mishiadd
2024-07-07 18:06:49
11847文字
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宮本伊織に人生をメチャメチャにされたいコレクション:本買道中膝栗毛

大好きな『三国志演義』のスピンオフ的読本が出るらしい、と聞いてわくわく新刊を買いにお出掛けする伊織殿とそれに付き合わされるセイバー。

一、



「セイバー。話がある」

長屋の前で油を売っていたところをだしぬけに呼び出され、中を覗き込んでみれば伊織がいつになく神妙な面持ちで畳の上に座していた。
対面で座るように促されたのでそのようにすると、いつも通り背筋をぴんと伸ばした伊織の居住まいがやけに改まって見えた。何事か、とセイバーが身構える。

「折り入って相談がある」

そう切り出した伊織の表情からは一切内容が伺えない。内心、慣れぬ緊張感でどくどくと鼓動が早まるのを感じながら、セイバーが「……どうした」と先を促した。

「実はな。――この度、『三国志演義』に取材した読本が出版されるらしい」
「え? うん」
「これを――購入したい、と考えている」
「へ?」

セイバーが間抜けな声をあげる。拍子抜けした顔で伊織の顔をまじまじと見返す。強張った表情を崩さない伊織に、「え? いや」とセイバーが戸惑いがちに口にした。

「それは――買えばよいのでは?」
「それを相談したかったのだ。……買っても、いいだろうか」
「へ? いや、構わぬが。――なんだ? その代わり団子でも奢ってくれるというならば、私は辞退などせぬぞ」

「まったく何を言われるのかと思えば、」とセイバーがぶちぶち文句を言い始めたところに、伊織が改めて繰り返した。

「今、貴殿と共に日雇い稼業をこなして稼いでいる銭は――半分は貴殿のものだと考えている。だから、これは最低限の仁義だと考えている。その上でもう一度問う。――買っても、いいだろうか」
「何を今更『貴殿』だなどと改まって――待て、なんだと? どういう意味だそれは」

儀が始まって以来セイバーが伊織に付き合って稼いでいる銭が共有財産であるかどうかの議論は置いておくとして、仮にそうだったとして――わざわざ相談してくるということは、足が出る可能性がある、ということか? ――つまり、その共有財産を半分に割ったうちの、伊織の取り分だけでは賄えない可能性がある、と。
急に蒼褪めたセイバーが「待て待て待て待て」と慌てたように繰り返す。

「待て。―― 一体いくらするのだ、その……ヨミホン? とやらは」

ぐ、っとただでさえ神妙な顔をしていた伊織の顔がいよいよ深刻そうな顔になり――周囲に誰がいるというわけでもないというのに――セイバーの耳元に口許を近づけ、ひそひそと告げた。途端、ばっとセイバーの体が小動物のように跳ねる。

「たっ――莫迦高いではないか! コメが何升買えると思っている!? ――蕎麦が何十杯食えると思っているのだ!」

セイバーの剣幕に、伊織が顔を背ける。ぐ、と渋い顔をして眉根を寄せた。

……だから問うたのだ……
「きみ、ちょっと根本的なことを訊くぞ。――この長屋、なんだか書物がやけにそこら中に転がっているなと思ったが――もしかしてそういうものを見境なく買っているからきみは年がら年中金欠だ、ということではあるまいな?」
「そ、それはない。半分は師匠から譲り受けた物之本で、半分は俺が自分で写した写本だ。――読本が欲しい、と思ったのはこれが初めてなんだ」

伊織は自分でも無理を言っている自覚のある顔で、後半などはほとんど消え入りそうな声だった。まるで途方に暮れた仔犬のような横顔に、ぐ、とセイバーの勢いが一気に殺がれる。
ぽりぽりと頭を掻きながら、セイバーが「その、なんだ」ともごもごと言った。

「貸本屋、というものがあるのだろう。そこで借りることはできないのか。――少し面倒だろうが、他の書物のように手許に置いておきたくば、またきみが写本すればよい。私が手伝ってやってもよいぞ」
――貸本屋は」

伊織が目を細めて遠い目をした。

「『幽霊長屋』には来ない」
「へっ」
「貸本屋は貸本を携えて馴染みの家々を回る。顧客を訪問して賃貸を繰り返しながら信頼関係を築いていく、『信用』を素地とした稼業だ。――この長屋には、来ない」
……

セイバーには返す言葉もない。「あー……」と言葉を濁しながら目を逸らそうとする。しかし、視界の端で伊織の顔を捉えてしまった。――ぐ、と口許を引き結んで俯く顔に、根負けしたセイバーが声をかける。

「イオリ。……どうしても、欲しいのだな?」
……

はーあ、と大仰にセイバーが溜息をついた。――恐らくはきっと、この一連の問答すらすべて無駄だったのだ。
ありとあらゆる理屈と言い訳と弁解と方便をすっ飛ばして――

伊織が顔をあげてセイバーを見る。すべてを察したセイバーが内心でうんざりする。

――こうして、ただたった一言をこの男が発して、首のひとつでも傾げていたならば。



「頼む、セイバー



――畢竟、結果は同じだったのだろうから。

伊織が何を口にしようと、結局セイバーは伊織がすべてわかってやっていることを知っていて、そして伊織もセイバーがそれをすべてわかった上で最後には折れてくれることを知っている。
であれば、すべては茶番であるのだが。――こうして逃げ道を作ってくれていること自体が伊織の慈悲なのだろう、と察せる自分にセイバーはほとほと嫌気が差す。
ぷい、と顔を背けながらぶっきらぼうに言った。

――よい。……イオリの好きにせよ、買ってよい」

「セイバー、」とぱっと嬉しそうな顔をした伊織をさすがにぽこぽこ殴ってやりたくなりながら――どうせわかっていたくせになにをしらじらしい――頬を膨らませながらぶちぶちと言った。こうなれば自棄だ、茶番には最後まで乗ってやる。

「今まで散々食道楽に付き合わせた礼だ。これで貸し借りはなしだぞ」
「かたじけない、セイバー。無論、買った読本は半分はおまえのものだ。是非読んでくれて構わない」
「別に要らぬ……

早速うきうきと暦に発売日の印をつけに立ち上がった伊織を見遣りながら、セイバーはその場に仰向けに寝転がる。――なんでこうなっちゃったんだろうなあ、とぼろぼろの天井を見上げた。