不破
2024-04-29 23:28:25
6471文字
Public 空戦
 

#19




 速度を上げる車。円を4つ並べたエンブレムを飾ったハンドルを片手で握りながら、もう片方の手で端末を立ち上げる。ケーニヒスベルクの外縁部に向かう最短のルートを表示すると、アクセルを更に踏み込んだ。エンジンが唸りを上げ、メーターの針が大きく振れる。前を走る他の車両を躱して速度を上げながら細い通りを駆け抜けていく。猛スピードで大通りへ躍り出る車を右折させるも、スピードを落とし切れず対向車線にはみ出してしまい、車体の後部が対向車のミラーを掻っ攫った。「くそっ……!」と吐き捨てながらも車線を戻し高架を潜り抜ける。前方の車を躱して追い抜き、ぐんぐんと速度を上げる車内でエンジン音に疼く左足の出血に歯噛みしながらも、交差点に差し掛かった時だった。右側から強烈な衝撃が襲った。

「うあっ!?」

 取られそうになるハンドルをきつく握り、車体のバランスを取りながら思わず振り返った視線の先、自分の乗る車に並走する黒い車の運転席に口の端を歪めた笑みを見、アレンは目を見開いた。
 魔術、「ミーム・デコヒーレンス」がある以上、アレンが乗る車や戦闘機も同様に反認識能力を得る。所属するシャウラ隊におけるアレンの乗機であるYF-23もまた、通常有しているよりも格段に高いステルス性能を有し、敵に気づかれることもなく戦闘を終わらせることがほとんどだ。追って来ることなど不可能と言って良い。しかし、実際にこの標的は自分を認識し、間違いなくここまで追って来た。背筋に冷たいものを感じながらも、開いたウィンドウから向けられた銃口に歯噛みしながら咄嗟にハンドルを切った。
 響いた銃声に助手席側のウィンドウが砕け散る。右手で頭を庇いながらもアクセルを踏み込み、先を行くトレーラーを躱しつつ、その陰に隠れつつ速度を上げる。

「どうして追って来れる……!」

 フュゼ・ナイトレイ。皇帝によって処刑されたアラスター・ナイトレイの後継と公表された男。大摩天楼のラウンジで目にした際に感じたあの悪寒、まるで得体の知れない化け物を前にしたようなあの感覚は本物だった。あの時、バックハウス中将が口走った「黒い鳥」という言葉を調べなかったわけではない。
黒い鳥とは、かつてパリを騒がせた殺人犯の通り名だそうだが、その殺人犯はとうに軍に囚われ、独房に居るはずだった。故にあの時、バックハウス中将がなぜそんな通り名を口にしたのか理解が及ばなかったが、今なら確信できる。こいつがそうなのだ・・・・・・・・・。この男こそが、黒い鳥と呼ばれた殺人犯だ。だが、なぜ?などと考える暇はない。トレーラーの荷台の下を潜り抜けた黒い車がアレンの運転する車の背後に着けた。交差するレーシングフラッグのエンブレムをルームミラーに見ながら舌打ちをし、再び響いた銃声に頭を低くした。リアガラスを破って駆け抜けていく数発の銃弾の内の1発がルームミラーを抉った。

「くそっ……!」

 速度を上げながらハンドルを切り、車線を変えてトレーラーの前へ出る。しかし、加速した黒い車が猛スピードで隣を駆け抜け、前に出られた。正面で減速され、停止を促されるだろうが、隙を伺って躱すしかない。都市さえ出てしまえばどうにでもなる。ハンドルを握るのが人並外れた人物とはいえ追手は車1台、多勢に無勢というわけでもない。正面に陣取った黒い車を躱して前に出ようとした時だった。黒い車のテールランプが点灯した。タイヤから煙を吐き出しながら車体を滑らせ始める黒い車が瞬く間にこちらを振り向く。

「っ……!」

 フロントエンドを突き合わせて走る車のボンネットの向こう、フロントウィンドウの奥で猟奇的に笑む男がこちらに向けた銃が火を吹く。数回響いた銃声。その1回目とほとんど同時にフロントガラスに亀裂が走り、3回目でハンドルが取られて車が勢いよくスピンし始めた。ひび割れたフロントガラスの向こう側の街並みがぐるぐると回転し、衝撃が襲う。

「ぐっ、あっ……!!」

 停止した車の中、砕けたフロントウィンドウの向こうに見えるボンネットから白煙が立ち上るのを目に、アレンは霞む視界の中で声を聞いた。「やれやれ」と切り出したその声は、呆れたような声色でこう続けた。

……言っただろう、アレン。君は暗殺なんてやるには人間過ぎると」

 かつて、今と同じような状況に陥った際に囁かれたその言葉。あぁ、そうかも知れない。今こうして自分が命を落とすかも知れない状況にあるというのに、頭の中を過るのは妻と娘のことばかりだ。自分がここで命を落とすのだとしても、せめて彼女達だけは……と、そう考えながらも、アレンは遠退いて行く意識を手放すしかなかった。