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mishiadd
2024-07-13 19:54:23
14966文字
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潮騒
若旦那ED。儀の最中に利腕を失ってしまい、儀を離脱するかたちで若旦那についていくことにした伊織殿とセイバー。
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五、
湊町の入り口から出口まで、まるで血肉で敷かれた一本の道のように。
流れる血の川につま先を浸しながら、転がる骸に足をとられながら。
追って、追って、転んで、また追って。
――
やがて、
見失う
。
あるいは、そのときに掴まえられていれば。名を尋ねられていれば。
――
ついて、いけていれば。
あるいは、こうはならなかったのかもしれない。こうも、囚われることはなかったのかもしれない。
あるいは、こんなふうにしか生きられないなんてことは、なかったのかもしれない。
もう二度と出逢えることはない、あの月のような剣。
――
あの月。
――
あの、原風景。
あの光景こそが、伊織の故郷だった。
それ以前の彼など存在しない。あのとき、あの夜、伊織はあそこでこの世に
発生
したのだ。
あの血の匂いをすべて覆い隠す、潮の香りと。
死の静寂をすべて包み込む、潮騒の音と。
そのさなかに、伊織は生まれた。
◆
であるならば、これはきっと郷愁なのだろう。
浜辺に立ち、真っ黒い海を見る。ざああん、ざああん、と寄せては返す波が、足元の砂を攫っていく。遥か彼方で、黒い海と常闇の空が融けあって交わる。それを無慈悲に切り裂くようにぽっかりと浮かぶ、鋭い三日月。
胸の締めつけられるような思いがする。呼んでいる
――
伊織に、
回帰
を求める声。
遥かなる、あの夜の
――
屍山血河。あの光景。伊織の、母体。
――
そこから誕生すると共に抱えるに至った、
生来の異常
。
誰も彼の誕生を祝福してはくれなかった。それでも、彼はあの遥かなる月にこそ慕情を覚える。他の何をも知らない。
――
それに殉じること以外を、知らない。
「
――
呼んでいる」
一歩、一歩、真っ黒い海へと足を踏み出す。ざああん、ざああん、とあの夜の音がする。彼を産み落とした揺籃の水音が。
――
伊織の翅はもがれた。
であるならば、もはや伊織に向かうべき場所もない。目指すべき場所もない。
この生命の意味は潰えた。至上命令は果たされない。もはやこの身は壊れたがらくたのようなもの。息をしようとしまいと同じこと。
――
このまま、あてもなく、目的もなく、この現世を彷徨っていつか肉体が滅びるのを待つよりは。
「還っておいで」と、あの月が呼んでいる。
――
あの屍山血河が呼んでいる。
潮騒が、呼んでいる。
「
――
イオリ!」
鋭い声に伊織が我に却る。気付けば腰までが真っ黒い海に浸かっていた。着流した着物の裾が波に巻き上げられて海面に浮かんでいる。
振り向けば、浜辺に若旦那とセイバーがいた。伊織を追って、セイバーが今にも海の中へ入ってこようとしている。
ああ、それは危ない
――
と咄嗟に思って伊織が制止しようとする。己のちぐはぐな言動に気付けない。ひときわ高い波が、背後から伊織の肩にぶつかる。衝撃にぐらついてよろけそうになる。
「イオリ!
――
何をしているんだ! 早くこちらへ!」
「
……
セイバー」
戻るべきなのだろうと、伊織の理性が告げている。だが、足が動かない。それは海水の重さだけでは決してなかった。
呼ばれている
。抗い切れない何かに呼ばれている。それは、彼の本能に訴えかけるもの。彼の生来の異常に訴えかけるもの。彼という生命の、もっとも原始的な根幹に訴えかけるもの。
彼を産み落としたものが
、
彼を呼びつけている
。
――
『
回帰
』
を
、
求めている
。
「呼ばれているか、伊織」
若旦那の声が響く。よく通る声だった。ざああん、ざああんとすべてを覆い隠す潮騒の音が、一瞬静まったようにすら感じた。
「それが貴様の
母体
か。
――
なるほど」
真っ黒い海を一瞥し、フンと鼻で笑う。場にそぐわない
思い出し笑い
のようにも見えた。
「よかろう。伊織、貴様が選ぶのだ。
――
『回帰』か、『訣別』か」
「
――
あ
……
」
生命の目的を失ったがらくたが
――
このまま現世であてもなく朽ち果てるくらいならば。いっそのこと
――
。
そう思わないと言えば嘘になる。至上命令が果たせないということは、決してこの生が満たされることはないということだ。
この生命が尽きるまで、この喪失感を、この飢餓感を、この渇きを
――
未来永劫、味わい続ける。そんな展望であるくらいならば。
――
それでも。
違いは、たったひとつの石ころ程度の重みだったかもしれない。
その天秤の傾きは、ほんのわずかな差だったのかもしれない。
それでも、
目が合った
。
――
そのとき、
伊織はセイバーと目が合ったのだ
。
固唾を呑んで、セイバーがただ、伊織を見つめている。夕陽の色をした大きな瞳を見開いて、今にも泣き出しそうな顔で、伊織を見つめていた。
――
ただ、それだけだった。本当にただ、それだけだった。
「
――
『訣別』だ。俺は
そちら
側に行く、若旦那」
「よかろう!」
よく通る声と共に若旦那の姿が変わる。伊織の初めて見る、恐らくは若旦那が生前に身にまとっていた衣装なのだろう。
灼熱の太陽と深い密林を思わせるエキゾチックな出で立ちに、伊織だけではなくセイバーも思わず目を奪われる。
姿を変じてから間を置かず、流れるように宝具を展開する。
幻想のように現れた巨大な城塞と、そこに所狭しと居並ぶ弩砲。
――
ちらちらと光る、弾として装填された財宝の数々。
大きく右手を掲げながら、若旦那がせせら笑った。
「我の真名も知らぬ若造が世界を知ったような顔をするなよ雑種。
――
貴様ごときの渇きなど、この我がいくらでも忘れさせてやるわ」
伊織が息を呑む。と同時に、若旦那の「
王の号砲
メラム・ディンギル
」の号令と共に、城塞から輝くような一斉射撃が放たれる。
海面に着弾し閃光が炸裂すると伊織の脚が急に軽くなる。海水を掻き分けて浜辺へと辿り着く。砂の上に倒れ込むと同時に伊織の体を支える手がある。セイバーの手だった。
振り向けば若旦那がひっきりなしに宝具を展開し続けている。真っ黒だった海の色が徐々に変わっていく。常闇と思われた空の色が、だんだんと青みを帯びていく。
砲弾の破裂音の合間に、わずかに金切り声のようなものが聞こえた気がした。
――
それは、自分の声によく似ていたと、伊織は思った。
若旦那が右腕を降ろす。それと同時に、姿が見慣れた黄金の着流し姿に戻る。
セイバーに支えられて立ち上がった伊織が海を見渡す。
――
半月
に明るく照らされた、藍色の海が広がっていた。
◆
日が高く昇る中、ひとつの駕籠がえっほえっほと道を行く。その後ろを、ふたりの従者がのんびりとついていく。
「次は讃岐か」と伊織が言うと、「うどんが美味いのだろう」とセイバーがじゅるりと垂涎した。ハハ、と笑い、伊織が目前の駕籠を見遣る。苦笑した。
「まったく。この調子だと、『うるく』とやらには一体いつ頃辿り着くのだろうな」
「さあな。どうやら余程もったいぶって我らに自慢したいようだからな。
命の限り
たっぷり焦らされるかもしれぬ」
「こらこら。俺はサーヴァントが受肉したわけではないから、寿命が普通なんだ。おまえたちと一緒にされては困るよ」
「ああそうだった。もしかしたらワカダンナもたまに忘れているのかもしれぬ。毎日のように次々と寄り道する場所を見つけてくるからな。
――
まあでも、」
セイバーが大きく伸びをする。に、と笑った。
「それはきっと、きみが
死ぬまで退屈せずに済む
、ということなのだろう」
「
――
ああ、そうだな」
空を見上げる。抜けるような蒼穹に、目を細めた。
「ああ、きっとそうだ」
了
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