もち粉
2026-04-17 00:27:20
9988文字
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キスは告白に入りません。


カブミス
建国祭の攻防



――なぜって!
え、まさか言葉にしないと駄目なタイプ?

「いや、だって……そういう雰囲気だったじゃないですか。あんただって目ぇ閉じたでしょ!」

「お前が顔を近づけてきたから。……反射的に?」
困ったように眉を寄せながら、ミスルンはそう答えた。

……はあ?」
反射? あれが?
さっきの滑らかな目線の下げ方、あごの上げ方、首の傾け方!
あんな、足りないと追いかけるみたいなキスをしておいて?
あれが、単なる反射だと?

「反射って言うには、ずいぶん……
「ずいぶん?」
……いや、なんでもないです」

――ずいぶんと、手慣れてないか?

ちくりと胸を焼いた感情に視線を逸らしたところで、宴会場の扉が開き、「おーい、二人とも!」と声が飛んできた。
ミスルンは肩をすくめ、まるで何事もなかったかのように「ワインをもう一杯もらってくる」と言い、さっさと中に戻っていった。

残されたカブルーは、手すりに肘をついて呆然と夜空を仰いだ。

……気持ちゼロで、あんなキスができるもんか?)

唇にはまだ熱と柔らかさが残っていて、夜風の冷たさと溶け合い、妙に意識にこびりついた。かすかなワインの甘い香りさえ、鮮明に思い出せた。

(そうでなければ、相当な……手練だろ)

深くため息をついた。遠くの楽団の弦音をぼんやりと聞く。
杯を重ねるミスルンの背中を遠くに眺めながら、カブルーはそっと己の唇を人差し指で撫でた。

今までミスルンから性の匂いを感じたことはない。
世界がひっくり返ったような夜だった。


 ❖❖

翌朝、浅い眠りから覚めて欠伸をしながら歩いていると、朝食を済ませて部屋に戻ろうとしているらしいミスルンと、廊下で出くわした。
白い朝の光が窓から差し込み、彼の銀色の髪を淡く透かしていた。
その穏やかな光景に、カブルーの胸がまた少しだけ騒いだ。

(ああ、やっぱり……

昨夜は祭り初日の高揚感もあったし、酒も回っていた。だからあれは一時の気の迷い――必死でそう片付けようとしていたのに。

どうしても、彼が綺麗に見えてしまう。
昨日まで、種族も年齢も越えて「良き友人」だったはずの彼が。

「なぜ?」と小首を傾げた仕草が、まだ頭から離れない。

なぜって……俺の気持ちだけが変わってしまったとでも?
あの無垢なほどの一言が、高揚を許さない。

けれど、カブルーに気づいたミスルンの周囲の空気が、表情は変わらないのに、どこか華やいだのを感じた。
「おはよう、カブルー」

カブルーは声をかけられて足を止めた。
……おはようございます、ミスルンさん」

(あなた今まで、そんな顔、してましたっけ?)

――こんな顔をしておいて、気持ちゼロってことはないだろ……ないよな!?

だが昨夜の「反射」発言が、どうにも引っかかって仕方ない。

「昨日のことなんですけど」
「昨日?」

カブルーは少し声を落として尋ねた。
……キスのとき、なんで目、閉じたんですか」

ミスルンは、一瞬記憶を探るように首を傾げ、あっさりと答えた。
「だから、反射だと」

「反射であんな熟練感を……」と口に出しかけて、慌てて飲み込む。
……じゃあ、あなた何の感情もない相手にキスされそうになって、目を閉じるっていうんですか?」

ミスルンは眉一つ動かさず、まるで当然のように言う。
「だから、お前が近づいてきたからだろう。反射的にまぶたが下りた。瞬きみたいなものだと思う」
……信じられませんね。何されるかわかってて、感情のない相手に対して目を閉じるなんてあり得ないですよ」

「そういうものか?」
「そういうものです!」

声が少しだけ大きくなってしまった。
カブルーは自分でも驚くほど、ムキになっているのを感じた。

(なんだこの会話……俺は何を討論してるんだ?)

ミスルンは、そんなカブルーをじっと見つめている。
さっきまで親しみを込めてこちらを見上げてきていたはずのその瞳はただ黒く、その奥にある感情はまったく読み取ることができなかった。

「ならば試すか」
 そう言った瞬間、ミスルンが一歩踏み込み、ぐいっと顔を近づけてきた。

――っ!」
カブルーはびっくりして目を見開き、石像のように固まった。
(ち、近い! 近い近い近い! 息がかかる……!)

まつ毛が触れそうなほど近くで、深淵のような瞳が覗き込んでくる。
カブルーの胸がばくばくとうるさく鳴り響き、耳まで熱を帯びていた。
視線を逸らすこともできず、その場に釘付けになった。

……たしかに、閉じないな」
淡々と告げると、ミスルンはすっと身を引いた。

カブルーは大きく息を吐いて、自分が呼吸を止めていたことに気がついた。

廊下の向こうから女官たちの足音が近づいてきた。
「十時から会議だったな、またあとで」
ミスルンは何事もなかったように踵を返し、さっさと立ち去った。

カブルーは、まだ収まらない心臓を抱えながら、呆然と彼の背中を見送った。

……からかわれた?)
喉の奥で呻いた後、心の中で叫んだ。
(いいだろう……! それなら――
拳に力を込める。


(反射じゃないキスを、絶対にさせてやる)


 ❖❖

城の中庭は、昼間も人であふれていた。
各国の使節団や商人が屋台をのぞき、楽団が軽快な曲を奏でていた。カブルーは仕事の合間を縫って、来賓たちの案内役をしていた。

……反射か、感情か)
午前中の会議を終えても、あのやり取りが頭の中を巡る。
ミスルンがあんなに近くまで来て平然としていられるのは、本当に俺に気持ちがないからか? それとも、ただ慣れているだけなのか?

庭の噴水脇で休憩していると、植込みの向こうに銀色の頭が見えた。ミスルンが祝賀のための特使の一団と一緒に歩いてくる。
「お疲れ様です」と声をかけると、彼は軽く片手を上げて近寄ってきた。

「昼はどうだ、忙しいか?」
「まあ、ぼちぼちです。……そうだ、朝の話の続き、していいですか?」
「続き?」
「反射の件です。俺、納得してないんで」

ミスルンは小さく息を吐いた。
「しつこくないか?」
「いいから!」

ミスルンはそれ以上何も言わず、近くの屋台から串焼きを二本買ってきた。
「私はそろそろ昼食の時間だ。話すなら、座って食べながらにしよう」
奥まったベンチに腰掛け、手渡された串焼きから香ばしい匂いが立ちのぼった。
……ありがとうございます。自発的に、食事とれるようになったんですね」
「食べないと、うるさいやつらがいるんでな」
ミスルンはちらりと笑って串焼きに横からかぶりついた。その仕草は、機械的に咀嚼していた頃よりも、ずっと人間らしく見えた。

この人は、よく笑うようになった。
不意に感慨がこみ上げてきた。建国祭は、ふたりの歩んできた年月を測るものでもあった。

「で、何を納得したいんだ?」
「感情ゼロの反射だけで、あんな自然なキスできるわけないってことです」
……自然だったか?」
「はい」
「反射だからこそ、自然なのではないか?」
「いやいやいや!」

いらだちを隠せないカブルーを、ミスルンは口元だけで笑いながら見ている。
ミスルンの視線に、カブルーは思い切って身体を寄せた。
「じゃあ、今度は俺から試します。ゆっくりしたら、反射じゃないってわかりますよね」

そう言って、顔を近づけようとしたカブルーに、ミスルンは串焼きをひらりと差し出した。カブルーの口元にちょんと肉が押し付けられる。

「今すると、ソース味だぞ」
……っ!」

唇に触れた串焼きの温度と、甘辛いソースの香りが一瞬で空気を塗り替える。
カブルーは固まったまま、目を瞬かせた。

「冷めないうちにお前も食べろ」

素知らぬ顔で、カブルーの口が付いた部分の肉をほおばっているミスルンを横目でにらみ、自分の分の串焼きに豪快にかぶりついた。
美味いのがまた、妙に悔しかった。

(子どもじゃないんだ、間接キスなんかでごまかされるもんか)

広場では楽団がにぎやかに曲を奏で、子どもたちの笑い声が弾んでいた。しかし、隣にいるミスルンの衣擦れの音や、楽しげに庭を眺める視線ばかりが気にかかった。

……次は絶対、反射じゃないやつをさせてやる。言い訳できないくらい、気持ちのこもったキスを)

――どうしてやろうか。


 ❖❖

祭り二日目の夕刻、黄金城の中庭は、日中よりもさらに賑やかになっていた。
色とりどりの提灯が灯りはじめ、甘い焼き菓子や香辛料が効いたスープの匂いが漂っていた。笑い声や楽団の音が重なり合い、街全体がどこか浮き立った熱を帯びていた。

カブルーは、明日のパレードの最終打ち合わせに向かうために、人混みを避けて裏道を歩いていた。熱気から離れると、ひんやりとした石畳の感触が足裏に心地よかった。
誰もいない道は、まるで切り離された別世界のようだった。何気なく顔を上げると、窓越しに図書室の中で本を探すミスルンの姿が見えた。
黄金城の図書室は、登録さえすれば誰でも利用できる。千年前の本も状態よく保管されており、学者や魔術師が足繁く通う場所だった。ミスルンも時々、ふらりと借りに来る。

――窓の中の静けさが、ざわめきに満ちた祭りの夜とあまりに対照的で、カブルーは水槽の魚を眺めているような心地がした。

……昼間のあれ、やっぱり逃げられただけだよな)
串焼きの味が口内によみがえり、奥歯を噛みしめた。
(次は不意打ちでいく……。捕まえて、逃がさない。ゆっくりとキスをして、それでもまだ反射だなんて言うなら――認めさせるまで、何度でもしてやる)


決意を胸に、夕暮れの赤い光に満たされた図書室へとカブルーは足を踏み入れた。
赤い深海のような静寂の中、紙とインクの匂いが漂っていた。カウンターの奥では、司書がペンを走らせるかすかな音がするだけだった。

書棚の前で背を向け、本を探すミスルンに、カブルーは息を殺して近づいた。両手を棚につけて腕で囲んだ。完璧な包囲作戦だ。
耳元にかがみ込み、女の子を落とすときにだけ使ってきた、とっておきの低い声で囁く。

……ミスルン、」

「ああカブルー、いいところへ来た。その上の棚の本を取ってくれ」

…………は?」
思い切って呼び捨てにしたのに、スルーですか? そもそも気がついたのかどうすらわからない。
……俺の渾身の囁きを返せよ! 男でこれ聞いたのあんただけだよ!!)

囁かれた方の耳をぴるりと振ったミスルンは、下の棚の本を片手に持ったまま、上を指さして言ってきた。
「まさか……転移術で本の場所を入れ替えようとしてました?」
「手が届かない高さの本は不便だ」
「司書が『時々並びが荒らされて困る』って嘆いてたんですけど……

なんだかタイミングを逃してうやむやになってしまった。ミスルンはカブルーの小言などどこ吹く風とばかりに、平然と本のページをめくり続けている。
棚の隙間から差し込む夕陽が彼の横顔を照らし、やがて影の中で唇がゆったりと弧を描く。
「この記述を探していたんだ」

触れたくなるような笑みに、胸が焼けるように熱くなる。この一瞬だけでいい、あの唇を奪えたら。

(いや……ただ奪うんじゃ意味がない。反射じゃないって、あんた自身に認めさせないと)

「ところでカブルー、お前打ち合わせじゃなかったのか?」
「!! 今、何分です!?」

「お静かに!」
途端に司書の声が飛んできた。


 ❖❖

建国祭最終日の昼、カブルーはパレードのため、正装してライオスの乗る馬車に随行した。
真っ赤な詰襟と金色に輝くモールが少しばかり照れくさかったが、周囲の評判は上々だった。髪もきちんとセットしたカブルーは、沿道の女性たちからの注目の的だった。

ふと、沿道の女性の一人と目が合った。気だるげに髪をかき上げながら、ゆったりと流し目を送ってくる色っぽい女性。あれは最近城下で人気の歌姫だな。カブルーはそれこそ反射のように、意味ありげに目配せを返した。
彼女はくすりと笑って、ナイショというように唇当てた人差し指で控えめな投げキッスを送ってきた。

(これ、夜に店行ったら、ヤレるな)

そうだよな、大人同士ってこういうものだよ。目と目で通じ合う、暗黙の了解ってやつ。

――しかし今、カブルーの心を占めているのは、パレードが城から出発するとき、見送りの列に並んでいたミスルンの視線だった。

彼はカブルーの姿を目に留めた瞬間、拍手の動きを止め、「ほぉ」と息を吐いた。
次の瞬間には拍手を再開し、普段と変わらぬ涼しい表情に戻っていたが、ミスルンの視線が自分の背中を追いかけているのを感じた。

(あれは絶対、俺に見惚れてた)

カブルーは、胸元のモールを指先でなぞりながら、静かに決意した。

(城に戻ったら、この格好のまま迫ってやる)