空調機から吐き出される風が、カーテンの裾を揺らす。俺の動きに合わせてソファがギシリと軋む音を立てた後、バキッという嫌な音が響いた。
え、と思う間もなく唐突な浮遊感に襲われる。突然のことで、対処が遅れた。この手のトラップに慣れた身体はそれでも咄嗟に異能を発動しようとしたが、不発に終わった。何せ太宰に触れている。戦闘中ならその辺りも頭の隅にあるのだが、如何せん何の警戒もしていなかった。
ゴッと大きな音がして、瞬く間に衝撃が走る。膝を打つけて思わず呻き声を上げた。
痛みが多少和らいできたところで、ゆっくりと身を起こす。太宰がまだ痛みに呻いているのを横目に、状況を確認する。
「折れた、のか?」
端的に言えば、使っていたソファベッドが壊れたらしい。ちょうど太宰の腰の辺りの座面が床に接地している。中の枠が折れたようだ。
まだ痛むのだろう腰を摩りながら、太宰も俺と同じようにそこを覗き込んだ。
「これそんな安物だったわけ?」
「割と」
ポートマフィアに入って自分だけの部屋ができて、初めて自分で買った家具である。あの頃はまだ金もなくて、ちゃんとしたベッドを買う金が貯まるのを待てずにそこらの量販店で1番安いソファベッドを買った。しばらくはここで寝起きしていて、ベッドを買ったのは数ヶ月後だった。この部屋にある中で最もと言っていい程の安物だし、年季も入っている。
「古かったし、買替え時だったんだろ。どうせなら今度はもっと大きいの買おうぜ」
思い出の品を大切にしようなんて心算はなかった。単純にソファにあまりこだわりがなかったのだ。インテリアには多少なりこだわっているが、デザインはこの部屋にマッチしていたし、何より今まで壊れる気配を感じなかった。買い替える程のきっかけがなかったのだ。
少し前から太宰が毎日のようにここで寝るようになって、戯れ合いの末にセックスに発展することも増えていた。もっといい物を買うべきかもしれないとは思い始めていた。壊れたのはちょうどいい機会だ。
安物のソファベッドの問題点は、何より狭いことだ。太宰が寝ると、どうしたって手足がはみ出してしまう。2人で寝ると言わずもがなだ。
「買い替えるのはいいけどさ、私、今晩どこで寝ればいいの?」
「どこって……」
問われて、ぐるりと部屋を見渡した。
この家は持て余す程の広さはあるが、元は俺が1人で住んでいた家だ。太宰が入り浸るようになってからも、買い足したのは消耗品の類だけだ。となれば当然布団やベッドがもう1組あるようなこともない。
カーペットはそれなりの厚みがある高級品なので、寝られないことはなかった。なんなら安物のソファベッドや太宰の部屋の煎餅布団よりも寝心地はいいかもしれない。床暖房だし、今まで太宰が使っていた毛布は引き続き使えるし、寒さに困ることもないだろう。
けれど――
「一緒に寝るしかねんじゃね?」
「はあ!? 蛞蝓と一緒に寝るとか真っ平なんだけど!?」
「うっせぇ! 文句あんなら床で寝ろ!」
せっかく泊まるなら、一緒に寝たい。と、思わないわけがなかった。
セックスの後、当たり前のように1人ソファベッドへ移動する太宰を見る度に、「今夜くらい」と言いたくて堪らない気持ちをずっと抱えていた。そもそもセックスしておいて、当たり前のように別の部屋で寝る太宰のことがよくわからなかった。例えば「俺との関係がセフレで終われば家に帰ってしまう」というならまだ理解できる。けれど俺たちはもうそういういい加減な関係からは卒業したはずだった。
今時寝室が別の夫婦なんて珍しくもなんともないし、普段はあまり気にしていない。けれどセックスの後、まだ腕に抱きしめた感触や太宰の身体の熱が残っている中での独寝は、なんだかなあと思わなくもない。それに寝室が別だということと、「1度も一緒に寝たことがない」は同義ではない。セックスの後である必要はないが、たまには一緒に寝たいとは常々思っていたのだ。
こんな恰好の大義名分を前にして、それを提案しないわけにはいかなかった。
太宰は大きなため息を吐いて、のろのろと身を起こした。申し訳程度に脱ぎ散らかした服を拾い集めている。結局一緒に寝ることに同意したのかしていないのかわからないまま、俺はそれを見守っていた。
「もうさいあく……。中途半端なところで放り出された上に寝るところまでなくなるなんて……」
「それは不可抗力だろ」
俺だって被害者なのだから、一方的に批難されるのは納得がいかない。けれどぎろりと睨みつけられ、それ以上の反論は飲み込まざるを得なかった。
太宰はさっさと浴室へと消えていく。その後ろ姿を見送りながら、残念な気持ちになった。邪魔が入って興が削がれたのは俺も同じだったが、今日はしばらく振りだったのだ。1回や2回で終わるつもりはなかった。太宰だって同じだったろう。
恨めしい気持ちで破壊されたソファを見つめる。確認のためにクッションを取り外したから、余計に無惨な姿をしている。
こんなもん、さっさと買い替えときゃ良かったな、と今更どうしようもない後悔をしながら、ひとまず脱ぎ散らかした服を集めてだらしなく丸出しになっている下半身を仕舞いこんだ。
後片付けをしている間に太宰が戻ってきて、入れ替わりで俺もシャワーを浴びた。セックスを嗜んだらあとは寝るだけのつもりだったので、終わってしまえば何かしようという気分にはなれなかった。予定より随分と早い時間になってしまったが、寝てしまってもいいだろう。
結局太宰はどうするつもりなのだろう。太宰はほとんど毎日俺の家に泊まっているが、一緒に住んでいるわけではない。たぶん、おそらく、きっと。お互いにそういう話をしたことはなかった。社員寮も引き払っていないはずだ。だから帰ろうと思えば帰れるはずなのだが、そのつもりはなさそうだった。
聞けないままにベッドへ向かうと、太宰もその後ろをついてきた。手には今までソファベッドで枕代わりに使っていたクッションを持っている。
まさか一緒に寝るつもりなのか。喜びより驚きが優ってしまうのがどうにも情けない。俺が自分の枕を真ん中から端に寄せると、太宰もぶちぶちと嫌味を言いながら空いたスペースに持ってきたクッションを置いた。嫌味にいつものような覇気がないのは言っても無駄と思っているのか、追い出されては困ると思ってか。いずれにしろ、大人しく一緒に寝ようとしているという事実は俺を驚かせるには十分だった。
しかしベッドに横たわった太宰の身体は、少しでも寝返りを打てば端から落っこちてしまいそうだった。
「落ちるだろ、それじゃ」
ぐいと引き寄せると、「ちょっと!」と文句の声が上がったが、手を離してやるとそれ以上無理に離れていこうとはしなかった。
このベッドはキングサイズだから、成人男性が2人並んでも十分な広さがある。何せキングサイズといえばシングルを2つ並べたよりも大きいのだ。くっついて寝る必要なんてない。それぞれ十分に寝返りを打つことも、手足を動かすこともできる。
「もう寝るだろ、おやすみ」
太宰が俺に背を向けるように寝返りを打ったのを肯定と判断して灯りを消した。隣からはしばらく身動ぎする気配がしていたが、やがて居心地のいい場所が見つかったのか動かなくなる。
それに安心して、目を閉じた。眠るつもりで、意識して深くゆっくりと呼吸する。考えないようにしたところで、隣の太宰のことがどうしても気になってしまう。隣でじっと身動ぎひとつせず、呼吸音すらまともに聞こえてこないというのに、それでも存在感があった。
我慢ができなくて、眠る前にもう1度目を開けた。太宰は俺に背を向けてしまっていて、顔はわからない。けれどちょっと手を伸ばせば触れることができる距離に太宰がいるというだけで、どこか満たされるものがあった。
洗い立ての乱れた髪に触れたくてたまらない気持ちになったけれど、迷った末にやめた。邪魔をして怒られるのは本意ではない。2人分の体温で温められた布団の中はぽかぽかと心地がよくて、気づけば眠りに就いていた。
翌朝目を覚ますと、至近距離に太宰の顔が合った。寝起きでいまいち事態を把握しきれていない所為でぎょっとしてしまったが、そういえば昨夜はソファ破壊騒動が起こって一緒に寝たのだった。驚いてしばし何も言えずにいる間に、太宰はさっさと身を起こしてベッドから出ていってしまう。
何か言おうとして、何を言えばいいのかわからずにやめた。
朝の身支度をしている間、破壊されたソファがちらちらと視界に入る。けれどわざとなのか俺が話題にしないからか、太宰はちっともその件について触れることはなかった。
いつものように今晩の夕食をどうするつもりなのか聞けば「食べる」と返ってきて、今夜も来るつもりであることにやっぱり驚いてしまう。「泊まる」とは言っていないが、夕食と宿泊はほとんどの場合セットだ。夕食を食べずに泊まることがほとんどないのと同じように、夕食を食べた後帰っていくこともほとんどない。太宰は基本的にずぼらで怠惰な男なのだ。
今夜も来るつもりだとわかれば、どうしても欲が出てしまう。一晩だけなどと言わず、今晩だって、可能なら一緒に眠りに就きたい。そして目覚めて最初に太宰の顔が見たい。今まで同じ家で寝起きしておきながら叶うことがなかった願望が、すぐ手の届くところにあるのだ。
今日も1日仕事の予定だった。マフィア幹部なんてほとんど自由業のようなものだから、無理をすれば今日中にソファでもベッドでもその両方でも、手配することは可能だった。部下に手配させることもできる。けれどそうはしなかった。せめて次の休みまでは、このちょっとした我儘を許されたかった。
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