代わりにアンドロイドを戦地へ向かわせるという、今日に至る対呪霊戦略をごく短期間で打ち立てたのだった。
 その「呪霊百年戦争」も数年前にようやく終戦が宣言された。戦の長さは実に百年。その間にどれほどの数のアンドロイドが生産され、壊されたかは、誰も把握しきれていないだろう。
 
 夏油の元に来た五番は、「呪霊百年戦争」で呪霊と戦うために生産された、軍事用アンドロイドの一体だった。
 戦いが終結して間もなく軍は解体された。軍事用アンドロイドも同様に廃棄されそうだったところを、夏油が仕事の助手として引き取った。否、この言い方は些か正しくない。廃棄されるだけだった軍事用アンドロイドを人間社会で再利用しようとする動きが、民間用アンドロイドの販売メーカー社を中心に湧き起こった。夏油はそのプロジェクトに参加し、五番を引き取ったのである。
 軍事用アンドロイドの中でも五番は特殊な固体だった。大抵の「再利用」アンドロイドには軍用時代の記録が残されているが、彼には忘却処理が施されている。夏油はこれ以上の詳細を知らないが、夏油と五番の仲介を務めた七海によると、呪霊との戦闘のさい、建物の倒壊に巻き込まれて下半身を切断されたらしい。その負傷が原因でコアが深刻なダメージを負い、忘却処理を施さざるを得なかったそうだ。故に、五番は自身が軍事用アンドロイドとして従軍していた頃の記録をほとんど持っておらず、彼の首から下は別個体の汎用型アンドロイドとつなぎ合わせたものである。
 診療所の二階は夏油の私的な空間だった。客室へ至る扉を開けて彼は五番を案内した。
「きみの部屋だ。仕事以外の時間はここで好きに過ごしてくれ」
「ロボットに個人的な空間は必要無い」
「きみのためじゃない、私が私的な空間を設けたいからだ。私の部屋は廊下を挟んで向こう側。必要なものがあれば言ってくれ」
「わかった」
「適当にかけて待っていて」
 五番は頷くとベッドに腰掛けた。夏油が部屋を一度出て戻ってくると、彼はベッドから下り棚を物色していた。
「ドクター、これは?」
「大昔の映像作品だ。興味があれば見てみるといい、きみならチップをうなじに入れれば見られるだろう」答えながら夏油は手に持っていたものを差し出した。「で、これだが」
 五番は受け取って裏返した。本だ。表紙には「国語辞典」と記されている。
「適当に開いてみてくれないか」
 彼は夏油の言う通りにした。
「目についた言葉を読み上げてくれ」
「命令か? ドクター。する意味が分からない」
「きみにとって大事なことを決める」
 五番は右側のページに目を通した。「……『悟る』」
「意味は?」
「迷いからさめて心理を会得した境地に到達する。隠されていた事情に気がつく」
「良いね。じゃあ今からきみの名前はサトルだ」
 夏油の言葉に彼は顔を上げ、青い瞳を見開いたままわからないと言った。
「どうして僕が人間みたいな名前を? 五番で良い。軍ではそう呼ばれてた」
「軍ではそれで良いかもしれないが、人間社会では駄目だ。きみは悟りを開くとかの悟で、サトル」夏油は淡々と答える。「きみが読み上げた通り『悟る』は物事の真実、本質を見抜くこと。どうかな」
「ドクターが決めたことなら従う」
「気に入らない?」
「気に入らないどうこうの前に、初めての状況だからどう反応すべきか困ってる」
「なら決まりだな。気に入らなくなったらあとで変えればいい」夏油は思い出したように右手を差し出した。「私の名前はスグルだ。傑作とか女傑の傑でスグル。名字はゲトウ」
 腕を上げた拍子に服の袖がずり上がり、手首が見えていた。夏油はさりげない仕草で袖を戻す。袖の下には、刃物で切りつけたような古傷が幾重にも走っていた。
 五番——悟は彼の手首から視線を上げ、夏油をまっすぐ見つめ返した。
「げとう」
「夏と油で夏油。夏油傑」
「ドクター夏油」
「傑で構わない。対等な関係を築いていこう」
「すぐる」
「ああ。よろしく、悟」
 持ち上げられた悟の右手を夏油の手が掴んで握りしめる。彼の皮膚は本物の手のように温かく、柔らかかった。