外伝 硝子の窓辺に佇む【前編】

あらすじ
かつてこの国には名探偵がいた。あらゆる謎を解き明かしたその探偵は、悪の教典と共に暗い滝壺で眠っている。
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語__。
エマ=ジェームズ・ワトソンの元に奇妙な殺人事件の解決依頼が持ち込まれる。貴族家の女性が窓辺に佇むようにして死んでいたという奇妙な状況。さらにその事件には『魔女の絵画』という神秘の遺物が関わっている__。依頼の手紙にはそのような文面があった。依頼を受けたワトソンはシャルルマーニュと共に事件の捜査へ向かうが……?
中編➤ https://privatter.me/page/65b902c57d32f
後編➤ https://privatter.me/page/65bb2b071a723

「外伝 硝子の窓辺に佇む」開幕です!!!! ヤッタァ~~~~~~!!!! アマネセール家の皆さまを漸く書けるぜ~~~~~~!!!!の気持ちでいっぱいです!! 今回も長くなりそうですがお付き合いのほどよろしくお願いいたします!

スペシャルサンクス:Littorio様
アマネセール家の御家名、エストレア・アマネセール様、アドレナリーナ・アマネセール様にご登場いただきました。
今回はお名前だけですが、中編以降はガッツリ登場させていただきいっぱい喋っていただきたいなと思っております。
お名前をお貸しくださりありがとうございます。


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__11月
ベイカー・ストリート221B



火かき棒で暖炉の中の炭化した薪を掻き回す。家主である「それ」はカウチソファの上で丸くなっており、絶対ここから動きませんと主張していた。
俺__シャルルマーニュ・ハイドノーブルは、芋虫のようになってうとうとし始めた作家先生ことエマ=ジェームズ・ワトソンを揺すってみる。
彼は人ではない。この世の始まりを識る幻想種、原生神秘「原初の泡」。アンシーリーコートと呼ばれる雌雄同体の人魚、もしくは海竜なのだという。出会って一年程が経ったが、こうしてぐだぐだしている姿を見るととてもそんな風には見えない。

「ほぉ〜ら〜。起きろジェームズ。お前そこで寝たらまたうっかり人魚の姿に戻って酸欠の魚になっちまうぜ?」
「うるさい……私は寝る……」先程まで数日の徹夜を経て新作小説を書き上げたのだとぼやいていた事を俺は思い出した。「三十分後に起こしなさい」
「だからそこで寝たら酸欠になって死ぬ未来が俺には見えるんだけど」

俺の忠告は虚しく聞かれぬままにワトソンは眠り始めた。本来そこまでの睡眠は不要だと言っていたが、流石に五徹目はしんどいらしい。泥のように眠るワトソンはやはり危惧した通り一瞬で深い眠りへ落ちたらしく、段々と人の脚は尾鰭に変化し始めている。放っておけばあと五分もしないうちに、完全に人魚の姿に戻るだろう。

「しょうがねえな〜。よっと」

俺は驚くほど軽い彼を小脇に抱えてバスルームへ向かった。とりあえずバスタブに放り込んで、水を張っておけばこいつが干物になることは無い。文句を言わずに大人しく尾鰭をバスタブに収めた彼を見やり、俺は暖炉のある温かい部屋へ戻る。異様に寒いバスルームは本来極圏に棲息するワトソンら、人魚や海竜の丁度いい温度にされているためだ。
こっそり新作を読んでやろうかな、と放置されたノートパソコンに手を伸ばす。パッと突如画面が点灯し、ログイン画面が表示された。パスワードを入力しろと言っている。今時のパソコンは指紋認証が備わっているはずだが、と俺はキーボードを見る。確かに指紋認証機能はあるようだが、使われている形跡はない。パスワードを割り出すのは楽勝だ。俺は予想した文字列を打ちこみエンターキーを叩いた。

「あれ?」

パスワードが違うと表示されている。しかもあと三回間違えるとロックがかかります、という警告文付きだ。流石にロックがかかるのはまずい。俺はあと二回か、いけるかな、と逡巡してもう一つの文字列を叩いた。ダメだ、開かない。再入力を要求されている。これもダメなのかよ〜、とぼやきつつもあと一回。これで間違えたら二時間このパソコンはロックされ、俺は二時間きっちり説教される羽目になる。
いや待てよ。もしかして、と唐突に閃いた文字列を俺はすぐに打ち込んだ。

「『I am Sherlock ed』……これはどうだあ?」

数秒の後、画面に短く『Hello』の文字が表示された。やはりワトソンもあのドラマはしっかりチェックしていたらしい。
お前は本物を知ってるだろうがよ、と言いたい気持ちは抑えつつ、やったぜとガッツポーズをしながらフォルダを押して原稿を表示した。流石に用心深いらしくぶち込まれているファイルにも鍵がかかっている。

「勝手に人のパソコンを覗くな」復活して男の姿になっているワトソンが俺に話しかけた。「しかも原稿を読もうとするな」
「ごめ〜んね♡ 許〜して♡」
「キッショ」

すごい勢いで俺から距離を取るワトソン。傷つくんだぞ俺だって、とは思うが流石にぶりっ子しすぎた気もするので黙った。

……お前、何か要件があったから降りてきたんじゃないのか」
「そうそう。お前に来客がね。あと三十分もすれば来るぜ」
「ブラックドッグ。気配があればすぐに追い返せ」
「ちょちょちょちょ。話だけでも聞いてやってよ」
「断る。聞いたら妙な事にまた巻き込まれるだろう」

ワトソンはそう言って俺を睨みつけた。まあ確かにそれは否めない。俺は以前、しかも数度__このやり口で妙な事件の解決をこいつに押し付けた前科があった。諮問探偵開業許可証を遊ばせとくのは勿体無いだろ、というのもあるが。

「俺だって今回はある意味不本意だっつの! 色んなしがらみがあるんだこっちは」
「お前にしがらみなんてあるのか? 妻と仔を放り出して英国バカンスを満喫している昼行燈のお前が?」
「悪口がすぎるだろ……」半分事実みたいな所はあるので上手く言い返せない。キレキレの悪口に俺は耳をぺしょりと垂らした。「だってヘカチェが」
「ミス・アマネセールがどうかしたのか」
「お前にじゃないと話さないって言うから」
……以前から思っていたが、随分女史に嫌われているんだな。一体何をした?」
「何もしてねえよ! 小さい頃だってちょっとしか顔合わせてねえのに」俺は記憶の糸を手繰る。生まれも育ちもこちとら日本だ。英国に行ったのは大祖母たるハイドノーブル家の女王に挨拶に行った時ぐらいなモノである。
「その僅かな時間で強烈な印象を残すとは、お前はきっと天才なんだろうな」
「すげえ悪口言うじゃん今日……

俺はしわしわのパグのような顔をしてワトソンの方を見た。俺の視線はスルーして己の影から出てきた契約妖精__ブラックドッグを撫でながら器用にスマホでニュースを見ている。
ハイドヘカチェリーナ・アマネセールという馬子は俺の従姉妹であり、以前ある事件で共に行動した弁護士だ。従姉妹はなかなかやり手の弁護士の様で、先日も逆転勝訴を勝ち取っていた。確かそれはセレブの離婚調停かなにかだった覚えがある。
俺はそばにやって来た、丸っこいプランターに手足が生えた様な生き物__エッグプラントに「今日のワトソン先生は不機嫌だなあ」と話しかけてみる。エッグプラントは人語を理解できない様で首を傾げていた。聞こえているぞ、とワトソンは呆れた様に呟いた。


***


ごめんください、と涼やかな声音の女性の声が響く。俺が返事をすると恐らくその声の主は「どうしてあんたが返事するのよ!?」と理不尽にキレるので、俺はワトソンに視線を送るだけに留めた。
どうぞ、と声を張るワトソン。ハイドヘカチェリーナはベージュ色のコートを身に付けていた。確かに外は寒い。俺はふと、自分がガチョウが激し目に自己主張する珍妙な柄のセーターを着ている事を思い出す。下は黒いスキニージーンズとマッキントッシュの革靴だが、いくらなんでもピンクのガチョウセーターは可愛いすぎたな、と恥入った。せめてグレーにしておくんだった。

「ごきげんよう、ワトソン先生。またお会いできて嬉しいです。バスカヴィル家の事件の折には大変ご迷惑をおかけしまして」
……いえ、ミス・アマネセール。それよりも貴女が無事退院して、大いにその辣腕を振るっている事を喜ばしく思います」
「まあ、そんな……嬉しいです。そうだ。こちら、以前のお礼ですわ。大変お世話になりましたもの」

ヘカチェはそう言ってワトソンに大きめの箱を差し出した。ラデュレのマカロン__!! 俺は随分な外野だが、その箱から漂う砂糖菓子の香りに思わず涎が分泌された。ナポレオン・ピンクシャンパン・マカロンの四十二個入りのやつだ……と戦々恐々していると、俺の視線に気付いたのかワトソンは、

……紅茶を淹れましょう」
「やったぜ」思わず声が出た。冷ややかなヘカチェの視線が痛い。
「誰もあんたにあげるとは言っていないわ。__最初は金平糖と悩みましたの。でもワトソン先生の所には様々な方がいらっしゃいますし……そ、それに」
……?」ワトソンは軽く首を傾げてヘカチェを見た。
「お恥ずかしい話ですけど、少し気になっていたんです。ラデュレの、マカロン」
「いやオメーも食いてえんじゃねえか! 人の事言えねえぞ!?」
「う、うるさいわね!? あんたのそれとは違うわよ!」

椅子から立ち上がるのが面倒だったのか、ワトソンは指を振ってティーセットをふわふわと浮かせてこちらへ引っ張って来た。
こんな事に幻想種の奇跡をホイホイ使うのは私だけだ、とよく彼は言う。魔術じゃねえのと聞けば大抵『幻想種が妖精の力を借りず起こす魔術が奇跡だ』という答えが返って来た。耳にタコができるほど聞いたその言葉を俺は反芻する。毎回律儀に答えるあたり、真面目なんだよなあ、と思いながら浮遊している食器類を眺めた。
数秒ほど待つと、丸いティーテーブルにはアフタヌーンティーセットが完璧に揃えられていた。ヘカチェは目を輝かせながら白いティーカップの持ち手に指を添え、ひょいと持ち上げて口をつけた。ぱあ……という効果音が随分似合う、花が開くような笑顔になって嬉しそうに耳をピコピコと動かしている。

「とても美味しいです! こちら、もしかしてワトソン先生がブレンドを?」
「ええ。甘味があるならば、自己主張の激しくないものをと思ったのですが……喜んで頂けて良かった」
「おいジェームズ。人妻たらし込むなよ~このミスター三大陸がよ~」
……たらし込んでない。客をもてなすのは普通の事だ」ワトソンは苛立ちを隠さず言った。俺は隙をついてワトソンの皿からマカロンを強奪して口へ放り込んだ。あ、という声が聞こえたがそれは聞こえないふりをする。
「ふぉれへ、ヘカチェ。お前なにひにここきたんらよ」
「せめて食べてから喋りなさいよ! ああもう! 申し訳ありません、身内がご迷惑を」
……シャルの奇行は今に始まった事でもありません。それに奇行という面で言えばホームズの方が上なので、この程度は可愛いものですよ」
「シャーロック・ホームズってどんだけやべえ奴なんだよ……

俺が先祖に対して静かに引いていると、ワトソンは左手の人差し指で壁を差し示した。そこには『V.R.』という文字がある。あれは確かホームズが拳銃で撃ちまくり派手に書いたものである__以前読んだ短編にそのような事が書かれていたのを思い出した。

「『マスグレイヴ家の儀式書』ですわね」
「ご存知でしたか」ワトソンは懐かしむように目を細めた。「……まあ、本に書かれているホームズの行動は控えめに書いているつもりです」
「あれで、控えめ……なのですね……」ヘカチェは覚悟を決めたような顔をしながらワトソンを見た。「こ、このお話はやめましょう。何だか嫌な汗が流れてきますわ」
「珍しく意見が合ったな」
「そうね。本当に珍しく」

シャーロック・ホームズが奇人というのは小説を読めば大いに分かる事ではあるが、そのホームズの兄であるマイクロフト・ホームズの実像は謎が多い。小説内では丸々と太った政府の重鎮として描かれるが、実際ハイドノーブル家に唯一残されているマイクロフトの写真は小説とは随分乖離した姿をしていた。弟シャーロックにそっくりな顔立ちであり、つまりはイケメンで__どこか俺の顔にも似ている。性格や仕事などには謎が多く、資料もあまり残っていないとの事だ。
一応マイクロフトは俺から見ると随分遡ったじいちゃんに当たる存在なので、似ているのも何となく納得はできる。
現状のハイドノーブル直系の子供たちは皆、マイクロフトの面影が割と残っていると思う。
面影を残すことに、ハイドノーブル家の“女王陛下”が固執しているのも理由の一つではあるだろうが。

「で、ヘカチェ。お前ラデュレのマカロン持ってくるためだけに、221Bに来たわけじゃないだろ?」
「あんたに言われるの、本っ当に嫌なのだけれど。……仕方ないわ。その、心苦しいのですけれど、ワトソン先生にお願いしたい事がございまして」
……私に?」

ヘカチェはワトソンに青い封筒を手渡した。銀色の箔で宛名が押されており、白薔薇の柄がある銀色のシーリングワックスで封がされている。
俺はその青い封筒にめちゃくちゃ見覚えがあった。これはアマネセール家が使うものだ。まあその、本来公式のお堅い文章のみに使うべきとされる青い封筒に、紙切れ放り込んでかなり汚い英字で「嫁さんたちとケーキ食ってお前だけ腹壊せ」という有難いメッセージを送ってきたやつがいたんだ、という話なのだが。

「ランカスター公爵の蹄たちが私に何を頼もうと言うんです?」棘のある口調でワトソンは呟いた。封を切る事すらしようとしない。「彼らは自力で解決できるだけの能力と地位があるはず。……渡りの一族に嫁入りした貴女ならば、誰より良く理解しているはずでは」
「それは、そう、なのですけれど」ヘカチェは少し言い澱んだ。「馬子は幻想を捨てております。如何にアマネセール家といえども、幻想や神秘が絡んだ事件を己が力で解くのは困難を極めます」
「では神秘管理局を頼れば宜しいでしょう。私に介入させるより上手くいく」
「神秘管理局とアマネセール家の折り合いの悪さはご存知でしょう?」

ヘカチェは困ったように微笑んだ。確かにあらゆる神秘の遺物を運ぶ『運び屋』的側面のある“渡りの一族”ことアマネセール家は、遺物を徹底管理し魔術金庫に収容したがっている管理局とは兎に角仲が悪いのだ。

「ですから、ご都合さえ宜しければワトソン先生にお願いしたいのです」
……成程」ワトソンは渋い表情で封筒を手に取った。「拝見します。受けるとは言っていません。とりあえず、中身を拝見します」

ワトソンは中に入っている便箋を下へ軽く叩いて落とし、エッグプラントの口元に便箋を持って行った。愛らしい植物の竜は器用に便箋を噛み切って開封する。中に入っていた便箋は複数枚に亘っている。ワトソンは枚数を数えて一枚目に視線を落とした。恐らく、エストレアが書いたものでは絶対にない美しい英字が踊っている。


***


「『エマ=ジェームズ・ワトソン様

先日は我が妻ハイドヘカチェリーナが大変お世話になりました。
この度は図々しくも、貴方にお願いしたき儀があったため筆を執った次第です。どうかお聞き入れ頂けますと幸甚に存じます。
恐らく共にベイカー・ストリート221Bにて暮らしていらっしゃる、シャルルマーニュ・ハイドノーブル卿を通じてご存じとは思われますが、「渡りの一族」アマネセール家は運び屋を生業としており、古来はランカスター公爵家とも関りが深い純血貴族でございます。
今回貴方にどうしてもお願いしたいのは、ある殺人事件の解決です。
わざわざ事件の解決を依頼させて頂くのには理由がございます。この事件に関わっている可能性のある絵画があります。これはランカスター公爵家に嫁入りなさった方のゆかりの品であり、先日行われたチャリティーオークションにて500万ポンドで落札された絵画でございます。ただし、普通の(普通のという呼び方も奇妙な気は致しますが)絵画ではありません。その絵画には特殊な絵の具が使われており、現在ではとうに失われた神秘性を有しているとされています。巷では「魔女の絵画」という俗称で呼ばれており、好事家の間で高く取引されている代物です』……

俺はその美しい文字列を読み上げる。この文章を書いたのはどうやらヘカチェの旦那らしい。俺は続きを目で追いながら再び声に出して手紙を読んだ。

「『魔女の絵画のうち、五枚は既に神秘管理局が収容しており、フォークナー大銀行の金庫にて厳重な封印処置を施されていると聞いております。
今回の任に当たっていたエストレア・アマネセールの話によると、絵画は「特段危険性はなく、只の森を描いた絵である」との事でした。しかし馬子は幻想に対する耐性に些か欠けており、不測の事態に対応するには我々では力不足であると判断しました。

殺人が起きた経緯についてお話しいたします。
二週間ほど前の事です。ランカスター公爵家の使いが我々に対し、件の絵画を落札して引き渡すよう命じました。我々はいつも通りに依頼をこなし、公爵家に絵画を引き渡しました。事件は引き渡した後に起きたのです。依頼を終えた二日後、公爵家から使いの者がアマネセール邸に飛び込んできました。御祖父様が何事かと尋ねると、公爵家に嫁入りしていた純血貴族の馬子__デイム・ロディア・カーステアズが殺害されているのが見つかったとの事。
なお引き渡した絵画はカーステアズ家に縁ある品であることは事前に知っていましたので、絵と死には明確な関係があるはずだと御祖父様は仰っておられます。
また奇妙な事に、心臓を刺されていたのに殺害現場には血の一滴も残っていなかったというのです。デイム・ロディアの死因については不明確な点が多く(この件は既に神秘管理局が動き始めています。捜査機密ということで明かして頂けませんでした)、ここに書けることは他にありません。詳しくは我が妻ハイドヘカチェリーナから聞いて頂ければと存じます。

特筆すべき事として、彼女の死に様は極めて不自然なものだったと言います。大きな硝子の窓辺に佇むようにして死んでいたそうです。一見しただけでは彼女が死んでいるとは誰も気づかなかったと、侍従たちは証言していたと聞いております。
もしもワトソン先生が本件の解決にご尽力頂けるというのであれば、アマネセール家はご協力を惜しまないつもりでございます。どのようなものであれお望みの物をお届けしますし、必要であればご依頼に前金を上乗せして払っても構わないと公爵家は仰せです。
ご一考宜しくお願い致します。

エストレア・アマネセール
代筆 アドレナリーナ・アマネセール』……

読み終えた俺は、隣で苦虫を嚙み潰したような顔をしているワトソンを見た。最早依頼に対して拒否権が無いと悟った時、ワトソンはこういう顔になる。内心情緒がめちゃくちゃになっているのだろうと思いながら俺は手紙を見返した。
アドレナリーナ・アマネセールは確かヘカチェの旦那だったはずだ。俺は黙って紅茶を啜り始めたワトソンに視線を送る。ヘカチェも不安そうにワトソンを見つめていた。

「拒否権はなさそうだということだけ、わかりました」
「ワトソン先生……も、申し訳ありません。このような、押し付けるような形になってしまい」
……いえ。ミス・アマネセール、貴女が悪いわけではありません」ワトソンはティーポットに残っていた紅茶を自分のティーカップに注いだ。「……その、デイム・ロディアが発見された状況について、貴女は詳しくご存じなのですか?」
「正直なところ、私もそこまで仔細に知っているわけではなく……。ただデイム・ロディア・カーステアズ卿が『窓辺に佇むようにして死んでいた』ということ、既に容疑者が拘束されているということだけで」ヘカチェは逡巡するような仕草を見せ、再び口を開いた。「侍従たちも最初は亡くなっていることに気づいていなかったようなのです」
「しかも血の一滴も流れていない状態だったって話だろ?」俺は手紙の文面を見ながらヘカチェに問いかけた。「心臓を刺されたのに」
……拘束された容疑者という人物は?」
「オスカー・ハルハイムという方です。何でも神秘管理局の学術課で教鞭を取っていらっしゃる魔術師の方だとか。私は魔術にはそこまで明るくありませんけれど、凄いお方なのでしょうか」
「何でオスカーのやつが捕まっているんだ……

ワトソンは隣で頭を抱え始めた。どうやら旧知らしい。俺はワトソンに「知り合いか?」と尋ねてみる。「ああそうだ」と短くも苛立ちの籠った言葉が返ってきた。

「オスカー・ハルハイムは古代魔術研究の第一人者だ。まあ、友人のようなものだ」
「古代魔術って今の魔術とどう違うんだよ。結局妖精や幻想種の力を借りねえ事には、魔術は使えねえはずだろ」俺は率直な疑問をワトソンにぶつけてみる。
……人類史以来、最も奇跡に寄った魔術……それが古代魔術だ」ワトソンはそう言ってティースプーンをくるりと指先で弄び、ポンと小さな箱を取り出した。
「これ何の箱だ?」
「以前買った紅茶の空き缶だ。これで説明する」ワトソンはそう言って箱の蓋を開け、ティースプーンで箱の淵を軽く叩いた。「魔術の基本は『構築』だ。魔術を学ぶ上で、こういう箱にハーバーリウムを作るように魔術式を組み込んで、発動させる」

ワトソンはブラックドッグを呼び出して傍に侍らせた。チャラチャラと小さな音を立てて箱の中で、細い金の糸のような光がくるくると渦巻く。

「<noicurt-noc>」ワトソンの呟きとほぼ同時に糸は収束し、箱の中に小さな馬の像が顕れた。「だが古代魔術はこの過程を全部飛ばす」
「全部って……呪文唱えたり~とか、こうやって何、今みたいな糸出したりしねえの」
「そうではなく__課程、要するにその、魔術はどんなものでも『構築、反芻、解離、発動』という四工程を踏む必要があるんだが……
「古代魔術は間の『反芻』『解離』の過程を飛ばせる、ということですね」理解の早いヘカチェが言った。「確かに構築してすぐに発動するとなると難易度が跳ね上がるように思いますわ。何であったって、設計していきなり実装とはいきませんものね」
……その通りです。オスカーはなぜ古代魔術がその二課程を飛ばせるのかという基礎的な部分を研究していました」
「ますます分からねえな。そんな研究者みたいなおっさんが何だって容疑者にされて、しかも捕まってんだよ」
「容疑は証拠隠滅罪。つまり犯人の逃走幇助をしたのではないかと疑われているの」
「オスカーはもしや遺体の第一発見者ですか?」ワトソンが聞いた。
「いいえ。ミスター・ハルハイムは客人として招かれていたそうです」
「招かれていた……?」

俺は妙な引っ掛かりを覚えてその言葉を繰り返す。

「ええ。運び込まれた『魔女の絵画』__それの解析をするために」