佐藤
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P4 chapter8:十風五雨

10月頃の話。根付きつつある場所(全4話)


04.さぁさ此方を通りゃんせ

ステージの照明から外れた薄暗がりで、季節外れに過ぎる格好の肌寒さに肩を震わせ、小さく小さく身を潜めても。
辺り一帯を埋め尽くす勢いで溢れ返り、止めどなく流れ込んでくる――声、声、声。
色めき沸き立つ観客席と対照的に、舞台袖の空気はしんと静まり返ってすっかり冷え込んでいる。
数分前まで一応あった多少の温かさは、一人、また一人と影がその場を去っていく内にどんどん失われてしまった。
今となってはもはや誰もいなくなり、後に続くものなどもういない。
まるで死刑宣告を待つ囚人のような気持ちで、最後の一人として残されたことに何とも言い表し難い複雑な想いをしながら、早く終焉を迎えろとひたすらに祈る少女の名を――
何ら気に留めることはなく、無情にも高らかな声が呼び上げた。

「えーそれでは続きまして、エントリーナンバー7番の平和島さん!こちらへどうぞー!」



……やはりあの時、自分も辞退しておくべきだったのだ。

「俺、平和島さんのこと前から良いなって思ってて」

はあ、と気の抜けた相槌を打つより他にどうすればよいものか私にはわからず、取り敢えず愛想だけでもと曖昧に表情を変えて笑顔が浮かぶよう努めてみた。とはいえ常より自ら表情を繕うのが不得手な私のことなので、果たしてきちんと笑えているかは非常に不安なところである。
しかしながら今私の目の前にいる学ランをきちんと着こなした優等生的な格好の男子生徒は、大変柔和な物腰で小首を傾げつつ微笑を湛えていた。
私は反射的に危機感を抱き、さてどう撒いたものかと即座に逃げ道の算段を立て始める。

「ミスコン、平和島さんに投票したんだ。やっぱり、応援したかったから」
「ああ、そうなんですか……それはどうも」
「結果は残念だったけど……その、すごく魅力的だったよ。
俺の周りの奴らも、結局平和島さんに入れたってのが多かったかな……まぁ、最初はびっくりしたみたいだけどね」
「ははは、それはどうもご丁寧に」

……あ、続けてほとんど同じことを言ってしまった。
得体の知れない不穏さが絡みつく焦りに、不特定多数の人の目に晒された先程までの心的な疲労もあってか、目まぐるしく移ろう割にまともな進路は導き出せずにいる。そんなやや機能が低下しているらしい自分の思考回路を少し恨めしく思った。
とは言え、それにしても何故、どうしてこんなに落ち着かないのだろう?
確たる根拠のないことが尚更不安を煽り、いてもたってもいられない。

……それで、いきなりこんなこと言われても困るだろうけど……
さっきのを見てて、俺、自分が平和島さんともっと仲良くなりたいなって思ってることに改めて気づいたっていうかさ」

にっこりと形よく整えられた半円弧の口に、三日月型の目元。
どこからどう見てもあからさまな好青年の顔に既視感を覚えた瞬間、私は今現在私に得も言われぬ不安定な気持ちを作り出している原因と思しき一つの事象に辿り着く。

「もし良かったら、平和島さん……――……あ、いや、いっそこう呼ばせてもらってもいいかな――

……見るのは随分久しぶりな気がする、けど、)

たぶん、これはおそらく、息をするように飄々と人を食らって生きているあの人がよくやるのと近い系統の。

そう気づいてしまった時には頭の中にかの面影がちらつき、まっすぐこちらを見据える双眸に赤褐色の瞳を幻視する始末だ。
私は思わず彼の笑みの深さに比例して徐々に動く気配を無くしていく自分の身体を笑ってしまいながら、これはまずいと思うがもはやそれより他には何もできずただただ立ちすくんで目の前の唇がゆっくりと動く様を見つめ

「あぁ、居た居た!やーっと見つけたよ、三琴ちゃん」

――そこで唐突に鼓膜を揺らした声に意識を引っぱり出され、はっと呼吸を思い出す。

……あ、だち……さん?」
「うん?……『なんでここに?』って顔してるね。まぁそりゃ当然か」

苦し紛れに捻り出したような声で、呼んだというより呟いただけの言葉に、ゆるりとどこか気の抜けた調子の応えがあった。

「いやー実はこの間、三琴ちゃんがミスコン出るって聞いてさ、鳴上くんから。
それで、見に来たはいいけど高校の文化祭を大の男が一人で回るってのもなんだし……折角だから案内してもらおうと思って、探してたんだよ~。
……でも、ひょっとして今、ちょーっとお邪魔だったかな?」

へらり。ここまでの自分の経緯を語りながらも少しきまり悪げに苦笑いする足立さんは、どこまでも毒気の無い、しかし間合いはすこぶる悪い、まさに天然のずっこけ刑事っぷりを発揮している――風に見える。
なんという見事な立ち回りかと感心しつつ、私は束の間に取り戻した息をまた忘れてしまわないうちに、やや急いで終いの挨拶を切り出し放った。

「いえ、結構ですよ。少し話していただけですから……それじゃすみません、私はこれで」
「、……ああ、そうだね。じゃあ平和島さん、今日は本当にお疲れ様。また明日」

そう言って背を向け、ごく普通に去っていく男子生徒を黙々と見送った後。ちらりと横目で隣を見た丁度同じ瞬間、足立さんもこちらを見ていたようで、がちりと視線が噛み合った。
途端、張り詰めていた糸が急に緩んだ気持ちになり、私はふっと息をつく。

……が、一方の足立さんはというと、そこまで同じというわけにいかなかったようだ。

「助かりました。すごくありがたいタイミングで」
「そりゃよかった。僕はてっきり、多少喜んでるものかと思ったなぁ」
「何をご冗談を……素性も知らない、知る気もない相手から声をかけられたところで、まず警戒心しか持てませんて。その上、少し厄介そうなタイプでしたし」
「ふうん。けど今回は正直、君の自業自得なところもあるんじゃないの」
「鳴上先輩から聞いてないんですか。不可抗力ですよ、直斗くんの辞退だって土壇場の強行なんですから」
「だからって普通あの並びで、スクール水着なんか着る?逆に目ェ引くでしょ、それで実際変なのに絡まれてちゃ世話ないよ」

いくらパーカー羽織ってるからってあんな大勢の前によく出られたもんだよね。だいたい君ってホンット危機感無さすぎっていうかさ、これ前にも言った気がするんだけど。
実際のところは心にもないであろう明らかな揶揄から始まり、堰を切ったように溢れでてくる数々の小言に目が丸くなる。
……しかし例えば首尾よくビキニなどを用意でき、それをあの場で披露してみせたとして、それはそれで文句を言いそうなものだ。

……今、なんか失礼なこと考えてない?」
「いいえ、なんにも」
「うわ、説得力ないな~……まったく」

なにがそんなに楽しいんだか。
頭の中にぼんやりと反対意見を浮かべていたとき、呆れ顔にくしゃりと笑みを載せ短く溜息を吐く姿を見て、思いがけず息が止まった。
そんなほんの一瞬に足立さんが気付いたかどうか少々気がかりではあるものの、すぐに素知らぬ振りをして、私はそろりと横に並んでみせた。そして足立さんの悪態なんてすっかり無視したふうに「何か食べたいものとか希望ありますか」などと言い、頭の中に行き先となりそうな模擬店や出し物をいくつか思い浮かべる。

不機嫌とまではいかないが微妙に口を尖らすこの人を上手く煙に巻くことができるか、あとは祈るよりほかないだろう。
そう思っている一方で、不思議と晴れやかな気分に絆され、私は頬が勝手に緩んでいることに気がついた。


<了>