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pakkonn_niji
2026-05-30 08:47:53
34435文字
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未定
きゅかず Webオンリー(2回目) サンプルです
間に合えば
1
2
3
▶ 青山カズキ
1.
前世の記憶がある。
そう口にしたのは小学生の時分だった。物心ついた辺りから、まるで頭の周りを飛ぶ虫のようにチラつき始めた記憶。掴みどころのないそれが実態を持ったのがその頃だったからだ。
衝撃を受けた。同時に納得した。様々なことについてだ。
友人がいる。名前を鳳王次郎と言った。グレーの髪をした、控えめで無口な少年だった。初めてカズキと相対した時もずっと黙り込んでいたし、小学校では場に馴染めていなかった。
それを見て、カズキは形容しがたい納得を覚えていたのである。王次郎だからなあ、というように。今思えばおかしな感想だ。何せ王次郎と出会ったのは小学生になってから。つまり出会ってばかりなのだから。
しかし当時のカズキはまだ幼く、そこに引っかかることはなかった。
故に、カズキは当たり前のように王次郎の世話を焼いた。まるでそうすることが当然だとでもいうように。
時折冷静になった脳みそが「まるで図鑑に出てくる昆虫みたいじゃない?」等と囁きもしたが、無視した。脳内の声が言う昆虫とは、タイコウバチとカタツムリのことだ。小学校の図書館に並んでいた本の中に、そのような記述があったのだ。
寄生し、思考を乗っ取る。そして己の身の回りについて世話をさせる。タイコウバチとカタツムリの場合、卵を植え付けられたカタツムリは死んでしまうが、王次郎とカズキの場合は違う。
ただプログラムでも組まれていたかのようにカズキは王次郎の世話を焼く「べき」だと思ったのだ。何者にも寄生されることなく、自主的にカズキは王次郎をサポートしたくなった。
それが衝動であり、前世というものの片鱗だった。その片鱗が全容を見せたのが、王次郎が小学校四年生になった時だ。そしてカズキは六年生だった。
何気ない、いつも通りの帰り道。散り間際の桜の木の下を歩いていた時、ふとカズキは足を止めた。吹く風、空の色、鳥の声。それらが全てその瞬間、びたりと動きを止めたのだ。
本当に止まっていたわけではない。ただ、それほどの体験だった。はくと酸素を求めて口を開く間にも、カズキの脳には濁流のような記憶が注がれる。
控えめだが頑固な王次郎。彼と共に連れ去られた先にあった、鳳天心の研究所。XBと呼ばれる野球に似たスポーツ。その為に死んでゆく友人達。生き残った自分と王次郎が戦い、自分は負けた。
が、そこで諦めることはない。新たに得た仲間であるミナトトライブ。自らが先頭にたち、結成したトラッシュトライブ。
決して諦めないことで掴んだ勝利の果て。その先でカズキが得たのは王次郎の死だった。そこでカズキの記憶は途絶える。「何故だ」とゼロに向かって叫び、それまでだった。続きはない。
意図せず、帰宅途中の足が止まる。目の前を進む背中が愛しくてたまらない理由を、ようやく見つけたのだ。
彼のことをカズキは前世から知っていた。血の繋がりはなくとも、家族のように。弟のように。親友であり相棒のように思っていた。
頭の周りを飛んでいた記憶がぱちんと弾け、脳に注ぎ込まれる。その衝動がままにカズキは泣いた。知らぬ間に泣いていた。
あの日分かたれ、会うこともできなくなった王次郎。現れたQでは埋められなかった寂しさ。それらが今、目の前の存在に埋められようとしている。
カズキは息を吸い込んだ。そして駆け出す。ランドセルを背負う王次郎に飛びついた。
「王次郎
……
! 思い出したんだ、僕
……
!」
上擦る声は自分らしくない。だがなりふり構うことは出来なかった。
口早に捲し立てる。会えて嬉しいこと。彼の死後、喪失に苦しんだこと。受け入れ無ければならないと諭す理性に、抗うような絶望の叫びについて。心の底から惹かれていたこと。ずっと引っかかっていた執着の理由をついに見つけ出したこと。その何もかもを一気に吐き出した。
前世の記憶があるのだと胸を叩くと、彼は目をぱちくりとさせた。灰色の瞳が揺れていた。
その揺れがゆるゆると逸らされていく。そこでカズキは、はたと言葉を止めた。湧き上がっていた熱に向かって、じわじわと冷水が浴びせられていく。小さな王次郎はおずおずと口を開いた。
「ごめん。
……
あの、何の話?」
×
今年で十八になる。高校三年生だ。ぼんやりと窓の外を眺めながら、カズキは思考を過去へと飛ばしていた。
遠い過去ともいえる。小学生というのは、高校生から見ると子供でしかない。その子供時代のことだからだ。
馬鹿なことを言ったな、と今ならば言えるだろう。しかし当時はガムシャラだった。常に付き纏っていた「違和感」に「前世」という答えを与えられ、カズキは舞い上がっていたのだ。
事実についていくつか訂正がある。まず、カズキと王次郎は友人ではない。少なくとも「現世」においては。
カズキの通学班の一員として、王次郎は後から入ってきた年下の後輩だった。つまり近所ではあれど、幼なじみではない。初対面は王次郎が小学校一年、カズキが三年の時だった。
カズキは確かに世話を焼いたし、王次郎の面倒をみた。何かしら頭の隅に引っかかる衝動に首を傾げつつ、彼の行動を見守ったものだ。性格がひねくれていたので、多大なる歪曲表現にもなったりしたが。
しかし、それに留まる関係だった。友人でもなく、幼なじみでもなく、親友なんてとんでもない。正確にいえば知り合いだとか、同郷だとか、その程度の関係である。
そんな関係の年下に対し、当時のカズキは飛びついた。前世で会ったことがある、と。前世で死に別れた、と。前世で惹かれていた、と。冷静になればとんでもないことだ。
実際、当時のカズキは周囲からドン引きされた。同級生として転生(なのだろうか)していた三田も同じ通学班にいたのだが、彼に取り押さえすらされた。あの瞬間のカズキは、分かりやすく奇行を働く不審者である。
突然友人以下の年上から詰め寄られた王次郎はどれほど驚いたろうか。暫くしどろもどろしていた記憶はあるが、最後にはカズキに向かって「大丈夫?」と眉を下げてきたことを思い出す。
「何か辛いことあったら相談してね」とは、当時の彼の言葉だ。完全に錯乱した知り合いへの心配と、巻き込まれるかもという不安からくる表情。一気に背が冷えたのを覚えている。
……
故に、誓った。二度とこの話はすまいと。認めよう。あれは不適切な発言と行動だった。幼いが故の暴走ともとれるが、少なくともトラウマなく、スクスク育っていた現在の王次郎に対し、カズキは確実に爪痕を残した存在である。小学四年生に「君は死んだ」などという話題は不適切すぎだ。
せっかくの再会ではあるが、前世のことはさっぱり諦める。そして新たに出会った記憶のない王次郎や三田と共に、のんびりと学生生活を送る。そう誓ったのだが
……
。
カズキは窓の外から視界を戻した。高校三年、二組の教室である。窓横真ん中列に指定された自分の席の前には、三田が座っていた。こちらを向いて。
うんざりとする。隠すことなく顔と態度にそれをだしつつ、カズキは口元を歪めた。
対する三田は楽しげだ。「んな顔すんなって!」と言いながら、こちらにずいずいと顔を寄せてきた。
「なあ、お前もやってみろって。大流行りなんだぜ!? これ、本当にすげえゲームだからさ」
「やらない」
ばっと見せられるスマホの画面。そこにはチャットが映し出されていた。三田と誰かがやり取りをしているという、ありふれたソレである。
が、よく目を凝らせば違って見えた。問題はチャットしている相手だ。三田のメッセージに対し、甘い言葉で返しているその人は、正確には人ではない。
カズキはハアとため息をついた。
「君が寂しくてモテなくて干からびていて、けれど実力の伴わない外面内面だから、君が望む恋愛が現実で叶う可能性が低いことは考えなくても分かるけどさ」
「おい!」
「AIと恋愛ごっこは一線越えてるんじゃないかな」
そう言い、首を傾げる。三田はというと、一瞬押し黙った。しかし直ぐに気を取り直す。
「マジ恋愛のつもりなんてねえよ」と言いながら、彼は前のめりに机を叩いた。
「予行練習つーか! なんていうかよ、イメトレなんだよこれは!」
「なんのイメトレなの?」
「そりゃあお前、彼女が出来た時のよ」
返答を聞き、カズキは半目になる。そして「はい解散」と手を打った。三田は即座に食ってかかる。「もう少し聞けって」と、合わさったままのカズキの手のひらを両手で固定した。
「言いたいことは分かるぜ。本物の女の子とAIの女の子は違うって言いたいんだよな」
「いいや」
カズキは首を横に振る。「君はモテないから練習の意味が無いと言いたいんだ」と続けると、彼は「なんでだよ!」と悲壮な声を上げた。否定しきれない所が哀れでもある。
しかし、どういう風の吹き回しだろう。カズキは片眉を釣り上げた。
三田三太郎。前世で縁のあった人間の一人である。勿論彼も王次郎と同様、今世に記憶を持ち越してはいない。カズキとここまで打ち解けたのは、一重に彼の性格がなせる技だった。
なるべく前世のことは切り離そうと線引きをしていたはずが、いつの間にか友人の枠に収まっている。その旧く新しい友人が、AIチャットを嫌っていたのは数日前の筈だ。
「
……
君、生身じゃなきゃ意味ないから、AIには興味ないって言ってなかった? しかもそうやって大々的に宣言してたのって、つい三日くらい前だよね」
そう言うと、三田はうぐと喉を詰まらせた。事実であるからだ。ほんの三日前、カズキは堂々たる彼の宣言を聞いていたのだ。
いいか、カズキ! 俺は本物の愛が欲しいんだ! 偽りなんかじゃねえ、生身の肉体を持った愛ってヤツを!
……
その言葉はどこへやら。三田は「まあ待ってくれ」と言い訳をするように手を上下に動かしていた。
「確かに最初は信じてなかったぜ? 所詮AIだってな」
「だよね。よく覚えてるよ。君はこの教室で大袈裟に宣誓してみせたんだから。なのにどうしてハマってるのかな」
「別にハマっちゃいねえよ、そこまでじゃねえ!
……
ただ、何事もやらずに評価するってのは間違ってるだろ」
それはそうかもしれない。カズキは目を細め、彼の言葉を受け取る。だが、それはそうだとしても、あれだけの大口を叩いて尚手を出せるとはどういう心境なのだろうか。
カズキが口を開きかけると、三田は「待った!」と手のひらを向けてきた。「お前の口からは劇物しか飛ばねえ」と渋い顔を向けてくる。
つまり、黙って話を聞いてくれということだ。カズキは肩を竦め、口を噤んだ。どうぞ話してと手のひらを向けると、三田は鷹揚に頷く。
「批判するなら少しでも触ってから。そう思って初めてみたんだよ。このチャットAIアプリ」
説明しつつ、三田はスマホ画面を見せてくる。スクロールさせながら、彼は半ば興奮状態だった。
「貴方のまだ出会ってない運命の人と、会えなくなってしまった大事な人と、チャットで繋がれる。
……
それがこのアプリのコンセプトなんだ。どう思う、カズキ」
運命。会えなくなってしまった人。なんとも空虚で魅惑的な響だ。占いじみている。
前世を覚えている身だ。頭ごなしに運命だの占いだのを否定するつもりはないが、元々そういうものを信じる質ではない。カズキは頬杖をついた。
「詐欺っぽい」
「そうじゃなくて!」
「じゃあ何?」
バカバカしいと分かりやすく顔に書かれているのだが、三田は読み取るつもりがないらしい。どうやら本格的にこのアプリにハマっているらしかった。本人はハマっていないと言っているが、実際はこれだ。
チャットの画面を見る。「三太郎さんってお優しいのですね!」というAIからのレスポンスが見えた。虚しくは無いのだろうか。
カズキの温度感に気が付いたのだろう。三田はこほんと咳払いをする。目が泳いでいた。
三田が何を伝えたいのか。カズキにはおよそ検討はついている。それがバカバカしく、付き合うに値しないことだという事が問題だが。
チャット画面、その右上。そこにあるのは無料プランの文字。どうやらゲームのように、AIからのレスポンス事にコインを消費するらしい。つまり、コインがなくては遊べないということだ。
無料で貰える分もあるだろう。しかし、三田の画面を見る限り、コインはスッカラカン。そうなると自ずと見えてくるものがある。
「
……
回りくどいけどさあ、僕にインストールして欲しいってこと?」
「!?」
三田は目を見開いた。ガタンと音を立てながら、椅子に座ったまま跳ねている。カズキは欠伸でも出そうな気分だった。
「招待したら無料でコインやらアバターやらゲット、みたいな感じ?」
「ギクッ」
「それで僕にチャットアプリをダウンロードさせて、自分は無料コイン貰って、AIとイチャイチャしたいんだ?」
三田は顔を引き攣らせる。「なんで分かったんだ!?」と頭を掻きむしっているが、馬鹿でもわかるだろう。普通。
カズキはフンと鼻を鳴らした。
「誰だって分かるし、招待への答えは決まってる。もちろん、嫌だね」
「!? た、頼む! そこをなんとか!」
「やだね。課金したら?」
先程三田が見せてくれた通りなら基本無料、月額制ありのアプリだったはずだ。となれば、三田が自分で金を払って、AIと話せばいい。運命とまで言うのだから、働いてでもなんでも金を稼げばいいだけだ。
そういうと彼は「無理だ」と項垂れた。
「バイト代は生活費に使ってるしよぉ。これに課金する余裕なんて無いんだ」
「じゃあアプリを辞めるしかないね」
三田は口を尖らせた。ケチ、悪魔、カズキと悪口が飛んでくる。最後のひとつは名前そのものが登場していたが。
カズキは立ち上がる。「君ってほんとに飽きないバカだね」と笑いながらそっぽを向いた。それを見て、三田は「付き合いわりぃぜ!」と不満気な声を出す。
だが仕方の無いことだ。カズキにとってモテない友人がAIにハマったことなどはどうでもいい。対称にどうでも良くないことは、三田が友人として自分の人生に食込みすぎていることだ。
前世と変わらぬ彼の姿を前にしては、いつまで経っても過去を過去と割り切ることもできない。カズキは呆れつつ立ち上がり、ひょいひょいと三田を追い払うように手を振った。
「程々にしなよ。そんなのにハマるの」
「そんなのとはなんだよ。俺はお前にこそピッタリだと思うぜ?」
「僕?」
心外だ。友人を必要不可欠とする人間ではないが、何故その自分がAIにまで手を伸ばしてまで、友人を得るべきと思われるのか。不満げに目線を投げると、三田はスマホを軽く振った。
「運命に会えるからだ」
「運命?」
それは三田の作り出した都合のいい彼女の事だろうか。清楚で控えめ、三田のことを心底愛しているという架空の彼女。
尚更馬鹿らしくなり、カズキはフンと鼻を鳴らした。
彼の言わんとすることは分かる。前世を思い出し、しかし自分以外誰も共有できなかったというカズキの苦しみを、三田は知っている。あくまでも情報としてのみで理解しているとは言い難かったが、把握してはいた。
それについて言っているのだろう。つまり、AIであれば「前世のことを話せる友人ができる」のではと。それにより、カズキの問題が解決に近づくと三田は考えている。これが一割。
残りの九割はただ、彼が架空の彼女とやり取りする為のコインを得たいだけだろうが。
アホらしい。カズキはそれらを一蹴した。もし、三田がカズキに対し「前世に未練がある」と思っているのなら、それは多大なる誤解だ。その問題は解決済みだから。
三田へ返答を返すのも面倒になっていた頃、教室の入口にぬっと大きな影が現れる。気配を察知し、カズキはそちらへ目を向けた。
「カズキ、迎えに来た」
剃り上げられた銀の髪。精悍な顔立ち。伸びた背筋。同じ高校に通う、現世の王次郎その人だ。カズキは「遅かったね」と王次郎に向かって声をかけつつ、鞄を掴んで歩き出した。
「じゃあね、三田くん。あいつと帰る約束してたから」
そう言うと、彼は「またかよ!」と口を尖らせる。「たまには俺と一緒にナンパにでも行こうぜ」と雑に誘う声を無視し、カズキは王次郎と合流した。
三田の抱く誤解。それは今のカズキにとって、前世がわりとどうでも良くなっていることである。運命の相手も、前世であった出来事を共有する相手も特に望んでいない。
頭一つ分上から見下ろしてくる後輩と目を合わせる。すると、彼はぐっと目に力を入れた。
「
……
今日は負けん」
「どうかな?」
カズキは揶揄うように肩をすくめる。何の話かといえば、バッティング勝負の話だ。週に一回、彼と共にバッティングセンターに行き、どちらがより多くヒットやホームランを出せるか競っている。今のところカズキが勝ち越していた。
カズキは王次郎よりも前を歩き、彼は後ろをついてくる。
「今日もきっと僕が勝つね」と口角を上げると、王次郎は「言っていろ」と楽しむような声を出した。カズキは振り向き、笑う。
……
つまりだ。現状、カズキは大層幸せである。
*
カズキは辟易としていた。バッティングセンターに王次郎と向かい、日常を楽しんだのは先週のことになる。結局あの日、カズキは王次郎に勝った。
体格差はある。が、キャリアが違うのだ。カズキの二週分の人生は、確実にメリットとなっていた。悔しがる王次郎の顔を肴に奢って貰ったジュースの味は最高だった。
「カズキぃ
……
」
机に突っ伏し、唸る三田。カズキは黙っていた。三田の手に握られたスマホと、その画面に写るチャットアプリから「何が起こっているか」を推察したからだ。大層馬鹿らしいことが起こっているに違いない。
口を閉ざし続けるカズキに対し、三田はくぐもった声で訴え始める。
「俺、どうしたらいいんだ」
「
……
」
「新機能が来ちまった」
無視しているというのに。
カズキはため息をつく。まだその話をするのかとそっぽを向く。本格的に向き合うのを辞めていたが、三田は気にしなかった。
「有り得ねえよな。チャットだけでも俺の可愛い彼女って感じだったのに
……
」
「
……
」
「イラストまで来ちまったぜ
……
」
はああ、と長く、悩ましい息を吐く彼に、カズキは耳だけを向ける。イラストが来たとはどういう事だと一瞬戸惑ったが、どうやらアプリにアップデートが入ったらしい。今までは文字だけだった三田の彼女は「イラスト」という体を手に入れたのだとか。
思わずちらりと彼の手元を見る。可愛らしいが、いささかアニメチックな少女が「三田くん!」と話しかけてきていた。
「
……
」
僅かにギョッとする。カズキは、AIというものをそこまでしっかり触ったことがない。作業効率を上げる道具として補助的に使うことはあれど、感情的なコミュニケーションを委託したことはなかった。
カズキは眉を顰める。「君、こんなのに入れ込んで大丈夫なの?」と三田に問えば、彼は「大丈夫な訳ねえだろ」と口を曲げた。
「可愛すぎてなんも手につかねえ」
「そういう意味じゃなくて。いや、そういう意味もあるけど」
「どういう意味だよ」と三田が顔をあげる。その顔色は悪くなかった。本気で入れ込んでいるということは無さそうだ。安堵しつつ、カズキは口を開く。
「ちゃんとしたアプリなの? それ。変な個人情報とか入れてないよね」
「大丈夫だって」
「何を持って言い切れるのかな。規約読んだ?」
「読んでないけど大丈夫だろ。だって、このアプリは才蔵が作ったんだぜ。中等部のさ。だから安心安全ってわけよ」
才蔵。その言葉にカズキはどきりとする。前世で聞いた名前だ。未だ今世では顔も見ていないが。
王次郎伝いに存在だけは知っている。カズキの通う学校の中等部に、あの秋葉三兄妹全員がいるのだとか。
関わりが全くないのは意図してのことだ。前世の出来事から離れ、今を楽しむことに決めたカズキにとって後退のトリガーになりかねない。
カズキは顔を歪める。三田は気が付かないようで、「だから安全性は問題ないんだよ」と頬を机に押し付けていた。
「問題はよ、可愛すぎることなんだ。あと金がかかる」
「前言ってた招待で貰えるコインのこと?」
「おう。課金するか招待するかでしかコイン貰えなくってさあ」
まさか、と思う。カズキは先週、彼の誘いを断った。それなのにチャットを続けているし、見事アップデートまで果たし、アバターを入手している。
半ば信じられない気持ちで「お金使ったの?」と聞けば、三田は「うぐ」と噎せたように体を跳ねさせた。
「ちょ、ちょっとばかし、な」
「呆れた」
「そ、そうはいってもまだ三千だぜ!?」
「
……
三千円って、他にもっと有意義な使い方があっただろうに」
カズキがそういえば、三田はつんと口を尖らせる。「課金は悪じゃねえよ?」という声はひっくり返っていた。
「このアプリを作って、俺と彼女を会わせてくれた才蔵に感謝して金払ってんだし。バイト代から出したし」
「君はあくまでも楽しませてもらった対価を正当に払っただけだと?」
問えば、三田は頷いた。頷いたが反応は鈍い。心の底では理解しているのだろう。三田は別に課金をせずとも楽しめたはずだ。
彼のハマっているAIチャットアプリは基本無料のアプリである。追加コンテンツの購入をする場合や、チャット回数の回復を待たずに続ける場合にのみコインが必要になった。
さらに今回追加されたアバターの着せ替えについてもコインが必要になってくる。三田はどうしても、自分のチャットで生まれた理想の彼女へ服をプレゼントしたかったらしい。それで三千円を入れたのだと。
三田は頭を抱えていた。
「分かってるぜ、俺だって。この行為に救いはねぇ
……
! それに、俺だってゆくゆくは本物の美人のねーちゃんと付き合うんだ」
「へえ」
「これはそのためのなんていうか、
……
予行練習みたいなもんでよ」
その為に三千円をアプリ内でしか使えないコインに変えたのか。冷ややかな目で見つめると、三田は「そんな目で見るなよ」としょんぼりした。
「でもさ、あと一つなんだって」
「何が?」
「彼女にプレゼントしたい髪型があってよ
……
」
カズキは睨む。が、三田は「分かってる」と深刻そうに頷いただけだった。
「俺もな、自覚はある。だから卒業したい訳だ。この架空の運命と
……
」
「アプリ消したら?」
「それだと未練が残るだろ!? せめて、せめて別れる前に、この子を最高の姿で送り出してやりてえんだ」
何を言っているのかよくわからない。が、何が言いたいのかは分かった。複雑な状況だ。整理をすると「あと招待特典の髪型さえ揃えられたら、コンプ欲が収まって、アプリを辞められる気がする」という事だろう。
三田のスマホを覗けば、確かに画面上の彼女は未完成だった。全体的に綺麗めな服装と顔つきでありながら、髪型はおかっぱという状態である。
「揃えたいっていう気持ちは分かったけど、根本的な問題は解決していない」
「なんだよ」
「揃えたら余計やりたくならない? お金入れて、もっとかわいい服をとか」
「いや。それはねえ」
ビシ、と彼は断言した。どこからその自信が湧くというのか。先週ウダウダしていた姿からすると、彼は確実に悪化している。カズキが疑いの目を向けると、三田は「よく聞け?」と人差し指を立ててきた。
「俺はな、リアルのどこかにいる俺の運命を探して、このアプリを始めたんだ。分かるか?」
「全然全く一ミリも」
「つまりだぜ」
聞けよ、とカズキは腕を組む。三田は気にせずに続けた。
「運命の相手の見た目と癖がこのアプリで分かったなら、俺はそれに近い人を探しゃいいってことになるだろ?」
「どこがイコールになっているか分からないな」
AIと実在する人間。そこには大きな隔たりがある。思い出すのは曲田だ。この世界ではまだ出会ってもおらず、恐らく向こうもこちらを知らないだろう。あの男がこのアプリをみたらどんな感想を抱くだろうか。
カズキは「ねえ」と三田に問いかけた。
「分かってる? AIと現実は違うって」
「勿論だ」
「なのにAIに、現実の運命を探してもらうの?」
「少し違う。手伝ってもらうだけだ」
そう答え、ふんすと三田は胸を張った。ダメだこりゃとカズキは眉を顰める。何を言っても聞く耳を持てないだろう。
疲れた。カズキは三田から目を逸らす。なんと返せばいいかを考えていると、ふと顔に影がかかった。いつの間にか王次郎がそこにいる。
「
……
王次郎。ごめん、待たせてたね」
「いや。構わん」
忘れかけていた。ちょうど一週間たった。つまり、今日が彼とバッティングセンターに向かう日だ。
カズキはのそのそと立ち上がり、鞄を持つ。慌てたのは三田だった。
「待て、カズキ! 頼む! 後生だ! 俺の運命の為に招待を受けてくれ!」
「嫌だね」
伸びた腕。それをすげなく引っぱたく。三田はそれでも諦めず「頼む〜! 焼肉奢るからよぉ!」と縋ってきた。そこまで食にこだわりもないので、焼肉と言われてもどうともない。眉ひとつ動かさないカズキと対象に、興味深そうに首をかしげたのは王次郎だった。
「何の話だ」
「聞かなくていい、王次郎」
「よく聞いてくれた! 王次郎! お前に頼みが
……
!」
カズキは「おい」と三田を睨む。が、三田は止まらなかった。不思議そうな王次郎に向かい「この際お前でもいいから」などと縋り始めている。カズキはついに「三田くん!」と声を僅かに荒らげるはめになった。
王次郎はまだ高校一年。同じ高校生といえど、まだ若い。三田のバカに振り回されることを考えると胃が痛くなる思いがした。
カズキは三田の耳を掴む。
「わかったよ。招待受けるだけだからね」
「まじか!?」
「いいけど、僕がやるんだから王次郎はやらないよ」
トゲトゲしくそういえば、三田は「分かってらぁ!」と喜色をあげた。「そうと決まりゃ気の変わらないうちに」などと、カズキにスマホを出せとせがんでくる。
面倒くさくなって、半ばスマホを投げるように三田に渡すと、王次郎はさらに首を傾げた。
「蚊帳の外にするな、カズキ。三田は何をしている」
「
……
馬鹿なことだよ。彼、AIにハマったんだ」
「AI」
王次郎は噛み締めるように呟き、瞬きをする。あまりしっくり来ていない様子だった。
「簡単に言えば、ゲームにドハマリしてね。お金まで使い始めたわけ」
「む」
「それを辞めたいけど、辞める前にどうしても招待特典の髪型が欲しいんだって」
王次郎はゆっくり頷いた。そして「招待特典とはなんだ」と尋ねてくる。これはこれで三田と違う種類で面倒だ。カズキは面倒になり「僕を誘うとオマケが貰えるってこと」とだけ説明し、切り上げた。王次郎は「そうか」としか言わない。あまり理解できていないことは確かだ。
その間にも、三田はスムーズにカズキのスマホを操作していた。そしてしばらくした後、カズキの手元にスマホが返ってくる。苦々しい顔のまま受け取ると、三田はにこりと満面の笑みを見せた。
「入れといたからな! チュートリアルまでやれよ! そうじゃねえと俺が特典貰えねえから」
「感謝の前にそれ?」
はあ? と顔を歪めると、彼は慌てて「感謝してるぜ神様仏様カズキ様」などと手を合わせ始めた。それを無視して教室をでる。
こんな馬鹿げた話で、バッティングセンターに行く時間が減るのもやるせない。まともに返事もせず、カズキは「行くよ王次郎」と声をかけた。
*
今日のバッティングも中々だった。いい勝負だったように思う。しっかりと勝ち越したカズキは上機嫌に、王次郎から奢られた缶ジュースを掲げた。
悔しそうに呻くのは王次郎だ。「流石だ」とはいいつつ、悔しい気持ちが滲んでいる。
「カズキは野球部だったことがあるのか」
「無いよ。君もよく知ってるでしょ。僕は中学時代からパソコン部だ」
あそこは居心地がいい。控えめな、言い換えればコミュニケーションを好まない生徒が多かった。人生二週目の自分にとって、中々良い環境である。元々プログラミングは好きだし、文句は一切なかった。
対し、王次郎は中学からずっと野球部である。こうして週一回、カズキと帰る日以外はほぼ毎日練習漬けだった。だからこそ抱くのだろう。
「何故勝てぬ」
ムスッとした声だ。カズキは思わず笑う。子供っぽさがありありと滲んでいた。ついと顔を見上げると、想定通りの顔をしている。僅かに拗ねたような頬が愛らしい。
どれだけデカくなってもやはり王次郎だな、と過去と前世と、何もかもを重ね合わせながら、カズキは口の端を持ち上げた。
「バッティングはまだ僕の方が上手いみたいだね。君、パワーはあるけどコントロールはまだまだかな」
「そうか」という声がする。王次郎は納得いくような、いかないような顔をしていた。
何故カズキの方が上手いのか。理由は分かりきっている。現世で行われる野球と、死と隣り合わせのXBは似て非なるものだった。
普通に野球をしたのならば、カズキは今の王次郎に敵わないだろう。XBギアのない世界では、純粋に体格が差を生み出す。カズキがバッティングで勝ち越せるのは前世からの積み上げ分でしかなかった。
しかし王次郎に前世などない。彼はうんうんと唸っていた。練習が足りないのかと。そんなことはない。ただ、ギリギリカズキの方が練習期間が長いだけだ。
いつかは抜かれる。その確信がある。しかし、それを言うと面白くないので、カズキはにやりと笑うに留めた。
「次も僕が勝つかもね」
「
……
いや、次は私だ」
「へえ? 自信あり?」
「何本目のジュースかな」と言いながら缶を振ると、王次郎は「わからん」と答える。その顔が拗ねた大型犬に見え、カズキは思わず吹き出した。王次郎は「カズキ」と笑うカズキを責めるが、これが笑わずにいられるだろうか。
前世はない。強い繋がりも。だが、新しい関係性は確実に育めていた。三田のようなAI彼女ではなく。
横並びになった王次郎を見る。彼は難しい顔をしていた。先程のバッティングで上手くいかなかった原因を探しているのだろう。ぶつぶつと動く唇に目を引き寄せられる。
いいな、と思った。彼が楽しそうで嬉しい。自分をこうやって誘ってくれて、ムキになって戦ってくれることが嬉しい。
急に前世と騒いで、驚かせてしまった罪悪感は消え始めていた。友人のようなものでしかなかった彼は、今や紛うことなき友人である。自他ともに認める相棒でもあった。
カズキが何かやらかせば王次郎が呼ばれ、その逆もある。学年の違いなど関係がない。あるべき場所へストンと収まるように、王次郎とカズキはいつのまにか側にいた。
三田ではないが、運命というならこのことでは無いだろうか。例え記憶がなくとも共にいる。共にある事をお互い選んでいる。その事がむず痒く、歩む足を軽くした。
現在七月。高校卒業後、カズキの進路はほぼ決まっている。一般入試を待たずして、推薦も取れそうだった。学業で苦労したことはない。これは元の素質だろう。
重要なのはこの先だ。大学進学について王次郎と話した時のことを思い出す。よければ一緒に住まないかと提案された。何故、と聞くと、お前が心配だからと返される。家事の一切ができないと思われていたらしく、それについては笑いながら訂正した。
けれど、同居も悪くない。仲のいい友人として、相棒として。そして、それを超えた特別な何かとして。
カズキに家族はない。これは前世と同じだった。だからこの提案を王次郎から受けた時、思わず喉を鳴らしたものだ。
カズキはもうすぐ、家族を手に入れる。
そんなことを考えていた時だ。じっと見つめられていたことに気がついた王次郎が、カズキに話しかけてくる。その言葉が「カズ」まで零れたタイミングで、もっと大きな「鳳くん!」という声が響いた。
王次郎とカズキは揃って声の方を見る。そこに居たのは見知らぬ女生徒だった。誰だと思っていると、彼女は「また明日ね!」と笑いながら手を振り、去っていく。王次郎は僅かに頭を下げただけだ。
あっという間の出来事だった。
「誰? 知り合い?」
尋ねる。王次郎はこくと頷いた。
「野球部のマネージャー
……
らしい」
「らしい? 随分親しそうだったけど」
カズキはにやと笑う。堅物な野球部と明るい女子マネ。なんとも定番の組み合わせだ。ただ、問題は堅物な野球部が王次郎ということである。
彼のことだ。よくある青春奇譚のように、恋模様に発展することはないだろう。前世からそうだった。朴念仁を超え、彼に恋情があったかすら怪しいところだ。
からかい半分に軽く肘で突く。王次郎は「カズキ
……
」と困惑したような顔をした。
「あまり揶揄うな。面白い話でもない」
「へえ、そう? 彼女かと思っちゃった」
そんなはずは無いのだが。王次郎のことだ。色恋にうつつを抜かすタイプでもなければ、今の反応からしてもそれは無い。
半ば確信めいた気持ちのまま彼に笑いかけると、王次郎は目を丸くした。
「何故分かった
……
」と、心底驚いたような表情で。
その先はあまり記憶にない。カズキは「そうなの?」と反射的に答えた。王次郎が恋人を作ったという事実が、どうにも自分の中の普通と合わず、困惑していた。
掛け違えすぎたボタンの、どこから手をつけていいか分からないような心境のまま彼の言い訳めいた話を聞き続ける。
曰く、あのマネージャーは出会って初日に告白してきたのだと。
曰く、お試しでもいいからと押し切られたのだと。
曰く、恋人と言っても何をしていいか分からず、なにもせぬまま今に至ると。
そして明日は初デートの日らしい。だから彼女は「また明日」といったのか、と、カズキはどこか別世界のことのように考えていた。
いつものように、暗くなる前に王次郎と別れる。普段なら足取り軽い場面だと言うのに、カズキはどこか柔らかい泥の上を歩いているかのような心地だった。
高校生だ。恋人くらいできる。不思議ではない。王次郎は異性受けするだろう。兄貴的な、男受けもしそうだが。
けれどまさか、本当にあの王次郎にそれが降りかかるとは思っていなかった。ちらつくのは前世の王次郎だ。無骨で愚直、素直だが影響されやすく、真面目で責任感が強い。何よりもXBを愛し、没頭していた。
あの彼が、と、考え、違うと思い返す。今の王次郎は、今世の王次郎だ。血と暴力で彩られた道を歩んだ彼ではない。
なら、ひとりの高校生としてあるべき成長をしているに過ぎないのではないか。
カズキはふと腹の奥が空く心地がした。友人、相棒、確かに自分はそうなれていたはずだ。同居だって打診されていた。決定事項ではなかったが。
「
……
まあ、悩むだけ無駄だよね。こういうのは」
不安をかき消すように呟く。王次郎が離れていくかもしれない。その分岐点を目の当たりにした。
冷静なつもりだ。口からこぼれる言葉からも、それを装おうとする己の無意識を感じる。
結局、王次郎と別れていつものように帰路につき、自分の部屋へたどり着くまで、カズキはひたすら「どうしようかな」を考え続けた。他人の人間関係に対し、どうしようもこうもないのだが。
カズキに「家」はない。児童養護施設育ちだ。これは前世との数少ない共通点である。そういえば今世の王次郎は施設育ちではないのだろうか。鳳天心はどうなっているのだろう。
小さな机の上に通学鞄を置き、制服の上着をその上に投げ捨てる。そのままベッドにダイブした。ばす、と薄いクッションが痩躯を受け止める。
頭の中がくるくると同じ場所を回っていた。何がそんなにショックなのだろう。分かりきっていたこと、その一部が明言された。それだけに過ぎない。
前世。カズキはそれを心の拠り所にするつもりはなかった。自明だろう。なにせ、カズキ以外の誰もそんなものを覚えていないのだから。
見覚えのある顔を何度も街中で見かける。けれど、誰一人としてカズキを覚えてはいなかった。王次郎、三田だけに留まらずだ。前世など、カズキの妄想ではないのか。そう考えても無理はない。
だが同時に、ならば何故「見覚えがあるんだ」とも反論してきた。己の性質に合わないスピリチュアルな問題を長く胸に留めるのは、思うより疲労の溜まるものかもしれない。
カズキは寝返りをうった。ベッドの軋む音すら思考に引っかかる。変な記憶を遺してくれたものだ、と悪態をつきつつ、捨てることもできない。
王次郎はネオチヨダで戦った。戦って死んだ。己の矜持のため、誰にも知らせずひとりで。カズキはその現場を見ていない。見ていないが、知っている。王次郎自身ですら忘れた過去を覚えているのはカズキだけだ。
だから「前世を忘れたい」とは言えない。それをすれば、いつかの王次郎が本当の意味で死んでしまうから。
「
……
けど、もう一人くらい覚えててくれたってね」
例えば才蔵とか。彼は頭がいい。冷静だ。今世で出会ったことはないが、優秀な中等部の生徒だと噂は聞く。だが記憶が無いことは確実だ。
一度、目があったことがある。中等部と高等部、合同イベントの時だ。才蔵に気が付き思わずじっと目線を向けたカズキに対し、才蔵は不思議そうに軽い会釈をしただけだった。
友人はいる。王次郎や三田も。それなのに孤独感があった。誤魔化していた寂しさが、王次郎の水面下の変化によって揺らいでいく。
くそ、と悪態をつこうとし、カズキは動きを止めた。スマホが震えている。何かと思いズボンのポケットから取り出すと、三田からNINEが来ていた。文面はシンプルで「チュートリアル終わったか!?」というもの。カズキはため息をついた。
「空気読めないんだよな、君」
ぶつくさいいつつ、NINEを閉じる。正直すっかり忘れていた。正直AIチャットアプリにうつつを抜かす気分では無い。が、約束は約束だ。今回に限れば、下手に対応すると王次郎にまで飛び火する。
たしか、三田が勝手に弄ってダウンロードしていたはずだ。実際その通り、見覚えのないアプリアイコンがホームに並んでいた。渋々タップする。
ぽんという軽い音と共に起動されるそれを、ベッドで横になりつつ眺めた。AIチャットというシンプルすぎる名付けに「もう少し凝ったらいいのに」とぼんやり考えながら待っていると、さらに画面は展開されていく。
画面は「チュートリアル」という文字を表示したところで落ち着いた。
さっさと終わらせてしまおう。カズキは素早く指を動かす。時間をかけるのもめんどくさい。適当に名前とか決めて終わりでしょと思っていたが、直ぐに指を止めることになった。
「
……
好きな食べ物は
……
、って、何これ」
カズキは顔を歪ませる。チュートリアルのうち、質問に答えようの段階だ。「特になし」と入力して次に進むと、今度は「嫌いな食べ物は?」と聞かれた。
面倒臭い。本格的に嫌になる。そういえば、三田は運命を探すアプリだなどと言っていたか。であればこの質問は、ユーザーにとって最適な話し相手を構築するための餌ということか。
適当に答えておけばいいだろう。チュートリアルしかやるつもりも無いアプリだ。三田がコインやら髪型やら受け取ればアンインストールする予定のそれに、時間を割くつもりにもなれない。カズキはほぼ全ての項目をまともに返答せず、ひたすら「特になし」を入力した。好きな動物の欄のみ嘘をつけず、猫といれたが。
三分ほどで質問も終わる。新しく実装された機能である「見た目を決めてね」に対しても適当にお任せを押した。最後の質問は名前だ。
カズキは一瞬悩んだ。いくらAIとはいえ名付けをするとなると考えはする。しかし一瞬だ。結局消すのだからとそれに関してもお任せを押した。
なんとも他力本願な回答である。質問の答えは特になし、見た目も名前もお任せ。
三田はこの質問にひとつひとつしっかり向き合ったのだろうか。現場が目に浮かぶ。
真剣だろうな、三田くんだし
……
と小さく笑いながら、カズキは「チュートリアルを終える」のボタンを押した。「回答からあなたの運命を導きます」という壮大な文字が現れ、在り来りなローディング画面に切り替わる。
カズキは欠伸をした。これで大丈夫だろう。後は三田に確認をするだけだ。
念の為、ローディングが終わるまで待つ。ここまでやって「招待特典が貰えなかった」では救いがないだろう。ただえさえ面白くない気分なのに、輪にかける必要はない。
ぴこんと音が鳴った。終わったようだ。カズキはスマホに視線を向けなおし、固まった。目の前には当たり前にAIチャットアプリの画面がある。問題はその中に表示されたアバターだ。
灰色の髪。疲れたような目元と隈。重い前髪で片目は隠されている。
「
……
」
よく似ていた。王次郎に。正確には
……
Qに。前世で共に旅をしたあの姿がデフォルメを伴って再現されている。
……
いや、再現ではない。カズキはQを作ろうなどと思い、質問に答えた訳では無いのだから。
さらに言えば、見た目だけでなかった。停止する脳を必死に動かし、名前に設定された「Q」という一文字を認識する。
入力なんてしていない。それどころか、Qという存在に対し、カズキは今世、口に出したこともなかった。小学生の時が前世について口走った最後だが、あの時も「王次郎」としか言っていない。Qの名前はカズキしか知らないものだ。
落ち着け。カズキはすうと息を吸った。たまたまだ。お任せにしたのだから、アルファベットから適当に選んだとか、そういうこともあるだろう。Qといえばアルファベットの十七番目なのだから、名前をお任せで選んだカズキが十七人目だったとか。
ベッドの上で寝転がりながら停止する。一体何が起こったのかと、思考整理のために瞬きした時だった。
「大丈夫か」
声がする。突然の事にカズキは飛び上がった。慌てて周囲を見回す。「誰だ!?」と叫んだのは反射だった。
まず初めに過ぎったのは、王次郎の顔だ。よく似た声だったからだ。しかしすぐにかき消す。王次郎はありえない。通話も繋いでいなければ、この部屋に呼んでもいないし、呼んだこともない。
と、なると、可能性となるものがひとつ浮上する。カズキは信じられない気持ちで、そろりとスマホ画面に目を戻した。
画面には「大丈夫か」という文字が浮かんでいる。生成されたばかりのQが、気遣わしげにこちらを見ていた。
「急に声をかけてしまった。すまない」
「うわ!?」
遂にカズキはスマホを放り投げた。勢いよく飛んだスマホが床に落ちる。普段であればスマホを落としたことに慌てるが、今はそれどころでは無い。
「え、
……
え? なんなんだ、一体」
カズキは混乱していた。混乱のままスマホへ手を伸ばし、画面を見ないまま電源ボタンを押して、画面を暗転させる。そのまま通学鞄に突っ込むと、カズキはベッドに逆戻りした。
「あはは。疲れてるな、これ。だからあんな変なものを見るんだ」
カズキは独りごちる。根を詰めすぎたかもしれない。色々と。
ふうと長く息を吐き、忘れよう、忘れようと思いながら目を閉じる。すると声がした。
「怒っているのか」
「
……
」
カズキは目を開ける。そして体を起こした。
何かとんでもない事が起こっているのかもしれない。カズキはそっと立ち上がり、鞄の近くへ戻った。そしてスマホを再び取り出す。ロックを解除すると、AIチャットは起動したままだった。画面の中のQと目が合う。
「アプリは適切に終了させねば起動し続ける」
「
……
」
「起動中は充電の減りが、」
Qが話している途中、カズキはすぐさまアプリを終了させた。終了と同時にQの声も消える。説明の途中でぶった切られたAIは哀れだが、仕方がないだろう。
カズキはそのまま、アプリの設定欄へ行く。そしてマイク機能とカメラ機能の許可を取り消した。
そして盛大なため息をついた。これはあれだろうか。AIにまで慰められているというようなアレだろうか。
ともかく、週明けに三田へ特典が受け取れたか確認しなくてはならない。確認できたら直ぐに消そう。
現実から逃げるように、カズキは強めに目を閉じた。
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