リューの勤務先はショッピングモールの二階に店を構える雑貨店。いつの間にやら五年が経ち、年数だけは中堅の立場になってきた。とはいえ勤務歴の長い人は余裕で二桁を超えるため、リューなどまだまだ下っ端扱いである。
仕事の内容は主に店頭に立っての接客と時折入るプレゼント包装、都度の品出しくらいのものだ。手先の器用さを買われている自覚はあれど、上に立ちたい欲や難しい職務をこなしたい願望は一切ない。リューにとってここでの仕事は楽しくて気楽でまさに天職だった。
五年もいればそこそこの忙しさにもアクシデントにもある程度耐性はつく。そんなリューでもこの火曜日は稀に見る大変な一日だった。平日とは思えない客足の多さに加えてスタッフのひとりが急な体調不良で欠勤。悪いことは重なるものでレジの調子までおかしくなった。
システムメンテナンスとのやりとりは二桁年数勤めているパートの主婦が対応してくれた。が、次々やって来る客の相手はリューの担当だった。ひとりでは目の前の客を
捌くので精一杯。レジが直ったあとも通常業務はどんどん後手に回っていき、閉店時刻までずっと仕事に追われる羽目になった。
身体はくたくた、足は棒になっていた。帰宅後はアンと会話をする元気もなく、簡単に夕食と風呂を済ませてとっとと寝てしまった。
残念なことをしてしまったなぁ、とは後から思ったことだ。同居人であるアンにしてみれば
もしかすると都合が良かったかもしれないけれど。
翌朝、目が覚めるとアンは既に起きていた。明るいリビングにコーヒーの良い香りが立ちこめている。
リューに気づいたアンが足早にカウンターキッチンから出てきた。朝一番に好きな人の笑顔が見られるのって最高だな。そんなことをぼんやり考えていると、彼女は驚くことを言ってきた。
「誕生日おめでとう」
「えっ!? あ、そういえばそうだっけ
……。よく知ってたねアン」
「まあね。
……いろいろ書く機会が多かったし」
小首を傾げ、何かを思い返すようにアンは視線を宙に逸らす。リューは苦笑いを返すしかなかった。入退院の手続きに始まり新居や引っ越しの手続き諸々、全てアンに任せっきりだったせいだ。
彼女曰く「本当は日付が変わった瞬間に言おうと思ってた」とのことで
……。申し訳なさがチクリと胸を刺したが、それ以上に喜びが押し寄せてきてリューは泣きそうになった。
そこであっと気づいた。
「もしかして今日休みを取れって言ってたの、俺が誕生日だから?」
「今頃? じゃあ、なんだと思ってたの?」
「てっきり有給がまだ残ってるのかなぁって
……」
「呆れた」
胸の前で両腕を組み半眼を閉じたアンに、あははと笑って返す。すると彼女は気遣わしげな眼差しを向けてきた。
「映画は行けそう? 昨日はだいぶ疲れてたけど」
「全然大丈夫だよ。ひと晩寝たらスッキリ」
「じゃあリューは朝ご飯食べてて。その間に着替えるから」
「アンのご飯は?」
「もう食べた。はい、座って」
「あ、じゃあアン着替えてきてよ。朝ご飯くらい自分で
……」
「いいから座って。あたしがやるから
……リューは誕生日なんだから」
むっとした顔で両肩を掴まれたリューはそのままくるりと身体を反転させられ、問答無用でテーブルに追いやられた。待っててと念を押されたので素直に頷く。
おとなしく席に着き、キッチンの中を行ったり来たりするアンを眺める。調理器具の立てる金属音がしていたかと思うと何かを焼く音が聞こえてきた。リューは頬が緩むのが抑えられなかった。こんなに幸せな誕生日があっていいんだろうか。
この匂いはなんだろう、卵かな。オムレツだったら嬉しいな。アンの作るオムレツはチーズが入ってて絶品なのだ。
ふと思い立ち、リューはキッチンに回った。ちょうどアンがフライパンを揺すってオムレツを畳んでいるところだった。見るからにスライスチーズを包んでいたであろうフィルムが、ボウルのそばに置いてある。
「やった、チーズオムレツだ」
「えっリュー!? 座っててってば」
「あ、うん。飲み物くらいは自分でと思っ
……、え」
「あたしがやるって、
……あー」
冷蔵庫を開けたリューの目が丸くなった。二段目のスペースのど真ん中を占拠していたのはチェリータルトだ。手のひら大のサイズで、目一杯敷き詰められた赤いさくらんぼの中央にミントの葉が飾られている。
振り向けばオムレツを皿に移し終えたアンと目があった。こちらを見つめる眉間にはやっぱりむっと力が籠もっていて、でもうっすら頬が赤いところを見ると怒っているわけではなさそうで。
――ああ、これはいつもの〝照れ隠し〟だ。
なんともいえない多幸感がリューの全身を駆け巡る。対するアンの声にはほんのちょっとだけ良太を責めるような色が滲んでいた。
「帰ってきてからのサプライズだったのに」
「えっ
……。あの、ごめんアン
……。あのう
……俺は、何も見なかったってことで
……」
「もういいわ。一緒に住んでるといろいろ難しいってよーくわかったから。昨日作るところまではよかったけど、そのあとの置き場がね」
「
――えっこれ手作り!? アンが作ってくれたの!? 俺に!?」
リューはあらためて冷蔵庫の中に目をやった。オレンジ色をした庫内灯の光を弾くようにさくらんぼがツヤツヤキラキラ輝いている。「早く閉めて」と声が飛んできて渋々ドアを閉じたけれど、チェリータルトの残像はいつまでも脳裏に焼きついていた。
トースターの前に来たアンに抱きついた。悲鳴が上がったがこの際そんなことはどうでもよかった。心からの『大好き』と『ありがとう』の気持ちを籠めて口付ける。
「俺
……明日死ぬかもしれない」
「
――馬鹿なこと言ってないでさっさと朝ご飯食べちゃって。あたし着替えてくる」
赤い顔でむむむと睨んでくるアンがこのうえなく可愛い。
焼けたばかりのトーストとオムレツを両手で受け取り、リューは満面の笑みで快諾した。
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