黒竹
2022-05-30 21:07:58
18510文字
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ワンルームでも広すぎる

【ルカミク】
「ビブリオテイクは狭すぎる」の続編。「君次第」のさじ加減は難しいですね、というお話。


 土曜日である。つまり真昼間からルカに会える至福の曜日である。しかしミクは浮かれきれない。
 真っ先に駆け抜けるはずの図書館入口で、もう五分ほどウロウロしていた。勢いで書いてしまったが本当にこれを渡すのか。突然こんなこと告げたらルカが困るんじゃないか。やっぱりやめようか。でもそこをクリアしなければ、また誰かにごっこ遊びだと言われてしまうかもしれない。いつかは乗り越えなければならない壁である。
「探し物かね?」
「うっひゃあぁぁ!」
 振り返ったらシャッポさんが驚いたような顔でこちらを見ていた。場違いな悲鳴に度肝を抜かれたのだろう。「あ、こ、こんにちは」慌てて誤魔化す。
 下を向いてさまよっていたから勘違いされたようだ。なんでもないんです、と曖昧に笑ってけむに巻く。
「そんなところにいないで入りなさい」
「はい……
 シャッポさんの柔らかな視線に背中を押されて、仕方なく図書館に足を踏み入れる。もう少し気持ちの整頓をしていたかったのだが。
 相変わらず人のいない館内は静逸で居心地が良い。以前、ルカがペンを走らせる音が苦手だと言っていたけれど、ミクだって実は同じなのだ。あの音を、己は発することができない。
 前はそれが大きなコンプレックスだったけれど、ルカの話を聞いてからはちょっと受け止め方が変わった。そのおかげで彼女に嫌な思いをさせずに済む。
 シャッポさんの背中が不意に止まった。後ろを歩いていたミクも合わせて立ち止まる。
「あれはどこだったかな……
「どうしたんですか?」
「町内会の調査で昔の地図を使うんだが、どこにあったか忘れてしまってね。十年ほど前に一度見たから、ここならあるはずなんだが」
「あ、地図ならこっちですよ」
 指で指し示しながら、シャッポさんの歩幅に合わせて歩き出した。古地図は地図のコーナーではなく郷土資料としてまとめられているのだ。軽いトラップである。
「詳しいねえ」
「ま、これだけ通ってれば覚えますよ」
 鼻を高くしながらミク。別にルカに会うためだけにここへ来ているわけではないのだ。
 無事に古地図を見つけ出すと、シャッポさんは礼を言ってそれを持ち出した。懐から取り出した手帳を広げると、地図を見ながらそれに何かを書きこみ始める。どうやら過去の地形から川の位置を探っているようだ。
 どういったことに使うのかは判らないが、隣に張り付いても仕方がないので、ミクは会釈だけしてその場を離れる。
 ルカはカウンターの奥にあるデスクで事務処理をしていた。声をかける必要もなくこちらに気づいて顔を上げる。彼女の口元がほころぶ。ミクはそのことについて内心で誇る。
 さらに奥のデスクに座る上司を気にするような態度を取ったが、努めてなんでもないふうを装いながら席を立った。上司がちらりとルカを見やって、それからミクへ視軸を変えてきた。「やれやれ」という感じで彼が首を振る。ただしその表情はなごやかだった。ミクはどんな顔をしていいか判らなかったので、仕方なくえへへと笑ってみた。彼がどう思っているか知らないけれど、とりあえず叱られたことはないので流しているミクだ。
 そんな二人のやり取りに気付かないままルカがこちらへやってきて、ミクに向かって軽く頷きかけた。それだけで彼女に触れたくなる。自然に下ろされた腕、そのシャツの裾をそっとつまむ。ルカは小さく苦笑すると手首を返してこちらの指先へ軽く絡めてきた。カウンターのおかげで上司からは見えない。
「ミクちゃん、今日はいつもより熱いわね」
「子どもは体温が高いってからかうつもりなんでしょ」
 今日こそはと先手を打ってやる。「そんなことないわよ」ルカは絡めていた指に力を込めると、唇をミクの耳元に寄せた。
「私と会ってドキドキしてくれてるのかと思っただけ」
………………
 今日も駄目でした。
 その通りなので何も言い返せない。悔しい。古今東西なら負ける気がしないのに。
「でも、本当にいつもより手が熱いわよ? 暑気あたりするほど暑くはないと思うけど。風邪?」
「だ、大丈夫。具合悪いとかじゃないから」
 これから一世一代の大仕事なのだ、心拍数も速くなれば体温だって上がる。
 ミクは肩にかけていたバッグから手紙を取り出すと、彼女の胸元へ突きつけた。繰り返される告白は結果も毎回同じである。
 「ありがとう」ルカが嬉しそうにそれを受け取る。本当に、本当に嬉しそうに。拙い字で一言二言しか書かれていない手紙をこんなにありがたがるなんて変な人だ、とミクはいつも思う。
「い、いま、ここで見て」
「いいの? ミクちゃん、恥ずかしいから目の前で見られたくないって言っていたじゃない」
「今日は、いいの」
 これは前哨戦だ。ここで終わったらすべて終わる。
 あまりにもミクが思いつめたような顔をしていたせいか、ルカの表情もどことなく不安げになった。
 ゆっくりと封のされていない封筒を開けて、便箋を取り出す。ためらいがちに開いたそれを読んだルカが一気に弛緩した。

 ルカさんのおうちにいってみたいです。

 盗み見るようにその様子をうかがっていたミクが、恐る恐る尋ねる。
「駄目……かな」
「まさか。ミクちゃんならいつでも大歓迎よ」
「じゃあ、今日でもいい?」
「構わないけど……。どうしたの? 今日って何かあったかしら?」
 誕生日でも記念日でもないはずだけどとルカが首をかしげた。どうしてそんなに急ぐのか判らなくて戸惑っているようだ。
 ミクとしても別に今日でなければいけないわけではないが、こういうのは勢いが大切である。そのうち、と思っていたらそのままズルズルと先延ばしにしてしまうかもしれない。
 手を離して、両手をもじもじ組み合わせる。さっきよりもさらに顔が熱かった。
「えっと……あの、二ヶ月くらい経つよね?」
「そうね」
「だからね、そろそろそういうことになってもいいと思うの」
「えっ」
 拍子抜けしたままだった彼女の顔つきが変わった。やにわに真剣さを帯びて、けれどその中にかすかな期待が混じっているような。
 よかった、ちゃんとこちらの想いが伝わったようだ。胸を撫で下ろしつつ反応を待っていると、迷うようなそぶりを見せていたルカがそっと頬に触れてきた。
「本当に、いいの? 焦って大人になる必要はないって、私言ったわよ?」
 そんなことは判っているけれど、このままじゃいけないとそれ以上に思うのだ。
 大人が子どもになれないなら、子どもが大人になるしかないじゃないか。
「いいよ。いつまでもルカさんに子ども扱いされるのも癪だし」
 羞恥心のせいで冗談口調になってしまったけれど、ルカはまったく笑わなかった。