satoru_and_shun
2018-06-03 01:10:44
14149文字
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身勝手の代償 続き

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澄んだ空は随分と深い色になり、雲間から滲み出てきた橙色の光が辺りを照らしていた。
広々としていて、どこか寂しげな冬の夕暮れは好きだった。
僕と早季は見晴らしの丘へ来ていた。二人座るにはいつの間にか手狭になった石に腰を落とした。
風が冷たくなってきたので、持ってきていた薄い毛布を早季の肩に掛けた。

「今日は色々付き合わせちゃって……思ったより時間がかかっちゃったわ。瞬も流石に疲れたでしょ」
「いや、そんなことないよ。早季の家にも久々に行けたし、お昼、ご馳走になって、本当に美味しかった」
「もう、瞬が来るって言ったら、お母さん、張り切っちゃって」
「早季。今日は本当に、ありがとう」
「いいのよ。ほら、瞬って、いつも忙しいでしょ。それなのに私のために一日空けてくれて、それを私のためだけに使うなんて、勿体ないかなって」
「そんなことないのに……でも、おかげで会いたかった人にたくさん会えた。皆、僕の顔を見て嬉しそうにしてくれた」

早季はどういたしましてと言いながら目を細めて柔らかに笑った。
今朝、自宅を出発してから、早季が今日のデートコースは自分に任せて、と言ったきり舟の運転すら任せてもらえず、どこへ行くのかも全く教えてもらえなかった。
そして、黙って早季の後ろをついて行くと、全人学級、倫理委員会、清浄寺、図書館などにたどり着き、お昼には早季の実家で手料理をご馳走になった。
デートとは名ばかりで、早季が各所に事前に連絡を取ってくれており、行く先々で懐かしい面々、恩師やお世話になった方々に会うことができた。
最近は仕事が忙しさを極め、其処へろくに顔を出すことすら叶わなかった。
早季はそんな僕を案じてくれたのだ。改めて早季は賢くて、どこまでも気の利く女性なのだと実感する。

「今度は早季の行きたい場所に連れて行くから」
「あら、今度なんてあるの?」
「あるさ。早季が望めば、いつだって」
「瞬ってそういうところ、本当にずるいわ」
「冗談じゃないさ」
「でも、次は覚も一緒かもね」
「ああ、次は意地でもついてきそうだな」
「ふふ、相変わらずね」

玄関から必死な形相で這ってでも出てくる覚を想像して思わずくすりと笑ってしまった。
しかし、今朝の覚はいつもと何ら変わらないように見えたが、ほんの少しだけ違和感を覚えたのだ。
それが妙に気になってしまって、結局、冷たくしすぎたのだろうか、などと考え出す始末である。

……瞬、もしかして覚と何かあった?」
「いや……どうして?」

早季に心の中が覗かれているのかのようで、内心ぎくりとする。

「分かるの。瞬、今日ずっと上の空だったんだもの」
……ごめん、そうか。そうだよな」
「ううん。別に謝らなくていいのよ」

今日一日の自分の振る舞いを振り返った。
自分の不安事に気付かれないよう気をつけていたつもりだったが、細かなところまで気付いてしまう早季には隠しきれていなかったようだ。

「私で良かったら、何でも言って」
……ありがとう」

早季にこんなに甘えてしまっていいのだろうか。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
だが、早季の心配そうな表情を見たら自然と口を開いていた。

……覚の考えていることが、年を重ねるごとに分からなくなってきて、不安に感じている自分がいる。接し方も、今まで通りにいかなかったり、難しく考えたりして、結局どうしていいか、分からないんだ」

こんなこと、例え打ち明けたところでどうにかなるわけでもないのに、と心の隅で思いつつも、悩みを吐き出した開放感と、真剣に聞いてくれる人がいるありがたさに胸がいっぱいになった。
早季の顔をちらりと伺うと、つぶらな目をまん丸くしてじっと僕の顔を見つめたまま固まっていた。

「早季?」
……驚いた。瞬の口からまさか惚気話が出るなんて」
「惚気話なんかじゃないよ、真剣に悩んでいるんだ」
「人はそれを惚気と言うのよ」

何故か嬉しそうに笑う早季を見て、相談する相手を間違ったか、とも思ったが、早季は空を仰いで大きく深呼吸した後、すぐに真剣な眼差しを僕に向け、優しい声で語りかけた。

「すべてを分かり合う必要なんてないのよ、きっと。私も真理亜のこと、知らないことばかりだわ。この歳になっても子供同士のような喧嘩が絶えないのよ」

真理亜のことを思い出しているのだろうか。早季はくすくすと楽しげに笑っていた。

「それに、相手のことなんて分からなくていいのよ。知らない部分がまだあるって、素敵なことじゃない。これから知っていけばいいことなんだし。変化のある関係じゃないと、きっとそのうちつまらなくなるわ」
「そうか……覚のすべてを知っておきたいと思うのは、きっと贅沢なんだろうな」
「そうね、そうかもしれないわね。それに、退屈しないのが、覚でしょ」
「まあ、そうだけど……

確かに、覚といて飽きることはなかった。良いことでも悪いことでも、すべてが新鮮で予測がつかない。僕にとって一緒にいて楽しいというのを一番体感できる人間が覚だった。

「覚も瞬に隠しておきたい秘密の部分があるのよ」
「なんだよ、それ」
「男の人ってそうじゃない。秘めている部分がある方がかっこいい、なんて思ったりして。特に覚なんて、典型的でしょ」
「ああ、それは否定できないな」

二人して顔を綻ばせた。覚は今頃大きなくしゃみをしているかもしれない。

「たとえ覚の考えていることが全然分からなくなっても、覚が瞬のことを嫌いになるなんてことは、この先絶対にないんだから、大丈夫よ。瞬が心配することなんて何もないわ」

何だか結局本当にただの惚気話のようになってしまったように思えて、早季からも子をあやすように諭され、段々と恥ずかしさが込み上げてきて、思わず下を向いた。

……早季、ごめん」
「なんで謝るの?」

早季は分かったような顔をして、にこりと笑っていた。
やっぱり早季には敵わないな、と心底思った。

「まあ、それにしても、瞬からこういう話を聞くのも初めてだったし、悩みなんてないと思っていたわ」
「こういうの、初めて誰かに話したな」
「瞬も人の子なのね」
……うん」

ここで会話は途切れたが、二人を包む自然の静寂は、とても心地が良かった。
遠くの方から風に乗ってかすかな家路のメロディが流れてくる。

「あそこ、見える?」
「なに?」
「ほら、ミノシロ」

数百メートル先の森と水田の境目のあたりを指差した。
そこには、夕日を浴びてきらきらと胴体を輝かせながら、ゆっくりと畦道の上を移動するミノシロがいた。

「何年経っても、ここの景色は変わらないわね」
「あのミノシロも、遠い昔に僕らが見たミノシロとは別の個体なんだろうな……同じように見えて、生き物も草も木も風も、全部あの頃とは違うはずなのに、こうしていると、昔に戻ったように感じる」
……瞬」
「ん?」

早季の呼びかけに、ミノシロから目を離さずに返事をした。
夕日もミノシロも、そのうち森の中へと姿を消していってしまった。
早季の少し冷たくなった手のひらが、僕の手の甲へと置かれた。

「私の心も、あの頃から変わっていないわ」

早季の方へとゆっくりと視線を向ける。
早季の瞳が真っ直ぐに僕をとらえた。
出会った時から全く変わらない、涼やかで凛とした瞳だった。

……瞬、お願いがあるの」
「今の僕にできることならなんでも」
……キスして」

早季の指がきゅっと縮まった。
大きな瞳は恍惚とし、思わず魅入ってしまう。

「ずっと一緒にいてとは言わないから、今、キスして欲しいの」
「早季……
「お願い」

多くを語る必要はなく、理由も何も聞き出す必要もない。
早季は何もかもを分かった上で言ってきている。それが、僕たちの関係に、どういう変化をもたらすのかも。
僕は、残光に照らされた早季の頬に、そっと触れてみた。
早季の頬はふんわりと柔らかく、肌すべりが良いのを確かめるように親指でなぞった。
緩く吹いた風が、早季の髪をさらって、さらさらと揺れる。
早季は頬に置いた僕の手に自分の手を重ね、静かに目を閉じた。
早季の顔を数秒間見つめ、頭を振った。
そして、息がかかるほど近くに顔を寄せ、早季のおでこにそっと唇を落とした。
早季が目を開けると、寂しげな瞳の中に自分の姿が映った。

……早季、ごめん」
「ううん。謝らなくていいの」

予想外に穏やかに笑う早季の心中は、察することができない。
本気だったのか、試されただけなのか、それすら判別できなかった。
ただ、気づけば僕は早季の細い体を抱きしめていた。

「瞬はいつでも正しいんだから」

早季は背中越しに僕にそう言った。
早季の麗らかな声で発せられた言葉は、不思議と心の奥深いところまで落ちていく。
再び顔を合わせた早季の瞳には曇りがなく、その凛とした姿は美しかった。

すっかり辺りが暗くなった頃に、早季の家へ到着した。

「春になったら、また、皆で集まってお花見でもしたいわ」
「ああ、そうだな。まあ、前回は覚が酔っ払って大変だったけど」
「ふふ、そうだったわね。じゃあ、覚にも、よろしくね」
「うん。分かった」
「送ってくれてありがとう。瞬も帰り道気をつけて」
「ああ。じゃあ、また」

手を振る早季に別れを告げ、家へと帰るべく舟を再び発進させた。
覚にどんな顔をして会えばいいのかも分からないし、何から話せばいいのかも分からないけれど、とにかく今は顔が見たいと思った。
顔を見て、とりあえず思い浮かんだことをそのまま伝えよう。
逸る気持ちを抑えながら無事に家路につき、玄関を開けて中に入った。

「ただいま」

少さい声でも、がらんとした玄関には十分すぎるくらい響き渡る。
ひんやりとした廊下を歩いて行き、居間へと入る。

「覚、夕御飯どうする……

そう問いかけて、机の上に置かれた一人分の料理に気づく。
覚の姿だけがどこにもなく、代わりに置き手紙とも呼べない短い内容が書かれた紙の切れ端が、皿の下に挟んで置いてあった。

“急な仕事、行ってくる”

僕はその紙をくしゃりと右手の中へと仕舞った。