子供用のワイシャツにグレーのベストを着たスバルは、せっかくのめでたい日だというのに、あまり機嫌が良くなかった。前髪を上げているので、眉間のしわがよく見える。なにせ、生まれて初めて身に着けたネクタイが息苦しくてたまらない。
「首、きつい」
「そういうものなんだよ、式が終わるまでは我慢しな」
文句を言うと、付き添いで来ていた師匠のヒスイが答えた。いつもの黒っぽい服ではなく、今日は藤色の着物を着ており、髪も頭のてっぺんでまとめている。六月に行われる結婚式だから、紫陽花を意識したとか何とか。
あまりにも日頃と格好が違うため、自分の師だと気づかず素通りしたら、師匠の顔くらいわかるようになれ、と怒られたスバルである。
ちなみに彼の両親は遅れて到着する予定らしい。いつも忙しい人達なので、大変だなあ、と大して気にしていない。
スバルには隠されているが、両親は日々アズマの平和を護るため、世界中を旅しては敵対勢力を潰している。今回は後処理に手こずってしまったため、到着が遅れているのだ。
「いつまでしかめっ面をしてるんだい。大役を請け負ったからには、最後までやり遂げるのがアタシの弟子ってもんだよ」
「わかってるけど……」
「カグヤに、そんなみっともない姿を見せてもいいのかい?」
「う……」
幼馴染の名前を耳にして、自然にスバルの背筋が伸びる。
本日は、スバルの同門にあたる女性の結婚式だった。幼い頃からの顔見知りで、よく面倒を見てくれた優しい人だ。
スバルとカグヤに結婚式を手伝って欲しいのだと頼まれ、役に立てるのならと了承した。
スバルが結婚指輪を運び、カグヤがバージンロードに花びらを散らす。いわゆるリングボーイとフラワーガールだ。
新婦の役に立てるのは嬉しい。だが、初めて身に着けた正装が窮屈で仕方ない。そのせいでスバルは先程からついつい眉根を寄せてしまう。
「大人って、毎日こんなものをつけてるの?」
「一般的なサラリーマンなら、そうだろうね」
「うええ……」
もしサラリーマンになったら、毎日こんな締めつけるものを首に巻かないといけないのか。
自分の将来に思いを馳せ鬱々とし始めたスバルの耳に、透き通った声が届いた。
「兄さま、カッコいい……!」
ドアから顔を覗かせたカグヤが輝く瞳でこちらを見つめていた。両側には白と黒の毛玉——スバルとカグヤの相棒、モコロンとヌバタンが浮かんでいる。
とてとてと近寄って来た彼女に、ぎゅっと手を握られる。それだけで嫌な気持ちが吹っ飛んでしまった。
「ありがと。カグヤは……」
ライトブルーのふわふわしたドレスを着たカグヤも可愛らしい。スバルは何だかどぎまぎしてしまって、それ以上言葉を続けられず視線を逸らす。
自分を見てくれないことを不満に思ったカグヤの頬がぷく、とふくらんだ。
「兄さま! 私はどうですか?」
「どうって、何が?」
「かわいくありませんか!」
そう言いながらスカートをつまんでお辞儀してみせる。可愛い。愛くるしい仕草が一部の大人と竜、スバルにクリーンヒットした。
「うん……。かわいい」
「本当ですか?」
はちきれんばかりの笑顔は、雲間からのぞいた太陽のように眩しくて、スバルはつい俯いてしまう。
「ツバメさん、やりました!」
「良かったねえ、カグヤちゃん」
付き添いのツバメに駆け寄ったカグヤが腰に抱きつくと、親代わりの女性は笑顔で彼女の頭を撫でた。
「当然ですわ、アタクシのカグヤは世界一可愛らしいんですもの」
誇らしげにヌバタンがふんぞりかえる。
「人間って大変だよな。何か行事があると、めかしこまなきゃいけないんだから」
そう言うモコロンの頭にも、小さいシルクハットが乗っている。ヌバタンの頭にはカグヤのドレスと同じ色のリボンが結ばれている。
「おや、ツバメだけかい? あの子達は?」
「ああ、ちょっと遅れて来るってさ。道が混んでるみたいで、さっき連絡がきたよ」
ヒスイの問いかけにツバメが答える。
「毎度のことながら慌ただしいねえ」
「あの子達」とは、カグヤの両親のことだ。スバルの両親と共にヒスイの弟子だったため、親交は深い。
ちなみにカグヤの両親は、資金集め兼、諜報活動のため世界中を飛び回っている。
「お取り込み中失礼、そろそろ時間ですよ」
開け放たれたままのドアをノックする音に、全員の視線が集中する。スバルとカグヤの顔がうっとりしたものに変わった。
「イカルガ兄さん、カッコいい!」
「カッコいいです!」
次期当主の格好は、黒のタキシード。大人顔負けの完璧な着こなしだ。年下のふたりから同時に飛び出した賛辞の声に、満更でもないイカルガが咳払いをした。
「そうですか? 当然でしょう。次期当主たるもの、このくらいは着こなさなければ。あなた達も、よく似合っていますよ」
まとわりつく弟分達をたしなめながら、「さあ、行きますよ」とイカルガが先導する。着いていこうと歩き出したツバメが、微動だにしないヒスイの方へ振り返った。
「ん? ……ちょっとヒスイさん、泣いてるの?」
顔を伏せ、肩を震わせ始めたヒスイの姿に、ツバメが目を丸くする。
「イカルガ様、ご立派になられて……」
「あらー……。鬼の目にも涙ってね」
「何か言ったかい、ツバメ」
「ううん、なんでもない」
ヒスイ達と別れ、スバルとカグヤはふたり揃って重厚なドアの前に立っていた。この先は教会で、招待客と新郎が待っている。先程から何度も深呼吸する幼馴染を、スバルは横目で見た。
「カグヤ、緊張してる?」
カグヤが言葉もなくこくこくと首を縦に振る。彼女の強い緊張を感じ取ったスバルが手を差し出した。
「はい、手だして」
何もわかっていない顔で素直に伸ばされた指を、掌で包みこむ。少し冷たい。
「目、とじて」
強く目をつむったカグヤの顔を見つめながら、スバルは声をかける。
「今までで一番楽しかったこと、考えてみて?」
「えっと、えっと……」
少しの沈黙の後、目を閉じたまま彼女が言った。
「兄さまと、ヌバタンとモコロンと公園でお花を見たこと」
「ああ、遠くにおでかけしたときの?」
「はい! お花がいーっぱい咲いてて、バラがとってもいいにおいでした!」
沈んでいた表情が途端に明るくなる。本当に楽しかったんだと伝わってきて、スバルも笑顔になった。
「そっか。あのね、今日の結婚式には、たくさんお花が使われてるんだって」
「そうなんですか?」
「うん。さっき見たけど、この中にも青いお花が飾られてた」
「青いお花……」
夢見るようにカグヤが目の前の扉を見つめる。
「楽しみだね?」
「はい!」
「オレも一緒にいるから、怖くないよ。怖くなったら手をつないであげる」
「はい!」
「うまくいったら、またあの公園に行こうね」
「いいんですか?」
「もちろん」
「……っ、はい! 楽しみです! がんばります!」
カグヤの指は、すっかり温かくなっていた。もう大丈夫だろうと手を離す。
「相変わらず仲がいいのねえ」
笑みを含んだ声が聞こえ、揃って後ろを振り向くと、新婦が笑いながら立っていた。純白のウェディングドレスが吹き抜け窓の光を受け、明るく輝いている。
隣でカグヤの「きれい……」と呟く声が耳に入った。
「結婚、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
祝福の言葉を告げるスバルに続いて、カグヤもそれに倣う。新婦は目を細めた。
「ふふ、ありがとう」
式場のスタッフが、「そろそろ入場です!」と声をかける。「よろしくね」と新婦から声をかけられ、スバルとカグヤは力強く頷く。それから互いに視線を合わせ頷くと、開かれた扉の中へ一歩を踏み出した。
背筋をぴんと張り、慎重に指輪を運ぶ男の子と、笑顔でバスケットからバージンロードに赤い花びらを散らす女の子の愛らしさに、会場から明るい笑い声とため息が漏れる。その後ろから父親にエスコートされ入場する花嫁の姿は美しく、大きな拍手で迎えられた。
スバルは迷いない足取りで新郎のもとへと向かう。目の前まで歩み寄り、指輪を差し出した。新郎は笑顔で礼を言いながら受け取ってくれた。
大役を果たせたことに満足し振り返ると、少し離れたところで彼を見るカグヤの姿が目に入った。それだけで、スバルは安心してしまう。カグヤも明るい笑顔を見せた。
ごく自然に手を取ったふたりが、保護者の待っている席へと向かう。微笑ましい光景に、会場の空気は終始和やかだった。
役目から解放されたスバルは、結婚式を楽しんだ。新婦が幸せそうに笑っているのも嬉しかったし、青と紫を基調に飾り付けられた、教会や披露宴会場をキラキラした瞳で眺めるカグヤを見るのも飽きなかった。
「ツバメさん、ツバメさん」
「何だい、カグヤちゃん」
隣でカグヤのひそひそ声が聞こえる。ひそひそ話ということは、他の人には聞いて欲しくないということだ。だが、耳のいいスバルには聞こえてしまう。申し訳ない気持ちになりながら、なるべく具体的な内容を聞かないようにしていると、思いがけない言葉が飛び出してきて、呼吸を忘れた。
「結婚って、どうしたらできるんですか?」
「そうだねえ、相手に『結婚してください』ってお願いして、いいよって言ってもらえたら、かねえ」
「お願いして、いいよ、って言ってもらえたら……」
どこか遠くを見るような顔で、カグヤが小さく呟く。スバルはこれ以上聞いていられなくて、お手洗に行くふりをしてその場から離れた。
誰もいない廊下に、ひとりうずくまる。
今日はおめでたい日なのに、こんな暗い顔をしていたら駄目だ。子供心にそう思い、しばらくじっとしていた。どうしてこんなに心が沈むのかわからなかった。
「ここで何をしているのですか?」
顔を上げると、兄貴分がスバルを見下ろしていた。
「イカルガ兄さん」
「……具合が悪いですか?」
同じように屈みこみ、目線を合わせてくれるのは昔から変わらない。額に当てられた手が温かくて、スバルの瞳にじわりと涙が盛り上がる。
「泣くほど……!?」
「ち、ちがう。具合は悪くない」
スバルが否定すると、イカルガは軽く息を吐いた。
「では、何なのです」
スバルを立ち上がらせ、近くにあるソファへ共に腰かけると、イカルガは改めて問いかけた。
「…………カグヤ」
「カグヤ?」
「結婚したい人がいるみたい」
「……ああ」
「兄さんは、知ってたの?」
「知っていたというか、何と言えばいいのか……」
驚いたスバルが見上げると、イカルガの困り顔が目に入った。何から話せばいいのかわからないときの顔だ、と思った。
「カグヤが結婚したい人って、兄さん?」
「は?」
「だって、イカルガ兄さんは背も高いし、カッコいいし、お仕事もできるし、勉強もできるし、何でもできるでしょ?」
「何でもは言い過ぎです」
「嘘だあ」
「嘘ではありません」
大人びた仕草で嘆息したイカルガが、言葉を続ける。
「目の前で落ち込んでいる子を、笑わせることさえできません」
「兄さん……」
ああ、敵わないなあとスバルは思った。優しくて、誰かを気遣うことができる。己に足りないところを、すぐに受け入れられる素直さがある。どうしたって、憧れる。
「……もしかしたら、あなたかもしれないでしょう」
「なにが?」
「結婚したい人ですよ」
「ええー? そんなことないよ」
「そうですか?」
「うん」
「どうして」
「どうして、って……」
何故そんなわかりきったことを聞くのだろう、とスバルは不思議で仕方ない。
「仲はいいけど……。小さい頃から一緒だから、カッコ悪いところばかり見せてるし。オレだったら、イカルガ兄さんみたいな人を好きになると思う」
「『あなた』は、そう思うのかもしれませんね」
「……ちがうの?」
「どうでしょう。私はカグヤではないので、わかりません」
「そっかあ……」
しょげかえるスバルを、深い色を湛えた瞳が見つめる。
「それで終わりですか?」
「どういうこと?」
彼の言っている意味が理解できず、スバルは聞き返す。
「あなたがカグヤの結婚したい人ではないとして、それで終わりなのですか? と聞いています」
「べ、べつにカグヤと結婚したいわけじゃ……」
「そうですか? それなら将来、私が彼女に結婚を申し込んでもいいと」
「やだ! ……あ」
弟分の口から転がり出た本音に、イカルガが目を細める。スバルはいたたまれなくなって、体を縮こまらせた。
「話を続けましょう。仮にカグヤが私と結婚したいと思っているとします。あなたはそれを、指をくわえたまま見ているだけですか?」
「……だって、イカルガ兄さんはすごいから……」
「ふむ。私が何もしないで、ここまで出来るようになったと思っていますか?」
「……ちがう」
スバルは知っている。イカルガが、毎日のように鍛錬を欠かさなかったことを。小さい頃から、ほとんど遊ぶことなく彼の師から指導を受けていたことを。
隣を見上げると、視線がかち合った。スバルにとって、鋭くも穏やかで静かな眼差しはイカルガの好きなところのひとつだ。
「イカルガ兄さんは、毎日訓練してる。立派な当主になるんだ、って」
スバルとカグヤが稽古でへとへとになり倒れこんでいる横で、平然とした顔をしながら鍛錬をする背中は、ひたすら大きかった。
「オレ達が遊んでる間も、ずっと勉強してた……あっ」
そこまで口にしたスバルは、ハッとした。ようやくイカルガの伝えたいことがわかったからだ。
「オレも」
イカルガの目を見ながら、はっきりと宣言する。
「オレも、もっとがんばる。カグヤが結婚したいと思えるような、カッコいい人間になる」
「そうですか」
満足そうに頷いたイカルガは、立ち上がると振り返った。
「戻りましょう。これ以上は、皆が心配します」
「うん」
先に歩き始めたイカルガへ足早に駆け寄ると、並んで歩き出す。憂鬱な気持ちはすっかり消え失せていた。
会場へ戻ると、しきりに周囲を窺っていたカグヤの顔が明るく輝いた。
「兄さま! イカルガ兄さん!」
「どこに行ってたんだい?」
ツバメに尋ねられ、スバルとイカルガは顔を見合わせる。
「男同士の話をしていました」
すまし顔で答える次期当主に、ツバメは「おやおや」と表情を和らげ、カグヤは頬をふくらませた。
「イカルガ兄さんばっかりズルいです! 私も兄さまと、ないしょ話します!」
「お好きにどうぞ」
カグヤに手を引かれ、前のめりになったスバルは、耳元で囁かれた言葉に瞳をぱちくりさせた。
「兄さま、大切なお話があります。じゅんびができたらお話するので、そのときは私のお話聞いてくれますか?」
「うん、わかった」
スバルが頷くと、カグヤは花が咲くような笑顔を見せた。それを見たスバルの鼓動が早くなる。走ったわけでもないのにおかしいな? と首を傾げながら、秘密の話の内容が気にかかるスバルなのであった。
スバルがカグヤから白詰草の指輪を手に求婚されるまで、あと少し。
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