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黒竹
2022-05-30 21:07:58
18510文字
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ワンルームでも広すぎる
【ルカミク】
「ビブリオテイクは狭すぎる」の続編。「君次第」のさじ加減は難しいですね、というお話。
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初音ミクが巡音ルカさんとお付き合いを始めて二ヶ月が経過していた。真夏だった季節は秋の第一歩を踏み出していて、夏に踏みしだかれた空気は静謐さを帯び始めている。
デートというものも何度か経験しているが、それでも顔を合わせる機会は図書館が圧倒的に多い。授業を終えてダッシュで向かえば一時間ほどは一緒に過ごせるのだ。帰宅部で良かったとしみじみ思うミクである。
駐輪場に自転車を停めて入口まで駆ける。図書館に入ったらさすがに走るわけにはいかないので、注意されないギリギリのスピードで館内を歩きまわり、ルカの姿を探した。
――――
あっ。
少し奥まったところにかの人の背中を見つけて、心臓が小さく跳ねた。
好きと言ってもらってから二ヶ月も経っているのに、今でも顔を見るだけでドキドキする。
「ル
……
」
小声で呼びかけようとしたところで、他にも人がいることに気付いた。
潔いショートボブの赤い髪に、涼やかな造形美の女性。ミクとも知り合いであるメイコが、テーブルに腰を預けながらルカと会話をしていた。
すぐにでもルカと話をしたいけれど邪魔をするのも悪い。声をかけないまま、けれどルカのことは見ていたいのでその場で二人の話が終わるのを待つことにする。
「意外というかなんというか
……
。まだ続いてたんだ」
「それを言うなら、『まだ』たった二ヶ月ですよ」
ルカが微苦笑を浮かべながら言う。メイコはどこか躊躇いがちな視線をルカに向けていた。
話の流れは判らないが、二ヶ月というワードにどうしても反応してしまう。
メイコは切り揃えられた髪を軽く撫でると、
「本気、なの?」
ためらいながらも問い尋ねる。
「冗談に見えました?」
「見えないから心配してんのよ。あの子、まだ十六でしょ?」
「そうなんですよね。私もそれが心配で」
もう間違いない。話題の主は自分だ。何かしてしまったんだろうか。自分自身では判らない、けれど大人の目には問題だと映るような何か。なんだろう、迷惑をかけたつもりはないけれど、どこかで自分はルール違反を犯したのだろうか。
ギュッと制服の胸部分を握りしめて息を殺す。
ルカが考え込むように拳を口元に当てて、ほう、と溜め息をついた。
「私が三十になっても、ミクちゃんって今の私より若いんですよ。その頃には大学生か社会人になって色んな人と知り合うだろうし、そうなっても引き止めていられるかどうか
……
」
「いや、あたしが言ってるのはそういうことじゃなくてね」
割合シリアスだったメイコの表情が呆れかえったそれになった。
「まあ、遠くもないか。ルカさんの言うとおり、あの子はまだ高校生なわけよ。視野だって広いとは言えないし恋愛に憧れる年頃でもあるでしょ」
両手をテーブルについて身体を支えながら、メイコはルカを斜めに見つめる。ルカは微笑でそれを受け止めた。
目をそらさない意思の強さを相手に誇示する。双方共に。
「
……
あの子が『恋愛ごっこ』してないって保証、どこにあるの?」
ミクの胸の奥でなにかが軋んだ。
メイコは気だるげに息をついて続ける。
「あたしが高校生の頃なんて、そこらじゅうでくっついたり別れたり、そりゃもう一年中お祭り騒ぎだったわよ。ルカさんだってそうでしょ?」
「まあ
……
近いものはありましたね」
「祭りって、終わっちゃえばあっという間に冷めてしまうじゃない」
「詩人ですね。メイコさん、作詞もされているんでしたっけ?」
「茶化さないの」メイコが不満そうに眉をひそめた。
先ほどより乱暴に髪をかき回して、視軸を床に移す。苛立ちが双眸に浮かんでいた。それをルカに向けるほど、彼女は無分別ではない。
耐え切れなくなってミクはそこから歩き出した。自分が泣きそうになっているのが判る。それを必死に堪える。泣いてはいけない。絶対に。
ルカとメイコが同時に瞠目した。音か気配でミクの存在に気付いたのだろう。
戸惑う二人に構わず、ミクはまっすぐにルカのそばまで進んで、彼女のシャツの裾を掴んだ。
うな垂れた額が彼女の肩に触れるくらいの位置で止まる。
「ミ、ミクちゃん、今の、聞いて
……
?」
「すき」
涙を流さないように強く目をつぶる。泣いてしまったら声が出なくなるから。
「ルカさんのこと、すき、です。すき。
…………
すき
……
」
あんなに毎日本を読んでいても、出てきた言葉はそれだけだった。
もっとちゃんと、理由とか根拠とか、言を尽くして説明したかったのに、彼女の名前と想いしか、口にできなかった。
ごっこ遊びなんかじゃないと強く言いたいのに。
ルカの手のひらが後頭部を撫でてくる。なだめる手のひらが優しくて、堪らずに彼女の肩口へ顔を押し付けた。
「大丈夫よミクちゃん。判ってるから。大丈夫」
どうしよう。結局泣いてしまった。きっとルカは泣きやむまで慰めてくれる。彼女は仕事中なのに。迷惑だけはかけないと誓っていたのに、もうそれを破ってしまった。
「あー
……
あたし、悪者?」
気まずそうにメイコが呟く。ミクは顔を上げないまま小さく首を振った。
「ちが
……
ごめ、なさい」
「いや、そうよね。いきなりこんなこと言われたら、そりゃミクちゃんがいくらいい子でも怒るわ。ごめん。
でも判ってほしいんだけど、あたしはあなたたちの出会いがすごくいいものだと思ってるの。それをできれば長く大切にしてほしいだけ」
彼女の言いたいことは判る。高校の同級生にも、付き合ったかと思ったらすぐに別れて、それきり挨拶もしなくなるような子たちが何人かいた。そういうケースを危惧しているのだろう。
だけどそんなの、他人に言われたくはない。
想いが本物か気の迷いかなんて、いったい誰に判断できるというのだろう。
ルカの手が背中に下りてきて、赤ん坊を寝かしつける時のようにぽんぽんと叩いてくる。
「心配してもらえるのはありがたいですけど、これはミクちゃんと私の話ですし。それに、もしも、万が一、何かの間違いで、そんなことになっても」
ハードルを上げまくるルカ。
「それはそれで、私は構わないんです」
無意識にミクの身体が硬直した。
それってどういう意味?
思わずシャツを掴んでいた手に力がこもる。
ルカは背中を撫でる手を止めないままでいる。
一拍を置いて、ルカが続けた。
「そうしたら、もう一度ミクちゃんに好きになってもらうだけですから」
「
……
わお」
メイコの呆れ声が耳に届いた。「いらない心配だったか」苦笑交じりの呟きと、靴底が床を擦る音。
「それじゃあ、そんなことにならないように仲良くね」
ひとつの気配が遠ざかる。
涙はもうほとんど止まっていたけれど、今度は羞恥心が首をもたげてきた。ルカの方にしがみついたまま動けなくなる。
やってしまった。もっとしっかりしないといけない。ただでさえ本とばかり向き合っていたせいで人付き合いの機微とかよく判らないのに、こんなふうにすぐ泣いてぐずるなんて、まさしく子どもの所業だ。
別の意味で涙が出てくる。
頬をルカに包まれた。「顔上げて」そっと囁かれるがなかなか言う通りにできない。
「ごめんね、嫌な思いをさせてしまって」
「いえ、わたしの方こそごめんなさい」
きっと自分が男でもっと大人だったら、あんなこと言われなかった。みんななんの憂いもなく祝福してくれただろうに。
指先に目元から頬までをなぞられる。涙の跡を辿られたのだと気づいたミクは、その触れ方に意図的なものを感じ取って複雑な表情になった。
「ルカさん、からかってきてるでしょ」
やめてほしいと何度もお願いしてるのに、彼女はことあるごとにこんなことをする。
「見ないふりしてほしかった?」判ってるくせに訊いてくるから意地悪だ。
さっきの言い方だってそうだ。あんなふうに結論を先に示したらミクが不安になることくらい予想できるだろうに。
そうやって翻弄してくる彼女だけれど、触れる肌はいつだって温かく心地好い。
「泣いてしまうほど私を好きでいてくれるんだって、嬉しくなったのよ」
だから見逃せなかったのだと、ほのかな眼差しで言ってくる。そんなふうに見つめられたらミクはもう文句を言えない。
ちょっとだけ離れて、手の甲で目元をこする。やだなあ、鼻赤くなってそう。胸の内で嘆息。漫画みたいに涙だけが綺麗に落ちるわけもなく、瞼は腫れるし鼻水も出るし、唇が情けなく歪んだりもするのだ。
肩を落としながら、「やっぱりほんとの恋人っぽくないよね」自虐的にこぼす。
「本当の恋人ってどんなの?」
ルカは小さく苦笑した。
「だから
……
なんかカッコ良くて、誰が見ても不思議に思わない感じ」
「そういうカップルって意外と少ないものよ」
「イメージで言ってるの。知らないもん」
恥ずかしながらと言うべきか年相応だと主張するべきか悩ましいところだが、初めてのお付き合いなのである。友人にも独り者が多いし、実際がどんなものかなんてよく知らない。けれど物語の恋人同士は美男美女だったり特別な力を持ったヒーローとヒロインだったり、運命で結ばれていたりして、こんな聞き分けのない子どもと保護者みたいな関係なんてまず見ない。
『普通の人』は主人公になれないのだ。平凡だと言われていたって、実はすごい能力の持ち主だったり一国の姫君だったりする。
あるいは恋に慣れた大人だったり。
ミクはそういうのしか知らない。
ルカが小さく肩をすくめる。
「周りがどう思うかで、ミクちゃんは私と恋人かどうか決めるの?」
「ち、違います。ちがうけど
……
」
自分は間違いなく彼女が好きだし、ルカも好きだと言ってくれるけれど、それだけじゃなんだか駄目な気がするのだ。
もっと、確かなものが必要だとミクは感覚している。
それはとても曖昧で蜃気楼みたいに不確かなので、適切な語に換言できない。
どう言えばいいんだろうと頭をひねっていたら、腹部からくぅ、と小さな音が響いた。ルカが堪えようとして奥歯を噛み締め、耐え切れずに吹きだす。
「おなかすいてるの?」
「
……
えっと、そんなでもないはずなんだけど
……
」
いきなり思考を回転させたから脳が糖分を欲したのかもしれない。それとも自転車で全力疾走したためのエネルギー消費が影響したのだろうか。
ルカがポケットを探って飴玉を取りだした。「本当は禁止されているから、こっそりね」含み笑いをしながら言われて、その『内緒』っぽい感じに面映ゆさを覚える。
「ん」
小さく頷くと、ルカへ向けて軽く口を開けた。
「
…………
」
しばし止まっていた彼女が「あぁ」と小声で呟く。包装を解いて飴玉をそっとミクの口に押し込んできた。
ソーダ味が口の中に広がる。メントール系の成分が入っているようで、息を吸うと涼感が喉へ伝わった。
もごもご食べていたら、ルカに頭を撫でられた。彼女は少々困り顔になっている。
「ミクちゃんって、ほんとに天然ねぇ」
「? なにが?」
「そういうところが」
ううむ、撫でてもらって嬉しいけれど、なんとなく子ども扱いされた気がする。
「そんなことないです。お母さんとか友達にはしっかり者だって褒められるし、隣に住んでる幼なじみの子たちだって、勉強教えてあげたりすると頼りになるって言ってくれるもん」
ミクの反論に、ルカは「ああ、そういうことじゃなくてね」物分かりの悪い生徒と対峙する教師みたいな表情になって、こちらの前髪をかきあげるように指の背で額をさすった。
「ミクちゃんが可愛くて困るわねっていう話」
喉が棒を飲み込んだようにつっかえた。
なんでこの人、こんなに簡単に可愛いとか言うんだろう。
耳が熱い。これまで、日常会話でそんなことを言われる機会など皆無だった。言ってくるのはルカだけだ。だからだろうか。言われ慣れてないから過剰反応してしまうのだろうか。
それとも彼女に言われるからだろうか。
飴を食べただけで可愛いなんて言われる理由が判らないけれど、こんな時、彼女の口調はいつもと違っていて、嘘でもからかっているのだとは思えない。
カリ、と奥歯で飴玉を噛んだ。
これじゃ駄目だ。可愛いと言われたくらいでわたわたしてしまうようじゃ、いつまで経っても彼女と対等になんかなれない。グッとみぞおちあたりに力を込めて、耳の熱さを忘れたふりでルカを見つめる。
「ル、ルカさんだって綺麗です。すごく」
「ありがとう」
にっこり笑っていなされた。
崩れ落ちたくなる。
きっとこれまでに何度も言われているんだろう。実際綺麗な人だし。絹のように滑らかな白皙と切れ長の瞳、抜群のスタイルをシンプルなシャツとタイトスカートが引き立てている。大人らしい落ち着きのある声は珠をはじくようで、名前を呼ばれるだけで幸せな気分になってしまう。
「
……
え、ちょっと待って、ルカさんって完璧なんじゃ」
愕然とひとりごちた。なんということだ、欠点が見つからない。
あえて言えばからかい癖が時々度を超えることくらいか? しかしそれだって許容範囲のうちだし、人間味を感じられて親近感が湧くとも言える。
「あの
……
ミクちゃん?」
「どうしようルカさん。ルカさんが照れたりするところが想像できないよ」
「なに張り合ってるの
……
」
しょうがないな、という顔でルカが腕をのばして、シャボン玉を捕まえるみたいな淡さで抱きくるんできた。
「気にしなくていいわよ。ミクちゃんはゆっくり大人になっていけばいいの」
「だってぇ」
「若いんだし、そんなに急ぐともったいないわよ?」
「ルカさんが大人なのが悪いんだもん。ずっと先に行かれてるみたいで、どうしても焦っちゃうよ」
唇を尖らせながら言い返し、薄布を挟んだ曖昧なハグに抗議するように、ぎゅっと抱きつく。こちらはそれだけでもう心臓が早鐘を打つけれど、おそらく彼女の方はそうではない。
少しだけ高い位置にある頬へすり寄ると、年上の恋人は「はいはい」とこめかみをなだめてきた。
「さ、もう仕事に戻らないと。閉館時間が近いけど、ミクちゃんまだいる?」
「あ
……
、今日はお父さんが残業ないから夕飯早いんです。帰らないと怒られちゃう」
マグネットのように引き寄せられる身体を意思の力で無理やり離す。「お仕事の邪魔してごめんなさい」目線だけを上げて言ったら、ルカは「そんな顔されたら怒れないわよ」と苦笑した。
出入口まで送ってもらう。気のせいか両足が重い。
「じゃあ、気をつけて」
「うん。お仕事頑張ってね」
ドアをくぐる直前に振り返ると、彼女は穏やかな眼差しをこちらに向けていた。
もう一度抱きつきたかったけど我慢する。
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