サブさぶれ
2026-05-09 09:51:51
15375文字
Public パロディ
 

bitter sweet bitter,bitter【高校生現パロ】

高校生現パロです。
①bitter sweet bitter,bitter (スグリ視点の話)
②甘くて苦くて、それでも甘い(アオイ視点の話)
③嗚呼、君よ。檸檬の味は未だ知らないで(①②の数週間後の話。アオイ父視点)



bitter sweet bitter,bitter


 一目惚れというものが物語の上だけの代物じゃないと知ったのは、葉桜輝く五月の始まり。相手は乗り換えにしか使わない駅ですれ違った、茶色い髪の女の子。この世の楽しいことを全部集めて作ったようなキラキラの瞳に心を奪われて、気がついたら改札を出ていた。頭の片隅でイマジナリーねーちゃんが「ストーカーしてんじゃないわよ!」って喚いてたけど、悪いことしてるってバクバクの心臓吐きそうになったけど、それでも背中を追いかけてしまった。
 辿り着いたのはシックな外観の小さな喫茶店。可愛いあの子は慣れた様子で扉を開けて、店の中へと消えてしまった。
 どうしよう。どうする? ダメだよな。ダメに決まってる。だけど、だけど——
 電信柱の影でウジウジ悩んで約数分。ええいままよと店に入る。カランカランと鐘が鳴り、来店を歓迎してくれた。あの子はどこの席にいるのだろう。どんな物を頼んだのだろう。キョロキョロ辺りを見回していると、奥から店員さんが駆けてきた。


「いらっしゃいませ! お一人でよろしかったでしょうか?」

 あの子だった。ここの店員さんだったんだ。
 にっこり、営業スマイルの域を悠々超えて、あの子が俺に微笑んだ。真正面から浴びた笑顔の威力は凄まじく、たった十数分で二度目の恋に落ちた。
 彼女の問いに、情けない俺はおどおど頷くことしかできなかった。喫茶店どころか飲食店に一人で入ったのも生まれて初めてで、何一つ勝手がわからない俺を、彼女は窓際の席に案内してくれた。決まったら声をかけるように言い(声まで可愛かった)、歴史を感じるメニューを手渡してくる。ぺらぺらめくる。コーヒーの名前と思しきカタカナが並んでいるが、何が何だかさっぱり分からない。仕方がないからテキトーに「エスプレッソ」を選んだ。テレビで聞いたことある名前だし、多分スタンダードなものなんだろう。
 運ばれてきたのは手のひらの半分ほどもない小さな白のカップ。中身も三口程度くらいしか入ってない。お店のコーヒーってみんなこうなの? と思いつつ口をつける。かっこつけて、ブラックで。

「うっ……!」

 強烈すぎる苦みが襲い掛かってくる。何だこれ、何だこれ。本当に人間の飲み物なのか。死を覚悟するくらいの凄まじい味を前に取り繕うこともできず、机に突っ伏してしまった。後を尾けたから罰が当たったんだとすら思えた。

「あの、」

 顔を上げる。彼女が茶色の瞳を気づかわしげに揺らしながら俺を見つめていた。

「お節介なんですけど、本場の飲み方教えてもいいですか?」
「ほんば……?」
「はい。エスプレッソの中に、お砂糖いーっぱい入れるんです」

 彼女はそう言って、砂糖入れの蓋を開けた。スプーンに載った山盛りの砂糖がサラサラサラとコーヒーに降っていく。漆黒の中に浮かんだ砂糖が細かな泡になっていく。ぷくぷく、ぷくぷく、キャラメル色の泡が広がって、さっきと全然違う姿に変わる。白磁のようななめらかな手が皿の上にあったスプーンを掴む。彼女は音もたてずにカップの中身をくるくるかき混ぜた。

「これでもう一度飲んでみてください」

 手渡されたカップの中では、泡がくるくる走り続けていた。あれだけ砂糖を入れたんだから、俺でもきっと飲めるかも。意を決し、彼女が魔法をかけてくれたコーヒーを飲んでみる。

「わやおいしい……
「よかった! 私も最初びっくりしたんですけど、ハマると最高に美味しいんですよね」

 俺の言葉に彼女の笑顔がパッと弾けた。太陽いらずの眩い笑顔に、正直、三度目の恋をしてしまった。
 初恋は、苦くて甘くて優しい味がした。


 それからずっと、喫茶・コサジに通い詰めている。五月、六月、七月。夏休みに入る頃には互いの名前を教えあっていた。
 アオイさん。三駅先の、名門私立高校に通ってる同い年の女の子。顔の横に垂らしてる三つ編みがトレードマークの元気で明るいステキな子。可愛いだけじゃなくて、気配り上手な優しい性格をしていて、「これ。常連君にサービス」と小さいクッキーを添えてくれるおちゃめなところもある。きびきび働く姿はかっこよくて、何もかもが魅力的。
 お店で会う度恋をして、好きで好きでどうしようもなくて、でも告白する勇気は当然なくて。ただの客でしかない俺は、せいぜい売上に貢献することしかできなかった。
 週三回のサンドウィッチとガトーショコラとエスプレッソに毎月の小遣いは一瞬で消え、それでも足りなくてお年玉にも手をつけた。「高校生なんだしもっと小遣いちょうだい」とばーちゃんに強請ったら、「高校生なんだから」とバイト先を紹介された。ばーちゃんの茶飲み友達がやってる町の小さな書店。一応今月号の雑誌も並んでるけど、いつからあるのか不明なくらいに背の色が褪せた本も並んでる。
 店長さんが趣味のゲートボールに精を出してる間だけ、無人の店の番をしたり掃除したり、たまの来訪者に「キネさんは公園だよ」と教えたりするだけの、史上最高に簡単なお仕事。火曜と木曜の放課後二時間、時々土曜日丸一日。時給は千円。暇すぎるけど、勉強や宿題するのには最適だったし、留守番しかしてないのに給料を貰えるのが何よりありがたかった。
 アオイさんに会いにコサジに行って、エスプレッソの底に溜まった砂糖を楽しんで、そうじゃない日は静かな北上書店でぼんやりする。
 彼女とのささやかで他愛無い会話——そっちの学校のテスト範囲どの辺? とかその程度——に花を咲かせ、ちょっぴりずつ彼女のことを知っていく。脳内フォルダに彼女の笑顔を増やしていく。
 最高の高校生活だった。最高、だった。


 幸せな毎日が崩れたのは十一月の終わり。迫るクリスマスと年末に世間が浮き足立ってる頃。その日はやけに木枯らしが強く吹いていて、耳がぶっ飛んでいくんじゃないかと心配になる程だった。
 アオイさんに会うためだけに使ってるいつもの駅。いつもの街並み。弾む、いつもの足取り。
 今日はちょっと頑張って「クリスマスって何してる?」って聞いてみようかと奮起する俺の足を止めたのは、反対側の歩道を行く一組のカップルだった。
 がっしり体型の男子と——私服姿のアオイさん。店で俺に向けてくれてたのは営業スマイルだったんだと一目で気付いた。だって、全然違う。あの人に見せる顔は、俺が何百回も恋した笑顔なんて比じゃないくらいに綺麗で可愛くて、涙が滲むほど眩しくて。
 隣の人、どこかで見たことあるなと思ったらコサジで働いてる人だった。見かける度に距離近いなって嫉妬してたけど、彼氏だったんだ。一緒に働いてる内に恋人になったのかな。そもそも彼氏がいたから働き始めたとかだったりして。
 頭がうじうじ考えてる隙に、体は勝手に駅へと戻り、気が付いたら家にいた。時計の針は十一時から十七時に移動してた。なのにちっとも腹が空かなかった。
 初めての失恋は、赤黒い夕暮れ色をしていた。
 悲しかった。悔しかった。あの人のこと全然知らないけども、絶対俺の方がアオイさんを好きなのに。俺の方がアオイさんを想ってるのに。
 筋肉がっつり付いてる奴が好みなの? 接客態度ビミョーな愛想悪い人がタイプなの? なんで、どうして、なんで、どうして。
 悔しくてムカついてしんどくて、でもどうしようもできなくて、苛立ちをぶつけるみたいに勉強に没頭した。運動が苦手な俺には、それくらいしか見返せる要素がなかったから。
喫茶店には行かなくなった。いつもの駅は乗り換えだけの駅に戻ってしまった。暇ができた分だけ知識を詰め込んだ。みるみる内に学年トップになった。模試も県内上位に食い込めるようになってきた。でも、まだまだだ。こんなもんじゃ、きっと彼女は振り向いてくれない。あの彼氏に敵わない。世界中の何より綺麗な笑顔を向けてもらえない。
 正解なんて分からないまま、ひたすら自分の世界に沈んでいった。


 転機が訪れたのは麗らかな日差しが鬱陶しい春休み。レトロなガラス扉がカラカラ控えめに開いて、客なんて珍しいなと顔を上げた瞬間。

「え、」

砂糖なしのエスプレッソみたいに真っ黒だった世界が反転する。息が止まる。肌寒い空気の中、嫌な感じの汗が一気に噴き出してくる。
 居心地悪そうに入り込んできたのは、アオイさんだった。

「ぐ、偶然、だね! スグリ君、ここでバイトしてたんだー」

 数ヶ月ぶりの彼女は相変わらず明るくて可愛くて、ぐずぐず痛んだままの心に新しい傷をつけてきた。個人経営の書店が珍しいのか、やけにキョロキョロ見回している。
 暴れ狂う心臓を宥めすかす。彼女はたまたま来たお客さんってだけだ。俺だってただの元常連ってだけだし、何よりこの子は彼氏持ちだ。今でもきっと、俺なんかとは全然違うタイプの彼氏に、最上級の笑顔を向けてるんだ。
 いらっしゃいませの挨拶すらしない仏頂面の俺に、アオイさんが果敢に話しかけてきた。

「久し振り。元気してた?」
……別に、普通」
「そっか、じゃあよかった! ねぇ、そっちの学校って今」
「仕事中だから、あんまお喋りしてらんない」

 我ながら「この態度はねぇべ」って思った。でも、あの無愛想な店員さんと付き合ってるってことは、こういう方が好みなんでしょ。だからこれが正解なんだと良心に言い聞かせる。だけど、どうしてだろう。アオイさんは眉をくたりと下げ、片側の口角だけヒクヒク上げて、喜びとは真逆の反応を示してきた。

「だよね。邪魔してごめん」

 晴れやかな声が苦し気に萎む。小さな肩がさらに小さくなる。ぷるぷるのピンクの唇が痛ましく引き結ばれる。何か間違えたのだと悟ったが、今更どうしようもできない。どうにかする権利など、持ち得ていないのだから。
結局彼女は何も買わずに出て行った。
 これで本当に終わりだと思ってた。


 俺の予想に反して、彼女は週に何度も店に来た。月に一度、ねーちゃんが好きそうなファッション雑誌を必ず買って、それ以外にも多趣味すぎないかってくらい色んな種類の本も買って。何か言いたげな眼差しをチラチラ向けてきたと思って彼女を見れば弾かれたように書棚に視線を戻し、落ち着いたらまた熱視線をぶつけてくる。お喋りしてられない、と前に行ったのを律義に覚えてるのか、交わす言葉は「これください」「〇〇円です」だけ。まれに「あそこの本、取って」と頼まれることもあるけど、渡してしまえばそれでお終い。一時間程度たっぷり時間をかけて、大した品揃えでもない、代り映えのしない店内を静かに見て回ってる。毎週、毎週。決まって火曜と木曜に。
 彼氏のところ行かなくていいの。ひょっとして別れたの。だとしても、何でわざわざこの店に来るの。どうして俺の前に現れるの。
 言えない気持ちを、おつりの返却時に触れる指先に乗せる。期待なんか、していない。


 あっという間に季節は巡り、みぞれ混じりの雨が鬱々と降る十一月になっていた。俺が失恋してからもう一周年かと感慨にふけりながら、今日もアオイさんの横顔を盗み見る。憎らしいくらいに綺麗で可愛い。彼女がいる空間を疎みつつ、会えるのを楽しみにしてる自分が嫌いで嫌いでしょうがない。
 アオイさんはいつも以上に俺を見てくる。勉強に没頭してるフリもだいぶ上達したけど、それでもやっぱりドキドキしてしまう。
 バイト終わりまで残り数分になった頃。アオイさんがおずおずレジ前にやってきた。

「これ、ください」

 渡されたのは『絶対伝わる♡ ドキドキ! ラブレターの書き方♡』ってふざけたタイトルの本だった。装丁的に、ターゲット層は小学生女子。とても高校二年生が読むような本じゃない。俺たちが生まれる前に出版されて、今この瞬間まで無視され続けたんじゃないのかと疑いたくなるほど、表紙は色褪せ、小口も黄ばんでいる。
 本当、変な本好きだよな、と思っても口にしない。黙ってバーコードを読み取る。千二百円です、と伝えるより先に、アオイさんが口を開いた。

「この本読んで、ラブレター書いたら……。スグリ君、読んでくれる?」

 意味不明すぎて思考が停止する。読んでくれって何だ。添削しろってこと? 彼氏いるくせに。よりにもよって俺に。未だに片想いで苦しんでる俺なんかに。どうして。どうして。

……そんなん、彼氏に渡せばいいべ」

 吐き捨てる。俯く。今以上俺を弄ばないでと哀願する。頑なな態度を見せて必死で拒否してるのに、アオイさんは譲ってくれない。

「彼氏なんていない。好きな人なら……いる、けど」
「じゃあそいつに頼めば」
「だから、頼んでるでしょ」

 またもや意味が分からなくて顔を上げる。ぽわぽわ真っ赤に染まった乙女の顔の中、潤んだアンバーがやたらと煌めいている。大人びたピンクに艶めく唇が、俺の名前をなぞる。俺の名前ってそんな響きになるのって驚くくらいにしっとり、うっとりと。

「スグリ君。ラブレター、読んでくれる?」

 何だこれ。何だこれ。これじゃまるで、俺がアオイさんの好きな人みたいじゃないか。あれ、合ってる? 違う? あれ、あれ? 店に来てたのは、俺をずっと見てたのは、そういう理由だったから? まさか、そんな、いや、でも——
 混乱してまともな言葉を紡げなくなった俺は、やぶれかぶれトンチンカンな台詞を口走った。

「俺が書いたの、読んでくれるなら」


 やり直しの恋は、雨と古本の匂いがした。