黒竹
2022-05-30 21:07:58
18510文字
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ワンルームでも広すぎる

【ルカミク】
「ビブリオテイクは狭すぎる」の続編。「君次第」のさじ加減は難しいですね、というお話。


 恋愛小説をいくつか熟読してみたが、いまいち参考にならない。
「はあー……
 ベッドにあおむけで寝転がる姿勢でいるミクは、持っていた本を枕元に置くと、瞑目して大きく息を吐いた。
 夕飯を終えてくちくなったおなかをさすりながら、彼女のことを考える。
 今日はルカを困らせてしまった。今まではミクが拗ねたりしても大人の余裕で受け止めてくれていたから、あんな顔を見たのは初めてだ。悪いことをしたなと思う。
「もっとちゃんと言えたらよかったな……。でも、メイコさんだって意地悪で言ったわけじゃないし……
 一過性の疑似的な感情なのではないかと彼女は疑っていた。そう思うのも無理はない。ままごとのようだと自分でも思わなくはないのだ。どんなのが『本当の恋愛』なのかミクは知らない。かといって、誰かに聞けば正答を教えてもらえるようなことでもない。
 一緒に出かけたり手をつないだりはするようになったけれど、ただ単に仲良しのお姉さんと遊んでいるだけ、というのと大差ない気がする。それくらい幼なじみとだって何度もしているのだ。
 欲しいのは変化である。変革である。
 しかしその青写真どころか線画すら浮かばない。こういった方面においてミクは浅学である。
「うーん……
 何があるだろう。証としての変化。
 どうしたい?
 どうしてほしい?
 こうしてみると二人の距離はずいぶん遠い。「うまくいかないなあ」いやおそらくお付き合いそのものは順風満帆なんだけれど。幸せだし。
 ベッドから降りて、枕元に放っていた文庫を本棚に戻す。
 「ルカさんに会いたいな」独りでいると、無駄に色々考えてしまう。下手な考え休むに似たりだ。疲れるぶん、休んだ方がましである。
 窓の外から隣家の喧騒が低く聴こえてくる。相変わらず元気だなあとミクは一人苦笑する。幼なじみの双子、姉の方が音楽に合わせて歌っているようだ。この状況で沈思黙考するのは難易度が高い。
 「リンうっせー!」やや乱暴な怒鳴り声。弟が姉を注意しているようである。それから彼らは何事か会話をしていたけれど、さすがに内容までは聞き取れなかった。
 喧嘩のように思われるかもしれないが、あのきょうだいは仲が良い。遠慮のない怒鳴り声だって垣根のないことの証左だ。
…………?」
 遠慮?
 遠慮か。
……それ?」
 遠慮とか垣根とか、そういうもの。

 二人の、距離。

 『それ』がなくなったところを想像してみた。
 悶え転げた。
「ええぇ……! ル、ルカさんに? ほんとに!? うわわ、どうしよう……
 想像しただけで心臓が破裂しそうだ。固く握った拳の中で汗がにじむ。熱い。
「や、でも、恋人なんだから、そういうのあってもおかしくないっていうか、その方が自然だよね」
 ひとりごちて、うんうんと自分で頷く。
 よし、さしあたりそれを目指そう。本当の恋人がどういうものかは判らないけれど、今の状態よりは説得力が生まれる気がする。
 ミクはレターセットを引き出しから取り出すと、受験勉強の時より真剣な表情でペンをかまえた。
 いやだってさすがに直接、そうしてほしいなんて言えるわけがない。大事な話なんだからメールで済ませてしまうなんてもってのほかだ。
 二ヶ月間、送り続けている恋心。レターセットは引き出しの中にまだたくさん残っている。ルカさん。時間をかけてまず一筆目。誤魔化す必要がなくなった彼女の名前を、うまく動かない右手を駆使して書きつづる。ガタガタに揺れた線を見るたび、喉の奥にビー玉か何かが詰まったような感覚をおぼえるけれど、渡した時の彼女の嬉しそうな顔を思い出すことでやりすごす。
 さて続きを、と思っているのに手が止まった。
 なんて書いたらいいんだろう。
 このケースは初めてである。普段はいくらでも言葉が思い浮かぶけれど手がうまく動かなくて嫌になることが多い。言葉が見つからないなんてついぞ経験がない。小さく唸る。小説で読んだフレーズがいくつか浮かんだがそれは書けない。自分の言葉で書きたい。
 彼女に出会ってから初めてのことばかり経験する。
 初めて恋をしたし、耳触りの良い文章をいくらでも書けるメールより拙い手紙が良いと初めて言われたし、単なる褒め言葉以上の意味を持つ「可愛い」も初めて告げられた。それから、初めて、好きになってもらえた。
 恰好悪いことをしたくない。そんなことをしたら嫌われてしまうかもしれない。ミクはまだ大人ではなく、大人の寛容がどこまで広いのか判断できない。
……そこはちょっと、後回しにしておこ……
 ハードルを下げるミク。
 もう少し文字にしやすいことを先に書くことにする。
 何度もペンを放り出したくなりながら、やっとのことで一枚書き終えた。手のひらより大きな便箋につづった言葉はたったの一文である。それでもミクには一苦労だ。
 一枚書き終えると、なんだか達成感があった。少しだけ自信がついた気がする。今ならやれそうな気がする。
 ペンを強く握りしめて二枚目の便箋をテーブルに。
 それは多分、余人が見たら子猫がソファから飛び降りようとしているくらいの光景だった。大したことがないのに必死な表情でゴールを目指す姿は、滑稽で微笑ましくて、ほんの少しハラハラする。このまま黙って見ていようか、それとも助けてやろうか? そんなふうに思わせる眼差しで、ミクは便箋を見つめている。
 ルカがこの場にいたら、黙って眺めていつつも他に誰もいないことに安堵しただろう。
 そんな、真剣で必死で可愛らしい姿だった。