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どそ
2026-06-18 01:39:37
30067文字
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明順応
botw中の話
6月に出す本に乗っけたい話の進捗置き場でした 6/21完成
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2
3
4
3.
「だいぶ暑くなってきたな」
隣で男が汗を拭いつつ呟くのに「そうだね」と返す。見上げると背の高い木々の巨大な葉が空の一部を隠していた。
単純な気温の高さだけなら砂漠ほどではないけれど、湿度が高いせいで纏わりつくような熱気が辺りを包んでいる。陽が昇って空気が温まり、早朝まで降っていた雨がちょうど蒸発しつつあるのも蒸し暑さに拍車を掛けていた。薄着になりたいところだけれど、この辺りは虫も多いから、道中はちゃんと隙間なく肌が隠れる服を着ないと後でひどいことになる。虫除けの葉もたくさん手に入る訳ではないし、特にこの地域にいる種の虫に対してはせいぜい顔に寄ってくるのをいくらか防げるくらいだった。
井戸の冷たい水を汲み上げ、手持ちの布を浸して顔や首を拭く。上だけ服を脱いで肌を拭っていると、隣で荷物を纏めていた男が口を開いた。
「兄ちゃん、見かけによらず結構な場数を踏んでるんだな」
「なにが?」
どこか驚きを含んでいるような声に問い返すと、男は「いや、ほら」と呟く。
「身体に傷の跡がやたらあるから。特にその腕とか腹とか
……
あんた、よくそれで死ななかったな」
「腕
……
ああ、これ」
言われてようやく自分の腕を見た。皮膚が引き攣れたような肘や腹に触れる。そういえば久しく意識していなかった。
「あー
……
その、あんまり触れられたくないもんだったら悪かったな。つい口に出ちまった」
「いや、別にそういうんじゃないから気にしないで」
答えると男は「そうか」と言いながら視線を手元に向けた。何か言葉を探しているようだった。
「
……
一応言っておくんだが、その剣、隠しておくか何かした方がいいぞ。結構珍しいもんだろ」
「まあ、そうだね」
否定するのも違う気がして頷き、側に荷物と一緒に置いていた剣をちらりと見た。少し前に北の森に行って手にした
――
受け取ったと言うのが正しいだろう剣は、派手ではないけれど格式高さが目立つ鞘に納められている。
「盗もうとする奴なんていくらでも出てくる。あんたなら多分心配要らないとは思うが、面倒事は少ない方がいいんじゃねえか」
最近は人がほとんど立ち入らないところを歩いてばかりだったから、あまり気にしていなかった。道中はよくても宿に居るときくらいは意識しようか、と思いつつ男に答える。
「わかった、気を付ける。ありがとう」
「礼はいいよ。不躾に身体をじろじろ見た詫びみたいなもんだ。元々は言わずに放っておこうかと思ってた」
男が言い、詰め終わったらしい荷物を手にして立ち上がる。近くで草を食んでいた馬が首を上げ彼に寄っていった。かなり懐いているようで、鞍に荷を括りつけられる間もおとなしくしている。
それを横目に服を着てあらかた支度を整え終わると、ちょうど男も出発する用意ができたようだった。馬に乗った彼が手綱を引き、こちらに顔を向ける。
「あんたはこれからどこに行くんだ?」
聞かれて、剣帯を締めながら「ウオトリー村」と答えた。
「そっちか。そこへ行く道なら昨日通ったけど魔物もさほど居なかったし、まあ大丈夫だろう」
「じゃあこれから行くのは西の方?」
「ああ、樹海を抜けてフィローネに向かおうと思ってる」
そっか、と答えつつ、林の中はともかく道沿いはどうだったか、と思い返す。
「多分いまは居なくなってるけど、魔物の拠点が近い場所がある。魔物も多いし目を付けられると厄介だから、馬で行くならある程度一気に走り抜けた方がいい」
「おう、わかった。じゃあまあ、気を付けて行けよ」
「うん、そちらこそ気を付けて」
そう言って手を上げる。蹄の音を立てて男を乗せた馬が遠ざかるのを見送りつつ、海の方へと歩き出した。
はっきりとした切っ掛けがどれだったのかは分からない。
一番最初にその感覚があったのは、下り坂を歩いていたときのことだった。
もうすぐ海辺の村に着くというところだ。坂の下には確かに村が見え、その先に砂浜が、さらに向こうには海がどこまでも広がっていた。
『海、ですか
……
いいですね』
不意に、頭の中で声がした。
いま呼びかけられているものではない。ずっと昔、百年前に、ここでは無い場所で彼女がそう言ったのだ。
長い金の髪が風に揺れる。頭が傾けられ、耳からさらさらと零れ落ちる。
城の一室で、彼女は椅子に腰掛けている。その後ろでじっと立っていた。
図書館から持ってきた本を読んでいた彼女が、ふとぽつりと言葉を呟いて頁を捲る手を止める。後ろからそっと覗き込むと口絵が見えた。海に臨むどこかの町が描かれている。黒の濃淡のみで描かれたのだろう絵は、それでも確かに、波が浜に打ち寄せる様子を伝えてくるものだった。
彼女が窓の外に目を向ける。ここからは海は見えない。風が潮の香りを運んでくることもない。
『あなたは海に、
……
波に足を付けたことがありますか。泳いだことは』
振り返らないまま問いが転がってくる。無言で頷き、それが彼女には伝わらないと気付いて口を開いた。
『幼い頃は時々泳ぎに行っていました。その、故郷が海の側でしたので』
『確かにそうでしたね。
……
泳ぐのは、楽しいですか』
『はい』
答えると少しの沈黙が流れた。
彼女がこちらに身体を戻し、なんでもないようにただ、にこりと笑う。翠の瞳の底で、隠すように微かに憧憬が揺らめいた気がした。美しく微笑んでいるのに、その表情にどこか諦めのようなものを感じて、気付けば口を開いていたのだったか。
『
――
全て落ち着いたら、海へ行きませんか』
彼女に対してなにか提案をすること自体、そのときが初めてだったのだと思う。
『その、お望みなら、泳がれるのもよいですし』
きょとんとした顔をしていた彼女が、少しして困ったように笑った。
『私、泳ぎ方だって分からないんですよ』
『
……
はい』
出過ぎたことを口にした、と遅れて気付く。けれど彼女は咎めるふうでもなくて、むしろさっきよりはいくらか顔が明るくなったように見えた。
『でも、ありがとうございます。
……
それなら、その時あなたが教えてくれますか』
『はい、勿論』
短く答える。彼女が少し嬉しそうに目元を緩め、また本に目を戻した。
ああ、そうだった、と息を吐いた。
約束をした。その約束をなんとかして叶えたいと思っていた。
絹のような、鮮やかな金の長い髪。僅かに安心したような顔。
目覚める前から聴こえた、いまも時折聴こえてくる声。
「
――
姫様」
呟いて顔を上げる。海風は身体の横を通り抜け、後ろへと吹いていった。
***
「もしかして、何かしらちゃんと思い出せたりした?」
古代研究所の扉を開けて入るなり、こちらを見たプルアが眉を上げて言った。
「しかもたぶん、姫様のことでしょ」
「そうだけど
……
何で分かったの」
訊くと、彼女は「乙女のカン!」とにやりと笑ってから、少し表情を穏やかに和らげた。
「真面目に答えると、前に比べてちょっと顔つきがしっかりした気がするからカナ。あと嬉しそうに見えたから」
そんな変わったんだろうか、と自分の頬を軽く抓ってみる。
「きっかけがよく分かんないんだよな。たしかに、記憶に関係しそうなものは目にしたけど
……
ずっと前にも似たようなものは見たことがあったし」
「ふーん
……
?」
興味深そうに話を聞き、少しの間考え込んでいたプルアが、ぽんと手を打った。
「あれじゃない? こう、たくさん走り回って、色んなものを見たり聞いたりしたのが良い刺激になったのよ」
「なるほど
……
?」
なんだか前にも誰かから似たようなことを聞いた気がするな、と思った。近くの椅子のうちで紙の束や本が積まれていないものを見つけて座ると、プルアがこれからが話の本腰だというように軽く息を吸った。少し嫌な予感がする。
「ほら、えーとね、記憶のつくりって複雑で難しいのよ」
そこから彼女が脳の回路やら神経やらの話を始めたが、これが凄まじく長かった。彼女も最初はこちらを気遣って難しい単語は使わないように心掛けている様子だったが、途中で話に熱が入り出すとその配慮も頭から飛んでいったようだった。
始めにあるものの一部分だけが他のものに繋がっていたり、自分でも分からないような線が伸びていたりする。それで線の多さというのは一つには情報量でもあって、とか、理解できた範囲ではそんなことを言っていた気がする。
「
……
というワケ。っと、ごめんごめん、ちょっと脱線して色々話しちゃったわね」
プルアが眼鏡を外して掛け直し、息をつく。正直なところ話がどういう流れで進んだのかもよく分からなかったが、ひとまず話が畳まれそうな様子だったので黙って頷いておいた。
「まあ纏めると、色々なことを知るほど記憶に繋がる手掛かりが増えて、それで急に思い出すことがあるかもってコト」
「じゃあつまり、これからちゃんと思い出せることも増える?」
がたん、と机に手を付いて立ち上がっていた。プルアが、そんな期待し過ぎないの、と言って持っていた筆をくるりと回した。
「あくまで可能性が高くなったんじゃないかって話よ」
だとしてもそれはかなり良い兆候に思えた。気付けば、プルアは静かに笑みを浮かべてこちらを見ていた。あまり彼女らしくないというのか、これまで見てきたのとは違う表情だと思った。誰かがよく浮かべる表情に似ているような気がする。
(
……
そうだ、インパだ)
屋敷の奥に座って、多くの皺が刻まれた顔に笑みを浮かべてこちらを見てくる。重ねた長い年月の中で知ったこと、得たもの、おそらくは失ったもの。そういうものの上にあるような、それらの隣に居るような表情をする。
彼女と同じように、いま目の前に居るプルアの目も微かに憂いを含んでいるように思えた。
「ま、とにかく今まで通りにやってればいいのよ」
そう言ったプルアが、行ってきなよ、と手をひらひらと振った。
***
切っ掛けがよく分からない。
次に似た感覚があったときも、それは同じだった。
白く雪に覆われた平野を歩いていた。雪は降りしきるばかりだけれど、遠くで歩いている魔物の姿がまだ微かにではあるが確認できる。
半人半獣の姿をした魔物は以前はずっと雪原の奥深くに居たが、最近になって縄張りを移したか広げたかしたらしい。雪の強い日、知らずに馬宿近くの林へ馬を走らせていた旅人がそれで矢を射かけられた。今後、街道を歩いている者にもそうした危害が及ばないとも限らない。それで雪原にある馬宿の主人に頼まれ、討伐するべく向かっているところだった。
白い息を吐き、足で雪を踏みしめて
――
その時ふと、足が止まった。
――
がしゃがしゃと鉄の擦れ合う音がそこかしこで鳴っている。
灰色の鎧、剣や槍、柄に巻かれた布。周りに居る大勢の人間は、みな同じ装備と武器を携えている。
息が白い。どこへの遠征の最中だったか、雪が深まる中で休息を取っている時だったと思う。簡単な天幕を張って、その下で何人かで焚き火を囲む。自分もまた、それらの集まりの一つにいた。
甘い匂いがする。一人が焚き火の隅でりんごを何個か炙っていた。栗色の髪をした若い男だ。
『こいつ、行軍中にこっそり実を獲ってたんだぜ』
『またかよ、よくバレねえな。いっそいつ見つかるか賭けしねえか』
『支給分の食料で足りる訳ないんだから仕方ないだろ』
他の兵士が口々に言うのに言い返しつつ、実をじっと見つめては向きを変えたりして焼くのに集中している。隣の髭面の男が彼の肩をどつき『しっかしよぉ』と口を開いた。
『こんだけ腹減ってると俺らもいつ口が滑るかわかんねえよな。飢えてる仲間の前で自分一人だけそんなん食べてるような薄情者のことなんてよぉ』
栗色の髪の男はりんごを枝でつつきながら黙っていたが、根負けしたらしく、わかったよ、と溜息をついた。焚き火を囲んでいる者一人一人に焼けたりんごを渡していく。こちらにも目の前に差し出してきた。
『ほら、やるからお前も黙っててくれよな』
湯気を上げるりんごを布の上から受け取り、彼に向かって頷いた。
(
……
ああ、そうだ)
確かに自分はそうしたんだった。周りの者と同じように、灰色の鎧に身を固めて、それに近い色合いの剣を腰に留めていた。
冷えた身体が暖まっていく感覚と、焼いたりんごの蜜の甘さを、まだうっすらと思い出せる。名前は分からないけれど、どんな奴が同僚や上官に居たかは分かった。ようやく、少しだけ、掴むことができたような気がした。
知らず閉じていた目を開ける。
元のように、見渡す限り雪だけが辺りには広がっていた。
握り締めていた柄は、さっきの記憶にあるものとは色も握った感触も全く異なるものだ。もっと沈んだ色をした、その割に造りがしっかりした剣。それは
――
自分や同僚が持っていた灰色の武器は、思い返せばこれまで何度となく目にしたものだった。
台地から初めて降り立ったとき、自分もそれを手にしていたのではなかったか。
(
……
あの剣は、いつ亀裂が入りだしたんだっけ)
いつの時点で使いものにならなくなって、どこに置いていったか。覚えていない。
剣だけでなくて、槍や盾も何度も見たことがあった。崩れた建物の中や蔦の下、動かなくなった機械兵の側。魔物が持っていることもあった。刃がすっかり錆びついたり欠けているものが大半だったと思う。
談笑する同僚がそれを手にしていた。前や横に列になって歩いている仲間の背中にもそれがあった。ずっと昔のことだ。
軽く眩暈がした。そうか、と思う。
自分はこれを失ったのだ。
「流石、仕事が早いねえ」
そう言ってくる馬宿の主人に「まあ」とだけ答え、剝ぎ取った角や血抜きしたばかりの肝を包みに入れて手渡す。倒すのにさほど時間は掛からなかった。
包みの口を少し開けて中を確認した主人が、確かに、と言って布袋を手渡してくる。受け取るとずっしりとした重みがあった。
「報酬と、諸々の素材の分。若干多いのは何度も世話になってる礼だから受け取っておいて」
「わかった、ありがとう」
答え、こちらこそ、という男の声を背に炊事場に向かった。
歩きながらも、今まで見聞きした色々な事柄が渦のように頭の中で巡っていた。かつてあった村のこと、軍のこと、
――
英傑たちのこと。そのうちのいくつかは、もうはっきりと手触りを持って目の前まで近付いてきていた。英傑たちについてのそれは、実際に本人たちと話をしたせいか特に顕著だった。
鍋の前には先客が居て、こちらを見ると「お」と声を上げた。何度か話したことのある旅人だ。いま自分が背負っている剣のことも、自分がどこを目指しているのかも知っている、数少ない一人だった。
「この辺に来てたんだな」
「
……
うん」
馬宿に寄る前は、リトの村に行っていた。いくつか用事があったからだ。
テバに報告をして、あとは村の階段を上がってひとを探し出しては、頼まれていた伝言や届け物を渡した。ついでに必要になりそうなものも備えとして買っておいた。
『ここでゆっくりしてる暇なんてあるのかい』
頭上から煩く言ってくる声に、分かってる、もう行くからと苦笑いして地面を蹴った。それが、昨日のことだった。
「これからどこか向かうのか」
「
……
そうだね、これから
――
」
――
今からでもリトの村に戻ろうか。その考えが一瞬頭を掠めた。
(
……
なんのために? 用事は全部済ませたのに)
彼に話すべきことは、もう全部話せたと思う。
彼も他の英傑たちと同じように、こちらの記憶が無いことをそれほど重大な問題だとは思っていないようだった。
『僕? 僕は見ての通り、百年前と全く変わってないよ』
君はちょっぴり変わったみたいだけど、と鼻を鳴らして言ってきた彼は、今思えばたしかに、昔と何一つ変わらない声と態度だった。
実体としてからだを持っていないことさえ除けば、彼ら彼女らは今でもごく近い場所に存在しているように思える。会いに行けば言葉を交わせるし、笑い合ったりもできる。今なら
――
記憶を多少取り戻した今であれば、少しだけ昔を懐かしむこともできるんだろう。
またあの村に戻ったなら彼に話しかけて、それで今度こそ飛んできた怒声にいくらか安心するんだろうか。ただの錯覚を声にみる。既に失われたものだという事実から目を逸らす。
(馬鹿げてる)
「
――
カカリコ村に行くつもり」
彼の目を見てそう答えた。元々、リトの村に向かう前からそう決めていた。
体力はたぶんあらかた取り戻した。身体の一部が動きにくいのはそのままでも、もう危なげなく戦えるようになった。奪われていた神獣を取り戻した。自分と同じくらいの時間を眠っていた剣を受け取って、いま携えている。
続けてきた旅はもう少しで終わりを迎える。終わらせに行く。
少しだけでも火に当たっていきなよ、と男が言ってくるのに首を振った。
「もう、行かなきゃいけないから」
「そうか。まあ、なんだ。あんまり無理はするなよ」
その言葉にただ頷いて、背を向けて歩き出した。
人が時折通る道を歩く。茂った草に隠れた石畳の上を歩く。上れそうな岩を越えて、滑空して、地面に足を着けてまた進む。
ほとんど国の端から端への移動な訳だから、村に着くまでにはそれなりの日数が掛かる。足を動かす間、あるいは鞍に座って揺られている間、時間は山程あった。昔のことがぽつりぽつりと頭に浮かぶたび、よく触って確かめようとした。
それらは思い出した瞬間がもっとも色濃くて明瞭なのだと、そのうち気付いた。焚き火を一緒に囲んだ兵士の声はもう曖昧にしか覚えていない。声が一番最初に薄くなる。それ以外のものも、思い出してからは次第に遠ざかっていく。
進むごとに、少しずつ少しずつ、自分のものとして思い出せることは増えていった。立ち寄った村。双子山の麓を走ったこと。言われたこと、言ったこと。記憶に空いた穴が埋まるのと同時に、そのほとんどは自分の中にも同じ形の欠落を残していく。
半透明で輪郭がぼやけていた欠落が、それでようやく透明になる。たぶんそういうことなのだと思う。
『
――
こんなに暑いと干からびそうになってくるよ、まったく』
『ああ、あそこに良さそうな店があるじゃないか』
何かで英傑で集まった折、通り道にあった店に寄って飲み物や食事を頼んだことを思い出した。その店が、今から自分が通る先にあったはずだとも記憶していた。
平原は機械仕掛けの兵が多くうろついているから、少し迂回もしつつ進んで、見つかった時だけ応戦した。
周りの地形は記憶に薄くあるものと同じなのに、平原は建造物らしきものの影もなくどこまでも草が続いているように見える。家屋があったはずの場所に近寄ると、欠けた家の土台と粉々になった炭が落ちていた。
木が焦げた匂いも、もう僅かにさえ残っていない。
さほど城から離れた場所ではない。だから、こうなっていることの予想は付いた。分かっていた。
縄に通されて並んだ木の板が、風に揺れて小さくからころと鳴っていた。
階段を上って扉を開けると、正面の奥に座っているインパの姿が見えた。彼女が顔を上げて目を細める。
「おお、其方か。よく来たのう」
こちらを見て呟いた彼女に「久しぶり」と返して床に座った。
「何か用かの」
「うん。
……
ねえ、インパ」
どれから言おうか迷って、まず、口を開いた。
「何個か、昔のことを訊いてもいい?」
「もちろんじゃ。何でも訊くがよい、我が知ってることであれば答えてやれるぞ」
そっか、と呟いた。一つ息を吐き、ここに来るまでの間に浮かんだ問いを口に出す。
「近衛の任に就いているひとの家族って、みんな城下町で暮らしてたの」
インパがぴくりと眉を動かした。
「
……
どうした、急に」
「答えて。正直に」
顔をじっと見つめ続けて答えを待った。少しの沈黙があったのち、彼女が根負けしたように長く息を吐いた。
「
……
儂もさほど知っている訳では無い。ただ、位の上がった者の家族が城下町に居を移すことは珍しくなかったわい。一方で、元から暮らしている村に留まる者も少しは居たと記憶しておる」
探るような目をしていたのか、神妙な面持ちをしていたインパがこちらを見て、ふっと溜息をつくように口元を緩めた。
「そんなに真剣な顔で聞かれては、気を遣ってだとしても偽ることなどできんよ」
彼女につられて少し肩の力が抜ける。わかった、と苦笑した。
「ちなみに、俺の家族については何か知ってることはある?」
問いかけに彼女はほんの少しだけ表情を動かしたが、最初の質問ほどではなかった。
「
……
いる、と聞いたことはある。それ以上は知らぬな」
「そう。
……
ありがとう、教えてくれて」
言って、なんとなく手元に視線を落とした。屋敷の中はほかに物音もせずしんと静まり返っている。壁を隔てた外で吹いている風や鳥の声はずっと遠くにあるように聞こえた。
「
……
少しずつ、昔のことを思い出してきた」
呟くと、インパは静かに頷いた。続きを促すようにこちらを見ている。
「抜けた部分が多いのは相変わらずだよ。でも、それが自分の記憶なんだっていう実感は出てきた。姫様と昔話したこともそうだし、英傑の皆のこととか、兵士だったときのことも」
「
……
うむ」
「あれから百年が経ったんだなって、最近になって
――
ここ数日、よく思う」
言い終わるとまた沈黙が降りた。頷きながら言葉を聞いていたインパが、そっと膝の上で手を組みなおす。
「
……
ああ、それが分かったか」
分かってしまったか、と彼女が口の中だけで呟くのが耳に届いた。
「なあ、リンクよ」
呼ばれて、まっすぐに彼女を見た。幾重にも刻まれた皺の中、穏やかでどこか哀しげな瞳と目が合う。
「知っていくのは、思い出すのは、怖いと思うか」
投げかけられた問いに軽く息を吐き、考え切れていないままに口を開いた。考えながら、ぽつぽつと言葉を続ける。
「どうだろう
……
でも、知りたいし、ちゃんと記憶を取り戻したい。それは変わってないと思う」
インパは静かに、相槌を打つように頷きながら聞いていた。道を歩きながら考えて、言葉にして、それでようやく自分でも分かった。あとはもう、目的地に向かうだけだ。
「
――
明日、城に行ってくる」
そう言うと、インパは軽く目を丸くした。
「
……
また、随分唐突に言うのう」
「前から決めてたんだ。だから一応、それを伝えておこうと思ってここに来た」
私のせいです、と泣きじゃくる彼女を覚えている。いま自分がじわじわと失っているたくさんのものを、彼女はあの日一気に失ったのだ。それでもずっと、あの城で戦い続けている。待っている。
(辿り着いて、今度こそ全てが落ち着いたら)
その時ふわりと笑ってくれるだろうか、と思う。
インパは、そうか、と何度か小さく頷くようにした。しかと強い眼差しでこちらを見てくる。
「頼んだぞ」
声に、ただ彼女の目を見つめ返して、しっかりと頷いた。
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