ツキシキ
2023-07-01 21:54:47
24710文字
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★トバリシリーズまとめ

4作品。「トバリドトキシンRE」二次創作。


気まぐれ喜劇に喝采を




<ソルシエール曰く>


 悪気は無かったんだ。
 ……なんて言うとわざとらしくなって嫌なんだけど。でも本当だよ。だって彼女、シュウもギルドの一員であることは確かなんだからね。わざわざ仲間を追い詰めるなんて真似、誰が喜んでするだろう? だから、本当に悪気はなかったんだ。


 始まりは朝早く、シュウが一人で出かけようとしたところから。確か貴重な朝露の採集をするとかだったかな。さしたる用事じゃなかった気もする。まあともあれ、奇遇なことにちょうどロビーで会ったから、僕は「いってらっしゃい」なんて挨拶をして見送った。でも不思議なことに、シュウは一歩外に出てからすぐその場にしゃがみこんで、こっちに引き返してきた。

「なあ、これ何だと思う?」
「うん?」

 彼女が持っていたのは、細い木の枝だった。どこにでも落ちていそうな、何の木のものともつかない枝。ただ、先端に結いつけられた糸とそこから垂れている小石は、明らかに誰かの手が入ったせいだった。まるで出来そこないの釣り竿みたいな形だったよ。

「そこに落ちてたんだ。なんか妙だなと思って、気になってさ」
「ふーむ…………

 一応考え込むそぶりはしたけれど、正直なところ、どこからどう見ても単なる木の枝としか思えなかった。特殊な仕掛けがあるようには見えなかったし、マナが籠められているわけでもなさそうだったし。糸や小石だって誰かの手慰みに付けられただけだったんじゃないのかな。
 ほら、よくあるだろう? 暇を持て余した時にそこらの草を抜いて散らかしてみたり、髪の毛を弄ってみたりさ。それの派生だと睨んだわけだ。────君はしないって? うーん、まあ、そういうことをする人もいるんだよ。
 そこまで判断がついていたんだから僕も素直に、気にするようなものじゃないって言ってあげれば良かったんだけどねぇ。
 なんと言えばいいのかな、悪癖っていうのは、自覚していてもなかなか直せないものでね。ついうっかり、悪戯心が頭をもたげた。だから、僕はわざとらしく大きな声をあげたんだ。

「ああ、なんてことだろう!これはね、これは……

 もったいぶって長い間を空けて、大仰に両腕を広げてみせたりもしたかな。そしたらシュウも唾を飲んで見守ってくれたから、僕も調子に乗っちゃった。

「これは、トバリ発見機だよ!」

 …………ってね。



 ああ、わかるよ、そんな目をしないで。悪趣味な冗談だって言いたいんだろう。いや、ささやかに弁解させてもらうと、僕自身冗談のつもりだったし、そうわかるように大げさな演技をしてみせたんだよ。

「この粗雑に見える作りはトバリに警戒されないためのフェイクさ。この白い糸はどうやらとんでもない大蜘蛛の吐いたやつだろうね。小石にだって何とも名状し難いオーラを感じるよ。おおもとの枝にしてもおそらく樹齢何千年の代物だろうねぇ」

 なんていう風に、バカバカしい嘘八百を並べ立ててさ。
 悪ノリが過ぎたよ、うん、そこは謝る。でもその時は、相手がシュウだったからさ。こういうことに冷たい反応を返すだろう僕の愛弟子ならともかく、彼女ならちょっとくらい乗ってくれるんじゃないかなあなんてことも思っちゃったのさ。────カマかけにもなるし。
 何の? ああいやいや、気にしないでおくれよ。本筋には関係ないんだ。
 ともかくね、僕としては、変な冗談はやめてくれと窘められるか、笑い飛ばされるかするのを期待していたわけだ。けれども、シュウは黙りこくってしまった。だから僕も慌てて、からっと声を明るくして

「────なーんて、」

 冗談だと言いかけたところで彼女の声が割り込んできた。

「使い方は?」

 おや珍しい、と。
 思ったのは確かだねぇ。
 シュウは腹の探り合いなんて、できはしても好みはしなさそうだったから。



 うーん、つまりね、僕はシュウがこの稚拙な嘘に乗っかってくれたと解釈したんだ。嘘だとわかった上で、彼女が常々抱いているであろう疑念を、この機にちらつかせてきたんだと思った。まあ、僕もそういうのは嫌いじゃないから、いつも以上に口を回して続けたよ。

「使い方はポリグラフと似ているんだよ。知ってるかい? イエスノーで嘘を見分ける装置なんだけれどね。まずは、使い手がこの枝の、糸が垂れていない方を握るんだ。ちょうど君が今しているみたいに」

 言うと、シュウはじっと自分の手元を見た。室内だから風が吹いているわけでもなかったんだけどね、止めようと思っても手首は案外細かく動き続けるものなんだよ。だから、小石は少しばかり左右に揺れていた。

「それから、被疑者────トバリだと思う相手をつかまえて、枝の逆側に手をかざしてもらう。それで、その誰かしらに質問をする。君はトバリですかってね。ああ、相手には常にノーって答えてもらわないといけないよ。答えたら小石が動くはずだから、その反応でトバリかどうかを見極めるんだ。まあ、つまりは枝を向けて質問するだけってことだね。どうだい、簡単だろう?」

 ここで重要なこととして。
 僕は結局、具体的なトバリの見分け方は言わなかったんだよ。



 君はトバリかと聞いて、まあ仮に小石が動いたとしよう。十中八九、筋肉の微細動や周りの風に影響されて小石は動くだろうけどね。それでも、どんな動きをしたらトバリだと発覚して、どんな動きをすれば無実となるのかまでは言わなかったんだ。……そもそも全部が僕のでっち上げなわけだから当たり前かな。
 要は、僕の言うとおりにしたところでトバリかどうかなんてわかりっこないってことさ。
 なのに、シュウは僕にあの木の枝を向けた。

「なら、実際にやってみようじゃないか」

 やってみせたとして、シュウがどういう反応をするのか。もっと言えば、彼女はどうしてそんな茶番をやろうとしたのか。その時はまだ予測がつかなかった。未知に対して好奇心を輝かせない者はそういない。だから僕も乗ったんだ。
 それに、そうだなあ、ひょっとすると僕は期待していたのかもしれないね。実験をやってみせた後、やっぱり冗談だったんじゃないかって呆れる彼女を。
 僕は僕の嘘の通りに手をかざしてみせた。そして、まっすぐにシュウを見つめた。
 彼女はひどく苦しそうな顔をしていたよ。でもこの時はまだ、この子はこんな駆け引き苦手だろうに不器用だなあ、なんて呑気に考えていた。

「あんたは…………トバリか?」
……いいや。違うよ」

 僕が答えると、小石は揺れた。何かの偶然で、タイミング良く。シュウ自身が動かしたのかもしれないし、それ以前に、動く動かないは関係なかったのかもしれない。だって僕は一番大事な条件付けをしなかったんだからね。
 重たい吐息が漏れて、シュウは、一度ぎゅっと目を瞑った。そして、再び目を開いた時、どんな表情をしていたと思う?

 ……………満面の笑顔だったよ。



「ってことは、あんたはトバリじゃないってことだよな!」



 ああ、やっちゃったな。
 さすがの僕もね、ここまで来てようやく思った。それに不覚にも二の句が告げなかった。全て冗談だと言うには、もう手遅れになってしまったんだ。
 僕が黙ったのも悪かったんだろう、シュウはすがるように早口で続けたよ。

「どうしたんだよ黙りこくって。そういうことだろ? これで使い方、合ってるんだろ? ああ、凄いなこれ、こんな便利なものがあるならもっと早く欲しかったよ。なんでこんなところに落ちてたんだろうな? でもまあ気にしてもしょうがないよな、些細なことだし」

 もう、口を挟む暇もないくらいにぺらぺらと。人は不安な時に口数が多くなると言うけれどまさにその通りだね。きっと彼女は怖かったんだ。僕が、あんなの嘘っぱちだと言ってしまうのが。
 だから、うん。元凶と言えば元凶の僕がきちんと責任持つべきだと、感じてはいた。いたけど、僕はやっぱり、ねぇ。湧きあがるものが抑えられなくて、言ってしまったんだ。

「そうだね」

 って。
 全部の嘘を、彼女のわざとらしい勘違いを、肯定してみせた。



 もう、心底安心したような笑みが返ってきてね。いやあ、笑顔なのに見るに堪えないっていうのも不思議な話だけど。心が痛んだね。
 ────うん? そりゃあ辛かったさ。繰り返すようだけど、彼女はギルドの一員で、大切な仲間だもの。
 シュウは最後まで僕の嘘を嘘だと露呈させずに、痛々しい笑顔のままで走って行った。どこへ? カラトとナギの居る所へだよ。

「ほらな! よっし、他の奴らにも試してくるよ!」

 意気揚々とそう言ってね。



 僕の知ってることはここまで。
 僕のせいだ、って言いたそうだね? まあ、事実その通りだ。非は認めるよ。

 でもね、悪気は無かったんだよ。本当さ。


 ……………好奇心は、あったけどね。






<カラト曰く>


……頭大丈夫?」

 なんて、思わず言っちまったけど、こればっかりはしょうがねェよなあ。
 だってシュウが言ってることはどう考えてもありえない話だったンだから。



 その日は討伐依頼もなくてだらだら過ごせる日だったから、俺はあったけぇシーツに包まってぬくぬく幸せに眠ってた。のに、なンか急にドアがだんだんだんだんうるさくて、初めは無視しようと思ってたけど、二度寝するのも無理ってくらいだったもンだから、仕方なく、ホントーーーに仕方なくしぶしぶで起きることにした。

「ンだよ、うるせーなァ?」

 文句と一緒にドアを開ければ、立ってたのはシュウだった。しかも珍しくキラッキラした目で、妙ににっこにこしてた。でも俺に思い当たるフシはなくて、なーんか不気味だなァなんて思ってた。

「なに、何の用」

 人を叩き起こしておいて黙ったままだったから、しょうがなく俺はそう訊いた。そしたらシュウはすごい変な勢いで、ぐっとこっちに身を乗り出してきて、言ったんだ。

「なあ、あたし、凄いもん見つけたんだ。これさえあれば相手がトバリかどうか一発でわかるんだよ!」
…………はァ?」

 俺ァまだ寝ぼけてンのかな、ってちょいとほっぺをつまんでみたけど、ちゃんと痛かった。余計なことした。や、ンなことはどうでもよくて、とにかく、えらい悪い冗談言われてンなァって思ったんだ。
 だってそうだろ? ンな便利なモンが世の中にあって、それで簡単にトバリかどうか判別されちゃ、困るどころの騒ぎじゃねェもん。もしそうなら俺らは今頃一人残らず殺されてらァ。
 だから、俺は言ったんだ。頭大丈夫か、って。
 そしたらシュウは案の定というか、ぶーたれてわぁわぁ言い出して、ポリ――思い出せねェや、なんとかがどうとか一生懸命言ってきたンだけど、俺にゃさっぱりだった。
 なんか話も通じなくて、結局シュウは“実物”を俺に見せてきた。
 …………それはどっからどう見てもただの棒っきれ。トバリ発見機とかいううさんくさいモンじゃねェことはもう、見ただけでわかった。
 や、ええと。審美眼?ってーのがあるわけじゃなくて。単純な話。


 あのへんてこな木の枝は、俺が暇つぶしに作ったやつだったから。


 んーと、いつだっけか。討伐の手伝いか何かで、お前がついて来るように言ってきたときあったじゃん。覚えてねェの。まあいーや。
 とにかく、ギルド前でぼーっとしてた時だよ。服に髪の毛ついてたから取って、んで捨てれば良かったンだけどすることもねーし、どうするかなァって思ってたら落ちてる小石が目について、こう、ぐるぐるーっと。それで、なんか適当にその辺にあった木の枝にまた、ぐるぐるーっと。
 なんで、っつっても……暇つぶしだし、そんな難しいこと考えて作ったわけでもないし。何を作りたかったわけでもないし。
 まあ、そんなわけで、あれには見覚えがあって、トバリを見分ける力なんざ無いのもよくよく知ってたわけだ。だって、なァ。ただの棒だもん、あれ。


 でも、シュウにそのまま、それただの棒じゃん、ってことは言えなかった。
 息せき切って俺ンとこ来て、人のこと叩き起こして、そりゃむかついたけど。一応あいつも普段ならそういうことしないし、何よりなんか、あの日のシュウはおかしくて、落ち着かない雰囲気がした。やばくて、目が笑ってない感じ。
 だからシュウが、
「ちょっと試してみようぜ」
 なんて言い出した時にはどう答えようか迷った。
 あれがおままごとみたいなのだったら、めんどいって断ったはずだけど。シュウの目がギラギラ光ってて、断るともっと面倒になるって思ったから、言っちまった。
「それで満足すンなら、いーけど」
 って。
 何やらされたかって? 棒の端っこ持って、トバリかって聞かれて、違うって言えって言われたからそぉしただけ。何も起きやしないよ。小石? 気にしてなかったし覚えてねェや。
 それでも別にさァ、良かったんだよ俺。トバリだって言われたらもう殺すしかねェ話だし、トバリじゃねェって言われたらそりゃどうもでおしまいだし。別にあんなことしなくたって――――

 あの変な実験終わって、あいつ、なんて言ったと思う。
 …………これでやっとあんたを信じれるよ、だとよ。
 だから俺、なんだそれって、イラッときて、扉閉めて、もぉ寝るっつって。

 そんとき一瞬だけ見えた、樹娟の顔が、ずっと残ってんの。
 泣きそうっていうか、辛そうっていうか。信じるって言ったくせに、すごく変な顔でさ。
 あれって俺のせいなのかな。
 ねぇ、どう思う?





 <ナギ曰く>

 シュウの話……ですか。
 ええ、だいたいの事情は。僕の元にも来ました。ただの木の棒を持って……ね。
 ご想像の通りです。シュウに付き合いましたよ。断るとして、何と言えと? 
 …………すみません。これじゃ八つ当たりだ。
 括りつけられていた石は……揺れていましたが。きっと彼女もわかっているんでしょう、石なんて見ずにただ、僕のほうを見ていました。僕はその視線に気づいていながら、気づかないふりをした……
 それでもシュウはずっと項垂れていたから、僕は「どうなんだ、」と訊きました。シュウは……笑っていましたよ。それで言うんです。「ありがとう、わかったよ」とね。それですぐ、背を向けて行ってしまいました。泣き顔を見られまいと走り出す子どものように……

 僕は、トバリだとも、違うとも言われませんでした。
 ……カラトは言われたのか。繰り返すうち、虚しさに耐えきれなくなったのかもしれませんね。初めに言われたらまだ間に合っただろうに。師匠も残酷なことをする。
 …………わかっていて、言えない僕も同罪か……

 結局のところ、僕らでは無理なんです。それは力や情からくるものではなく……やはりたった一歩分だけ、僕らとシュウは違う。
 臆病者なんです。昔から、ずっと。
 それは嘘だと、俺達は昔からお前に嘘をと、言えればどれだけ…………

 …………
 あなたに言っても仕方のないことでしたね。すみません。本来であれば僕のほうが懺悔を聞く立場だというのに。
 ……ええ。もう僕から話せることはありません。あなたにも、シュウにも。
 きっと、シュウだって“仲間”になりたいとは思わないでしょう。だから、僕達はこれで良いんです。これが、明日にも割れる関係であっても……








 <J曰く>

 薄暗い森を抜け、開けた場所に出た。ようやく射し込んだ日の光が、ジルの目前にいる二人の男女を穏やかに照らしている。しかしながら、間に漂う雰囲気はとても優しいものとは言えそうにない。
 特に気を立てているのは男――ラファエロのほうであり、向きあう相手にあからさまな侮蔑の眼差しを向けていた。対する彼女――シュウは黙ってそれを受け止めていた。
 彼女の右手には今までさんざと聞いてきた噂の“トバリ発見機”が握りしめられていた。その手に込められた力のほどはうっすらと白んだ指先から見て取れる。ともすれば、拳の内にある細いそれが折れてしまうのではないかと心配するほどだった。
 到底平穏とは呼べるべくもないその場所へ、ジルは無造作に足を踏み入れた。別段足遣いを荒げたつもりはなかったろうが、草を踏みしめるその音は一触即発の中黙りこんでいた二人の耳によく響いたらしい。
 ラファエロは横目で闖入者を睨みつけたが、それがジルだと分かるとすぐさま視線を戻した。一瞬のその目はシュウに向けていたものと違いひどく無関心なものだった。一方シュウはジルの姿を見るなり、くしゃりと顔をゆがませた。眉間に寄せられた皺と緩んだ口元が、その表情を笑顔とも苦悶とも取れるものに見せていた。
……それで?」
 声を出したのはラファエロだった。視線はシュウにのみ注がれている。ジルは居ないものとされたらしい。ジルのほうも二人を止めに来たわけではなかったので、静観を決めた。それでやっとシュウもラファエロに向き直った。
 ラファエロは煽るように再び口を開く。
「それで、結局ぼくに何をしろって?」
……ただあたしは、信じるかって訊いただけだ」
「きみのほうはどうなんだ」
…………
「おいおい!」
 黙って俯くシュウをラファエロは容赦なく嘲笑した。若干演技くさい動きで天を仰ぎ、そしてふいに真顔へ戻る。
「そこは即答するところだろ。きみ、頭をトバリ毒にでもやられたんじゃないか?」
 辛辣な皮肉だった。しかし、それでもシュウは苦笑を浮かべたままだった。普段の彼女であれば食ってかかるはずだが、その威勢の良さはすっかり内側へとしまい込まれているようだった。
 シュウは口の端を歪に持ち上げて言う。
…………そうだったら、良かったよ」
 投げ捨てるような声だった。
 チ、と舌打ちの音。それを合図にしたかのように、張りつめた場が、動いた。
 一瞬だった。ジルには駆けだす間も無かった。気づけばシュウの右手首がラファエロに掴まれていた。
「痛っ!」
 ジルからは、ラファエロの手がシュウの握り拳に重なった、ということしかわからなかった。だが少なくとも声を上げさせるような真似はしたらしい。
 痛みで力が緩んだのだろう、シュウの拳にはほんの少しの隙間ができ、細い木の枝がそこからするりと零れて落ちた。枝の先に繋がった小石が地面とぶつかって微かな音を立てる。けれど直後、ペキッ、という小気味良い音がした。
 ラファエロの足が、無残なまでにその木の枝を踏みつけていた。彼は一度ならず、靴底をひたすら地面へ押し付ける。踏みつけているそれを擦り潰して存在ごと粉々にしてやりたがっているような仕草だった。
 ジルはその光景を成す術なく見つめていた。一拍遅れて、ラファエロの乱暴な手だけでもシュウから退けさせようとしたが、ジルの心を読んだようにタイミング良くそれは離された。放り捨てるような手つきだった。
 ジルの目は自然とシュウの顔に向く。これだけの罵倒と荒い扱いに、彼女はどのような表情をしているのかと。
 シュウは。
 シュウは、存外爽快に、笑んでいた。
…………
 予想とは異なるその表情に、ジルは何か言葉を発そうとした。けれど、そもそも彼女に選べる言葉など無かった。だから彼女の驚愕は、小さな吐息と共にそうっと空気へ溶ける。
 いつの間にか太陽は動き、柔らかな光はシュウだけを包み込んでいた。彼女の表情に絶望はなく、諦めもなく、怒りすらも見当たらなかった。彼女にへばりついていた薄暗い雰囲気は、もはやどこにもない。本来の、快活な彼女がそこにいた。
 その表情はラファエロにとっても意外だったようだ。彼の意地悪い眼差しはシュウを見るなり怪訝なものへと変わった。が、彼が何か問おうとするその前に、シュウが口を開いた。

「なんでだろうなって考えてたんだ」

 問いかけというよりは呟きに近かった。それでもラファエロは言葉を交わすことにしたようだった。
……何が」
 シュウの視線が改めてラファエロに向いた。難問の答えはすぐそこにあった。
「わざわざあんたを探しに来たことだよ。あんな木の棒振り回して、見せびらかしにさ。
 ……あたしが知ってる中であんたなら、一番容赦がないなって思ったからかもしれないな」
「なんだよ。ぼくが悪者だって言いたいのか? 心外だな」
「あはは、違うさ。違うよ。
 ……悪いのはあたしだ。付き合わせて悪かった」
 シュウはそう言うと胸の前で両手を合わせた。言い様こそ軽薄にせよ眼差しは真剣だ。だが、ラファエロの剣呑な態度は揺らがないままだった。
 一息、間が置かれる。
 探るような眼差しに、無防備な笑みが返される。
 先に口を開いたのはやはりラファエロのほうだった。
「勝手に自己完結されても困るな」
 彼は吐き捨てるように言い、
……言ってもあんたには通じないだろうと思ってさ」
 シュウは諦めたように言った。そこで二人は決裂した。
 ラファエロは地面に叩きつけていた足をようやく動かし、身を翻す。そして別れを言うでもなくその場を離れ、ジルの真横を早足に通り過ぎた。彼の突然の行動にジルは振り向くが、その背中からは何も読みとれない。代わりにシュウがその背へ声をかける。
「誰かと待ち合わせしてる最中なんだろ。良いのか?」
……どうせのらりくらり逃げられるだけだろうよ」
 ラファエロはそう言い残し、木々の暗がりへと歩き去ってしまった。止める理由は誰にも無かった。

 ジルは、もはや何も返ってこないであろう暗闇から目を離し、地に落ちたままの木の枝を改めて見つめる。容赦なく折れ、繋ぎようもなさそうだ。新しい小枝を拾ってくれば似たものは簡単に作れるだろうが、それで何がどうとなるわけでもないことは、ジルもしっかりと理解していた。
「良いんだ」
 シュウが呟いた。短いその言葉は、確かにジルへと向けられていた。ジルは窺うようにシュウを見やる。そこにはやはり、晴れ晴れとした笑顔があった。
……なんでだろうな。今はすっきりしてる……いやむしろ、これが良いんだ。
 すごく大事なものだった気がするけれど……
 ははは、と笑い声が零れる。渇いている。虚勢とは異なる痛々しさが潜んでいる。彼女が懸命に作り上げた色眼鏡は思いの他薄かった。
 ジルは言葉を返せない。
 ただ、一歩分だけ、シュウのほうに近づいた。彼女に渡せるものは何もなかったが、傍にいることだけならできた。
「壊されて、嬉しい、なんて。あたし、変だろ? 変だな……
 そう呟くなり、シュウは黙りこむ。重く圧し掛かっていた見えない何かを降ろした分、軽くなった自分の身体に戸惑っているようにも見えた。
…………
 ジルは言葉を返せない。
 ただおかしな夢を見ていただけなのだと、言えれば互いに楽なのだろうが、言葉で心の上辺をなぞるような真似など、ジルにはとうていできやしない。おそらくシュウもそれを知っているから、誰にも見せてはいけないはずの本音を小さな声で零すのだろう。
 ジルは言葉を返せない。
 代わりに、まるで引かれるようにして、シュウの右手、もう何も握っていないそこに指先を伸ばした。びくりと震えたその手に自分の指を絡める。温かさが指になじむまでの、ほんの少しの時間をかけてから、ようやくジルの手は握り返された。弱々しく、頼りなく、しかし心地よい握り方だった。

 もう彼女達の間に残るのは沈黙だけだったが、それで全てが事足りた。


 そうしてようやく、茶番劇の幕は下りる。



 さて、小生思うに。
 彼女に狂いが起きるのは“トバリ”と“人”との物差しのみのせい、ならばそれさえ捨て去れば。
 ――――言えど詮無し、これにて仕舞い。

 めでたし、めでたし。