冬野暉/Hikari Fuyuno
2023-07-03 17:41:15
17291文字
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痣と傷

※創作刀剣女士ネタ
※同田貫正国ルート

 その本丸の屋号は浮花うきはなという。
 本丸の屋号は審神者個人の通称でもあり、代替わりによる襲名が一般的だ。疱瘡正宗の主が逝去し、浮花の名は本丸とともに跡目に据えられた姫君に引き継がれた。
 先代の浮花の死より二日後。
 政府所属の審神者による手入を受けて完全に回復した疱瘡正宗は、引き続きサポート役を買ってでたくろのすけとともに本丸へ入城した。
 時空間転移装置ゲートをくぐり抜けた先は、深い水の匂いに満ちていた。
 思わず息を呑む。
「これは――壮麗ですね」
 疱瘡正宗の肩に乗ったくろのすけが感嘆を洩らした。
 ひと振りと一匹の眼前には、巨大な水鏡が青銀色あおみずがねに照り輝いていた。
 湖である。
 針葉樹の木立がアイアンの装飾のようにぐるりと周辺をふちどっている。湖の中央に位置する小島には、緑青の円屋根と白塗りの外壁が優美な和洋折衷の洋館が建っていた。
 何より目を奪われたのは、湖面に浮かぶ色とりどりの花々だ。
 緋色、雪白、黃橙、薄紅、深紫、浅葱、翡翠、紺瑠璃――無数の浮き花が水盆に見立てた湖面を揺蕩っている。幻想的だが奇妙さを拭えない、なんとも眩暈がしてくるような景観だった。
 疱瘡正宗は呼吸を整え、背後を振り向いた。
 そこには古びた洋風の石柱がぽつねんと佇んでいた。どうやら石柱が本丸の『城門』らしい。
 石柱の周囲には玉砂利が敷かれ、湖岸から突きだした桟橋へと小径が延びている。
 桟橋の先端には一艘の小舟が係留してあり、おそらくあれに乗って湖を渡るのだろう。
「まるで御伽噺に出てくる西洋の城のようだね」
「先代さまが屋号にちなんで自らデザインしたと伺いました。湖そのものが防御結界の役目を果たし、主要な施設はすべて洋館の地下空間に収納されているのだとか。この本丸は、襲撃に遭った以前の本丸の空間データを強化・改良して建てられたそうです」
――なるほど」
 くろのすけの説明に相槌を打ちつつ、疱瘡正宗は腰に帯びた打刀の柄頭を指先でコツコツと叩いた。
 久々に袖を通した正装は窮屈で、まだ肌に馴染みきらない。
 丁寧に巻かれた雪藍のロングヘアには黒のヘッドドレス。たっぷりとフリルで装飾された白のドレスシャツに黒のタイ、深緋のビスチェとパニエで膨らませた黒のフレアスカート。更にその上からウエスト丈の黒いケープを羽織っている。
 スカートから伸びた両脚は柄入りのグレーのストッキングに包まれ、膝下まで編み上げの黒い厚底ブーツで覆われている。
 旧時代に流行したゴシックロリータと呼ばれるファッションを思わせる装束だ。ヘッドドレスをふちどり、ケープとスカートの布地の上に重ねられたレースは血赤珊瑚のような暗紅色。ケープの胸元で結ばれた幅広のリボンと両腕を覆う籠手もまた、沈んだ深緋をしていた。
 同色の剣帯に差した打刀の拵は、赤梨子地塗の鞘に黒色の柄巻と下緒。鍔には透かし編みやストッキングの図柄と同じ、葵の葉を意匠化した草花文様があしらわれている。
 黒から薄緋へと濃淡がかった爪紅に彩られた指が打刀の柄を握りこむ。
……行きましょう。主様がお待ちだわ」
「そうですね」
 くろのすけを連れて小舟に乗りこむ。桟橋に係留していたロープをほどくと、小舟はするすると沖に向かって滑りだした。
 碧い湖面が波立ち、浮き花がゆらゆらと揺れる。その様がまた眩暈を誘い、視線を逸らして『本丸』に意識を集中した。
 近づくにつれ、小島は石垣で築かれた人工島だとわかった。波に洗われる石垣はいかにも堅牢そうなどっしりとした印象で、江戸城のものにも負けない見事な造りをしていた。
 小島全体はいびつな楕円形をしており、緑豊かな庭園の中央に二階建ての洋館が聳えている。特徴的な円屋根を半周ぶん仰ぎ見たあたりで、小舟はするすると石垣に寄っていった。
 石垣が内側に引っこみ、こぢんまりとした船着き場が現れた。当然のように小舟は船着き場へ進み、突き当たりでするりと停止した。
 船着き場から庭園へ上がる石段が延びている。疱瘡正宗が小舟から降りると、くろのすけがピンと耳を立てた。
「正君、石段の上にだれか――
 くろのすけの視線を追いかけた先にはアイアンの瀟洒な門があった。
 白い陽射しが瞳に刺さり、疱瘡正宗は目を眇めて片手をかざした。
 門のむこうに黒い人影が立っている。低い、青年の声が石段の上から降ってきた。
「お客人。あんたが政府から遣わされた疱瘡正宗さんかい」
 反射的に息を呑む。
 なんと力強い、堂々たる声音。合戦場で勝鬨を上げるためにあるかのようなつわものの声だ。
 背筋を伸ばし、深く頭を下げる。裳裾の揺らめきさえ優美な一礼だった。
「亡き先代様のご遺言により馳せ参じました。五郎入道正宗が作刀むすめ、号を疱瘡正宗と申します」
 刹那の沈黙。頭を下げたまま相手の出方を窺っていると、ギイと音を立てて門が開いた。
 具足をがちゃつかせながら、だれかが石段を下りてくる。足元にぬうっと影が伸びた。
「失礼仕った。面を上げられよ」
 意識してゆっくり視線を持ち上げると、眼前に黒ずくめの武人が立っていた。
 黒い短髪、黒い襟巻き、黒い具足。腰に帯びた打刀の拵も黒一色だ。
 人間でいえば二十歳前後に映る面差しはあんがい童顔で、しかし額から左頬にかけて走る刀傷が一種の凄味を感じさせた。
 何よりも、その――金睛。
 鋭い三白眼の真ん中で燃える金無垢の瞳。精錬されたばかりの鋼、知性のある獣、刃が振り下ろされる寸前の静謐――そんなものを連想させる、死神のだった。
 ずば抜けた長身ではないが、青年は自分よりも十センチメートル以上背が高い。眼光鋭く見下され、疱瘡正宗は口を引き結んで立ち尽くした。
 じろじろとまではいかないが、青年の視線が頭から爪先まで検分する。右目のあたりで金睛の動きが止まり、ぴくりと片眉が跳ねた。
 何か言われるのだろうかと思わず身構えるが、青年は睫毛を伏せて返礼した。
「申し遅れた。俺は同田貫正国。特に号はないもんで、刀工親父殿の名で呼ばれてる」
「同田貫――あの天覧兜割りの?」
 同田貫正国といえば、明治帝の御前で見事な鉢試しを披露した肥後の剛刀ではないか。
 当時は徳川宗家の所蔵だった疱瘡正宗も、同胞たちの噂話で耳に胼胝ができるほど聞いたものだ。
 同田貫正国はひとつ瞬き、ニィと口端を吊り上げた。
「へえ。世に名高い正宗の御刀様にお覚えいただいてたとは、恐悦至極」
 小莫迦にしたような口ぶりに、疱瘡正宗は眉をひそめた。
「俺のような実戦刀でも知ってるぜ。疱瘡正宗といえば徳川将軍家の重宝、大樹公うえさまのお世継ぎを疫神から守る身代わり刀。まさに簾中のご上臈ってな」
……貴殿のようなひとかどの武士もののふから見れば、さぞや世間知らずの箱入りに思えるでしょう。事実、わが身は主君の枕刀として病魔ばかり断ってきましたゆえ」
 痣にまみれた指で、痣に覆われた右目に触れた。
 ――家定様。
 将軍世嗣としてお守りした四人目の主を思いだす。この刃で守り、しかし最期までお救いできなかった哀しいお方を。
 何百年経とうと忘れられない無念があるからこそ、強く強く思うのだ。今度こそ、必ず守り抜くと。 
「貴殿のようにいくさ場の作法は知らずとも、忠義のなんたるかは心得ているつもりです。だからこそ、この身ひとつで参じました。わが主をお守り申し上げるために」
 若草色の瞳が光を弾いて青年を射抜く。同田貫正国は下瞼を持ち上げ、薄く笑んだ。
「人形みてぇなおひいさんかと思いきや、なかなか剛毅なおひとだな。あんた」
 不意に垣間見えた柔和な表情に面食らっていると、肩に乗ったままのくろのすけが咳払いを響かせた。
「お話し中、失礼します。こたび、疱瘡正宗さまのサポート役を仰せつかりましたくろのすけにございます。そちらは、先遣部隊の同田貫正国護衛官でいらっしゃいますか?」
 同田貫正国の視線がようやく気づいたとばかりにくろのすけを捉える。青年は「あー」と声を洩らして頭を搔いた。
「悪い悪い。確かに俺は政府のモンだ。歴史改変特異点調査室、四葩よひら班所属の同田貫正国。顕現証明もチェックするか?」
「いえ、それには及びません。こんのすけからすでに先遣部隊のデータを受け取り、照合済みですので」
 くろのすけには珍しく、事務的というか刺々しい口調だ。同田貫正国は肩を竦めると、ひょいと片手を差しだした。
「ん」
「え?」
「手ぇ貸せよ。結構段差あるから」
「いや……別にそこまでお気遣いいただかなくても」
「正宗さんよ。あんた病み上がりなんだろ? しかも寝たきり生活が長すぎて肉体に慣れきってないから、見てるこっちが不安になるほど軸がぶれぶれなんだよ」
 呆れ気味の指摘に言葉が出ない。データ上は万全に回復したはずだが、熟練のいくさ刀には危なっかしいことこの上ないらしい。
「あの、ちゃんと手入は受けたのですが」
「つまり顕現時の状態に初期化されたってことだろ? 顕現したての刀なんてケツに卵の殻くっつけてるひよこみてぇなもんじゃねぇか。二足歩行できりゃあ上等、立つこともままならないようなヤツだって珍しくないんだぜ」
 よくもまぁ政府も送りだしたもんだとため息まじりに言われてしまい、くろのすけと顔を見合わせる。優秀な管狐も刀剣ならではの視点は見落としていたらしい。
「この肉体を得てからの経験値が不十分……ということですか?」
「まあ端的にいえば。それで赤ん坊の世話をしようって思えるんだから、気概はじゅうぶんだと思うぜ」
 褒められているのか貶されているのか微妙な気分だ。同田貫正国はククッと喉を鳴らし、「ほら」と片手を振ってみせた。
「そういうわけだから遠慮は無用だ。これでも顕現してからふた桁は行ってるから、あんたより二足歩行には自信があるぜ?」
 疱瘡正宗は口でへの字を書いた。しぶしぶ同田貫正国の手を取ると、ぐっと力強く握り返される。
 見た目以上に大きくて無骨な、まさに刀を握るためにあるような手だ。太く節榑立った指、厚くて固い皮膚、剣胼胝や細かい傷痕のぼこぼことした感触。爪は短く、指の腹はざらついている。
 柔く細い自分の手などたやすく握り潰してしまいそうだ。同じ刀種とはとうてい信じがたい。
 手を引かれて石段を上る。黒鉄の門扉をくぐると、木洩れ日がちかちかと降りこぼれた。
 水の匂いにまじる草木の香。木立が切れた先には、緑の生垣やアーチによって幾何学な迷路が作られた西洋風の庭園が広がっていた。
 途中には四阿あずまやがあり、迷路を抜けた先には洋館まで芝生の絨毯が敷き詰められている。裸足で駆けて寝転んだら気持ちよさそう、とぼんやり思った。
「ここがあんたの本丸だ」
 同田貫正国が穏やかに告げた。
 ひどく耳に残る声を反芻し、疱瘡正宗は瞳を見開いた。
 青年の手を握る指先に力をこめたことには気づかぬまま。
「ようこそ――疱瘡正宗」