カレット
2026-03-11 07:10:33
6237文字
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どろぼう/ほしがる

ブレイブアサギ号での両片想いアメリコ/125話より後の時空/服のボタンに髪が引っかかる話とボタンをつけてあげる話



「出来るまで、待ってていいのに」
「いや、リコにさせるわけには」
「マスカーニャがボタン取っちゃったんだから、わたしの責任だよ」

 押し問答を続けながら、数歩先を歩くリコの崩れたお団子が揺れるのをアメジオは追いかける。シャツの胸の上で、ループタイの剣先がはためいた。

「元はと言えば俺がリコの髪を引っ掛けたせいだろう」
「わたしの髪は無事だったけど、アメジオのベストは無事じゃないでしょ?」
「それはそうだが……
「すぐ済むから、気にしないで」

 口調は柔らかくともリコは頑として譲らない。アメジオが歯噛みしているうちに、目的地らしい船室に辿り着き、リコが扉を開けて入った。こじんまりとしたその部屋に後に続いて入ろうとした革靴が踏みとどまる。置いてある荷物とデスクで眠るパゴゴからして、リコに割り当てられた部屋に違いなかった。
 ドアの前で立ち尽くすアメジオにリコが気軽な調子で声をかける。

「入っても大丈夫だよ?」

 やすやすと部屋に入る許可を得たことで、くろいきりがアメジオの胸に満ちた。ポケモンも居るとは言え、締め切られた空間にふたりきりになることに危機感は無いのだろうか――あまりに曇りない目を向けられるから、逡巡するのも馬鹿らしくなる。リコの対応は我々の関係が友好的な証拠で、喜ばしいことなのだ。
……失礼する」
 努めて何とも思っていない風を装って、アメジオは部屋に立ち入り後ろ手に扉を閉めた。
 パゴゴが目を覚まして体を伸ばし、リコを見上げて首を傾げ、何か伝えようとして声を上げる。ベストをデスクに置き、スタンドミラーをちらりと見たリコは髪を手で確かめながらパゴゴに笑いかけた。

「髪、やっぱりぐちゃぐちゃだよね」

 お団子からいくつもピンを取り外し、解く一連の動きから、アメジオは目を離せなかった。結われた所から広がる黒髪は、知っている長さより幾分長い。パゴゴが機嫌よく鳴いているのは広がるあまいかおりのせいだろうか。なるほど、回避率が下がるのは思考力が奪われるから――そんな考えも霧散していくようで、アメジオは息を詰めた。
 リコが振り返ると、ポニーテールがさらりと流れる。目の醒めるような青がひらめく。
 そこに座って、と勧められたデスクチェアに、言われるままアメジオは腰掛けた。やはりこのまま直してもらうしかないようだ。じっと見つめてきたパゴゴに「暫くここで待たせてくれ」と声をかけると、快い調子の鳴き声が返ってきた。
 リコは裁縫道具とベストを手にベッドに座る。船の丸い窓から差す陽光がその手元にやわらかに注がれていた。
 糸巻きから黒の糸を切り取る。それを針の穴に通す。糸の端に結び目を作る。布に針を通し、ボタンを留め付けていく。リコの細い指が、慣れた手つきで針を操る様子を、アメジオはつぶさに見つめた。

「見事なものだ」
「大げさだよ」

 リコは謙遜するが、裁縫をしたことがないアメジオが年下の少女の手早い作業に感心するのも無理はなかった。
 あくまでリコは罪悪感や責任感から自分の気を晴らすためにしているのだと、冷静な考えは確かにあるのに。今リコの手元にあるベストは何かの箍だったのかと思うほど、筋違いな考えばかりがアメジオの頭を占める。ポケモンたちを慈しむ優しい手、戦いに臨む時に決意とともに握りしめられる勇敢な手。それが己のために動くのが面映ゆいなどと。
 きっとこれが他の誰かの場合でも、同じ状況になっていただろう。そんな当たり前の想像を苦々しく思い、そんな己を滑稽に思う。
 瞬く間にボタンは元通りに繋ぎ止められていく。長くは続かないこの時間を、心のどこかが一秒でも長く続くよう欲している。
 その考えがよびみずとなったのか。
「っ、」
 わずかに呻いて顔をしかめたリコを、パゴゴが気遣わしげに見上げる。弾かれたように指先を確かめる動きに、アメジオは顔色を変えた。

「指を刺したのか」
「大丈夫! 血も出てないくらいだから……

 リコは無事だと手を振ってみせたが、アメジオは膝をつき、指先を手に取った。針を刺したと言う指の腹には確かに血の色は無くても、他の指より赤みが強い。
 小さく薄く、壊れ物のような手だった。革越しでは分からない、彼女の指先の温度を確かめたい思いに駆られて。アメジオは手袋を外し、素手でリコの指に触れた。

「すまない。今日は、痛い思いをさせてばかりだな」
「これはわたしが不注意だったから……
「いや、俺のせいだ」

 そう、今日のリコの痛みは、どれもこれもアメジオの不注意に端を発しているのだから。その事実まで奪わせない。どうか。

「そういう事にさせてほしい」

 指先に唇を寄せた。リコの身体が強張るのが伝わる。耳まで赤く染まった顔を見上げると、胸が満たされる心地があった。
「パァゴ!」
 行き過ぎた接近を窘めるように、リコのもとに駆けつけたパゴゴが鋭く声を出す。睨むような視線を受けたアメジオは真っ直ぐ見つめ返した。リコを案じ、傷つかないで欲しいと願う思いは同じはずだ、と。

……アメジオが、そう言うなら」

 リコは調子を取り戻したのか、パゴゴをなだめるように撫で、困ったように微笑んだ。
 後少しだから、との声に、名残惜しく思いながら指先を手放した。デスクチェアに戻り、手際よく仕上げにかかる様子を再び見守る。
「できた!」
 最後に糸が切られれば、ベストにはボタンが元からこの通りだったと言わんばかりに縫い付けられていた。両手で差し出されたそれを受け取り身に着ける。前を留める感覚は今朝のそれと変わりない。こちらの反応を待つような神妙な面持ちに、目を向ける。

「問題ない。ありがとう、リコ」
「どういたしまして」

 安心してか、リコは肩の力を抜いてはにかんだ。付け直されたボタンには手の温もりが移っているような気がして、確かめるように触れてしまう。アメジオがジャケットを着れば、全て元通り。この部屋から出ていかなければならない。のろのろと袖を通している間に、リコは手早く髪をまとめ直していく。我ながら苦し紛れだと思いつつアメジオは切り出した。

「手数をかけたな。埋め合わせをしたい」
「大丈夫だよ。本当に気にしないで」

 やんわりと辞退されてアメジオは内心肩を落とす。分かってはいたことだ。リコにとってはこの程度、貸しにもならないと。
 そこへ、廊下から賑やかな足音が近づいてくる。ドアの窓からロイとドットとウルトが顔を覗かせ、ノックされてリコが応じた。
「どうしたの?」
「おやつ出来たって! みんなで食べよう!」
「もうボタン直ってる、リコ仕事早……
「早く行こうぜ!」
 うん、と嬉しそうに頷いたリコは、目を輝かせるパゴゴを抱き上げ、アメジオを振り返った。

「アメジオも行こう!」

 手袋のない手を取られて息を呑む。先に駆け出した三人に続くリコに引かれて、アメジオは再びその背を追いかけることになった。廊下に漂う菓子の匂いが足を進めるにつれて強くなる。

「待て、俺は……
「マードックのおやつ美味しいから、遠慮しないで一緒に食べて欲しいな。それが埋め合わせでどう?」

 リコの言葉は要求のようでいて、結局は施されている。初めアメジオはどれほどリコから奪おうとしてきたか。それに引き換えこれまで何を差し出せただろうかとアメジオは苦く思う。いつもこちらが求める側で、受け取る側で。手を握られることにさえ、胸焼けしそうなほどに満たされるばかりで。
 しかし今は、差し出された時間を甘んじて受け取ることにした。一緒に食べて欲しいとの求めを噛み締めながら。

「では、頂こう」

 リコが直したボタンにもう一度手で触れながら、どうにかそれだけをアメジオは返した。