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著者: 雷歌/らいと
2024-03-13 17:35:19
37024文字
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戦セバシリーズ
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【戦セバ/デイⒷ・ユーⒷ】エゴイズムの果て
2011.12.30発行した個人誌のWeb再録。Ⓑがヒューマノイドというパラレル設定なお話です。
発行時は、表紙と挿絵を戦セバ同志の方にお願いしました。
1
2
3
4
5
二、水は方円の器に随う
デイビッドにⒷが拾われてからというものの、数ヶ月が経っていた。
相変わらず仕事の忙しいデイビッドは、帰ってきても夕飯を食べたらすぐに寝てしまう生活を送っていた。
もっとⒷくんと話したい、と残念そうに語るデイビッドではあるが、疲れているなら早く寝るべきとⒷが説得するのだ。
デイビッドとの生活上の様々な物事に対しても、戸惑いはなくなってきていた。
ただ唯一まだ戸惑うことは、早く寝る代わりに一緒に寝て欲しいというデイビッドの願いだ。幾度も抱き枕代わりになってきたが、未だに慣れないでいた。
「そんなに、良いものですか
……
?」
「うん、安心するなー」
食後のお茶を楽しみながらデイビッドは言う。
「ご主人様は、昔は甘えん坊だったとか?」
抱き枕がいるというのは、何かに甘えたいという欲求の表れでもある。それが絶対と言うわけではないが、そう思えてしまうのも仕方ないほど、普段も抱きついてくることが多くなった。
Ⓑの言葉に、一瞬だけデイビッドは表情に影を落とす。だがすぐにその表情は笑みに変わっていた。
「そうだったかもなー」
人よりも動体視力の優れるⒷが、デイビッドの表情を見逃すはずもない。最近、そのような影のある──どこか諦めの含んだ──表情が増えたことをⒷは確信していた。
だからといって、安易に主人の感情には立ち入れない。もどかしさを感じつつも、それは主人とうまくやるための注意事項としてヒューマノイドにはインプットされているのだ。
「そうだⒷくん。明日はセバスチャンの所、行ってくれるか?」
「お使いですか?」
「いや、検診」
本来なら定期的に受ける整備検診。だが、デイビッドは渋ってⒷにそれを受けさせていなかった。
彼いわく、セバスチャンは信頼しているけどやり方がいやらしいそうで、なるべくⒷを触らせたくなかったのだ。
しかし、昨日、所用のついでにセバスチャンの家に立ち寄ったところ、きつくお灸を据えられたらしい。
お前だって年一とはいえ健康診断をするだろう、人間よりもデリケートなヒューマノイドには、それ以上の回数が必要になるんだ、とかなんとか。
「俺の知らないところでⒷくんのどこかに変なこと起きてたらヤだしなー」
セバスチャンの言い分はもっともで、思わず凹んだのだという。珍しく落ち込んでいるデイビッドに可笑しそうに微笑む。
「分かりました。では明日は整備検診に行ってきます」
「ん。ついでに帰りにお使い頼んで良いか?」
傍に置いていたメモ用紙に何かしら書き込み、Ⓑへと渡す。
そこに並んでいる名前はⒷにも見覚えがある物で、香辛料の類だと分かった。名前一覧の下には簡単な地図と、どうやら店の名前が矢印で書かれている。
「すっかり紹介するの忘れてたけど。そこ、俺の行きつけのスパイス店。俺の使いだって言えば、安くはならないけどおまけはしてくれるぞ」
朝市だけでなく、普通のお店にも顔が広いのかとⒷは驚く。まだ知らないだけで、まだまだデイビッドの顔が知れている店があるのかもしれない。それは今後、必要になった時にⒷへと引き継がれるのだろう。
「さて寝るかー」
「今日も、抱き枕代わりですか?」
「そんなに嫌か
……
?」
嫌と言うわけではない。だが最近は、妙に体が熱を持つような気がするのだ。
Ⓑはその変化に、居心地の悪さを感じていた。あまり熱があるとデイビッドが寝にくいのではないか、気にかけるのはそのことばかりだ。
だから、本当は早くきちんとした抱き枕を買ってほしいと思う。しかし、そうなってしまったらきっと寂しく感じるのだろう。
デイビッドと出会ってからというものの、Ⓑは葛藤を抱くばかりになっていた。結果的に、Ⓑ自身をオーバーヒートさせかねない悩みのため、すぐにその考えは後回しにされてしまうのだが。
「本当に嫌ならやめるが
……
」
「い、いえ。デイビッドさんのお願いですし」
なるべくなら叶えてあげたい。
それは、準命令としてなのかどうか、Ⓑには分からなくなっていた。
デイビッドは、Ⓑの葛藤を知ってか知らずか嬉しそうな笑みを浮かべ、Ⓑの手をつかんで寝室へと引き連れていく。
「やっぱりⒷくんは落ち着くなー」
ベッドの中でⒷを抱きながら、優しい笑みを向ける。
やはり熱のあがる体に心配を抱いていると、デイビッドはⒷの額に口付けを落とした。
驚きで目を見開くⒷに、デイビッドは素知らぬ振り。
「おやすみ」
ただ一言そう言うと、目を瞑った。
額に口付けはよく親が子を安心させるためにやることだ。しかし、デイビッドとⒷは親子ではない。おやすみが挨拶の部類に当たるなら、頬にキスだ。だが頬ではない。
デイビッドの行為が何にあたるのか調べているうちに、やはりオーバーヒートする悩みだとプログラムに取られたか、それは後回しにされた。
「おやすみなさい」
小さい声でⒷもそう言い、静かに目を瞑った。
◆ ∽ ◆
初めてのときと同じベッド型チェアに座り、いささか緊張した面持ちで整備を受けるⒷ。意識を通したままの整備は、やはりどこか違和感を得てしまうのだろう。
すでにいくつかの項目を診たセバスチャンは、小さく片眉を跳ね上がらせた。
「あの男にしては、大事に扱っているんだな」
どういう意味だとセバスチャンを見やるが、彼はそれ以上を語ろうとはしない。独り言のようなものだったのだろう。
気になりはしても、問うタイミングを完全に逸してしまったⒷはしょうがなくそのまま整備を受ける。
やがて、人間で言う記憶を司る部分を見ていると、セバスチャンはその手を止めた。
「記憶装置が少しヤバイな。最近、人間で言う“物忘れ”が酷くないか?」
そう言われて、ふとデイビッドの影のある表情が浮かぶ。
最近増えてきたのは、何かを忘れているからだろうか。
それが何なのか言えば良いものを、デイビッドは何も言わずに甘んじている。Ⓑの感情に任せてみたいことだからだろう。
「俺は
……
分かりませんが。その記憶装置は、代えが利くものではないんですよね?」
「ああ。言ってなかったが、お前は使われているパーツがすべて普通じゃない。まるで誰かが自作したように、な」
本来それはあり得ないことだ。ヒューマノイドを作るパーツは安々と手に入るものではなく、すべてがヒューマノイドの特許を持っている会社が手中に収めている。しかも、市場に出回っているヒューマノイドとも違うパーツということは、その会社の開発陣の中でも極一部だけが関係しているのだろう。
「最終的には止まるだろう。今のうちになんとかしないと、俺でも修理できなくなる。せめて、デイビッドには」
「言わないでください!」
声を荒げたⒷに、セバスチャンは目を見開いた。
「ご主人様
……
デイビッドさんにだけは、言わないでください」
必死の面持ちで訴えるⒷ。ヒューマノイドから、何かを願うというのは珍しいこと──恋人タイプならそういうお願いをさせることも出来る──であり、人間でいう感情的になるのもないことだ。
過去に整備を担当してきたヒューマノイドは、不調があると必ずその主人へと報告してきた。それに拒否を示すヒューマノイドもいなかった。
そういう意味でも特殊なのだと直に感じ、セバスチャンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「わるい、な
……
」
搾り出したかのような声に、今度はⒷが目を見開く番であった。どこか辛そうな表情のセバスチャンに、Ⓑはどうしたら良いのかと慌てる。
そして、Ⓑは直感──それはヒューマノイドに備えられていた優れた思考演算の賜物かもしれない──で、疑問を抱いた。
この人は、何かを知っているのかもしれない、と。
だが、表情からしてその何かを聞くのは憚れる。良い事ではないことが、一目瞭然だ。
セバスチャンへと伸ばしかけた手を引っ込め、Ⓑはただ微笑んだ。
「あの、約束してくださいね。デイビッドさんには、言わないって」
「ああ、約束する」
セバスチャンは、いつもの無愛想な表情に戻っていた。
それに安堵の吐息を小さくこぼし、それでは続きをお願いしますとⒷが言うと、整備は再開された。
どこか浮かない表情のままⒷはデイビッドに頼まれたお使いのために街を歩く。
メモの内容はメモリに記録されているが、念のためメモ用紙を持ってきており、何度か確認しながら目的の店へと到着した。デイビッドの家でも見たことないスパイスに興味を惹かれながらも、無事に買い物を済ませる。
その帰り道、Ⓑが歩いていると車が横付けされた。自分を目的としているのではないかもしれないが、その車に思わず目線をやる。
立派な漆黒のリムジンは、毎日丁寧に磨かれていることが分かるほどに、周りを映し出していた。普段でもそんな車を見たことないⒷの目を惹くには、十分な役割を果たしたようだ。
中が見えないように加工されている車の窓がゆっくり降りると、そこからは、車と同じように見たことないような男性が現れた。
輝かんばかりの金髪は天使の輪ができており、たとえどんな表情でも女性が卒倒してしまうのではないかと思えるような整った顔。さぞかし微笑んだときの甘さは、半端ないのだろう。同性のⒷでさえも、惚れ惚れしてしまう程だ。
「こんにちは」
柔らかく微笑まれて、Ⓑの心臓が跳ねた。一瞬、自分に話しかけられたのかどうかが分からなかったが、男性の目線は真っ直ぐにⒷへと向けられている。
弱々しく挨拶を返せば、男性が可笑しそうに笑った。
「そんなに警戒しないで。僕はちょっと、君と話したいだけだよ」
そうは言っても、こんな街中で、しかもリムジンから顔を覗かせた男性とまともな心理状況で話せるわけがない。それに、本来なら見知らぬ人間から話しかけられたら、うまく言ってその場を切り抜ける仕組みとなっている。かつて起きたヒューマノイドを攫って他所で売買されるという危険性を少しでも低くするための対策だ。
だがⒷは、何故かその場に釘付けになったかのように動けない。
「ここじゃ目立つから、僕の家に招待するよ」
強制的な言葉でもないのに、ただⒷは頷くことしかできなかった。
男性の家は、街からさほど離れていない高級住宅街の一角にあった。その区画でも、一番立派な屋敷、いわば豪邸だ。
中に入れば、執事と思わしき初老の男性が丁寧なお辞儀をして迎えた。男性は執事に一言二言告げてから、Ⓑへおいでと言う。
居心地の悪さを感じながらも、Ⓑは男性へと着いていく。
備え付けの庭には、すでにティーセットが用意されていた。はじめからⒷを連れてくる目的だったのか、それとも来た時に用意されたのかは分からない。
男性が椅子に座るのを見届けて、Ⓑも座る。すぐにメイドが現れ、ティーポットから琥珀色の液体がカップへと注がれる。少しだけ甘い匂いが香りたつそれは、フレーバーティーの一種なのだろう。
「アップルティーだよ。嫌いじゃないよね」
「あ、はい
……
そうですね、たぶん」
デイビッドの家ではほとんどコーヒーなため、紅茶はあまり飲んだことない。そのはずなのだが、何故か目の前に出されたアップルティーにどこか懐かしさを感じた。
何度かアップルティーと男性を見比べる。
「警戒しなくても大丈夫。何も入ってないよ」
変わらず柔らかい笑みで言う男性だが、Ⓑは困ったように眉を寄せた。しばらくして決心付いたのか、ようやくカップを手に持ち、おそるおそる紅茶を口に含む。
ふわりと優しい味が広がるとともに、頭の隅に何かが過ぎった。記憶なのか何か分からないが、映像というよりただ静止画がいくつか流れる。
しかしそれは、処理能力を超えた一瞬だったため、一体なんだったのかⒷには分からなかった。
「あ
……
おいしい、です」
にこにこと、笑みを浮かべたままⒷを見つめる男性に耐えられず、そう返す。男性は、良かったと言って彼自身も紅茶を口にした。
「今日は、いきなりごめんね。ちょっと、驚いたものだったから」
美味しい紅茶と美味しいお菓子で心を休ませたとき、男性はそう口にした。苦笑気味に言われて、Ⓑは首を横に振る。
時間はありますし大丈夫です、と。
ただ気がかりなことといえば、見知らぬ人とこうしていることを主人が気にするのではないか、ということだろう。
出会った日に彼は、自分は独占欲が強いと言っていた。かつての主人にも、嫉妬と取れる感情を抱くほどに。ならば、こうしているのにも、不快感を表すかもしれない。
すでに男性の屋敷に来てしまったため、もうどうしようもないことではあるが。
男性は一瞬、何かを躊躇った風ではあったが、すぐに頭を振り、口を開いた。
「君がね、僕の知り合いにそっくりだから、つい
……
」
「お知り合い、ですか」
ヒューマノイドは要望があれば、誰かそっくりに作ることもできる。だがそれは、すでにこの世に存在しない人間の場合だ。万が一のことも考え、そういうことを証明できる書類の提出や、会社独自の調査も行われる。
もしかしたらⒷも、男性の言う知り合いを基にしているのかもしれない。
「ああ、安心して。僕の知り合いは、まだいるからね。ただ驚いただけなんだ」
そう言う男性の表情からは、憂いが感じ取られる。この世に存在しているにしても、それはあまり良くない状態で、なのだろう。
だが、どんな状態であってもこの世に存在しているなら、その人物を基には出来ないはずだ。
「あの、その方はどんな方なのですか?」
少しだけ気になった。姿が似ている自分が、果たしてどんな性格なのか。基になった可能性は低いとしても、もしかしたらその人物の遠縁にあたるかもしれない。似ている部分があるとしたら、少しだけ嬉しい、気がする。
「そうだね、芯の強い人かな。僕が悪いことすると、叱ってくれるんだよ」
「悪いこと、するんですか」
「仕事上、しちゃうこともあるね」
それ以上突っ込むな、と暗に言っている笑みを浮かべた男性から、背筋に悪寒が走るのを感じ、口を噤んだ。
「ああ、それと、可愛いかな」
臆面もなく愛しそうに言う様から、Ⓑはそれを感じ取っていた。
「好きな方なんですね」
心が温まる感情。それは朝市の店主達がデイビッドに向けるそれに近いものであるし、デイビッドがⒷに向けるそれにも近い。いくつもの好きがあるのだと、それなりに知っているⒷとしては、それらの好きと一致するかは判断できないが、嫌いではない感情であった。
ユーゼフは少しだけ目を見開き、面白そうな笑みを浮かべる。
「お世話タイプの君に、それを見破られるなんてね」
「環境に、恵まれているようです」
本当に恵まれている。かつての主人がⒷに向けていた気遣いは、ただ高額で購入した便利な道具が早々に壊れてしまわないかという不安からだったのだと理解できたのもそのお陰だろう。
だいたいのヒューマノイドが、一主人でその役目を終えてしまうのに対し、二人目の主人を持てたことにⒷは自身の幸運に感謝していた。
デイビッドが正しいのか分からない。それでも、前よりは確実に良い。
そう確信できているからこそ、Ⓑの表情はヒューマノイドのそれと思えないほど穏やかなものであった。
Ⓑの表情を見た男性は、ぽつりと一言呟いた。
──変わるものだね。
Ⓑには聞こえなかった呟き。え、と聞き返しても男性は微笑みで誤魔化した。
それからは、ただ取りとめもない世間話に華が咲いた。
陽が傾き始めたころ、男性のリムジンでⒷは、元いた街へと送ってもらった。本当は家まで送るはずだったが、誰かに見られたらまずいかもしれないと危惧したⒷが、それを遠慮したのだ。まだ用事があるので、と理由を付けて。
「いつでも歓迎するよ。だから、また遊びに来てくれないかな」
そう言って、少しだけ男性は寂しそうに笑った。
結局名前も聞きそびれてしまったため、男性が誰なのかは分からない。住所から割り出せば良いのだろうが、名乗らないのは何か意味があるのかもしれないと思い、無粋な真似はしなかった。
家に帰りついたⒷは、玄関にデイビッドの靴があるのに気づいた。
珍しく早い帰りなのだなと驚きつつ、リビングに歩みを進める。そこにはデイビッドの姿はなかったため、おそらく書斎にいるのだろう。
先に片付けてしまおうとキッチンに入り、買い物袋から中身を取り出していく。その時、デイビッドがひょっこりリビングに顔を出した。
「おかえり、Ⓑくん」
「はい。ご主人様も、お疲れ様でした」
「うん
……
」
そう言って、デイビッドはⒷの背後から抱きつく。ホント疲れたよー、と深いため息を付きながらⒷの肩に顔をうずめて、ぴたりと止まった。
「知らない香りがするな。誰かと会ってたのか?」
確かに、今日出会った男性は、彼にぴったりなフレグランスをつけていた。だが近くにいたのは車で移動する際、隣に座ったぐらいだ。それぐらいで香りが付いたとしても、家に帰っている最中で消えてしまうだろう。
だがデイビッドは、そのわずかな香りを嗅ぎ取ってしまったらしい。
「あの、買い物の最中に人とぶつかってしまって
……
。その時、その方のフレグランスがうつってしまったのかも」
嘘をついた。
ヒューマノイドは嘘を付かない、そう作られている。だが、Ⓑは嘘をついた。
それはまるで、子供が生まれて初めて親に嘘をつくような心境だったかもしれない。怒られることだと分かっていてもそれをしてしまった子供は、たとえ苦し紛れでも保身のために嘘をつく。それが、嘘をつき始めるきっかけだ。
Ⓑも、おそらくこれはデイビッドにとっては喜ばしくないことだろうと、感づいてはいた。けれど逃れることができなかった。ならばせめて、彼に不快感を与えるわけにはいかないと、上手に見える嘘を吐いたのだ。
「あそこら辺に、こんな金持ち趣味のフレグランスを使ってる奴がいるとは思えないけどなぁ」
しかも品が感じられる、とデイビッドは付け加えた。
「ひゃ
……
っ」
いきなりのことに、Ⓑは思わず声をあげる。まるで匂いを取るためのように、デイビッドがⒷの首筋を舐めたからだ。
驚いて顔をデイビッドの方へと向ければ、彼はあの時と同じ笑みを浮かべていた。
出会った日、以前の主人の記憶を消すためにリセットしようかと言った時と、同じ笑みを。
「なあⒷくん。俺は独占欲強い、て言ったよな。誰と会っていたかなんて、Ⓑくんにもプライベートがあるから詳しくは聞かないけど
……
でもせっかくなら、痕跡はちゃんと消さないと、な?」
俺の為にも、Ⓑくんの為にも。
デイビッドはⒷの顎をつかむと、無理矢理口付けた。その行為にも、ただ目を見開くことしかできない。知識としてはあるが、それは本来、恋人タイプにされるもので、自分はそういう対象ではないということしか理解できないのだ。
「もっと、ゆっくり育たせようと思ったのに。誰かの跡をつけてるⒷくんが悪いんだぞ」
震える声で、デイビッドの名を呼ぶ。だが、デイビッドはそれに、先ほどからの笑みで答えただけだ。
「せめて、優しくしてあげる」
笑みの裏にある感情とはまったく違った、酷く優しい声音でデイビッドはそう言った。
ぼんやりと、珍しく思考回路が初めからフル回転しない状態でⒷは目を覚ました。たとえ何があっても、設定された時間に起動する機能は無情だ。
ただ、思考回路の動きがおかしいのは、昨夜デイビッドからされた事だけのせいではない。目覚めた瞬間に、何かが過ぎったからだ。かの男性の屋敷で紅茶を飲んだときよりも、今度は映像というはっきりとした形で。
しかし、誰かが目の前で微笑んでいたその映像は、その誰かの顔がぼやけていた。その周りは、まるでどこかの研究室のようだと判断できるほど、はっきりしていたのに。
──貴方は誰?
そう問うても、ただの映像に答えなどない。
やがて動き出した思考回路に我に返り、Ⓑは辺りを見まわした。Ⓑのいる場所は、昨夜引っ張り込まれた時と同じようにデイビッドの寝室だ。
──へぇ、お世話タイプでも、感じることはできるんだな
──たまんない、Ⓑくん、可愛い
──まだまだ、許さないぞ
──ほら、お願いしてみて。俺が言ったとおりに。そうしたら
……
昨夜のことを思い出した瞬間、オーバーヒートを起こすかもしれない危機感を得た。
一体あれがなんだったのか。どうしてそれをデイビッドが自分に求めたのか、分からないことばかりだった。
もし、一般的な考えから導き出される答えが正しいのだとしたら、つまりはそういうことだ。
「でも、俺は
……
」
Ⓑはお世話タイプだ。もしそういうことを望むのなら、恋人タイプの方が要望に応えられる。お世話タイプは、まったくもって色恋沙汰に向いていない。
しかし、Ⓑは自身に芽吹き始めたものも感じ取っていた。
それは昨日、あの男性との会話ではっきり確信したものであったし、たとえお世話タイプのヒューマノイドからしてあり得ないことだとしても、セバスチャンからのお墨付きをもらっているのだ。
自分は、特殊なのだと。だから、そういうことがあるかもしれない。
それは、普通のヒューマノイドでは感じることができない、分からないことかもしれない。だがⒷには感じられる、なんとなくでも分かる。それが、何故か嬉しく思えた。
寝室には、すでにデイビッドの姿はない。昨日の帰りが早かったため、もしかしたら今日は早い出勤なのかと、辺りに散らばっている服を身に着けながらⒷはリビングへと出た。
そこには、キッチンカウンターでぼんやりとコーヒーを飲んでいるデイビッドがいた。
「
……
っぷ、」
思わず噴き出したⒷに、デイビッドはゆっくりと視線をやる。くすくすと笑い続ける姿を、不思議そうに見た。
「Ⓑくん?」
「すいません
……
なんか
……
くくっ」
まるで主人に怒られてしょげている犬のようだ、とデイビッドを見て思ってしまったのだ。
何に対してしょげているかは、分かっている。昨晩のことに対してだろう。だがⒷには覚悟ができていた、それを許せる心も持てている。デイビッドが気にすることではないのだ。
「大丈夫ですよ、デイビッドさん。俺は、大丈夫です」
Ⓑは相手を安心させる笑みを、思いつく様で浮かべた。それが功を成したか、デイビッドは少し情けなく笑い返す。
「昨夜はごめんな。ちょっと暴走した」
「いえ
……
あ、あの
……
」
昨夜の行為は恥ずかしかったが、それでも嬉しかった。
そう伝えようとして、また熱があがる。伝えることでさえも恥ずかしさを感じるのかと、歯痒い感情にⒷは困ったように眉を寄せた。
じ、とその様子を見ていたデイビッドは、何かを感じたのだろう。Ⓑを引き寄せ、その腕の中に閉じ込めた。
「うん、そっか」
嬉しそうな声音で、勝手に納得する。
大丈夫と言った言葉も、彼がデイビッドから逃げないことも、それはヒューマノイドのプログラムからではなくⒷの心からのことだ。
それをデイビッドは感じ取っていた。
言わなくとも、理解してもらえたのかとⒷは驚きつつ、それでも嬉しそうな笑みを浮かべる。
「って、デイビッドさん仕事は?」
「おお。今日は休みだ!」
だから今日はデートしようなー、と付け加える。
急なことなのでしっかりしたプランはないが、それでも二人で街を歩けばきっと楽しいだろう。
そう語るデイビッドを、ただⒷは笑みを浮かべて見つめていた。
彼に残された時間は少ない。昨日の整備検診時のセバスチャンの言葉は、しこりのように残っていた。
とある雑貨店の前で、ちょっと待っててとⒷを置いてデイビッドは店に入っていった。一緒に入っては駄目なのかと問えば、外で待ってたほうがいろいろと良いぞ、とよくわからない説得をされてしまい、Ⓑは致し方なく外にいることになったのだ。
手持ち無沙汰でもあり、とりあえず周りを見渡した。
ふと、道路をはさんだ向こう側にあるカフェに見覚えのある姿を見つけた。女性陣の注目を集めている黒髪の男性は、セバスチャンだ。
外にあまり出ないイメージを抱いていたため、少し意外にⒷは感じた。
そして、セバスチャンの正面に座る男性に目を見開く。
記憶に新しい、美しい金色の髪を持つ、あの男性だ。
一体二人はどんな関係なのだろうか。住んでいる所からしても、雰囲気からしても、まったく接点なんてなさそうだ。
気になる。多少、聞き取りの設定音量をかえれば、二人の会話は聞こえるかもしれない。
それが悪いことだとは分かっていても、どうしようかと悩んでいる時、優しい手つきで耳を押さえられた。
大きくて暖かい手。
すでに店から出てきていたのだろう。
「ご、しゅじんさま
……
?」
「好奇心は身を滅ぼすぞ」
首元で囁かれ、くすぐったさに身をよじる。それから、先ほどのカフェにⒷが視線をやれば、二人の姿は消えていた。
デイビッドはそれからゆっくりとⒷの耳から手を離し、待たせて悪かったな、と言う。Ⓑがデイビッドへと振り向くまで、彼の視線もまたカフェから外されることはなかった。
その視線の意味は、どこか暗い感情が込められていた。
◆ ∽ ◆
数日後、デイビッドはセバスチャンの整備部屋に訪れていた。
「この前、一緒にいた奴って、あの社長だよな
……
?」
整備目的以外で訪れるなんて珍しいとセバスチャンが思っていれば、開口一番にデイビッドはそう言う。
あのカフェでのことを言っているのだ。
「それを聞いてどうする
……
?」
「隠すのか?」
そうじゃないと、セバスチャンは首を横に振る。
「今のお前は危うい。その勢いのままだと、Ⓑが傷つく」
セバスチャンはデイビッドを通し、ある人物を思い浮かべていた。
性格や育ちなどはまったく異なっているのに、本質が似ている。そんな人間が引き起こす結果は同じではないのか。だとしたら、一番の被害はⒷにいってしまう。
そう危惧しているのだ。
「お前がいるのはここじゃない。時間があるなら、Ⓑと一緒にいるべきだ」
その言葉にデイビッドは首を捻る。
「どういう意味だ? まるで、Ⓑくんがいなくなるみたいに
……
」
セバスチャンはデイビッドから目を背けたままだ。彼はⒷとの約束を守ろうとしている。そう長くはないことを、デイビッドには言わないことを。
何故Ⓑが望んだのか。おそらくそれは、彼の主人を悲しませたくなかったからなのだろう。
その考え方に、セバスチャンは心が鷲摑みされるような思いを抱いた。考えないようにしていた過去の出来事が、まざまざと彼の脳内に広がったのだ。
その中心にいた人物と、あまりにも似ている考え。大事な人を悲しませたくなかったのに、結果的にその大事な人を狂わせることになってしまった出来事。セバスチャンは、その人物との約束を守り、ただ静観していた。
それが本当に正しかったのか。彼はいまだに悩み続けている。
「セバスチャン
……
?」
「帰れ。今日も休みなら、少しでもⒷと一緒にいろ」
デイビッドの背を押して、無理矢理部屋から出させる。それから、ドアを閉めると鍵をかけた。
「分からない
……
分からないんだ」
あの時、約束を破って言っていれば今こんな事態は起こらなかったのか。同じ苦しみを抱く存在を増やすことはなかったのか。ヒューマノイドであるⒷという悲しい存在は生まれなかったのか。
答えは、いまだ見出せない。
仕事が休みだというのに珍しく、デイビッドがⒷを家に置いてけぼりにしたことに、Ⓑは少しだけ不服であった。ふてくされたような表情で、リビングで洗濯物をたたんでいく。
仕事などの止むを得ない時以外はⒷと一緒にいる、もしくは一緒に出かけるようにしていた。それなのに、デイビッドは一人で出かけたのだ。
さらに、もう一つ気にかかることがあった。
ちょっと行ってくるな、そう告げた顔はいつもの明るい笑みであったのに、Ⓑは妙な胸騒ぎを感じたのだ。
それが何を示しているかは分からない。でも、確実に嫌な感覚ではあった。
洗濯物を畳む手を止め、Ⓑは不安げな表情でため息をこぼす。
「何もないと良いけど」
その瞬間、何かが弾けるような小さい音が聞こえた。それに続いて、視界が明滅する。
「ああ
……
そっか
……
」
それが何であるか、Ⓑはすぐに理解した。
明確な時期は分からなかったが、時折起こる不調からそろそろなのだろうと、ある程度の覚悟はしていた。ついにその時が来たらしい。
(せめて、最後は彼といたか、た
……
な)
──ブツッ。
何かが切れる音が、静かな家の中で響いた。
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