二卵性
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犬が歩けど棒は避ける

要塞職員モブ語り ネームドの犬がいます
https://privatter.me/page/69d780b44b6ad の続き
ヌヴィリオ(かすかに)



かつて、レムリア文明を築いた王、レムスが乗っていた船。金の蜂の姿をした予言者シビラの守っていた銀の樹は、黄金のフォルトゥナ号へと変化した。高海を越え、その船からレムスが降り立った地こそ、メロピスである。
――というのは知っていたけれど、もしかしてメロピデ要塞の名前ってメロピスから取られているのかも。公爵様のつけたカフェの店名がカフェ・メロピスだったので、ようやくそこに気づいたのだった。あのすごい船もフォルトゥナ号を彷彿とさせたし、公爵様ってレムリア文明に詳しかったりするのだろうか。地位と名誉と権力とケルベロスを兼ね備えた上にインテリなんだ。無敵だ……
それはさておき。
カフェ・メロピスは想像以上に繁盛していた。誰もが犬や猫を飼いたいという目的で来るわけではなく、ペットを飼えないけど犬や猫と触れ合いたいという需要もあるらしい。
まず、メロピデ要塞職員や看守が来る。水の下ではペットは飼えないのだが、公爵様が職員割引を導入したので、ものの試しに来訪してみるというパターンが多かった。割引があるとかなりお手頃価格なので。
で、犬や猫と触れ合うと癒される――シグウィン看護師長曰くそういうセラピーもあるらしい――と噂になり、メリュジーヌの方もよく来るようになった。メロピデ要塞にはシグウィン看護師長がいるからか、メリュジーヌの方をちょくちょく見かけて、要塞内口コミが広がったのだろう。
メリュジーヌの方はマレショーセ・ファントムやパレ・メルモニアに所属していることが多いので、さらにそこから話が広まったらしい。近隣住民以外でわざわざ訪れる人も徐々に増えていった。となると引き取り手も増えるので、こちらとしてはありがたい限りである。
保護した犬猫を全員うちで面倒を見ているわけではなく、もともと保護活動をしていた方々の助力も大いに得ていた。この折衝をしてくれたのも公爵様で、やっぱり栄誉称号の力はすごい。というか本当になんでもできて怖い。なんでもできないと公爵になれないのだろうけど。
その公爵様はアパートの一室を使っているため、たまに急に登場してめちゃくちゃ心臓に悪かった。いや、公爵様の持ち物なので、いつでも好きな時にお越しいただいていいんですが……。そして本当に犬猫が好きなのか、店に出ている犬や猫以外にも、事務所で飼ってる子たちともちょくちょく遊んでくれて、散歩とかもしてくださる。犬たちはみんな公爵様の前ではいい子なので、上下関係はしっかりわきまえているのだろう。ケルベロス怖いよね、わかるよ。わかる……

さて、話は変わるが、私には公爵様と同じくらい怖い存在がある。
そう、我が国の最高審判官、ヌヴィレット様だ。
そのヌヴィレット様がご来店されたのは、カフェを開業してから数ヶ月経った頃だった。
「て、て、て、て、店長!大変です!大変です!!」
ホールのスタッフが事務所に駆け込んできて、泣きそうな顔で訴えてきた。動物を扱っている以上、トラブルはつきものだ。こうして泣きつかれるのは初めてではないし、悲しいことに現場責任者は私なので、解決する義務がある。仕事なので……
「どうしたの?」
「み、店に、その、ぬ、ぬ、ぬ……
「ぬ?」
「ヌヴィレット様がいらっしゃいました!!」
……マジ?」
ヌヴィレット様、つまり、最高審判官様。最近はフォンテーヌ廷でたまにお見かけすると夫が言っていたが、せいぜいサーンドル河でしか暮らしたことしかなかった私はまったく遭遇したことがない。一度だけ元彼の審判でお見かけして、最高審判官様って超おっかねえ!と震え上がったくらいだ。
その、最後審判官様が?ご来店?そして責任者は私。
……フフ。今日が水の上の最後の一日だったとはね」
「現実逃避してないで早く行ってください!」
「はーい」
さようなら、フォンテーヌ廷。さよなら、愛しのラズベリーパイ(犬)、シュガーポッド(犬)、カスタードエクレア(猫)、ルミドゥースハニー(猫)。まあ夫もいるし保護活動家の方々もいるし、多分大丈夫。私だけが大丈夫じゃない。要塞送りになったら公爵様になんて言われるか。
とか考えながら表に出ると、ヌヴィレット様は店内の隅の席に座っておられた。メニューを眺めてらっしゃる。え、なんか頼むの?誰だあそこに案内したの……と思いながら恐る恐る近づいて、死にそうな気持ちで声をかけた。
「ヌヴィレット様、ようこそいらっしゃいました。当店の責任者です。何かご要件がおありでしょうか?」
「ああ、何もパレ・メルモニアを代表して来たわけではない。個人的な来訪であるゆえ、一般の客として扱ってもらって構わない」
無理です。
とは声に出さず、「では、ご注文がお決まりでしたらお伺いいたします」と答える。ヌヴィレット様は迷わず、メニューの一番下を指差した。
「この、『本日の天然水』というのは?」
説明しよう、本日の天然水とは、公爵様の謎のご要望により追加されたメニューである!
メロピデ要塞の特別許可食堂の仕入れを担当していた私は、要塞内に届く食料にわりと詳しい方だった。よって公爵様が天然水をやたらといろんな場所から仕入れていることは知っていたが、あのお方は紅茶が好きなので、水にもこだわってるんだなくらいにしか思っていなかった。あるらしいので、水質による味の違いが。
しかしカフェ・メロピスのこの謎メニューと、定期的にテイワット各地から天然水を仕入れろという指示を受けて、公爵様ってもしかして水自体好きなのか?という疑問が浮上した。水飲んでるところ見たことないんですが。
しかも本日の天然水とかいう名前だから、産地がある。こんなの答えられるのうちの店で私だけですよ。よかった、答えられて!
「本日の天然水は、エスス山麓の湧き水と、ソベクオアシスの地下水の用意がございます」
水のメニューはこの本日の天然水以外にもあるし、本日の天然水は輸送費分お高くなっているので、注文されたことはない。最初の注文がまさかヌヴィレット様とは……、と思いつつ、できるだけ平常心で受け答えをする。ヌヴィレット様は迷うそぶりも見せずに即答した。
「では、ソベクオアシスの地下水を」
「かしこまりました。すぐお持ちいたします」
食事メニューを頼む様子はなさそうだ。まあ、ヌヴィレット様がなんか食べてるところってあんまり想像できないというか。私はそそくさと席を離れ、それから気づいた。
うちのデカくて黒い看板犬が、ヌヴィレット様の足元で寝そべっていることに!
おいおいどれだけ肝が太いんだ……と呆れ、ヌヴィレット様のお召し物に毛がついたらやっぱり要塞送りかなと慄き、とりあえず注文を通す。「え、天然水ってどれですか?」と聞かれたので結局私が用意したけども。
「ヌヴィレット様、水飲むんですね」
「生きてるから……?」
「たしかに……
「まあ紅茶とかだったら淹れるの死ぬほど緊張したから命拾いしました」
「天然水さまさまですね」
ボソボソと会話を交わしながら心拍数を落ち着けようとしたけど無理だった。準備ができてしまったので、私は再びヌヴィレット様に接近する。看板犬はまだヌヴィレット様の足元にいる。
「お待たせいたしました。本日の天然水でございます」
「ありがとう」
ヌヴィレット様にお礼を言われる日があるんだ、人生……。私は笑顔のようなものを作り、サッと撤退しようとしたけど、ヌヴィレット様の次のお言葉の方が早かった。
「ところで、この犬の名前はなんだろうか?」
犬が足元にいるのに気づいていたらしい。さすがに。
「ライオです」
と答えると、自分の名前を呼ばれたとわかったライオが顔を上げた。薄水色の瞳を瞬かせ、何か用?おやつ?みたいな顔をしている。おやつではない。
ヌヴィレット様はライオをまじまじと見て、それから小さく鼻を鳴らした、気がした。
「リオセスリ殿から名前を取ったのかね?」
リオセスリドノ?
一瞬何を言われたのかわからずぽかんとしてしまった。最高審判官様の前で間抜けヅラを晒したら違法という法律があったら、即座に有罪になっていただろう。そして数秒後にヌヴィレット様が「リオセスリ殿」と言ったことに気づいた。
えっ、ヌヴィレット様って、公爵様のこと名前で呼ぶんだ……
そういえば以前職員がメロピデ要塞でヌヴィレット様を見た!と言ってたことを思い出した。いやヌヴィレット様が要塞に来るわけないじゃないですかと思っていたが、まさか、本当にご訪問されていたのか?つまり公爵様と知り合い、なのか?知り合いだからご来店いただいている感じですか?
そしたら、ヤバい。
ヌヴィレット様の言う通り、ライオの名前は公爵様からとられている。
ちょっぴり灰色混じりの、でも全身黒い毛皮と、薄水色の瞳。デカくて威圧感があって、すごく賢い。初めましての人にも威嚇はしないが、敵意には敏感な犬だ。尻尾をあまり振らない硬派なところもある。
いや私は反対したんですよ。犬に公爵様の名前をもじってつけるとか、不敬すぎるからって。なのにうちのスタッフが!公爵様に似てるからライオって呼び始めて!なんかそれで定着しちゃってえ!本犬もライオで覚えちゃってえ!
公爵様にはもちろんバレてる。「ほほーう」と腕を組んで、「あんたらには俺がこんなふうに見えてるのか、光栄だね」とか言ってて、私はクビを覚悟したけど一応まだ店長をやっている。
でも今もう一度、クビを覚悟します。
「そうです……
「なぜだろうか?」
突っ込まないでください!生きててすみません!
「髪の……毛の色と、瞳の色が似ているので、当店のスタッフが名付けまして……
私はね、公爵様の目の色が何色とか言われるまで気づきませんでしたからね!だって怖くて直視できないから!スタッフたちにはなんでそんなにビビってんですかと呆れられたけど、ケルベロスは怖い。
「似ているだろうか?」
私に聞かないでください。ヌヴィレット様はライオの顔を覗き込むようにし、ライオはじっと見つめ返していた。やっぱ肝が座りすぎているこの犬。もしくはヴィシャップに睨まれたプクプク獣の気持ちなのかもしれない。
「リオセスリ殿の瞳の色は、冬の澄んだ空気の――、いや、夜雨のウィーピングウィローから滴る水のような……そんな色ではないかね」
いま何聞かされてる時間?
妙に詩的な表現を用いて公爵様の瞳の色を表現されたヌヴィレット様は、ライオの眉間をそっと指先で撫でた。私は心を無にした。知らん知らん知らん。助けて。
「ら、ライオもその名前で覚えてしまったので……変えることは……できないではありませんが……
なんとかそうとだけ絞り出す。ヌヴィレット様が二度と来なかったらバレないんだけど、いや知り合いなら公爵様経由でバレるかも!じゃあ本当に名前変えるしかないのか。
しかしヌヴィレット様は表情も声色も変えずに淡々と返してきた。
「いや、変える必要はないだろう。偉人から名前を取ること自体は悪い試みではない。フォンテーヌの法に於いても、違法ではない」
合法!ヨシ!フリーナ様の名前をペットにつけるのは違法なのは知っているが、公爵様の名前はまだ規制されておらず命拾いした。というかいま公爵様のこと偉人っておっしゃいました?まあ公爵になる人は教科書に名前が載る偉人か。ヌヴィレット様も偉人なんですが……
「さようで……
一応神妙な顔をしておく。
「時間を取らせてしまったな。彼はここにいても大丈夫だろうか?」
「は、はい。ライオの自由にさせておりますので。それでは、ごゆっくりどうぞ」
今度こそ、そそくさと逃げ出すことに成功した。「店長!」「おつかれさまです!」「何話してたんですか?!」とみんなに囲まれる。
……なに話してたんだろうね、いま……
もう記憶が飛んだ気がする。へなへなと座り込み、私は自分の首をさすった。まだ繋がっているらしい。
「え、何話してたか本当に忘れたんですか?」
「えーと……ライオが……なんだっけ……
「店長!しっかりしてください!」
「まだヌヴィレット様お帰りになられてませんよ!」
「最後まで私が接客するんかい」
いや、怖いから、最高審判官様……。と顔を見合わせられる。犯罪者ではないがメロピデ要塞にしばらくいたからか、水の上の住人より謎に畏れているところはある。夫を見るとなおさらそう思うよ、今日ヌヴィレット様見かけた!ラッキー!とか絶対に言えない。
結局ヌヴィレット様は水をゆっくり飲み、あれ以上ライオにも他の犬や猫にも触れずにお帰りになられた。私はその後数日、後から訴えられないか心配し続けていたが、今のところ水の上で暮らしている。

「この間ヌヴィレットさんが来たんだって?」
と、唐突に現れた公爵様に言われるまでは記憶の奥底にしまい込んでいたのだが。
あ、やばい、報告忘れていたので殺される。私は覚悟を決めた。
「はい……
「何頼んでた?」
「ソベクオアシスの地下水をご注文になられました」
「ほう」
公爵様はライオをわしゃわしゃ撫でながら、「やっぱりな」と呟いた。それから立ち上がって、保管庫から「じゃあこっちか」と天然水の瓶を取り出す。公爵様が持ってきた「壺の水」とかいうやつだ。天然水なのに壺の水とはこれいかにと疑問ではあるが、公爵様が言うなら天然水なのだ。雪羽ガンも黒くなる。
「ライオ、行くぞ」
ライオが尻尾を振りながら公爵様についていく。アパートの一室は公爵様のものなので、そこへ向かったのだろう。私はぼんやりとそれを見送り、今見たものをすべて忘れて、仕事に戻ることにした。
公爵様ってヌヴィレット様のこと気安く呼ぶんだ……とか、「壺の水」をどうするのかとか、考えてはならない。ケルベロスの尾を踏むほどうかつでは、雇われ店長は務まらないからだ。