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黒竹
2022-05-30 21:07:58
18510文字
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ワンルームでも広すぎる
【ルカミク】
「ビブリオテイクは狭すぎる」の続編。「君次第」のさじ加減は難しいですね、というお話。
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駅にほど近いそのマンションは、単身者向けらしく窓と窓の間隔が広かった。白い外観は真新しくはないが、さりとて古びてもいない。まあ二十代の社会人が一人暮らしをするには平均的だろうな、と思わせる見た目だった。
「片づけてくるから、少し待ってて」
言われて素直にドアの前で待つ。この先の部屋で彼女は暮らしているのか。ご飯を食べたり掃除をしたり、寝起きしてお風呂にも入っ「わー!!」変なことを想像しかけて激しく頭を振る。
「ミクちゃん!? どうしたの!?」
緊迫した表情と声でルカが飛び出してきた。「なんでもないですっ。ごめんなさいごめんなさいっ」変なこと考えちゃってごめんなさい。
呆気にとられていたルカだったが、危険な事態が起こったわけではないと判って安心したのか、「まあ、とにかく」身体を開いて玄関にスペースを作った。
「どうぞ。狭いところだけど」
「お邪魔します」
一歩踏み入れた途端、嗅ぎ慣れた匂いに鼻をくすぐられた。満ち満ちた彼女の香りに全身を包まれる。
ふふっと小さく笑ったら、ルカが「なに?」と聞いてきた。
「ルカさんにぎゅってされた時と同じ感じがする」
「あら、じゃあここにいる間はしなくてもいいのかしら」
「
…………
してほしいです」
だから、判っているのにそんなこと言うのは意地悪だ。
ぽふっと身体をルカへ預けると、肩をくるむように腕をまわされた。髪を梳かれて、うなじのあたりを軽く撫でられて、耳をもてあそばれる。無意識にミクの肩が微動した。
「も
……
耳やだって何回も言ってるのに」
こそばゆいというか、腰のあたりがなんだかもぞもぞするから、あまりさわられたくないのだ。「何度も聞いてるわ」そう言いながらルカは指の腹で外耳のラインをなぞってくる。聞くだけじゃなくて考慮してほしい。
「
――――
?」
離れるのも嫌だからなすがままになっていると、不意に指先とは違う感触が伝わった。もっと柔らかくて、しっとりした何か。
「ル
……
」
「さ、座って座って」
ルカがあっという間に腕を解いた。「あ、うん」へどもど応えながらミクは内心に疑問符を浮かべる。
今の、なんだったんだろう?
広めにとられたワンルームの中央にローテーブルが置かれていて、そこへルカと隣り合って腰を下ろす。ルカの入れてくれたレモネードを両手で持った姿勢で、ミクは失礼にならない程度に室内を見回した。
端にパソコンが鎮座していた。あれでミクのブログなども見ているのだろう。よく話題にも出てくるし、ちゃんと見てもらえているようだ。逆端はベッドが置かれていて、そちらはすぐに目をそらした。
モノクロを基調とした、全体的に落ち着いた部屋だ。カーテンがピンクだったりぬいぐるみが並んだりしているミクの部屋とは全然違う。そんな中で彼女だけがカラフルである。薄桃の髪がさらりと揺れて、蒼い瞳がこちらを覗きこんできた。
「できれば部屋じゃなくて私を見てほしいんだけど」
「
……
あ、う、はい
……
」
ひそかに思いを寄せていた頃には見ることのなかった表情だ。彼女の双眸がどこか艶めいていて、見ろと言われたのに俯いてしまう。
ルカはそんなミクの様子に喉を鳴らして、視線を外すことで逃げ場を与えてくれた。
「それにしても、ミクちゃんがこんなに早く言いだすなんて思わなかったわ。もうしばらく待つのかと思っていたのに。やっぱりメイコさんが言っていたことが気になった?」
「う、うん。でもそれだけじゃないよ。ちゃんと自分でそうしたいって思ったんだもん」
「そう」
ルカが破顔一笑する。「こんなに可愛い子を一人占めしちゃっていいのかしら」「か、可愛い禁止
……
」さらっと言われて大いに照れるが、一人占めの方は禁止しないあたり、初音ミクは素直である。
だってルカだけがいい。
そのためにも、ちゃんとした恋人同士にならなければ。
ゴソゴソとバッグを漁って、昨日準備しておいた封筒を取り出す。
「きょ、今日はね、お手紙もういっこあるの」
「直接言うのが恥ずかしいから?」
「そうだけど、判ってても言わないでよ
……
」
はい、と手紙を押しつけると、ルカは手早く便箋を開いた。なんとなくいつもより手際が良かった気がする。
ルカが止まった。というか固まった。
笑みが引っ込んで、どこか呆然としたような、自信のあった試験が不合格だった時みたいな顔になる。
「あの
……
ルカさん?」
「
……
いえ」
一度瞑目して、また便箋へ目を落とす。いやこれはなにかの間違いでは、と願っているようだ。
ルカさんに、ミクってよんでほしいです。
少し心音が大きくなった。やはり性急すぎただろうか。好いた相手を呼び捨てにするのは勇気がいる。ミクだって彼女を『ルカ』と呼び捨てにしろと言われたら戸惑うに違いない。こちらの場合は年下であるという理由もあるにせよ、大きな違いではないはずだ。
ルカと正対するように位置を変えて、唇を引き結ぶ。
「あの、あのね。ちゃん付けで呼ばれるのが嫌ってわけじゃないの。でもなんか、恋人っぽくないっていうか、友達みたいな感じだよね。だから、その
……
」
声が尻すぼみになって、俯きたくなるけれど頑張って耐えた。
呼び方は重要なファクタであると思うのだ。おままごとな関係に見えるのもそれが関係しているのではないか。幼なじみの二人は、きょうだいだけれどお互いを呼び捨てにしていてすごく近しい感じがする。呼吸をするようにそばにいて、当り前に同じ時を過ごしている。そういう、ひとつの完成形。
ミクはそれを目指したい。いやルカと姉妹になりたいわけではなく、二人の立ち位置として、だけれど。
だからこそのステップ。恥ずかしいかもしれないが、そこはルカに頑張ってもらうしかない。
不意にルカの身体から力が抜けた。口元が緩んで、わずかに眉の下がった笑顔になる。
床に手をついて、
「そういうことだったのね」
「そ、そういう、ことです
……
けど、あの、ルカさん
……
?」
「なに?」
「近い、んですけど
……
」
正面にいる彼女との距離がどんどん縮まっていく。ミクは思わず及び腰になった。ほのかに香水が薫る。いつも彼女がつけている香りだ。普段なら安心できるそれが、なぜか今は息苦しさを与えてくる。
「近づかないとちゃんと聞こえないでしょう?」
膝の上に置かれていたミクの手に、ルカが手を重ねてきた。かすかに痺れる感覚。なにこれなんかいつもと違う。予想から事態は大きく外れている。もしかしたら彼女が照れるところを見られるんじゃないかとよこしまな想像さえしていたのに、そんな可愛らしい風情はどこにもなく、それどころか、妖しささえ、感じるような。
思わずきつく目を閉じた。
「ミク」
些々とした呼び声。目を開けられない。指先まで熱い。なんでそんな色っぽい声で呼ぶの。
「これでいい?」
手が離れて声も遠くなった。呪縛から解き放たれたミクがようやくまぶたを持ちあげる。
ルカはどこか勝ち誇ったような視線でこちらを見つめていた。
そのことに違和感を覚える。
「あれ
……
? ルカさん、ひょっとして怒ってる?」
「そんなことないけど、そうね、自分に対してなら憤っているかも」
人差し指の背を唇に当てながら、あさっての方向を見てルカ。よく判らない。
視線で説明を求めると、彼女は拗ねたように唇を突き出した。
「てっきりキスのひとつでもさせてくれるかと思ってたのに」
「ぅええぇぇぇ!?」
のけぞった拍子に正座が崩れて、ミクはそのままズザザ!と後方へ逃げた。
「そんな、まだ二ヶ月だし!」
「もう二ヶ月じゃない?」
「ま、まだって言ったのルカさんでしょー!」
そんなこと全然考えなかった。しかし言われてみれば、そういうことをしているシーンなど小説でいくらでも見る。あまりにありきたりだから意識したこともなかった。
してみると、さっきの近すぎる距離。あれにも思惑が見えてくる。
「
……
ルカさん、さっきめちゃくちゃ近づいてきたのって、もしかして意趣返し?」
「あら、ミクったら難しい言葉を知っているのね」
「なんかもう呼び捨てしてるしぃ~
……
」
「可愛いミクの頼みなんだから叶えてあげたいもの」
今の台詞はぜったいにわざとだ。
家に行きたいと告げてから彼女がやや浮かれ調子だったことに、ようやく納得がいった。そういう方面を期待されていたわけだ。大人ですものね。
クッションを盾代りに抱え込みつつ、上目遣いで彼女の様子をうかがう。笑っているけど微妙に嘘臭い。
うわあ、と内心で唸った。
――――
この人、今ほんとにがっかりしてる
……
。
申し訳ない気分にはなるものの、じゃあしましょうか、なんて言えない。
「あの、ルカさんがご希望の展開は
……
もうちょっと心の準備が必要、かも」
「どれくらい?」
「
……
あと一ヶ月くらい」
「長いわね」ルカの声に少々苦いものが混じった。
じりじりと後ずさってルカと距離を置く。彼女は小さく肩をすくめた。
「実家にいた頃、猫を飼っていたのよ」
「うん?」
「母親が拾ってきたんだけど、可愛くてずっと構ってたら近づいて来なくなっちゃったのを思い出したわ」
「
……
今度は猫扱いですか」
「いやねえ、ちゃんと女の子として見てるわよ」
ルカが立ち上がった途端、無意識に身がすくんだ。それに自分で気づいて、さすがにこんな態度は良くないだろうと気まずさを覚える。
ルカはテーブルに置かれたかごから飴玉をひとつ拾い上げると、ミクの前で体育座りの姿勢をとった。
「あーん」
「あ、あーん?」
誘われるままに口を開ける。かろん、と音を立てて蜂蜜味のキャンディが転がり落ちてくる。
甘い。クッションを抱えたままむぐむぐ食べていると、ルカがふにゃりと情けなく笑った。
「今日はここまでかしら」
「んん?」
「今のミク、さわっただけで溶けちゃいそうだもの」
ミクは訝しげに眉を寄せる。
何を言っているんだろう。雪じゃあるまいし、人の身体が溶けたりするものか。
クッションを傍らにどけて、ん、と腕をのばす。ルカはちょっとだけきょとんとしたけれど、すぐにミクのうなじへ手をかけて引き寄せた。
柔らかい身体。首筋から薫るフレグランス。部屋の香りと相まって二重に抱かれているようだ。
さっきは少し恐かったが、もうそんな不安は覚えない。
「溶けたりしないよ。そんなことになったらルカさんに抱きつけなくなっちゃう」
「そうね」
わずかに韜晦の見える話しぶりだった。多分、ルカが言ったのはそういう意味じゃなかったんだろう。
でも彼女は意味が判るまで待ってくれるようなので、素直にそれに甘えることにする。
「こういうのも、なんかいいね」
「え?」
「お出かけの時はあんまりくっついたりできないもん」
手をつないだり腕を組んだりはするものの、こんなふうに身体全部を預ける機会などそうそうないのだ。電車の中とかで公然といちゃついているカップルをたまに見かけるが、よくできるものだと半ば感心してしまう。羨ましいけど真似したいとは思わない。
身体を反転させて背中でルカに寄りかかる。彼女の腕が腹部にまわって、ぽふぽふと優しく叩いてきた。
「うあー。なんか幸せ」
「そう?」
「うん。ルカさんしかいない感じがする」
薄桃の髪が肩から落ちてきて、ミクの髪と混じり合った。
「私も、ミクしかいない感じがする」
「おんなじだね」「ええ」ルカの手と自らのそれを重ね合わせると、体温が溶けて幸せな温度になった。
本当は恋人の条件なんてそれくらいのものなのだが、ミクはまだ知らない。
「また来てもいい?」
「いつでもどうぞ。
……
あ、来月は必ず来てね」
「なんで?」
「約束守ってもらわないと。一ヶ月したら心の準備ができるのよね?」
「
…………
あうぅ」
飴玉の溶ける速度が上がった気がする。
ルカの顎が肩口に乗ってきて、ぽこんと軽い呼気が聞こえた。
「ちゃんと待ってるから焦らずゆっくりでいいけど。キスもその先も、ミクとしかしたくないし」
「その先ってなに!?」
「
……
一応真面目に告白してるんだから、そこに反応しないで。ていうか知ってるのね」
「か、風のうわさで」
具体的な内容は知らないけれど。大方の物語では、そういう流れになると空行を挟んで翌朝になっていたりするので。
きゅっとルカの手を握る。
「あの
……
、こんな子どもで嫌になったりしない? もっとちゃんとした、大人の男の人といた方がいいって思わない?」
「全然。私ね」
緩やかにミクを捕まえながら、ルカは艶やかな声で言った。
「あなたが男だったらよかったなんて、一度も思ったことないのよ」
不安になるのが馬鹿馬鹿しいほど、確固とした愛の告白だった。
考えてみればいつだってそうだ。彼女は今の己をそのままで好きだと言ってくれる。
恰好悪いところを見せたところで、きっとそれは変わらないのだ。
「じゃあ、今、幸せ?」
「ええ。とても」
「
……
ん。わたしも」
壁に掛けられた時計が時を刻んでいる。
現実には空行もなければ『そして一ヶ月後。』なんてことにもならない。
一日一日、途切れずに進んで、未来へ向かっていくのみだ。
そこにいつでも彼女がいたらいいと思う。
それからミクが帰るまで、二人は離れないままでいた。
二人きりで過ごすなら、そんなスペースだけで充分だった。
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