mishiadd
2024-07-07 18:06:49
11847文字
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宮本伊織に人生をメチャメチャにされたいコレクション:本買道中膝栗毛

大好きな『三国志演義』のスピンオフ的読本が出るらしい、と聞いてわくわく新刊を買いにお出掛けする伊織殿とそれに付き合わされるセイバー。


二、

江戸っ子らしい洒落も粋もあったものではない、ただ用途を為すためだけの朴訥な手製の暦に、朱墨で大きく丸を描き入れてからというもの、伊織がどことなくそわそわとしている。
無論、日頃の鍛錬を怠ることは決してなく、刀を振るっている間だけはいつもの研ぎ澄まされた雰囲気を身にまとっていたが、例えばセイバーと伊織のふたりで膳を囲んでいるときなどは、受け答えの半分がどことなく上の空な気がした。
普段からそれほど会話の弾むふたりではないとはいえ、いつもの「そうだな」が一拍遅れだったのが二拍三拍遅れ、挙句の果てに「ん? すまん、なんと言ったセイバー?」とことあるごとに訊き返されてはセイバーとてそれ以上熱心に話しかける気にはならない。
とはいえ、セイバーとしてもそんなに気分を害されなかったのは、伊織が嬉しそうだったからだろう。――たった一冊の読本を「買っていい」、と言ってやっただけで発売日までこんなに機嫌よくしているのであれば、随分費用対効果の高い話もあったものだ。お手軽、というやつだ。

まあ、自分のおかげで伊織の機嫌がいいのは気分がいい。

「うむうむ」とセイバーも満足げに米を食らっているうちに、迎えた発売日の朝であった。







鶏が鳴きだす前からいそいそと起き上がった伊織が、さっさと敷布団を畳んで隅に仕舞う。寝ぼけ眼をこすりながら「随分早くないか」とぼやくセイバーの横でせっせと米を炊き、漬物樽から沢庵漬けを引っ張り出す。それから、先日に日本橋で買っておいた鯵の干物を炙り――普段がどう、というわけでは決してないのだが、いつになくてきぱきとした手際だ。というか、いつもの二倍速はあるような。

おかずの準備が素早く整いすぎて、米が炊けるまでの間が手持ち無沙汰になり、畳の端に腰を下ろして茶を啜って待つ。なんだなんだ、とようやくセイバーが起き出してきたので、伊織がもうひとつ用意していた湯呑を差し出した。ふたりで並んで腰かけて、ずず、と茶を啜る。

――

ちら、と横目でセイバーが伊織を見遣る。いつも通りの無感動な表情だったが、なんとなく――足がそわそわと、子供のようにぷらぷら揺れている。

――イオリ」
「うん」
「これから朝餉をとるだろう。そうしたら、きみはすぐにでも浅草の本屋に行きたいと思っている。そうだな?」

少しだけはっとした顔をして、伊織がセイバーを見る。バツの悪そうに曖昧に笑い、目を逸らした。――わからいでか、とセイバーが内心で思う。

……その、イオリ。恐らく、恐らくなのだが――

確か件の読本の発売日が今日。であれば、日本橋にある地本問屋から本売りが方々の本屋へと新刊を売って回り始めるのが、今日。――鶏が鳴いたのがついさっき。本売りがどれだけ早くに仕事を始めたと見積もっても、さっきの今では――

「多分、まだ浅草の本屋には届いていないと思うぞ、その本は」

びくり、と伊織の体が揺れる。言われて初めて、その可能性に思い至ったらしかった。――冷静沈着な男の目をこれ程までに曇らせるのだから趣味というのは大したものだ、とセイバーは感心する。
納得はしたようで、照れたようにはにかんで「そうだな」と苦笑いを漏らす。しゅん、と目に見えてがっかりした様子の伊織に、「あーあ、もう」とセイバーが腹を立てる。――無論、ほだされている自分に対してである。

「よい。朝餉を食べたら日本橋まで出向くとしよう。
問屋の本店になら既に新刊も並んでいよう。いつ入荷されるかわからずに浅草で待っているよりマシだろう」
「! ――あ、ああ」

ぱっと顔をあげて頷いた伊織が、ふと思い至ってセイバーの顔をまじまじと見た。「なんだ」とセイバーが返すと、不思議そうな顔で伊織が尋ねた。

「いいのか? おまえには得のない遠出になるが」
「何を今更。私に得がないのは今に始まったことでもないし、日本橋までだって大した遠出でもない。遠出自体は嫌いでもないしな」

実際、伊織と連れ立って江戸の町々を散策するのは嫌いではない。――というか、かなり好きな部類に入る。今でこそ伊織とは随分打ち解けたが、当初のほとんど喧嘩腰だった頃ですら、遠出をすればそれなりに友好的な会話も広がったものだ。当時ですらそうだったのだから、それが今ともなれば――まあ、だから、敢えて言うならば、セイバーにとってはそれ自体が』、と言えるのかもしれない。――などとは伊織には言ってやらない。絶対。

「それに、きみの得にはなるのだろう。なら、それが私の得ということでよい」
「ん? ああ」

納得したようなしていないような、伊織が首を傾げつつ頷く。そこでちょうど米が炊きあがったようで、ふくふくと甘く香ばしい香りが漂ってきた。伊織が傍らに湯呑を置き、竈へと向かう。
残されたセイバーは、ずず、と湯呑の茶を啜り――今しがたうっかり口に出してしまった言葉の意味を今更ながらに咀嚼して、耳まで赤くなりながらげほげほと咳き込んだ。