ツキシキ
2024-03-04 22:05:25
15548文字
Public
 

★Unlight(アンライト)まとめ

4作品。二次創作。タイレル、C.C.、クレーニヒ、メリー、グリュンワルド、ルート、ヴィルヘルム。


亡国兵のアルカディア


 聖女は幽玄へその身を還してしまった。

 もはや館に帰る意味すら無い。これが物語であれば初めから読み返す選択肢もあったろうが、生憎これはあくまで終わりなき俺の生の一綴りだった。
 全ての記憶はまだ取り戻せていない。まだ靄となって残る何かはもはや陽の目を見ないまま、埃をかぶって捨てられてしまうのかもしれない。

 探すように視線を彷徨わせれば、導き手の静かな瞳と目が合った。もうこの異世界に俺の落とした記憶はないのだと、静謐が確かにそう告げる。血痕塗れの想いの欠片を探し求める必要は、もう無いのだ。
 求めるものを無くした虚しさ、終えるべきところで終えられた聖女への羨望。俺の喉は絞め上げられる。
 漠然とした沈黙を補うように、導き手は語りかけてきた。

「他のヘラルド達は皆、地上へと向かいました。ヴィルヘルム。あなたはどうするのですか?」
……俺は」

 口を開き、閉じる。足はいっこうに動かない。
 一時的に与えられた仮宿はやはり仮でしかなかった。……元々そんな気はしていた。安息の地というものには結局とんと縁が無かった。
 ならば戻るべきは忠義を誓った国か。

「殿下も、地上へ向かわれたのか」
「はい。共に行こうと」
「そうか……

 ――――その誘いを俺は聞けなかった。

 茫漠と広がる未来の標を失い、俺はしばし途方に暮れる。代わりに過去へと記憶が縋る。



◆◆◆



「クルト少佐。私は生前の記憶をある程度取り戻したようだ」

 殿下の口調はほとんどが無味乾燥であり、導き手とよく似通っていた。例外として高揚を聞き取れるのは、御自ら嗜好を満たす時に限っていたように思う。だから、たとえ話題が自らの存在意義に関わるものでもやはり、彼の口調は淡々としていた。

「そ、れは。……何よりです」

 動揺したのはむしろ俺の方だった。脈絡のない報告に返すべき反応を見失った結果、なんとか絞り出したのはそんな何にもならない慰め一つだった。しかし、殿下がそれを叱責することは無かった。そもそも人の不出来を諌めるような方では無い。殿下の立ち振る舞いはこの異世界においてもまったく同様だった。
 そんな殿下がわざわざ俺に告げるのであるからには、殿下の利害となる何かがそこにあるはずだった。
 殿下は常に自身の立ち位置を熟知している。だから俺も自分の場所を定めるべく問いかけた。

「ではこれから、どうなされるおつもりなのですか」

 数多と広がる問うべき事柄の、最も優先すべきものがおそらくそれだった。
 殿下の瞳に迷いはない。

「暫くは現状に甘んずる他無いだろうが、いずれは地上へ戻る心算だ。それで、」

 そこで殿下は言葉を切り、真っ直ぐな瞳で俺を射抜いた。

「少佐はどうする」

 問われた中身より、問われたことに驚いた。
 意外だった。彼の瞳に俺が映されていたそのことが。
 俺の唇に少しばかり熱がこもった。

「殿下にお供させて頂きます」

 すっ、と殿下は目を眇めた。言葉の裏を探られるような視線だった。つい口を引き結ぶ。危うく零れ出そうな打算を戒める。
 殿下のためだと、心から言えるのであればそれは忠義だろう。しかし、俺の求める居場所は“殿下”ではなく“ロンズブラウ”だ。
 遠く近く、記憶の欠片の中で俺が担いでいた殿下の御身は、重かった。だがそれは義務からなる重さだった。あくまでも、忠義を喪う哀しみでは、なかった。



◆◆◆



 やがて殿下は、ふいと俺から視線を外した。俺に隣で在れと命ずるような、安らぎは与えてくださらなかった。常に背筋の伸びた高貴たるこの方は、もとより安寧と程遠い。

「いずれにせよ、私は往く。此処は死が軽すぎる」

 そう言う殿下の瞳にあったのは、明らかな失望だった。そしてその失望は併せて、俺にも向けられるべきものだった。
 気まずさに目を伏せる。それを赦さぬとばかりに、殿下は続けて口を動かした。

「ロンズブラウは滅んだのだろう」
「っ!」

 殿下は、聡い。俺はただ頷く他無かった。
 殿下は再び地上で玉座を築くのだろうか。崩御の全貌を知らない俺にはその玉座がどこにあるのかすらわからない。それでも俺は口走ってしまう。

「ですが、殿下が戻られればロンズブラウは再び、」

 俺の言葉は冷徹に遮られた。

「いや。私はあの国で為すべきこと全てを為した。もはや此処にも用は無い。私は私の国を為す」

 楔のように。記憶と伝聞の中で現実感の無かった俺にとって、その言葉こそがロンズブラウの真の滅亡だった。

「殿下、貴方は…………

 殿下はそのまま身を翻し、言うべきことは言ったとばかりに颯爽と去っていく。


 そして後には王と国に見捨てられた、民ですらない兵士が残ってしまった。



◆◆◆



 殿下の言葉は一切を違わなかった。此の世界が終わるこの時、殿下は塵一つ残さずその身を幕の先へと投じた。それが全ての答えだ。

 そして今。
 人形の靴が一歩、新天地へと導く路へ踏み出す。
 何処からともなく溢れる光は、地上のものなのだろうか。曇天に覆われた死と血の世界は、ここで本当に幕を下ろすのだろうか。
 優美に、魅せるように、彼女はこちらを向く。

「あなたは、どうするのですか?」

 極めて硬質な口調で、問いは再び投げられた。
 ……眩しい。
 導き手は逆光となって俺に影を落とす。また俺は、俺だけが、ずるずると望みもしない戦乱に足を引きずられるのでは。そんな考えも頭をよぎる。
 それでも俺の足は、前へと踏み出した。確固たる何かによるものではなく、盤上を弾き出された駒に等しい動きだった。

……

 頷く導き手の顔は見えない。人形に表情というものを期待する俺は、少し自棄になっているのかもしれなかった。正も誤も要りはしなかったが、俺がただそこに立つことを許されるだけの何かは欲しかった。
 だから。

「あなたの答えに感謝します」

 導き手の温度のない口調はしかし、確かに俺の耳を美しく撫でる。

 ――――同じような言葉を、あの血色のない唇からも紡いで欲しかった。

 似た口調に殿下を想起させながらそれでも、当然叶わぬ夢だと俺の欠けた記憶が囁く。

「君は、どうするんだ?」

 空いた穴を塞ぐように、俺もまた問いかける。
 導き手はただ光を見据えていた。



 誰もの過去をその手で手繰り、誰もの過去に存在しなかった人形は、此処で初めて自らの物語を提示する。
 伸びきった糸に引かれ続けている俺とは正反対の、意志を宿した声が響く。

「導きます。次なる時代でも、異なる時代でも、あなたたちの繋ぐ歴史であるならば」






『亡国兵のアルカディア』了