夜明 奈央
2024-05-05 13:16:10
7963文字
Public 中太小説
 

一歩ずつ

ポトマ時代はただの相棒だった中太が付き合い始め、戸惑いつつ少しずつ距離を縮めていく連作短編
※pixiv掲載時より一部改稿の上、全年齢にしています。
2022年8月15日初出 2024年5月5日改稿


もっと知りたい

 “太宰治の意図を完璧に汲み取れるのは中原中也だけ“
 あまりに化け物染みた太宰の奸計に恐れ慄いた奴らの間で、実しやかにそんな噂が流れていたことがある。だが中也はそれを「そんなわけがないだろう」と思っていた。
 確かに何度も組むうちに意思の疎通が素早くなり、阿吽の呼吸といっていい連携を取れるようになってはいたが、それは中也が太宰のことを理解していたからではなく、太宰が中也のことを完璧に操ってみせていただけだった。どうすれば太宰の意図が中也に正確に伝わるか。どうすれば最低限のやり取りで最大の利益を打ち立てられるか。太宰が中也のことを観察し、学習し、適応していっていただけで、何度組もうと中也には太宰の考えていることなんて雀の涙程も理解できやしなかった。それでも仕事上では、多少なりとも他の奴らより太宰のことを理解していたという自負はあったので、件の噂を表立って否定はしなかった。
 だが、それがどうだ。プライベートでのことなんて、ちっとも知りやしない。もちろん、それなりに長い時間を過ごしてきた間柄なので、蟹が好きだとか、実は猫舌とか、眠りが浅いとか、他の人間よりは多く知っている自信はある。
 それでも、どうして死にたいのかとか、どうしてああまでして中也への嫌がらせにこだわるのかとか、マフィアを抜けた本当の理由とか、知らないことの方がずっとずっと多い。趣味嗜好は一緒にいれば自然とわかってくるが、秘密主義で嘘つきな太宰は本心なんて話さないし、気取らせてさえくれない。
 あれだけ一緒に過ごしていたというのに。
 と、いうとただただ太宰が薄情な奴であるように聞こえるのだが、実際のところは太宰の度の過ぎた嫌がらせに中也が腹を立てて怒鳴り散らすのが主たるコミュニケーションだったので、お互いの深いところについて語り合うようなことがなかった。記憶にあるのはほとんどが軽口と嫌味の応酬だ。あれはあれでそれなりに楽しんではいたのだが。でなければ何がどう転んでもこんな関係に発展することはなかった。考えれば考える程太宰の嫌がらせはやりすぎだと思うが。
 だから、お互い大人になって、こういう関係になって、太宰と仕事を挟まずに同じ空間で過ごす時間が増えて、軽口や嫌味でない会話が少しずつ増えて、だんだんと太宰について知っていくのは意外にも楽しかった。
 例えばふわふわで柔らかな手触りの蓬髪や滑らかな頬は無頓着に見えて実は意外にも手入れに気を使っているだとか(使えるものはなんでも使う主義の奴らしく、見た目も武器の1つにカウントしているらしい)、隙なく巻かれていると思っていた包帯は実は見えるところにしか巻いていない時の方が多いだとか(「だって面倒」らしい)、定期的に誰とも会いたくなくなるだとか、眠れない夜は星を眺めて過ごしているとか、他にもたくさん。

「ちゅーやー、もうごはんできたよー?食べないのー?」
 ――1人だと興味もやる気もないと言ってキッチンに入りもしない癖に、中也の家では時々こうして作ってくれる(そして普通に美味い)とか、朝食は基本食べない派の癖に、中也と一緒の時だけはなんだかんだと言いつつ口にするとか。
「おー、もう行く」
 両手に珈琲を淹れたカップを持ってキッチンから顔を出すと、太宰はいそいそと自分の分のカップ(砂糖とミルクがたっぷり入っている)を受け取って、それから空いた手にするりと指を絡めた。
 ――隙あらば手を繋ぎたがる(キッチンから食卓まではほんの5歩である)とか、その癖、離す時にはあっさりしているとか。
 食卓に着くと、するりと中也の手から抜け出して、何食わぬ顔で自分の席に着いた。
「「いただきます」」
 行儀よく手を合わせ、2人同時にトーストに齧りつく。

 まだ、知らないことも、聞けないでいることも、たくさんあるけれど。今のところは中也と過ごす時間をそれなりに楽しんでくれているようなので、とりあえず、それでいいかなと思っている。
 だから、いずれ本人が話してもいいと思えるその時まで、こうして隣で時を重ねていきたい。


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