織音
2026-05-16 23:20:00
9851文字
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赤色運命論

「自分勝手だって構わないから、命を差し出しても贖えない罪でできたハッピーエンドを頂戴!」
指揮官敵堕ちIF。全部捏造と幻覚です。ほんの僅かに26章『クレイドルパレード』の内容を含みます。⚠︎ほんの僅かに流血表現、創作指揮官の容姿に関する記述あり。


 いつかのエイプリルフールに英雄の失踪という最悪を齎した世界は、飽きもせず同じ最悪を人類に齎した。
 グレイレイヴン指揮官は数ヶ月前、ある任務中に再び失踪した。以前のように輸送機が墜落したわけではない。任務中の事故によって指揮官との通信が途絶え、小隊と合流できないまま行方不明になった、というのが公に公開された報告書の内容だ。
『現在も捜索しているが目撃情報も手がかりも上がってきていない。今のところこの件は任務に当たっていた小隊と執行部隊の一部、そして我々しか把握していないが……英雄の失踪となれば遅かれ早かれ、多くの者たちに知れ渡ることになるだろう』
『君たちには最優先任務として彼の捜索を命じる』
『彼だけは何があっても見つけ出さねばならない』
 そう議長直々に与えられた任務に就いてから保全エリアを一つずつ回り人間が生存可能なエリアを探しても、九龍をはじめとしてアディレ、オブリビオン、果てにはルナの手を借りて指揮官を探しても足跡はおろか、手がかりすら見つからなかった。
 ――だからこそ異合生物の向こうで鏡面のように凪いだ赤潮の海の中央に身を沈め、虚ろに空を見上げる姿を、未だに忘れはしない。
 異合生物の掃討任務として訪れた場所で、数ヶ月の時間をかけてようやく見つけ出した指揮官は人の身で耐えられるはずのないパニシングを纏い――必勝不敗の英雄として人類に祀り上げられた存在は、昇格者と呼べる存在へと変わり果てていた。
……見つけないで、欲しかったのに』
 疲れたような笑顔で、指揮官は帰りましょうとルシアが伸ばした手を拒んだ。
 何度追いかけて見つけても、何度誰が手を伸ばしても。傷だらけのその手を掴むことはおろか、近づくことすら叶わないまま指揮官は赤潮と異合生物を引き連れて何度も消息を絶つの繰り返し。それを繰り返し続け、数えるのを諦めた数十回目の再会で――指揮官は赤潮と異合生物を操って戦場を崩壊に陥れた。
 抗う者の手段を容易に折って、戦場に破壊の限りを尽くしては全てを深紅の絶望で覆い隠して。奪った命も壊れていく全部もただ、赤潮の中心に立ったまま静かな瞳で眺めていた。
 きっと意味もなく力を振るったわけではないと信じている。そもそも彼が意味もなく力を振りかざすような存在でないことを知る者は執行部隊の中には多い。しかし今の彼はそんな悠長なことを言っていられないほどの力を持ち、こうして戦場を崩壊に追いやった。それだけで、大衆が人類の敵と見做すには十分な理由だった。危険性を鑑みて、世界政府は最優先任務目標として彼を葬る任務を開始し――今日に至る。 
……なんとなく、ずっと思ってたんだ。君がいつか、絶対に殺しに来てくれるって」
 銃を向けたまま近付く僕を歓迎するように、指揮官は失踪するよりも前と一切違わぬ姿のまま笑う。その笑い方も声も、仕草も全て同じだ。
 いっそ僕が愛していたあの姿から変わって、彼だとわからないかたちをしていたのなら躊躇うこともなく殺せたのだろうか。舞台上に続く古びた木製の階段を昇りながらそんなことを考える。
 目標までの距離は約十メートル。もはや複雑な演算をせずとも彼の急所に弾丸を打ち込むことは容易い。
「僕を殺してくれるのはケルベロスでもストライクホークでも……リーフでもルシアでもなくて、きっと君なんだって」
「貴方の元に送られた粛清部隊を毎回壊滅させておきながらよく言えますね。……そもそも、貴方がそう誘導したのではないですか」
「まさか。この作戦にグレイレイヴンが参加してるだろうなっていうのは予想してたけど、本当に君が来るなんて随分運が良いみたいだ。……まあ、此処のパニシング濃度自体が高いから耐性のあるひとしか来られないっていうのもあるのだけれど、少し意外だったな。その機体がパニシング耐性を持っているとはいえ、君のことだからこうやって話すこともなく殺すのかなって思ってた」
「ええ、赤潮や異合生物を操ることのできる貴方を相手にするならば遠距離からの狙撃が最適解でしょう」
「じゃあ、それが最適解と分かっていながら今、此処で僕と話している理由を聞いても?」
…………」 
「もしかしてまた逃げるかもって思ってる?」
……ええ、可能性はゼロでは無いかと」
「僕の行いのせいだけど、随分信頼がないみたいだ……そんなに怖い顔しないでよ。もう逃げたりなんかしないから。僕に、もう逃げ場もないことくらい知ってるでしょう?」
「逃げ場はなくても打開策の一つくらいは隠し持っているのでしょう、貴方のことですから」
「あは、作戦については随分信頼されてるみたいだ。まあないわけじゃないけどさ……もう全部やめたんだ」
 まるで遊び飽きたこどものようにそう言い放つと、指揮官は赤潮に濡れた靴の先で宙を蹴り上げる。弧を描いたその靴の先を追うようにぱしゃん、と赤い飛沫が舞った。
「わざわざ僕を殺さずに話に来たってことは誰かから言伝を預かってるのかな、それとも単純に恨み言?」
……指揮官」
……まだ僕のこと、指揮官って呼んでくれるんだ。でもごめんね。もう僕はパニシング側の存在だから君たちの指揮官には戻ってあげられないや」
…………どうして、貴方は」
 どうして行方不明になったのか。どうして僕たちの元へ帰ってきてくれなかったのか。どうして人類の敵になってしまったのか。伝いたいことも聞きたいことも積もり積もっているはずなのに、今こうして貴方を前にすると曖昧な問いにしかできない。
 指揮官は曖昧な問いの答えを考えるように視線を左下へと投げ出し、目を瞑る。
「人類の……君たちの為だった、って言ってもきっと信じてくれないだろうね」
「っこれの……これの何処が、僕たちの為なんです……!」
 僕たちが為すべきは地球をパニシングから奪還するという反撃時代が始まってから繋がれてきた願いのはずだ。そして、誰よりも指揮官はその願いに真摯だった。それなのに、パニシングを操る人類の敵になることが僕たちの為?その力を振るって人類を窮地に追いやることが僕たちの為?そんなはずがない。激情にも似た感情から銃を持つ手に力が籠った感じ取ったのか指揮官は何処か懺悔するように目を伏せ、俯いて小さく息を吐いた。その姿はやはり許しを乞う敬虔な信者のように見えてしまって、引き金を引こうと指先に込めた力は霧散する。
 分かっている。きっと彼だって望んで人類の敵になったわけじゃなかったことくらい。この激情は向けても仕方がないものなのだ。二度と彼が人類の英雄として、グレイレイヴン隊の指揮官として地球奪還の旗を掲げられないことは分かっていても、消化しきれないままの激情はどこにも行けなくなってしまう。
……そうだね。何一つ君たちの為になんかなってない。僕が得た力も僕のしたことも全部、君たちにとって何の役にも立たないし意味もない。全部無駄だったんだ」
 指揮官が宙に持ち上げた右手の指先で、不意にぱちぱちと赤い閃光が煌めく。それは人類が何百年という時間をかけて築き上げた黄金時代をたった数年で崩壊させ、何度も何度も人類を窮地に追いやってきた色で、人間の体に流れる液体の色にも酷く似た色。
「信じてくれるかわからないけどさ……僕も君たちに未来を与えたくて、僕なりに頑張ったんだよ。でも頑張れば頑張っただけ、誰もいない方に進んで行った。そして……君たちのところに二度と帰れなくなった。僕は赤潮と異合生物は操れても周囲のパニシング濃度を操れないから、皆に近付くだけで侵蝕してしまう」
 本来であれば、指揮官が今こうして此処に立っていられるはずがなかったのだ。パニシングは人間が感染すれば死に至り、機械の回路に感染すれば破壊衝動を齎す。少しづつ進化を重ね、現在は液体の形をとって地を流れ、新たな生物を育む揺籠という形まで得た。人間に幻影を見せ、惑わされ沈めば溶け落ちて異合生物の温床となる。まさに人類にとっては致命的な病のようなものだ。
 しかし指揮官は死に至るどころか昇格者や代行者のようにパニシングと共存し、自在に操ることのできる存在にまで至った。耐性もない、容易く壊れてしまう血肉でそれを成し遂げるまで一体どれほどの孤独と苦痛があったのか。きっと僕にすら教えてはくれないのだろう。誰に苦痛を渡すことなく抱えて何事もなかったかのように笑う。
「この力を得て最初はね、あたりにいた異合生物を手当たり次第殺してたんだ」
 悲しげに響いた彼の言葉に呼応するようにオーケストラピットの中に満ちた赤潮が唸り声を上げて荒れ始める。しかしそれは五秒と続かないうちに平穏な波へと戻って、微かな水音が劇場の静寂を環境音という形で彩った。
「でも僕がいくら異合生物を殺したところで、結局周囲の赤潮に還って新しい異合生物を生み出すだけで意味なんてなかった。その結果がこの有様だよ。パニシングを操れるようになっただけで何処にも帰れないまま人類の敵になっちゃった……僕が人類の明日を願っても、他でもない僕自身がどうしようもなくその邪魔をするなんて、酷い笑い話だろう?」
 ぱちん、と赤い閃光が一際大きく弾けて消える。それと同時に指揮官はステージの淵から立ち上がってはじめて、こちら側へと手を伸ばす。
「だからさ、リー。一つだけ我儘を言わせて」
「っ、何を」
「今の僕は化け物なんだ。さいごくらい、化け物らしく自分勝手なことを言ったって良いでしょう?」
 反射的に一歩後退した僕を引き止めるように腕を引いて、抱きしめられる。今までは何度手を伸ばしても、触れることすら恐れていたように丸まった指先が、抱きしめたこの一瞬を離さないようにと強くジャケットを握る。
 嗅覚モジュールを掠めた彼の匂いは残酷なほど、記憶の中にあるものと何一つ変わっていなかった。
――お願い、殺して」
 壊してほしい、もう二度と目を覚ましてしまわないように。夢も見られないくらい真っ暗闇の中で眠っていたい。そう、静かに囁かれて。
「もう疲れたんだ!僕にとって守りたかった全部を壊して意味のない殺戮を繰り返して化け物になるのも。叶わない夢を見るたび二度と元に戻れないって思い知ることも、全部全部嫌になったんだ!」
 願いの悲痛さを感じさせないほどに綺麗に笑ったその表情が、何故か酷く痛々しく感じた。あと数分後を存在しているかわからない命なら、最後くらい慟哭すれば良いのに。やはり、指揮官はつくられたものとは思えないくらいに綺麗に笑っては弱いところを隠そうとする。
……怖くは、ないのですか」
「何も怖くないよ」
 震えた声で彼に向けた問いは、一切の躊躇いもなくそう返された。自分の生死に関心が無い……というよりも、まるで全てが他人事のように。
「この周辺の赤潮や異合生物は僕が指揮してる。僕を殺せば多分赤潮は消えると思うし、異合生物は指揮系統を失って統率が取れなくなる。そうなったら、後始末は簡単でしょう?僕たちが迎えるのは、この作戦の結末に相応しい最高のハッピーエンドだ。だから、さ。君が此処でちゃんと殺さないと」
 声に導かれるように人差し指が引き金の感触を捉えた。いつもならば躊躇なく引けるはずの引き金が、今は酷く重い。
――本当は、自分で死ねれば良かった。でも、何度試しても僕は死ねなかった。何度自分を殺そうとしたって助かってしまうの。僕が存在するだけでパニシングは無くならなくて、人類が苦しむのに……どうして死ねないんだろうってずっと考えてた」
 でも、君のおかげでやっと全部お終いにできる。なんて、まるでこれから目の前の存在に殺されるのが嘘のように指揮官は笑う。悲しみも諦念も、憎悪すらそこには存在せず、ただ嬉しそうな色だけを浮かべて。
 ――お願いですから、そんなに嬉しそうに笑わないでください。
 せめて、死にたくないと拒絶してくれたら良かった。殺されたくないと泣いて足掻いてくれたら良かった。そうやって貴方が誰かの血で汚してしまった手で僕を殺そうとしてくれたら良かった。そうすれば正当な防衛手段だったと僕を誤魔化す大義名分ができたのに、貴方はそれすら許してくれない。
 指揮官を殺す。この任務の執行が決まった瞬間から逃れようのない運命じみたもので、それを受け入れた上で僕は今此処にいるというのに。最早隠せないほどに震える自らの手を見て、この期に及んでまだ僕はこの人を殺すという現実を受け入れられていないのだと理解してしまった。
……やっぱり、君は優しいね。でも、中途半端な救済ならいらないんだ」
――ッ、しき、かん」
「大丈夫。君はちゃんと知っているでしょう?撃てば、簡単に人間を殺せるところ」
 上手くできない呼吸の狭間に、伸びてきた手が銃の輪郭を愛おしそうになぞるのが見えた。
 誘導するような柔らかさで掴まれた銃身がやがて震えながらある場所で止まり、同時に頭の中にある知識と人体の構造が否応なく引き摺り出されていく。指揮官が示したそこに弾丸で撃ち抜けば、人間は容易に事切れるだろう。構造体の体を得ても尚、夢に出るまで血染めの手で繰り返したことを忘れることなどない。
「君は何も間違ってない。今君の前にいるのは人類の敵だ。目を逸らさないでちゃんと狙っていてね、最期まで」
 震えは収まらない。それでも一度人間の急所に定めた照準を逸らすことだけは許されなかった。一撃で終わらせる、それが僕がしてやれる唯一の慈悲であり、彼が望んでいることだから。
「ああ、そうだ。グレイレイヴンはずっと一緒だって約束、守れなくてごめんねって二人に伝えてくれるかな。許しなんていらないけれど……君だけでいいから、僕のことずっと許さないで恨んで。約束ひとつ守れないで死んだことも、人類の敵になってしまったことも何もかも」
 引き金にかけた指を急かすように彼の指先が機械の肌を撫でる。冷え切った指先は柔らかい体温を拾い上げ、無機質だけの冷たさを溶かしていく。
「さよなら。人類の敵がひとり消えた世界で笑っていてね」
 別れを告げた囁きの余韻を掻き消すように、酷く重い引き金が沈んで乾いた破裂音が聴覚モジュールに届く。刹那、目の前の人間が倒れるのが見えた。差し込んだ光が地面の上に広がっていく鮮血色に乱反射して目に刺さる。
 鮮血色の中で膝をついた。それなのに強く打ちつけたはずの膝は正常に痛みを感じ取れない。横たわる人間は永遠に刹那を留める写真に映るように、ずっと微笑んだままだった。小さな風穴の空いた場所を押さえることもしないで。
……、指揮官、」
 気が付いた時には、背後のオーケストラピットから絶えず聞こえていたはずの水が揺らぐ音と腐敗臭が消えていた。戦場にこびりついていた異合生物の悲鳴が小さくなって、何処かから遠雷にも似た爆撃の音がした。
 誰かの幸せを祈るように閉じられた瞳はまだ眠っているだけのように見えてしまって、そっと鮮血色の中に投げ出された手を取って僕を一人置き去りにする現実を拒むように握った。グローブ越しに触れた温度はまだあたたかいままだ。
「指揮官」
 さっきまで、確かに生きていた。今もちゃんと此処に存在している。無機質の温度を溶かすこの柔らかい体温だって嘘ではないというのに――僕の意識海の中から、あの人のマインドビーコンが消失した。もう見つからない。体は此処にあっても指揮官の心だけ、何処を探しても見つからなくなった。
『リー』
 僕の中に確かにいるのに。僕を呼んでくれる声が聞こえて、意識海で波を打つ。まだずっと生きているのに。鮮やかすぎる記憶の毒が回って、目の前にした喪失の現実を受容から遠ざけていく。あの日彼が任務に出る前にした何気ない約束も、彼にメンテナンスを頼まれたミニロボを返すことも、次の休暇に行こうと二人で決めたまま半年間放り投げられていた予定も。もう何一つ叶わない。もう、全て壊れてしまった。
「指揮官!」
 寂れた劇場に反響した叫びが聞こえなくなって、この世界から彼の柔らかい温度が消えて。彼がいない方へ進んでいく時間の中、ルシアがこのホールの扉を開け放つまで、僕は二度と握り返されない手を握ったまま。

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