金属が擦れる音がして、眠っていたはずの意識は簡単に覚醒してしまった。とうに聞き慣れてしまった、この家の錠前が回る音だ。続いて廊下を歩く人の気配。普段ならもっと落ち着いているはずの足音がドタドタとうるさいから、きっと飲んで帰ってきたのだろう。
最近は仕事も落ち着いているはずだから、いつもの時間を過ぎても帰ってこない時点でなんとなく予想はしていた。ちらりと時計を確認すると、床に就いてから1時間程が経っている。
中也が新しく用意したベッドは寝心地がいい。はっきりと聞いてはいないけれど、たぶん高いのだろうということは容易に予想がつく。ここで寝始めた直後はやっぱりなかなか寝られなかったけれど、慣れてからは以前のソファベッドより深く寝られる日が圧倒的に増えた。そのお陰か最近はどこか身体の調子もいい気がする。
それでも些細なことで簡単に目を覚ましてしまうのは相変わらずなので、世の中そう上手くいくものではないと痛感している。
せっかく寝ていたのに、完全に目が冴えてしまった。寝直せるだろうかと寝返りを打ったところで、近づいてきていた足音が扉の前でぴたりと止まった。嫌な予感がして視線をやると、部屋の扉が静かに開かれた。
「おかえり」
中也はふらふらと近づいてきて、太宰の身体に覆い被さった。甘えてきているのかと思って迎え入れると、「ただいま」と顎にキスをされる。
「うわっ酒くさっ飲みすぎでしょ」
近寄ると、中也の呼気から酒精の香りが漂ってくる。自分も酔っているなら気にならないが、素面では遠慮願いたい。引き剥がそうとするが、酔っ払いは太宰の意思を汲み取る気がなかった。引っ張っても押し返しても顔中にキスを降らせるのをやめない。
しばらく抵抗を繰り返し、ようやくキスが落ち着いたかと思えば、そのままぐったりと伸しかかられた。いつの間にか太宰の上に完全に載っかっていたようで、その重さにほとんど身動きすら取れない。左手は中也の身体の下敷きにされて、既に少し痺れてきている。
「寝るなら自分のベッド行きなよ」
唯一自由に動かせる右手で中也の頬を叩き肩を押し返す。
「やだ。ここで寝る」
まだ意識はあったようだが、それでも全く言うことを聞く気配はない。それどころか、駄々っ子のようにしっかりとしがみついてくる。
「重いからせめて退いて」
「あー?」
渋々といった様子だったがなんとか話は通じたようで、伸しかかるのはやめてくれた。太宰がようやく解放された身体を動かしている間も首元に擦り寄ってきていたが、やがて深く大きな呼吸が聞こえ始めた。どうやら本当に寝てしまったようだ。
数分のやり取りだけで、どっと疲れてしまった。
中也は帰ってきてそのままここにやってきたようだった。枕元には中也の被っていた帽子がひっくり返っている。この攻防の最中に中也の頭から落ちてしまったらしい。潰さないようにベッドからは落としたが、着たままのジャケットが皺になるのは避けられないだろう。掛け布団の上に載っているから、布団を掛けてやるような気力もない。酔いが覚めたら寒いだろうが、暖房が効いているから風邪を引く程ではないだろう。
傍迷惑な来客だった。気持ちよさそうな寝息は聞こえてくるが、うつ伏せで寝ているからその間抜け面を拝むこともできない。
損益が全く釣り合わなかった。とりあえず静かになったから、無視して眠るしかないだろう。
◇ ◇ ◇
眠りから覚めて目を開けると、最初に飛び込んできたのは中也の顔だった。穏やかな表情でじっと太宰の顔を眺めている。寝起きの頭は状況把握に少し時間が掛かったが、すぐに昨晩の来襲の記憶が甦ってくる。
「やめてよね、ああいうの。迷惑なんだけど」
「ああ、悪かったな」
面倒に付き合わされたのだから、文句を言ってやる必要がある。けれど中也には全く堪えた様子がなく、それどころか満足気な笑みを浮かべている。不服でしかない。
いつまでもその状況を保つ気にはならなくて、身を起こす。中也はすぐにそれを察して身を引いた。酔いはとっくに覚めているのだろう。昨晩の酔っ払いの面影はない。
起き上がってから、頭がすっきりとしていることに気づいた。どうやら思いの外深く眠れたらしい。
中也は太宰と寝るのを好んでいるようだし、太宰も嫌ってはいない。だから時折共にベッドに入るのだが、だからといって眠れるかというと別の話である。
中也が寝返りを打つ度に目を覚ます短く浅い眠りを繰り返しながら、隣でぐうすか寝こけている中也の顔をほとんど一晩中眺めていることが多い。それは毎日寝ているこのベッドではないのだが、ここまで変わるとは誰が予想できただろうか。自分でも俄かには信じられない。普段は太宰の眠りを妨げないように就寝中はこの部屋に近づいてこないから、気づかなかった。
そこで、中也は一体いつから起きていたのだろうかと疑問を抱いた。中也は飲んだ後は普段より早く目を覚ますから、もしかして随分長く観察されていたのかもしれない。そうだとすれば、中也の機嫌がいいことにも説明がつく。
「今度から一緒に寝る時は俺がこっち来ようか」
にやにやと上機嫌な笑みを向けられて、予想が当たったことに気づく。
なんだか悔しい気持ちは拭いきれないが、拒否する理由もない。中也の寝顔を眺めているのは嫌いではないが、太宰だって眠れるなら眠りたいのだ。けれど素直に認めるのは腹立たしいので、できるだけ憎たらしく聞こえるように「そうだね」と返事をする。
中也が幸せが滲み出すように笑ったから、たぶん効果はほとんどなかった。
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