佐藤
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P4 chapter9:雲煙模糊

11月頃の話。入り混じる想いのそれぞれ(全4話)


04.永劫に誓う何某

瞼を開くと広がっていたのは白く霞んだもやばかりの世界だった。しっとりとした空気は肌によく馴染み、不思議な心地よさをもたらしてくる。
一寸先に何があるのかさえわからないほど立ち込める濃霧と水を打ったような静けさにはどこか覚えがある。けれど、どうしても思い出せない。
かろうじて視認可能な自分の足元をそろりと見やると、少女は恐る恐るに歩を進めた。コツコツと靴底が朱色の床を叩く音以外、他には何も聞こえない。
どれくらい歩いたか、どこをどう通ったか、とんと見当がつかないまましばらく時間が過ぎた。厚い霧の向こうに揺らめく人影を見つけた時、その人影もまた自分に近づく影に気付いたようだった。

「えっ、……マリー、ちゃん?」

顔も見えない霧の向こうから聞こえてきた小さな呟きに、少女は――マリーは思わず怪訝な顔をした。どうやら相手はこちらのことが見えているらしいが、一方こちらはさっぱりわからない。一体どういうことなのか、全く理解が不能である。

――、ッ……た」

キミはだれ。ここって何。何で名前知ってるの。頭に浮かんだ三つの質問が一度に口から飛び出そうとしたら、それを否定するようにすぐさま鋭い頭痛が襲った。目の奥に火花が散るような衝撃にたまらず閉口すると、それきりまるで初めから有り得なかったみたいに痛みは消え失せる。記憶を思い出そうとすると頭痛に考えるのを邪魔されることは今まで何度もあったけど、こんな症状は初めてだ。

「だ……大丈夫……?」
………だいじょばない。けど、ヘーキ。……たぶん」

何故こんな思いをしなければならないのか。不可解さに思い切り眉根を寄せてこめかみを押さえながら声を捻り出してみると、今度は特に何も起こらず、これは言っても許されることなのだとわかった。
おずおずとした声音で様子を伺ってきた相手を「いい、ほっといて」とざっくばらんに片付けて、マリーはやり場のない不満に無言で顔をむくれさせる。

「マリーちゃんがいるってことは、ゴールデンの方だったんだ。知らなかった」

何の因果か知れない不快な疼痛に悩まされるのは嫌だったので、ぽそりと零された微かな独り言に気をやりはしても応えはしなかった。何がいけなくて何ならよいのか、わからない以上沈黙を貫くしかない。そう思っていたのに、間もなく続いた次の言葉に――
――正確には、言葉に重なった奇妙なフィルタに、耳を疑わずにはいられなかった。

……にしても、意外だったというか……、ここで会うなら、てっきり■■■■の方だと思ってたけど」
……?今、何て言ったの?」
「え?……■■■■、って、」
……わかんない。耳の奥、キーンってして……聞こえないよ」
……成程、もしかして、まだわからないことになってるのか」

困惑するマリーを尻目に一人納得して、流石にちょっと時系列が曖昧だな、などと影がぼやく。無視しているにはあまりに不可解な現象につい一瞬前の痛みなど忘れ口を出したものの、結局マリーの頭上には疑問符がいくつも浮かぶばかりだった。
するとそんな彼女を見かねてか、「ああ、その、ごめん」と影は一言謝罪し苦笑した。

「たぶん、ここで何か言おうとしても、やっぱり聞こえないんだと思う。
……から、申し訳ないけど何も言えない。
それに実際マリーちゃん関連がどうなるか、何がどう影響するかは正直わからない……けど、」

ゆっくりと言葉を選びながら、しかして底抜けに穏やかな声音が辺りに染み入り、霧と共に流れていく。
薄い霞に紛れた諸事の様子を、今なら先ほどよりは見通せそうだ――
そんな風に思われた時、マリーは再び言葉を失った。

「取り敢えずできるだけ、私が全て持って行くつもりだから」

まばゆく光を放つ、目の覚めるような青と白。水干に薄絹を纏わせ、釣竿と巻子本を携えた異形の瞳は、螺鈿のように美しい煌めきで満たされている。ゆるりと枝垂れた濡羽色の髪には、果てしなく裾を広げる海が見えた。
度々あの紺碧で埋め尽くされた部屋を訪れる彼が所持する数多のいずれとも異なる、今まで見たことのないペルソナ。

「ねえ、キミって――

ひとりでに口が開いても、それから先に続く台詞はなかった。
ただひたすらに悠然と佇む心の化身に息を飲み、真正面から向き合う。
その膝元で託宣を告げる影のかたちは、ついぞわからぬままである。


<了>