kanaco
2026-05-16 21:25:49
26254文字
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【十二信】片想いラヴァーズ

《十二信》未成立十二信。「好きなヤツがいる」と聞いて失恋したと思い込む信と、盛大に勘違いしている十二と、巻き込まれた王九。両片想いの信一と十二が通じ合うまでのおはなし。


 次の日の朝。

 信一の気分は相も変わらず最悪であった。

 昨日は十二と別れた後、顔を洗って自室へ引き篭もり、しばらく一人で頭を冷やした。そして気を落ちつかせてから、いつもの通り城砦のパトロールに出た。ところが、隠している感情は表に滲み出ていたらしい。

「どうした信一、いっちょ前に悩み事か」
「信一お兄ちゃん、元気ないの?」
「信哥、具合悪いなら俺パトロール変わりますよ?」

 雑多で混沌としている九龍城砦は、人情深くて少しお節介な場所である。信一にとって大きな家族に近いコミュニティだ。つき合いが長い住民たちに次々と声をかけられて、挙句の果てはお菓子やジュースまで渡される。まるで子供扱いだ……と信一は目を丸くしながらも苦笑した。

 なんとか仕事をこなして我が家のリビングに帰れば、食卓に信一の好物である”おかず”ばかりが並んでいた。どうやら、住人の誰かから「理由は分からないけど、信一が落ち込んでいるかもよ」という一報が龍捲風に届いたらしい。龍捲風は信一の顔を見ると、少しだけ驚いたような表情をした。それから数秒、何か考え事をしたようだったがすぐに柔らかく笑うと、信一のまだ赤味が残った目の下を親指で優しく擦った。

 信一に無理に問うわけでも、意見するわけでもない。「冷める前に食べよう」という龍捲風の優しい声に、立ち直り切っていなかった信一の心はたちまち明るくなった。そして、昼間の出来事をざっくりと話した。

 十二がお見合いしたって。
 断ったみたいだけど。
 好きな人がいるんだってさ。

「誰なんだろう。俺、そんな相手がいるなんて気づきもしなかった」
 
 ポツリと悲しげに呟く。龍捲風を誰よりも敬愛している信一は、自分の言葉を聞いた兄が一瞬だけ狼狽えたのを見逃さなかった。指摘はせず、しかし不思議に思ってチラリと視線を向ければ、信一を誰よりも庇護する龍捲風は信一に茶を勧めてきた。突拍子もないタイミングで龍捲風が茶を勧めてくる時は、何か心当たりや隠しごとがある。例えば、何かしらの事態を悪化させた時とか……。信一はそう思ったが、龍捲風と過ごすひと時を大切にしたかったので、まぁいいかと胸の内に留めた。
 
 そうして義父との二人きりの時間は信一の心を和ませたが、自室に帰って一人で布団に入れば、また昼間の問題がグルグルと脳内をかき乱す。

 つまり、十二が好きな相手とは誰であるか。

 答えが出るはずもなかった。一晩で思いつくくらいであれば、とっくの昔に気がついているだろう。考えるのを止めて眠りたいのに、どうしても脳が働いてしまう。変に緊張をしているからか寝つきが悪い。

 そのせいで完全に睡眠不足だった。
 
 それでも今日だって仕事はたんまりとある。

 信一は得意先へ荷物を届けるため、早朝から外へ出た。そして用事は滞りなく終わり、早く戻ろうと考えた。寝不足や昨日から続いている胸騒ぎ、それに城砦を出る時に部下たちから「具合が良くなさそうだから、早く帰ってきた方が良いよ」と言われたのだ。「妙に憂いがある感じで、なんか危ない気がする」という部下の意見に首を捻りながらも、信一は助言に従うつもりだった。

 だが、その帰路で邪魔が入った。

 フルーツマーケットに近い通り道を歩いていた時だった。信一がトボトボと歩いていると、向かいの方から派手な服装をした男が近づいてくる。それが誰であるか、信一は遠目でも気がついた。相手も信一に気がついた。サングラスをかけているのに、意地の悪い表情をして笑っているのが分かる。

 「よぉ色男。こんなところまで御足労じゃねぇか」

 白々しい挨拶をした油麻地果欄の王九は、いつもの通りに軽口を叩いた。信一が所属している九龍城砦と、王九が所属している油麻地果欄の大老闆一派は黒社会において対立構造にある。

 ただし、顔を合わせた程度で抗争が始まるわけではない。九龍城砦と油麻地果欄ほどの規模になれば、小競り合い一つでも影響は大きいのだ。組織が大きければ大きいほど、動きは慎重になる。だから信一と王九も、犬猿の仲というほどではなかった。もちろん、仲が良いわけでもない。
 
 挑発と牽制と小競り合い。お互いに平等な理があれば、必要なところまでの情報交換。

 性格の悪い者同士での嘘くさいじゃれ合いは、デスコミュニケーションを基本としつつも成り立ってはいる。

 ところが信一は、いつものように王九の相手をするような気分にはなれなかった。なんせ昨日から十二のことで頭がいっぱいで、それ以外のことに頭を使う余裕などなかったからである。
 
 「今日はお前と軽口叩くような気分じゃないの」

 信一はぼんやりとした顔をしたまま、「あっちに行ってよ」と言わんばかりにヒラヒラと手を振ってみせた。

 「はぁ?」

 拍子抜けしたのは王九だった。

 王九にとって信一は、小生意気な甘ちゃんだ。まだ親の保護を抜けきっていないガキっぽさと、ちやほやされて育った図々しさ。10歳とまでは言わないが、王九とはそれなりに年も離れている。挑発・牽制・小競り合いも、王九にとっては子犬がキャンキャンと血気盛んに吠えているだけ、という程度にはチョロい。

 ただ、普段はそれなりに吠えたり唸ったりをする気取った子犬が、見るからに肩を落とし、ションボリとしている様は物珍しかった。信一は本当に相手をする気はないらしい。トボトボとした足取りで横をすり抜けようとするので、王九は思わず「おいおい」と声をかけてしまった。

「珍しくしょげてるじゃねぇか。パパに殴られでもしたかよ」
「兄貴は俺のことを殴ったりしない」
「パパに怒られた」
「兄貴は俺のことを怒ったりしない」

 王九が「いや、それはどうなんだ」と言うよりも先に、信一が浮かない顔をしてつまらなそうに繰り返した。

「もう!今日は本当にいいって」

 信一は「放っておいてよ」と大袈裟にプイっとそっぽを向き、ツンとすまし顔をした。王九はやはり珍しく感じて、自分の方も芝居がかったように肩を竦めた。

「何だよ、親切心で話を聞いてやろうと思ったのに」
「お前が親切だって?」
「親切だろ。不機嫌な嬢ちゃんの愚痴を聞いてやろうってのに」
「誰が嬢ちゃんだ!それに……愚痴があるとかじゃないし」
「じゃぁ何だよ?」

 城砦のお姫さんは、何をそんなに凹んでるんだ?

 信一は意外そうな顔をして王九をマジマジと見つめた。サングラスと視線がぶつかって、相変わらずのうさん臭さに鼻白む。

 でも……と気持ちが揺らいでしまうのは、誰かに話を聞いてもらえば気持ちの整理ができるのでは、と思ったからだ。悩むこの感情について、全く関係のない、言ったところで意味もない場所で吐き出したい。信一は不服そうな表情を崩さなかったが、瞳だけを甘えたように潤ませた。

 不満そうなくせに何かを訴えるその瞳に、王九は「は?」と珍しく小首を傾げた。

 
 ★★★★★★★★★★★★★★  

 
 油麻地果欄に隣接している、廟街の喫茶店。

 どちらかといえば老舗寄りの、ヴィンテージ感のある味わい深い内装。まだ早朝であるからか、客は入っていなかった。温和そうな中年男性が一人、カウンターでコーヒーの準備をしている。そのマスターは王九と信一を見ると小さく会釈した後、一度ドアの方に移動した。

 黒社会の人間が二人だ。他の客が入ってこないように配慮したのだろう。マスターは何事もないように、相変わらず穏やかな雰囲気を纏ってカウンターに戻った。注文を受けても怯えることはなく、かといって勇ましく振る舞うわけでもない。ただマイペースに仕事を続けていた。

 出てきたコーヒーの一口目の美味さも含め、この喫茶店に好感を持った王九は、長居をするべきではないだろうと考えた。一方、それどころではない信一は、少しくたびれたソファに座って「ふぅ」と軽く息をつき、ストローでクルクルとクリームソーダをかき混ぜた。憂いを帯びた伏し目に、長い睫毛がパサリと影を作る。大人しく控えめな表情をしていれば、その美貌はより目を惹く。

 向かいの席に座った王九は、悩む姿がまるで絵画のように映える青年を見て、感心したように言った。

「マジ、図々しいガキだなお前は」

 信一は王九の素直な物言いを意に介さず、相変わらず妙に目を惹く麗しさを表情に乗せて、スプーンでチョコレートアイスをパクリと口に放り込む。信一の目の前には、店で一番お高いチョコレートパフェ。その横にはバニラアイスが溶け始めた、クリームソーダが並んでいる。

 「俺ってば、落ち込んでるから気分上がんない。でも何か食べたら元気出るかも」と信一が謎の解釈を垂れるので、あれよあれよと奢らされることになった王九は、ホットコーヒーを飲んで苦々し気な顔をした。

 うっかり声をかけたものの、なんかもう既に面倒くさい。

 そういう王九の心理を知ってか知らずか「まぁ、聞いてよ」と、信一が矢継ぎ早に口を開く。

「アンタ、恋人いる?」
「おいおい。何事かと思ったら、お子さまの恋愛相談かよ」
……相談じゃないし」
「はぁ?」
「なぁ、いる?」
……いねぇが」
「じゃぁ、好きなヤツいる?」
「俺のことを根掘り葉掘り聞いてどうすんだ」

 信一が「それもそう」とでも言うような困った顔をしながら、すでにバニラが溶けて濁ってしまったソーダを一気に吸い上げた。炭酸が消えてより甘ったるくなったジュースを、神妙な顔をして啜っている。王九はニヤリと笑った。

「色男がフラれでもしたのか」
「当たらずとも遠からずってとこ」
「なんだそりゃ。相手に男でもいたか」
「さっきよりも近づいた」
「回りくどい奴だな。そんなグズグズしてるくらいなら、ご自慢のその顔で誑しこんで、寝取りゃぁいいじゃねぇか」
……そんなこと、しない」

 信一が心底気分を害したように口を歪めた。否定の言葉は本当だ。昨日からずっと悩んではいたが、そんな発想をしなかった……というよりは、その発想に到るところまでも辿りつけなかった。「十二に好きな相手がいるならば次の行動は」などという切り替えすらままならなかったのだ。

「寝取るとか思ってない。そもそも……あいつ、彼女いるようには見えなかったし」
「なんじゃそりゃ。じゃぁお前はフリーの人間に告って失恋したってか。なら芽はねぇな」
「ぐっ」
……ってかお前、今、彼女って言ったか?相手、男?」
「芽も何も、……俺は告ってない」
「おい、質問を無視すんな。……告ってない?」

 王九がますます怪訝な顔をした。あからさまに肩透かしを食らった身振りをした後、大袈裟に両手を広げた。

「おい、じゃぁお前は、好きな男に好きな相手がいるのを知って、告白もせずに失恋したってメソメソ泣いてんのか」
「泣いてなんか……泣いたけど」

 自分の答えを聞いた途端に愉快そうに笑いだした王九を前に、信一は眉間にしわを寄せて考えた。王九が大笑いしていることは腹立たしい。しかし昨日からの自分の言動を声に出して整理されてみると、確かに「なんだそれは」という気持ちにもなる。

「でも、すごいショックだったんだ」
「何が?」
「特別だと、思っていたから」

 今度こそ、信一は悲哀に満ちた声音で大きく肩を落とした。パフェグラスの底に溜まったチョコレートソースさえ、味がしない気分だった。

「好きとかそうじゃないとかじゃなくて、俺が特別と思うように、アイツも俺を特別だと思ってた」

 王九が高笑いを止めると、フンッと鼻で笑った。
 
「御大層な自信をお持ちで」
「あまりにも距離が近かったからさ。恋愛らしい輪郭があんまりクッキリしてなくて、ヤツが俺を選ばないって、横に並ばないって発想が、無かったんだよな」

 信一は項垂れたように額を机に圧しつけて、低い声で唸った。しばらく低い声で呻いていたが、やがてパッと顔を上げると、王九に向かってニヤリと小生意気な笑みを向けた。
 
「だってホラ、俺って愛されキャラで人気者だからさ」

 瞳にキラリと輝きが戻り、口調も軽快になる。いつもの調子が戻ってきたような信一に、王九は萎えたように返事をした。

「俺はお前、嫌いだけどな」
「ありがと、俺もお前、嫌い」

 まるで気が合っているかのようにお互い同時にせせら笑えば、場を仕切り直すように王九がコーヒーを口に含んだ。ぬるくなり始めたコーヒーを半分ほど飲んだところで、話を戻す。
 
「つか、それ誰」
「言うわけないじゃん。アンタ敵だろ。面倒ごとに巻き込みたくないっての」
「お前が”面倒ごと”そのものだろうが。大体、そのウゼェ自信家っぷりがなんでソイツにはできねぇんだ」
「自信があるのは良いことだろ?あんま褒めんなよ」
「うぜぇって言ってるだろ褒めてねぇよ。第一、そいつの好きな相手をお前知ってんのか」
「知らない」
「話にならねぇな。宇宙人と話してる気分で頭痛がする」
「ははっ。今回ばかりはアンタの言う通りかも」

 信一が笑った。それを見た王九は、信一に気づかれないように小さく息をついた。笑った信一が瞼をそっと閉じる。その瞼の向こうに想い人を浮かべているのだろう。王九でさえ認めざるを得ない、和やかで優しい、美しい表情。その相手を思い出すだけで、こんなにも愛らしくなってしまう。急に大人びたようにもして、誰もをハッとさせるような華を纏うのだ。

「そんなに、何も言えねぇ相手なのか」
「まさか。なんでも言えるさ。何でも言えるから、言わなくても通じてるくらいだ……とか思って誤魔化して、弱気だったかも」
「つまり?」
「今の関係性を壊したくなかっただけなのかな。進むにしても、戻るにしても、変化があるのが、怖かった」
「ゾッコンじゃねぇか」
「そうだよ、ずっとそう」

 信一はそこでようやく、自分の弱気を自覚した。
 
 変化があっても、壊れるわけじゃねぇのにな。そんな柔な関係性を構築してたつもりはないってのに。
 
 信一は決意をしたように口を開いた。
 
「あの時、動揺している場合じゃなかった。ちゃんと言えば良かっただけだ」

 だから。
 次は軽やかに。
 大切に想いを告げることができればと。

「好き」

 次に十二に会ったら、伝えたい言葉を、言う。

 その時だった。

 喫茶店のドアが勢いよく開かれた。ドアに括りつけられたベルが、通常よりも激しい音を出して来客を告げる。マスターだけでなく、王九と信一もその音に驚いて視線を一点へ集めた。

 信一はさらに驚いた。

 なぜならそこには。
 
 真っ青な顔をした十二がいたからだった。