はるの
2022-08-08 23:23:50
37604文字
Public スタートレック
 

夜のこどもたち

全年齢|AOS spirk|2022.4.3|STIDのあと、病室で過ごすジムとお見舞いに来るスポックと彼らの家族と悲しいの話。朝だけがあればいい(https://privatter.me/page/65a92eff6c63c )と同じ世界線です。



 スポックの母親を、カークは見たことがない。
 目の前に現れようとしていた彼女は、そのままロストしてしまったからだ。カークが鮮烈に覚えているのは、手を伸ばして固まってしまった、いけ好かないヴァルカン人の傷ついた姿だった。スポックの母親、と考えるとき、あの姿が真っ先に思い浮かぶ。まるで置き捨てられてしまったような、ほとんどいたいけなあの両目のおかげで、カークはその後、スポック大使の艦長権限剥奪案に乗ったくらいなのだ。彼は絶対に傷ついている、という確信がなければ、あんなことはできなかった。
 ナラーダを吸い込んだ特異点の引力から、なんとかからがら逃げ延びて、宇宙港にたどり着いたとき。
 全員が安堵して、お互いを慰労しながらブリッジを出た。マッコイを呼べば、パイクの搬送をしてから合流するとのことだったので、カークはスポックを探すことにする。代理とはいえ船長なので、全員の下船をチェックする必要があったし、船長とはいえ代理なので、声をかけたほうがいいだろうと思ったのだ。
 コンピュータに居場所を問えば、彼は転送室にいた。もしかしたら何らかの理由で、転送を使って地球へ戻ってしまうのかもしれない。そんなことを考えて、カークは自然、駆け足になった。すれ違うクルーとぶつかりかけては謝罪しながら、ひどく焦るような気持ちで走っていた自分は、よほど余裕がなかったのだろう。副長が船長に一言も断りなく転送で下船する、なんてことを、あのきっちりとしたスポックが許すはずもなかったのに。
 駆け込んで転送室の入り口に手をかけたカークは、そのまま、たたらを踏んで息を止めた。
 スポックは、静かにそこに立っていた。
 まっすぐに伸ばした背中を見せて、転送台の1段下で、じっと動かず佇んでいる。
 彼の向かっている場所が、ちょうど、スポックが転送されてきたときに手を伸ばしていた場所だと悟って、カークはぎゅっと唇を食んだ。
 ざわざわとした人のさざめきが、ふっと遠ざかっていって、あたりはしんと静まり返る。
 耳のいいヴァルカン人なら、こちらの足音には気づいただろう。けれど、スポックはしばらくの間、そうしていた。そうしてから、ふっと腰を曲げて片膝をつき、見つめていた場所にそっと手のひらで触れる。
 立ち上がりながら振り返ったスポックは、よく知る取り澄ました表情だった。
「キャプテン。下船確認はされましたか」
 さっさと姿勢よく歩いてくると、そんなことを冷ややかに言いながら、彼は目の前で立ち止まる。
 カークはぼんやりとその様子を見つめて、そっと戸口から身を引いた。道を開けられたスポックは、きびきびとシャトルベイへ足を向ける。
「キャプテン」
「まだ……
「『まだ』?」
「おい怒るなよ。言っとくけど、俺は停学寸前のアカデミー生だぞ」
「やり方はシミュレーションで履修済みのはずです」
 思わずそのまま見送ってしまったカークを、けれど、彼は律義に振り返って呼び立て、業務不履行を訴えた。まるで今見たことは幻だったかのようだった。
 あのときの呆然としたような気持ちは、ほとんどいたたまれなさだった、と今では思う。
 母親を喪う、ということを、あのように受け止めるということ。恨みだとか、後悔だとか、そういったほかの感情が一切混在しない、ただ純粋な『悲しみ』というものが、この世に存在するということに驚いたし、きっとそれは、ああいった形をしているのだろうと思った。スポックは母親をとても大事にしていて、きっと母親からもとても大事にされたのだ。愛し愛された記憶があり、そういう肉親が、死んでしまった。
 その悲しみを、カークは想像しようとした。もし、母親に大事にされていて……、もし、父親が、生きていて――。そうやって、精いっぱい考えてみたけれど、あの純粋さに到底及ぶとは思えなかった。決して手の届かない蜃気楼のように、想像はもろく崩れ去ってしまう。スポックがあのとき胸に秘めていた悲しみを、本当の意味で、理解できているとは思えなかった。
 そんなにも、自分たちは、相容れないものなのだろうか。相反する異分子で、一生分かり合えないのだろうか。
 カークがひどくいたたまれなかったのは、そういうことだ。
 その頃にはもう、スポックと友だちになりたいと、はっきりと思っていたから。