黒竹
2022-05-30 22:45:01
32064文字
Public プロセカ
 

#1 KISS ME IF YOU WANT?

【プロセカ】【みのはる】【MAKE IT REAL】


 自室でライブDVDを見ていたら、突然画面の向こうにいた人からメッセージが届いたので心臓が跳ねた。
『今、ちょっと大丈夫?』
 急いで映像を止め、全力で振っていたペンライトを置いて返信する。『大丈夫! どうしたの?』
 遥から届いたメッセージはセカイへ来てほしいという打診だった。なんだろう、と首をかしげる。新しい企画の相談だろうか。でも次の企画はまだ決まっていないし、それならグループチャットで送ってきそうなものだが、今回のこれはふたりだけの個人チャットだ。
 ネタ出しについてミクやリンと話し合いたいのだろうかと訝りながら『Untitled』を再生する。
 光に包まれ、目を開けるとすっかり慣れ親しんだたくさんのステージが見えた。
「遥ちゃんは……と」
 なにせ目の届く範囲すべてに大小さまざまなステージが存在しているので、人ひとり探すのも一苦労だ。ぐるりと周囲を見回してそれらしき人影を探す。
「みのりちゃーん! こっちこっち」
 遠方から声が聞こえてそちらを見ると、ミクと遥がステージ上に並んでこちらに手を振っている。手を振り返し、ステージに向かって駆け寄った。
 上がって、と手で示されたので舞台に上がり、「なにかあったの?」と二人に尋ねる。
 遥が軽く目を細めた。その表情にドギマギする。キラキラしたアイドルスマイルとはまた違った、透明な水面 みなもみたいな表情。
「みのりにちょっと見てほしいものがあるの」
 ミク、お願い。遥が目配せをすると、ミクが小さくうなずいて舞台袖に消える。
 さわさわと、誰もいない客席に気配が生まれる。姿は見えないけれどいつも見てくれている『なにか』、あるいは『誰か』の気配。
「あれ、ライブ中じゃないのにみんないる……?」
「できるかどうか不安だったけど。このセカイは私たちの想いでできているんでしょう? なら、想いを込めれば伝わるかと思ってお願いしてみたの」
「お願い?」
 すうっと遥が片手を上げて客席に合図を送った。遠くでひとつ、淡いイエローの光が灯る。みのりの視線の先で、あちらにひとつ、そちらにまたひとつと灯っていく光。それはどれも小さく淡い。いくつもの黄色光 おうしょくこうが客席で揺れる。
 心象風景のように幻想的なその光景は、花里みのりにひとつの連想をさせる。
「これ……タンポポ?」
「うん」
 一面に広がる光のタンポポ。その根源は優しさである。遥の想いに呼応した『なにか』、あるいは『誰か』の。みのりはしばし呆然とその光景を眺め、それから満面の笑みになった。
「す、すごーい! お花畑みたい!」
 見渡す限りどこを見ても光が震えていて、本当に光の花畑の真ん中にいるよう。興奮のあまり両手を上げてブンブン振ると、その方向の光が応じるように左右に揺れた。ステージにいるのはこっちなのにファンサービスをもらっている気分だ。
「前にみのりが海を見せてくれたから、お返しにと思ったんだけど。どうかな」
「うん、うん! ありがとう遥ちゃん!」
 遥がこんなことを考えたのは、おそらくは昼のことが関係しているんだろう。たかが中庭の隅のタンポポくらい、と言われてもおかしくない、大したことのない出来事だった。自分でもそう思う。だけれど彼女はみのりの悲しみをすくい上げて癒そうとしてくれた。その気持ちが嬉しいし、こんな、他の誰にもできない方法で慰めてくれたのも嬉しい。
「良かった。みのりが喜んでくれて嬉しい」
「喜ぶどころか感動ものだよ! やっぱり遥ちゃんはすごいなあ。ライブじゃないのにこんなにたくさんファンのみんなを呼べるんだもん」
 さすが憧れのアイドルだ。その想いの強さはどれほどだろう。自分が愛莉や雫、ミクとリンの力を借りて作り上げた海とは比べ物にならない。いつかは追いつきたいけれど、今はまだまだだ。
 遥は穏やかに目を細めたままみのりの横顔を見ている。
「タンポポって、世界中に咲いてるんだって」
「そうなの?」
「うん。綿毛が船とか飛行機の貨物にくっついて海を渡って、ずっと遠くの国まで運ばれることもあるらしいよ」
「そうなんだ、すごいね」
 すい、と手を取られて思考が一瞬だけ止まった。手くらいつないだこともあるし、ダンスの振り付けでもっと密着することもあるのに、なんだか妙にドキドキする。
「どこにでもあるって、つまり、世界中に届いてるってことじゃないかな」
 花里みのりは特別じゃない。
 カリスマ性もないし頭の回転も速くないし優れた美貌も持っていない。
 だけれどいつか。綿毛が海を越えるように、希望を世界中に届けられたら。
 ひとりでは無理かもしれないが、四人ならなんとかなるような気がする。
 勇気を振り絞ってきゅっと手を握り返した。
「わたし、頑張る。はやく遥ちゃんみたいなアイドルになって、世界中に希望を届けられるようになるから!」
「じゃあ私は追いつかれないようにもっと頑張ろうかな」
「ええっ、それじゃいつまで経っても追いつけないよぉ」
「ふふ、冗談だよ」
 柔らかい黄色の光が遥の瞳に反射して、海に浮かぶ一輪の花を想起させる。
 この人のそばにいたい。
 肩を並べてステージに立って、一緒に歌って、踊って、明日への希望を届けられたら、きっとそれ以上の喜びはない。
 花里みのりは心からそう思った。
「あ、みんな、今日はありがとう! またライブも見に来てね!」
 光の花畑を作ってくれた気配に大きく手を振ると、それに答えるように大きく客席の光が揺れた。
 強い風にさらされながら、それでも力強く根を張るタンポポのようで、みのりは遥がくれたその光景を強く瞼の裏に焼き付けた。



 昼休みに入って、食後の優雅なひと時を咲希と過ごしていたところ、窓際の生徒たちが不意に騒ぎ始めた。遥はなんだろうとそちらに首を回す。騒ぎのもとを探れば、カーテンの開かれた窓に生徒たちが鈴なりになって外に注目している。
「ん? なんだろ? ……おおーっ」
 一足先に野次馬をしに行った咲希の隣まで進んで「どうしたの?」と尋ねた。咲希は遥へ目をやると、窓から見える校門を指差して、あれ、と示す。
「すっごい派手な美人が校門のとこにいるの。あれ、きっと誰かを待ってるんだよね」
 咲希の指の先に、ブレザーの制服を着崩して校門にもたれかかっている少女の姿が見えた。
…………
 遥の目から光が失われた。
 どうしよう、校門にいる『すっごい派手な美人』に見覚えがありすぎる。
 咲希は無邪気に見物していて、窓枠にもたれかかりながら顎に手を添えた。
「あの制服って神高だよね? うちの学校になんの用だろ。呼び出しかな、それともデートかな」
……さあ」
 なにをしてるんだろう。宮女に友人がいるという話は聞いたことがあるけれど、今までこっちに来たことなんてなかったし、そもそもなんで通りがかりの生徒たちに愛想を振りまいているのか。やめてほしい。この学校の人たち、そういうノリに慣れてないんだから。
「でもほんときれいな子だねー。アクセとかオシャレだしかっこいー」
 まあ、格好良いのは否定しない。それにしても目立つ。昔は一緒に遊ぶとすぐに衆目を集めてしまって苦労したもので、そのたびに遥が芸能人オーラを隠さないから、と言われていたが、彼女の華やかさも影響していたのではないかと密かに思っている遥だ。
 教室はもうおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎで、その中で唯一、桐谷遥だけは親友がクラスメイトにきゃーきゃー言われているという訳のわからない状況に遠い目をしていた。
 誰を待っているのだろう、と咲希の隣で眺めていたら、眼下で青みがかった黒髪が揺れて、こちらを見上げてきた杏と目が合った。
「あー! 遥、見ーっけ!」
「えっ」
「はるかちゃん、あの美人と知り合い?」
「え、えっと、まあ……
 こちらの動揺などどこ吹く風の杏はさっきから大きく手を振って「おーい」と大声で呼びかけてきている。よく通る声だった。さすが、定期的にイベントで歌っているだけのことはある。いやそんなことで感心している場合ではない。
 急いで教室を出て校門に向かい、遥の名前を連呼している杏を止めにかかる。杏は気楽な表情で、なぜか両手を広げて遥を待ち構えていた。
「ちょっと杏! なにしてるのよ、こんなところで」
「いやー、遥に会いたくなってさぁ。最近アイドル活動ばっかでかまってくれないし?」
 待っていたのに遥が飛び込んできてくれなかったから、杏が自分から抱きついてくる。さすがに面食らった。彼女は気のおけない友人とよくスキンシップを取るタイプだが、遥とはあまりそういうことをしないのに。どちらも生きる道をステージパフォーマンスに見出した関係上、一種のライバル関係みたいなところもあり、ただの友人よりも少しドライだ。
 だというのに今のこれはなんだろう。いっそちょっと気味が悪い。
「この前お茶したでしょ?」
「遥、紅茶二杯ですぐ帰っちゃったじゃーん」
「それは、少し家でしたいことがあって」
 ほとんど体格の変わらない杏が抱きついて体重をかけてくるから、自然と彼女の腰に腕を回して支える形になって、つまり、顔が近い。
 今さらそんなことで照れはしないが、天下の往来で取っていい距離ではない。
「どういうつもり?」
「助けてあげようとしてんじゃん」
 まだ困ってるんでしょ、噂。耳元でそっと囁かれる。
 それでようやく杏がなにを狙っているのか察しがついた。未だに根強く校内を流れている咲希との噂、それを上書きしようというわけだ。
「相手が他校なら噂も広めにくいでしょ。学校の中で好き勝手言いたい連中はおとなしくなると思うよ?」
「それはそうかもしれないけど。だからってここまで目立つことしなくても」
「まーまー。インパクトあるほうが話題になっていいでしょ」
「あのね、ライブイベントじゃないんだから。杏のその目立ったもの勝ちみたいな考え方が通用する学校じゃないんだよ?」
「もー、固いなー遥は」
 ニヤニヤ笑いながら杏が首筋に腕を回してきて、むちゅっと頬にキスされた。色気のまったくない、幼児みたいなキスだった。
 なんか遠くで悲鳴が上がっている。
 さしもの遥も度肝を抜かれて身を引こうとしたが、先読みしていた杏の腕にがっちりホールドされて阻まれた。
「ちょっ、やりすぎ!」
「あはは! 焦ってる遥って珍しいね」
「杏!」
 するりと杏が身体を離し、両手で遥の頬を撫で下ろすと、そのまま顎に指先を添えて意味ありげなアイコンタクトを送ってきた。意味ありげなだけでたぶん意味はない。
「じゃ、今日もいつものところで待ってるから。あんまり遅くなっちゃやだよ?」
 流し目で囁かれた。遥はもうなにも言えない。いつものところってWEEKEND GARAGEだろう。杏の父親がマスターを務める健全なカフェバーを、いかにもふたりだけの秘密の場所みたいに言わないでほしい。お父さんに怒られるよ、と心の中だけで思う。
 「また後でねー」軽薄そうな身のこなしで去っていく杏の背中をなすところなく見送る。遠巻きにしている生徒たちと、校舎の中から見物していた生徒たちの視線が痛い。
 確かにインパクトは絶大なようだ。世間的にお嬢様学校と言われているだけあって、杏みたいなタイプは生徒にいないし、そういうタイプとの付き合いがある子だってほとんどいないだろう。だからなのか、みんな遠巻きに眺めてくるだけで詳しいことを聞こうと寄ってきたりはしない。これで静かになるならいいけど、とため息をついて、教室に戻ろうと踵を返す。
「あ……
 密やかに洩らされた声に気づいたのでも、視線を感じたわけでもなかった。どこにいたって見つけられる彼女の気配。中庭から校舎に続く道の半ばで立ち尽くすみのりを視界に捕らえる。
「あ、みのり」
 やや後ろめたい心境になりながら微笑みかけた。他でもないみのりにあんな場面を見られたのはさすがに恥ずかしい。
「お昼、中庭で食べてたんだ」
「う、うん。天気が良かったし、こはねちゃん志歩ちゃんとお昼する時は中庭のことが多くて」
「そっか」
 内心で低く唸った。さっきからみのりがこっちを見てくれない。
 斜め下に逸らされた目線。これは完全に誤解されている。どうしたものかと逡巡する。この場で誤解を解いたら他の子にも聞こえてしまうかもしれない。それでは杏の苦労が水の泡だ。苦労というか面白がっていただけのようにも見えたけれど。
「そうだ、動画サイトで振り付けの練習に使えそうなのを見つけたんだ。今日の放課後練習でちょっと試してみたいんだけど」
 さしあたり誤解を解くのは後回しにしよう、と話題を変えてみるが、みのりの反応は芳しくなかった。ずっと下を向いて前髪が表情を隠している。
 思わず湿った吐息が洩れた。
……まあ、気になるよね」
「さっきの、ひと」
「えっとね、あの子は」
 杏のことを説明しようとした遥の胸元から五十センチ。地面にはたりと水滴が落ちる。
「──え?」
 はたり、はたり。水滴がさらに落ちる。頭の中が真っ白になった。
 みのりは顔を上げられないままぐっと袖で目元を覆って、一度、唇を強く噛み締めた。
「わたしとぜんぜんちがうね」
「みのり? ねえ、なに言って──」
「ごめん、なんでもないよ! ちがうの、そんなこと思ってない、大丈夫だから」
 混乱を見せるみのりの手を取ろうとしたら全力で拒否された。不意打ちだったこともあり、心のダメージがとんでもない。
 苛立ちみたいな焦燥感がある。でも違う、これはそういうものじゃない。はき違えないように平常心を意識して保つ。
 期待してしまいそう。
 彼女の想いがそう ﹅﹅じゃないってことくらい、とっくに知っているはずなのに。
 みのりは目元を乱暴に拭ってごまかし笑いを浮かべると、大丈夫だよと首を振った。
「えへへ、なんかわたし変だね、なに言ってるんだろう」
「みのり……
「びっくりしちゃっただけだから。ごめんね遥ちゃん、大丈夫、わたし──」
 一度止まったはずの涙がみのりの双眸に浮き上がって、丸い珠が頬を落ちる。
「──わたしの、遥ちゃんが」
 それは彼女としても思いがけない言葉だったらしい。口にした直後、みのりは目を見開いて自身の口を手のひらで覆い、信じられない、と瞳を震わせた。
 たとえば大海原に綿毛が一本落ちたとして。
 誰も気づかない、誰にも見えないようなその小さな小さな種子が、どこかに流れ着いて芽吹くような、そんな淡いなにかが、彼女の内に生まれたのだとしたら。
「ちがうの、遥ちゃんはすごいアイドルで、みんなに笑顔をくれて、みんなの、わたしの憧れの……
……ねえ、それ」
 期待していい?
 まだ確かなものではないかもしれないけれど。
 あなたの目の中に、私と同じものがあるって。
 みのりの両手を掴んで引き寄せる。目線は合わない。焦燥感が膨れ上がって首の後がチリチリと痛んだ。
「ごめん、みのりにとってつらいことかもしれないけど、考えてほしい。ねえみのり、さっき、どう思った? 私をどうしたかった? 私に言いたくないことがあったんでしょう? それってなに?」
 崩れ落ちない ﹅﹅﹅﹅幻想と、ひどく個人的な執着。それはどちらも本当なのだ、きっと。
 境界線に触れてくる彼女の手のひらの熱は熱くも冷たくもなくて遥はそれが不満だ。
 花里みのりは桐谷遥に触れたくなくて、桐谷遥に近づきたい。相反する思いの比率が崩れてひどく不安定になっていた。
 その危うさは桐谷遥の焦燥を追い立てる。
……やだ……っ」
「なにが嫌? 私? それとも」
「ちが……っ」
 腹の底が熱くて、全身の血がマグマにでもなったよう。耳の後ろでドクドクと脈打つ高揚をわずらわしいと思う。
 強く強く、みのりの手首を握った。離したくない。
「──桐谷さん!」
 横から殴りかかるような怒号を受けてハッと我に返った。腕を掴まれて、手の力が抜ける。鋭い眼差しでこちらを見つめている少女に、遥が思わず息を詰める。
「日野森、さん」
「落ち着きなよ。まったく、みのりがなかなか戻ってこないからどうしたのかと思ったら」
 はー、と、気苦労の色が濃い嘆息が志歩の口からこぼれて、遥の腕を掴んでいた手がそっと外れた。そうだ、彼女と昼食をいっしょにとったと言っていた。先に教室に戻っていて、みのりが来ないから心配して様子を見に来たのだろう。
 射るような視線に気後れして目を逸らす。
「な、なんでもな」
「なんでもないってことないよね」
 みのりを背にかばい、志歩が再度重苦しく息をついた。「ちょっと周り見なよ」言われて目線だけを周囲に巡らせると、いつの間にか人だかりができていた。今さらながらぎょっとする。こんなに人が集まっているのにまったく気づいていなかった。
 志歩は困り顔で自身の首を撫でながら、「えーと、さっきの人と桐谷さんとみのりで、三角関係?」と聞いてきた。
「違うよ」
 冗談じゃない。
 もうわけが分からなかった。咲希のときはなんだかんだで応援すると言っていたみのりが、どうして杏のパフォーマンスで泣くのか、そもそも彼女たちはただの友だちなのにどうして好きな人にそんなことをされないといけないのか、秘めていたはずの恋心が学校中の娯楽として消費されているのか、どうしてみのりの手が、志歩に助けを求めるように縋っているのか。
「違うんだ。ちょっと安心した」
 志歩の眼差しがわずかに緩む。
「桐谷さん、なんでもこなせる優等生ってイメージだったけど、そんな顔もするんだね」
……みんな、私に夢見すぎだよ。別に完璧じゃないし、冷静でいられない時だって、あるよ」
「でもアイドルってそういうものなんじゃない? いつでも笑ってファンに夢を見せてってイメージだけど」
 その時、志歩の肩に置かれたみのりの手が小さく震えたのを、遥は見逃さなかった。
「うん。それは、そう」
 胸の真ん中が切なく軋む。桐谷遥も花里みのりも絶対に否定できないそれ。偶像 アイドル幻影 イドラ
 でもたぶん、桐谷遥はそれだけではいられなくなっていて。
 それは花里みのりにとって悲しいことかもしれない。
「みのり」
 志歩の肩に隠れたみのりは動かない。
「放課後、迎えに行くからちょっと待ってて? ちゃんと話そう。私もちゃんと話すから、みのりもちゃんと話して。言葉にできないことがあってもいいから、言えることを全部教えて。私も、全部伝えるから」
 みのりはなにも答えなくて、間に挟まれた志歩が居心地悪そうに身を捩った。
 このまま待っていても膠着状態は変わらないだろう。頭とか頬とか、肩とか手の甲でもいいから少しだけさわりたかったけれど、我慢して拳を握る。
「日野森さんもごめんね。ありがとう」
……ま、みのりは友だちだし。とりあえずこの子はこっちでなんとかするから」
「うん」
 遥が校舎へ向かい始めると、野次馬は蜘蛛の子を散らすように離れていった。志歩はその様子を呆れ顔で眺めながら、後ろ手にみのりの頭をポンポン叩く。
「あんなの、もう言ってるのと一緒じゃない?」
…………
「私はみのりたちがやってる活動よく知らないけど、一応アイドルやってる人が身近にいるからね。軽々しくああいうこと言えるものじゃないってことは知ってるよ」
…………
「よっぽどだと思うけど?」
 志歩がなにを言ってもみのりは答えず、仕方なく、志歩は背中にひっつかれたまま予鈴が鳴るまでその場に佇んでいた。
──しょうがないな、みのりも桐谷さんも。
 大切だから言えないとか、傷つけたくないから離れるとか。
 身につまされてしまっていたたまれない。それは思わず助け舟も出してしまうというものだ。
──あーあ。
 なんだか無性にアップルパイが食べたくなった。