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ツキシキ
2024-03-04 22:05:25
15548文字
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★Unlight(アンライト)まとめ
4作品。二次創作。タイレル、C.C.、クレーニヒ、メリー、グリュンワルド、ルート、ヴィルヘルム。
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0の魔法と1の呪い
活字が敵国の姫と王子の悲恋を謳いあげる。夜闇が互いの姿を隠し、草いきれの中、月明かりが興味本位で自分達を覗き見ないようにと祈っている。
クレーニヒはそんな二人を凪いだ心で眺めていた。
瞳に映るのは確かに文字だけのはずなのに、頭の隅では空想の情景を眺めることができる。はたして視界とはどこに広がるものなのか。眼球を通じて脳に映されるスクリーン、連想を通じて滾々と湧き出る瞼の裏。演劇であれば席を立てば良いし、本であれば活字を表紙で押し潰せば良い。しかし最悪なことに、クレーニヒしか持たない、かの映像は映写機を壊すことでしか止められそうにないのだった。
ちらちらと視界の端でゼンマイ型の草木が揺れる。それを意識してしまうともう駄目だった。
結晶の浮かぶ水溜りが現れ、本を置いていたテーブルに重なり合う。即座にクレーニヒが瞼を閉ざそうとすればその直前、遮るように紫色の汚泥に似た何かが向かいの空き椅子から這い上がってくる。二重三重にぶれる視界はクレーニヒの脳を容赦なく揺らす。
全てが幻覚だ。
「あら、ご機嫌は芳しくなさそうですわね?」
だからクレーニヒは、この鈴の鳴るような声も幻聴だろうと思ったのだった。
どこからともなく現れた、と言うにはいささか目立ち過ぎる桃色の衣装も、その少女を幻と思わせるのに十分だった。だが、逆にその衣装こそがクレーニヒの記憶を刺激した。話したことこそないものの見覚えはある。ただ名前を思い出すのに少し時間がかかりそうだ。
その間に彼女はクレーニヒとの距離を詰めていた。
「顔色が真っ青ですわ。どなたか呼んで来ましょうか?」
「
……
悪いけど、放っておいてくれないか」
「そうもいきませんのよ。わたくし、どうしてもこの席に座る必要がありますの」
この席、と言いながら少女はクレーニヒの前にある空席を手の平で指し示した。そして許可を待つことも無く、優雅な仕草で椅子を引く。少女のリボンが、膿と泥濘に塗れた椅子を愛おしげに撫でた。
少女は座面も見えない椅子へと躊躇いなく腰かける。生々しい水音、泥の飛沫、饐えた臭い。それらは向かいのクレーニヒのところにまで届いたが、少女は一切気にしていないようだった。
とすればあの粘った液体も幻覚なのだろう。「汚れてしまうよ」だなんて余計なことを言わなくて良かった。クレーニヒは内心で安堵する。
「ねえ、せっかくのご縁ですもの、歓談に興じませんこと?」
「
…………
調子が、良くないんだ」
クレーニヒは誰にでも使ういつもの断り文句を口にする。しかし少女はめげてくれなかった。頬杖をついてクレーニヒを見つめながら、にっこりと微笑む。
「ご加減が宜しくないのは見てわかりましてよ。
観測こそわたくしの使命。そして、観測者が自ら介入するのは数多の可能性への冒涜だということも理解していますの。けれども今回ばかりは許されるのだと、不可視不定形の方はおっしゃいましたわ」
「
…………
」
一方的だった。いや、初めからそうだったか。彼女の流れるような話しぶりは、異国の文字列を想起させる。
メリー。
彼女の名前。解読できなかった記憶の断片が唐突に形を成す。見えない誰かに囁かれたかのようだった。しかしその声は二度繰り返されることはなく、代わりに見える彼女が言葉を紡ぎ続ける。
「その本、見たところ途中のようですけれど。どんなお話ですの?
闘志湧きあがる革命物語? 郷愁を擽られる冒険譚? それとも琴線を揺り動かす叙情詩かしら。貴方、お好きな作家はいらっしゃって?」
「
……
別に期待するような話ではないと思うけど。作者も
…………
劇作家だったかな。名前は知らなくて」
クレーニヒは訥々と答えながら、表紙を見ようとして、ふと手を止める。
本を読むとき、自分は一人だ。周りに気を取られることも無く、誘いこまれることも無く、物語という装置を通じて自らの内部へと没入できる。
今も自分は館内に割り振られた自室に引きこもっていたはずだった。だというのにメリーは不躾に部屋へ立ち入って────来たのだったか?
扉の軋む覚えがなかったのは、また別の幻聴に紛れてしまったからなのだろうか。
クレーニヒの思考は、よどみなく続く言葉で中断される。
「作家にこだわりはありませんのね。確かに、どんな物語も語り手を問わず一粒一粒が尊いものですわ。集約された可能性が産み出す物語はなべて麗しくあるべきだと、わたくし思いますのよ。そうでなくてはわたくし達の生は灰色に落ち窪んでしまいますもの」
彼女の声は不思議と耳に優しい。内容はクレーニヒの理解の及ぶところではないが、何故かその声自体に惹きつけられる。彼女が正と言えばそれは正なのだと頷きそうになる自分が居る。興味がなかったはずの悲恋物語が貴ばれるべきものに思えてくる。
どうしてだろう。少女の腰かける椅子からは未だ異臭の泥が溢れていて、桃色の衣装は浸食されるように薄汚れた染みが広がっていて、目前の少女の顔面には鋭い針が飛び出ていて、もはや堪え難い光景だというのに。声ばかりが心地よく、ただそれだけのためにどこまでも身を委ねていたくなる。
だから、
「でも私、最後の一頁は大嫌い」
吐き捨てるメリーの声が酷く場違いに聞こえて、クレーニヒは思わず目を瞬かせた。
氷柱で貫かれたかのような、衝撃。
今のは、今の感覚は、なんだ。
「なんて。過激だったかしら。でも本当ですわ」
我に帰りかけたクレーニヒを、また少女の声が彼方へ迎えやる。氷が瞬時に溶けるがごとく、声は少女らしく甘ったるいものに戻っていた。耳を塞ごうにも酩酊感が邪魔をする。せめて気を逸らそうと、広げたままの本の頁に目をやるが、幻覚の泉で舞い踊る文字列は何の役にも立ってくれない。
────むしろ何故自分は彼女を拒もうとしているのだったか?
クレーニヒの視線は、吸い寄せられるように少女の元に戻る。少女は悩ましげに眉を下げて、愛らしい仕草で同情心をくすぐる。
「結末。結論。そこに辿りついた途端、可能性は絶対の形で確定されてしまいますの。筆舌尽くしがたいほど虚しいことですわ。絶対の1の前に、可能性の0はただ無力ですのよ」
「
……
無力」
少女の言葉の意味するところはわからない。ただ、常日頃からクレーニヒを苛む言葉だけを意識が拾いあげられて、知らぬ間にその単語を呟いていた。
無力。
無力の価値を彼女はきっと知らない。
無知な少女は一転、出来た生徒を褒める教師のように大人びた態度で微笑む。
「そう、無力。こうなるかもしれない、こうなったらいいな────そんな夢想は目が覚めた途端失われましてよ。だからこそ皆、0の尊さに気付かず1を求めてしまうのかもしれませんわね。
よくありますでしょう?
何でも願いを叶える手
・・・・・・・・・・
が主人を破滅させてしまうおはなし」
ひゅっ、と。息を飲む。危険信号の理由が分かった。少女はクレーニヒの傷をさらに甘い毒で腐らせようとしている。その傷跡がある部位は手ではなく、背だ。
そういえば、と今になってクレーニヒは恐るべき事実に気づく。異常と幻の境に立つクレーニヒだからこそわかる異常だ。
化物
あれ
は、どこに。
クレーニヒの気付きを拾いあげるように、少女が先んじて言葉を発する。
「記録しましたのよ、わたくし」
「
……
何を」
「貴方が辿りうる全ての可能性を」
不確定に埋もれてしまいそうなこの場所で、その言葉はあまりに尊大だった。全知を示す少女に、クレーニヒは精神病と疑われることすら埒外で問いかけた。
「
…………
だったら教えてほしいんだ。あの化物は、」
消えてくれたのか。
続く言葉は言い切れない。
カタンと控えめな音。椅子が引かれ、床と擦れる音。身を乗り出したメリーの、細く白い指先が、クレーニヒの口元にそっと押し当てられていた。
「貴方の0は1に変えられてしまっていますの。わたくしにはどうしようもないこと」
1も0もどうでも良い。わけがわからない。明快な答えが知りたい。そうクレーニヒは叫びたかった。唇に触れる丸い指先を食い千切りたい衝動にすら駆られた。けれどもそれは叶わなかった。
────
叶わない
・・・・
。そんなことが彼に起こり得るのか?
いくつかの引っかかりがついに破れ目となり、クレーニヒを覚醒へと導いていく。立ち上っていた幻覚の数々はさざ波のごとく引いていく。棘だらけだった少女の顔面はいつの間にかあどけない顔つきをしていた。
あらゆる境界線が色を濃くしていく。ステッキを振って魔法をかける、そんな詠唱代わりの蠱惑的な声色が遠のく。
少女の口調が冴え冴えと、冷えた。
「でもね、それでも思ってしまうの」
残る鋭い声は、はっきりと意思を示すもの。
少女は演者の衣を脱いで、一人のメリーが大きく息を吸う。
「あなたってずるい。私だって望み通りの結末を見たかったのに!」
魔性の声はダダをこねる甲高い嘆きに変わり、見当違いのやっかみが姿を現す。幕は下り、最後の頁、映写機は崩壊しつつある。
ゆえにクレーニヒの呪縛は解かれた。頬が引きつり、歪な笑みを作りだす。もしもここに鏡があれば、その口元はどこか非現実的な
化物
あれ
を思い起こさせるはずだ。
衝動が、望みの根源が、絶対的な力となってクレーニヒを震わせる。
「
……
ッ」
クレーニヒは突きつけられていた少女の指先を掴むと、その華奢な身体を無理やり引っ張った。机も椅子も本もリボンも細い手首も虹色の汚泥も結晶体の湖も夢も現も何もかもが蹴散らされる。けれどもクレーニヒの知ったことではなく、彼は自分の心が吠えるまま、あらん限りの力で怒鳴ってやった。
「うらやましい? なら代わろうか!?」
人に怒鳴るなど初めての体験だった。叫ぶと同時、喉がひりつき、視界が暗転する。メリーの表情を見ることもないまま────
きちんと呪詛は届いただろうか。クレーニヒの脳裏にそんな想いが浮かび、消える。
◆◆◆
テーブルに伏していたクレーニヒは、身を起こすなりすぐさま辺りを見回した。メリーの姿は無く、読んでいたはずの本も無い。内容すら思い出せない。奇怪な色の汚泥や異質な水溜りは雫すら残していなかった。
「ぃ、」
声を出そうとすると喉が驚きを訴えて、何度か咳き込む羽目になった。無理やり唾を飲み下して、なんとか掠れ声を出す。
「今のは現実か?」
クレーニヒは呟いた。独り言、にはならない。背に寄り添う幻獣が受け取り、哂う。薄気味悪い半月を久々に見た気がした。
『現実にしたいのか?』
その言葉はクレーニヒのあまねく疑問を諦念に変える魔法の言葉だった。だから、クレーニヒは深くため息を吐き、それまでずっとしてきていたように、あり得る物事を見ないふりをした。
謎は放り投げられ、忘れられる。解明しても抗えないものは存在するのだ。何故わざわざ徒労をかける必要がある?
背でクツクツと不快な笑い声がする。
合わせて鈴の音に似た少女の笑い声が聞こえた気がした。
やはりこれも幻なのだろう。
でなければまた、夢に違いなかった。
『0の魔法と1の呪い』了
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