冬野暉/Hikari Fuyuno
2023-07-03 17:41:15
17291文字
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痣と傷

※創作刀剣女士ネタ
※同田貫正国ルート

 ようやく対面を果たした主は、あいかわらず小さかった。
 いや、硝子越しにはじめて目にしたときに比べれば大きさを増し、ずいぶんと人間らしくなった。頭部をほわほわと包む胡桃色の毛髪、白桃を思わせるもっちりした肌、黒目がちな丁字色の瞳。握ったり開いたりしている桃色のてのひらにそっと指先を当てると全力で握りしめられ、歯のない口を広げて笑ってみせる。
 まだ首が据わっておらず、医療スタッフから「抱いてみますか」と手渡されたときには心臓が破れそうなほど緊張した。遥か昔に乳飲み子を抱いてあやした記憶を必死に呼び覚ましながら、しっかりと腕で支えて抱き上げる。
「そうそう、お上手ですよ」
 涎まみれの手を伸ばして笑い声を上げる主の様子に、中年の女性スタッフは目尻を下げきっていた。
「まあ、はなちゃんもとっても嬉しそう。満腹のとき以外はいつもご機嫌斜めなのに、やっぱりお母さんの刀だから安心するんですね」
「はなちゃん?」
「あ、気に障ったらごめんなさいね。先遣部隊ではそのこを『はなちゃん』って呼んでいたんです。浮花の『花』を取って、はなちゃん」
 なんともかわいらしい愛称だ。疱瘡正宗は首を横に振り、双眸を細めてほほ笑んだ。
「いいえ。皆さんに慈しんでいただいたのだとよくわかる、き名です」
 ――先代は、わが子になんと名づけたのだろうか。
 審神者や政府関係者の真名は、刀剣に知られぬよう徹底的に秘匿される。
 人間よりも神格の高い付喪神に真名を掌握されれば、文字どおり身も魂も明け渡すことになるからだ。真名の開示は、それこそ婚姻でも結ばぬ限り行われない。
 刀剣が審神者の真名を知ることができるのはその死後、魂が彼岸に渡り喪が明ける四十九日を過ぎてから。四十九日を過ぎれば、真名を知ったとて魂を捕まるどころか追いかけることすらかなわない。
 このこが生きているあいだ、真名を知ることも呼ぶことも許されない。それはなんとも寂しく、腕に抱いた重みの愛おしさに比べれば瑣末だった。
「主様、はな姫様。佳き名をいただいてよかったですね」
 体を揺らしながら笑いかけると、主は「あばぁ」と笑い返した。
 赤子を抱く娘の姿に、女性スタッフはこっそり目元を拭った。
 数世紀ぶりの抱っこに慣れてきた疱瘡正宗は改めて周囲を見回した。
 十二畳ほどの広さの洋室だ。洋館の南翼の二階に位置しているおかげで日当たりがいい。
 ターコイズブルーの壁紙が目にも鮮やかで美しい。庭園を向いた二面の壁にはそれぞれ大きな四角窓があり、ちょうど中間に四つ葉の形をした飾り窓クワットレ・フォイルが設えてあった。
 天井は白く、板張りの床はチョコレートブラウンに艶めいている。ベビーベッドやチェストなどの調度は白で統一され、緑青に塗られたアイアンの窓枠から射しこむ光がやわらかな薄緑色のヴェールとなって降りかかっていた。
 清々しく、やさしい匂いのする子ども部屋だ。隅々にまで先代の想いが込められている。
 窓際に置かれたライディングデスクと揃いの椅子には、小さなテディベアがちょこんと腰掛けていた。ふわふわとした被毛は主の髪色とよく似た淡褐色で、首元には若緑色のリボンが飾られている。
 あのぬいぐるみも先代が娘のために用意したものだろうかと眺めていると、扉の外から「失礼いたします」と声がかかった。
 女性スタッフが扉を開けると、くろのすけとともに顔と尾が白い管狐がぽてぽてと入ってきた。この本丸に仕えるナビゲーションAIのこんのすけだ。
 二匹に続いて同田貫正国が現れる。金睛がちらりと女性スタッフを一瞥すると、彼女は心得たように一礼してから退室した。
 扉が閉まって足音が遠ざかると、同田貫正国は戸口のそばに凭れかかった。
「主殿のご機嫌はどうだい」
……あ、だいぶよろしいようです」
「そいつは重畳。だれが抱いても泣いてぐずって夜も寝つかなくて、医療班の連中が心配しきりだったからな。ようやくおふくろさんの匂いがする刀がそばに来て、安心できたんだろうよ」
 主に向けられる剛刀のまなざしは驚くほど穏やかだった。
 思わず呆けていると、足元までやってきたこんのすけに「疱瘡正宗さま」と呼びかけられた。
 慌てて視線を下に向ける。くろのすけと並んで前脚を揃えたくろのすけは、ぺこりと頭を下げた。
「お待たせして申し訳ございません。くろのすけとのデータ同期に思ったより時間がかかってしまいまして」
「いえ、お気になさらず……?」
 声もくろのすけと似ているな、と思った。どちらも少年のような声質だが、くろのすけのほうが低く、こんのすけのほうが高い。
 こんのすけは鼻先を上げると、あぶあぶと笑っている赤子の様子を見て嬉しそうに尾を振った。
「同田貫正国護衛官のおっしゃるとおりですね。本当によかったです。先代さまが亡くなられてからずっと不安そうなご様子だったので」
 疱瘡正宗は膝を折ってこんのすけと目線を合わせた。
「こんのすけ。いろいろと聞きたいことがあるのですが……教えていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです」
 いったん主をベビーベッドに寝かせようと試みたものの、下ろそうとした途端に火が点いたように泣くのであきらめた。気を利かせた同田貫正国が椅子を運んできてくれたので、ありがたく使わせてもらう。
 二匹の管狐はベビーベッドの柵の上に器用に座っている。同田貫正国は扉の前に戻って腕を組んだ。
「疱瘡正宗さま……こんのすけも正君とお呼びしても?」
「ええ」
「では、そのようにさせていただきますね。くろのすけから先代さまの遺言はお聞きになっていると思います」
 疱瘡正宗はきゅっと眉根を寄せ、首肯した。
「聞いています。先代様は先の襲撃以来、白刃隊の面々に不信感を抱いていたらしいとも。あたしを除く刀剣が本丸からの退去を命じられたのは、それが原因なのですか?」
 娘の問いに、こんのすけは力なくうなだれた。
「はい……残念ながら」
「いったい何が?」
「先代さまは、男士から再婚を強要されていたのです」
 思わず両目を瞬かせる。
「再婚? 襲撃後に……ですか?」
「ええ。身籠られているあいだも、主さまがお生まれになったあとにも。複数の男士から、いますぐに妻になってほしいと求められたとおっしゃっていました。そればかりか、ほかの男士からだれかの求婚を受けるように迫られたそうです」
……襲撃の折に亡くなられた先代様の夫君は、同じ白刃隊の仲間だったのではないのですか?」
 あまりにも不謹慎な言動だ。眉をひそめる疱瘡正宗に、こんのすけはぐるると唸った。
「そのとおりです。先代さまがご成婚された際には、白刃隊のだれもが主君のお幸せを喜び、言祝いでおりました。それなのに――
「先代様に邪念を抱いていた輩が、夫君の代わりになろうと思い上がったのですか?」
 主を抱く腕に力がこもる。
 愛したひとの忘れ形見をなんとしても生かそうと命を賭した先代の想いを踏みにじられたようで、腹の底から怒りがこみ上げてくる。
「単純な下心だけであれば、話は違ったのかもしれません」
 嘆息まじりにくろのすけが口を開いた。
 こんのすけとデータを同期させたということは、くろのすけは先代と白刃隊のあいだで起こった出来事を見聞きしたも同然に承知しているのだ。
「正君。付喪神と人間が婚姻を結ぶ目的はなんだと思いますか?」
「それは……好き合った者同士が夫婦の誓いを立てるからではないの?」
「自由恋愛の場合は、概ねそうですね。更に、人間が真名を開示して付喪神の眷属になることで老化の停滞、長寿命化、魂の所有権を譲渡して死後もともに在れる……などのメリットが発生します。もちろんデメリットもありますが」
 くろのすけは尾を揺らし、こんのすけよりも吊り目がちな眼を眇めた。
「では、政略的に婚姻関係を捉えた場合、双方にとっての利益とは何が考えられますか?」
……付喪神は、主を自分の支配下に置ける? 人間は……不老長寿?」
「はい。白刃隊の男士たちは、先代さまにそのように持ちかけたのです。延命と引き替えに真名を明かし、二世の契りを交わして自分の眷属になれと」
 心臓を引き絞られたように胸が痛い。震えそうな腕で主を抱え直すと、明度の高い淡褐色の瞳をくるめかせて見上げてくる。
「先代様は、夫君の眷属にはなっていなかったのね」
「徒人として生涯を終えたいと望まれ、夫君も先代さまのお気持ちを尊重しておられたようです。夫婦として連れ添う今生を大切にしたいのだと。……仲睦まじいご夫婦だったのですね」
 くろのすけの言葉に、こんのすけが小さな背中をわななかせた。
「とても、とてもお幸せそうでした。先代さまのご懐妊がわかったときのお喜びようといったら……何もかもこれからだったのに……どうして……
 嗚咽まじりの声が虚しく子ども部屋に響いた。