冬野暉/Hikari Fuyuno
2023-07-03 17:41:15
17291文字
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痣と傷

※創作刀剣女士ネタ
※同田貫正国ルート

 こんのすけの両眼からほとほとと涙が滴り落ちる。
 心配そうに同胞を見遣り、くろのすけは疱瘡正宗に向き直った。
「先代さまが徒人のままであったことで、夫君の死後、婚姻の上書きが可能になりました。男士たちはそれを利用して先代さまの延命を図ろうとしたのです」
……男士たちの気持ちも、わからなくはないわ。恨まれても憎まれても、主君が生き延びられるすべがあるのなら……
 疱瘡正宗の吐露にくろのすけは頷いた。
「ええ。われわれ管狐としても、通常でしたら婚姻の上書きによる延命に賛成いたします。しかし、今回のケースについては男士たちの提案を受け容れるわけにはいきませんでした」
 眉根を寄せ、疱瘡正宗は若草色の双眸を眇めた。
「嫌疑がかかったのね、白刃隊全員に。先代様や主様に害を成しかねない……歴史修正主義者側に与し、本丸襲撃の手引きをしたという疑いが生じた?」
 子ども部屋が冷え冷えと静まり返った。腕の中の主が「ぶぶぅ」と声を発すと、くろのすけが重たげに息を吐いた。
「はい、残念ながら。真っ先に気づかれたのは先代さまでした。本丸を襲撃した時間遡行軍からご自身の刀剣と同一の気配を感じたと、密かにこんのすけを通じて政府に相談なさったのです」
 疱瘡正宗は絶句した。
 呆然とする娘に、くろのすけは首を横に振ってみせる。
「まったく信じがたいことです。しかし、時間遡行軍の残骸を改めて精査したところ、先代さまの霊力の残滓が検出されました。先代さまによって顕現された刀剣が時間遡行軍化し、自本丸を襲撃した事実が判明したのです」
「それは――この先、男士のだれかが時間遡行軍となるということ? そして過去へ飛んで本丸を襲撃すると?」
「ええ。現時点で、先代さまが顕現した刀剣は正君を含め、全振り時間遡行軍になっていません。本丸を襲撃した時間遡行軍は一般的に確認されるものと同タイプで、敵打刀はすべて男性体でした。これまでの報告から、脇差以上の刀剣が時間遡行軍化しても肉体の性別は変化しないことがわかっています。よって、女士である正君は自動的に襲撃者候補から外れます」
「ああ……先代様は、あたしがおなごだからこそ顕現なさったのね」
 もしも『疱瘡正宗』が刀剣男士であれば先代も政府も顕現を選ばず、別の策を講じただろう。
 なんとも苦い笑みがこぼれる。
 刀剣の付喪神は大半が男神であり、女神はごく少数だ。将軍家時代の知己も、正宗の兄弟刀も、武士の魂の具現にふさわしい益荒男――少女のごとき可憐な見目の者もいるが――ばかりだった。
 手弱女を絵に描いたような己の有り様に、何度歯痒さや口惜しさを覚えただろうか。容姿端麗な者が多い付喪神でありながら顔と四肢に穢れの瘢痕である痣が残ったために、将軍世子の守り刀があのような醜女とはと口さがなく嘲笑されたこともある。
 ――弱き者、汝の名は女。
 外つ国の高名な劇作家が書いた物語の一節だそうだ。
 そうだ、自分は弱い。形代の能力に特化しているがゆえに、戦場において『疱瘡正宗』は強者になれない。
 それでも、己だからこそ託された願いがある。受け取った想いがある。
 いちど目を瞑り、再び開いた娘のまなざしに翳りや揺らぎはなかった。
「本丸の襲撃は虚空記録層アカシック・レコードに記憶された正史上の事象。時間遡行軍になる前に男士たちを刀解したら過去の改変になってしまう。だから遺言では、本丸からの退去命令に留まったの?」
「はい。苦渋の決断でした……
 くろのすけは、やるせない思いを噛み潰すように言った。
「残りの男士たちは危険分子の可能性があるため、今後は政府の監視下に置かれます。どのような経緯で歴史修正主義者と接触し、時間遡行軍に転化するかは不明ですが……過去の時間軸で本丸襲撃が観測された時点で男士のままの者は、ひとまず監視の対象外となる予定です」
「もしも男士が望めば、本丸へ戻ってこられるの?」
「それはありません。先代さまのご意向は、あくまで正君のみご息女へ譲渡するというものでしたので。遺言どおり政府への出仕、もしくは別エリアの本丸への移籍のみ許可されます」
 各本丸が存在する亜空間は旧時代の令制国になぞらえた複数のエリアに区分されている。政府本部の直轄地である天領を介さない限り、審神者や刀剣が別エリアへ移動する手段は皆無に等しい。
 別エリアの本丸に移籍すれば、男士が主にまみえる機会は今後一切なくなるのだ。政府に出仕したところで本丸に近づくことは許されず、軽率な真似をすれば自ずと首を絞める結果になる。
「最後まで残った男士たちは、何もかも知らないままで終わるのね」
「はい。この情報は政府関係者を除き、ご息女に譲渡された正君にのみ開示されます」
 疱瘡正宗はくちびるを引き結んだ。
「いままでの経緯はわかったわ。次は、これからのことについて聞きたいのだけれど」
「はい」
 くろのすけは耳と尾をピンと立て、大きく頷いた。
「先代さまの遺言に従い、ご息女は正君とともにこの本丸を引き継がれました。審神者招集可能年齢に達していない未成年であるため、暫定的に審神者見習いの身分となります。義務教育課程修了まで政府直属の審神者が後見人となり、本丸の運営も後見人の監督下で行われます」
「後見人……
「まだ正式には決まっておりませんが、おそらく今回の先遣部隊を統括する歴史改変特異点調査室の四葩補佐官になるかと」
 洋館に入ってすぐ短い挨拶を交わした先遣部隊の責任者を思い返す。
 刀剣男士に並ぶほど長身の、三十代半ばの男性だ。花の名に似合わぬ、ずいぶん無愛想でしかめっ面の御仁だった。
 そういえばと同田貫正国を見遣ると、三白眼が薄く笑う。
「俺の上司だ。あんな仏頂面でなかなか面倒見がいいんだぜ。政府所属の審神者は癖の強いヤツが多いが、至極真っ当な人間だよ」
「然様ですか……
 同田貫正国の言葉に嘘は感じられなかった。
 後見人とはつまるところ烏帽子親のようなものだろう。信頼の置ける人間の庇護を受けられるのならば安心だ。
 疱瘡正宗はほうと息を吐いた。
「本丸の運営についてですが、おそらく当面は……類似の事例報告から鑑みるにご息女が満三歳になられるまでは、正君にはわれわれ管狐や政府のサポートを受けながら傅育に徹していただき、一般的な任務はほぼ免除されると思います。三歳のお祝いをひと区切りとして、その後は徐々に鍛刀や譲渡で刀剣の数を増やしながら任務が課されるようになるかと」
「本丸の警備には、政府所属の刀剣が複数名常駐して当たる手筈になっています。主に四葩補佐官が選出したメンバーですね」
 くろのすけとこんのすけが代わる代わる説明する。同田貫正国がひらりと片手を振った。
「俺もそのうちの一口だ。いまんところ審神者殿との相性がいちばんよさげだってんで、最初から住み込みになる。あとは交代で様子見しながら、審神者殿の御眼鏡に適いそうなやつらを四葩さんが見繕っていくって流れだ」
 よろしく頼むぜというあっさりした挨拶に、疱瘡正宗は気が抜けたような安堵を覚えた。 
 薄桃色のくちびるがゆるくほどけて笑みを浮かべる。
「こちらこそ――主ともども、よろしくお願い申し上げます。同田貫正国殿」
 娘が楚々と一礼すると、青年はむっすりと黙りこんだ。
「手強か嬢しゃんばい」
「え?」
 ぼそりと聞こえた呟きに、疱瘡正宗は睫毛をはためかせた。
 腕の中の主が「ふにゃあ」と声を上げた。産毛のような薄い眉毛をギュッとしかめ、不満を訴えるようにぐすりだす。
「主様、どうされました?」
 ゆらゆらと揺らしてあやしてみるが、主の機嫌は直らない。こんのすけがピンと耳を立てた。
「もしかしたらお腹が空かれているのかもしれません。そろそろミルクの時間なので……少々お待ち下さい、すぐに用意いたしますね!」
 こんのすけはパタパタと子ども部屋から出ていくと、五分ほどで戻ってきた。手際のよい医療スタッフがあらかじめミルクを準備しておいてくれたらしい。
「お待たいたしましたぁ! 正君、どうぞ主さまに飲ませて差し上げてください」
「ええっと……こうかしら?」
 ほんのりと温い哺乳瓶を受け取り、こんのすけに教わりながらシリコンの乳首を主の口元に含ませる。
 主はたちまち吸いつくと、ごきゅごきゅと力強くミルクを飲みはじめた。
 瞬きも忘れるほどの勢いに圧倒される。白目が青みがかって見えるほど際立った赤子の双眸は、生への希求に光り輝いていた。
 娘の頬をほろりと涙が滑り落ちる。
 同田貫正国と管狐たちは即座に気付いたが、疱瘡正宗の表情を見ると黙したままだった。こんのすけはいよいよ涙腺が壊れたように欷泣している。
 ――懸命に生きようとする主の、なんといじらしく愛おしいことか。
 それがいっそう先代の死に対する寂寥感を募らせ、膿んだ火傷のようにじくじくと疱瘡正宗の胸を疼かせた。
 生と死を抱いて、娘は静かに涙し続けた。