二卵性
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メロピデ・パンケーキ

https://privatter.me/page/69d4f75ebe652 の続き(ヌヴィリオ)
要塞のパンケーキが🇬🇧パンケーキだといいよねという話です 全部捏造

メロピデ要塞において、基本的に火気は厳禁だ。特別許可食堂なんかの専用の設備であれば使用できるが、それ以外の鉄と油にまみれた水中要塞において、火種はあまりに危険すぎる。リオセスリが囚人だったころ、小火ぼや騒ぎが起きたのは両手で数えきれないくらいで、そのせいで負った火傷だって体に残っている。
水に囲まれた環境下での消火はそれでも簡単ではない。換気設備がやられていたら、きっとあのとき窒息して死んでいただろうと思う。そんな苦い教訓から、リオセスリは管理者に就任して以降漏水センサーと同様に煙感知センサーも要塞内に張り巡らせ、消火用マシナリーをあちこちに配備した。
それに伴い喫煙を喫煙所のみでの区画制にして片っ端から取り締まったところ暴動が起こりかけたが、ヤク中の囚人どもを軒並み殴り倒してからは大きな問題にはなっていない。ただちょっと看護師長に叱られたくらいだ。

とはいえ、囚人の時分、リオセスリだっていっさいの火気を使っていないわけではなかった。
なぜなら当時はあらゆるものを手に入れるために特別許可券が必要だった。呼吸の権利から、水から、当然食べ物まで。大枚はたいて手に入れた食べ物が腐っていることなんてざらで、できれば火を通しておきたいと思うのは人情というものだろう。
自分の神の目が炎元素であれば、話は簡単だっただろう――とは思わない。実際、炎元素の神の目を持っている囚人が火種を配る商売をしているのを見たことがあるが、そいつの命はそう長いものではなかった。だったら元素力なんかに頼らずに火を熾すほうがマシである。
要塞の居住区でそんなことをするほど迂闊ではなかったので、リオセスリが火を熾すのはたいてい廃坑道だとかの、延焼の危険がなく人目にもつかないパイプの裏側だった。
当時の環境でも比較的手に入りやすい食料といえば、小麦粉だった。そのままで食べられるものではないから、案外監視が緩いのだ。袋からちょっとくすねるぶんにはバレるリスクも少ない。ネズミに食べられたと思われていただろう。まあ、リオセスリがくすねて隠していた小麦粉も頻繁にネズミに食べられていたのだが、よくある話である。
運よくスープが手に入れば、水で捏ねた小麦粉を入れて沸かせば嵩を増せる。そのまま入れるとどろっとして食えたもんじゃない粘性の液体になるので、ひと手間が重要だ。
本当に何も手に入らないときは、小麦粉を水で溶き、薄く広げて焼いた。このペラペラの素朴を通り過ぎて質素なパンケーキは、罪人たちの間でメロピデ・パンケーキと呼ばれていた。最低限で最小限の、最下層の罪人の餌である。
リオセスリがメロピデ・パンケーキで食いつないでいた時期はそう長くはなかった。体が資本の拳闘をしている間は、それなりの特別許可券を食料に回していたからだ。
リオセスリのアドバンテージといえば発展途上の肉体だったため、頑強な体を手に入れるための投資は惜しまなかった。水と小麦粉だけだったパンケーキにはじきに牛乳と卵を入れられるようになったし、砂糖もふりかけた。相変わらずペラペラだったが、味はずっとマシになったと思う。水底の要塞で、路上をさすらっていたころよりはまともな生活ができるようになったと感じたのはこの頃だ。

人間は生存に必死になるとき、自分のことしか考えられなくなる。水と食料を奪い合い、金と暴力だけに支配され、眠っている間すらも安寧がなければ当然だ。
裁かれ、追放され、すべてを失くした人間がそんな状態で己の罪に向き合えるかと問われれば、否だ。ほとんどの罪人はただ息をひそめて、この薄暗い深海から解放される日を生きて迎えられること祈っているだけだ。薄っぺらいパンケーキを食んで。
だから管理者になったリオセスリが真っ先に手を付けたのが、サービス食の配布だった。腹が満ちれば多少は頭が回る。労働で財産を得れば明日を考えられる。未来を見据えるために、過去を省みるだろう。罪と向き合うために裁かれた罪人に、ようやくその義務を課すことができる。生存の保障は、あくまでそのためのものだ。リオセスリは慈善事業をしているわけではない。
最低限で最小限のメロピデ・パンケーキに、今は卵も牛乳も入っている。ペラペラのパンケーキはバターの香りがして、砂糖がまぶされている。そうなると手づかみでなくナイフとフォークで食べたほうがいいだろう。
そんなパンケーキにレモンを乗せたのは栄養素を補うためであるが、いつの間にかそれが主流になっていた。じゃりじゃりの砂糖と、バターのコクと塩っぽさに、レモンの酸味があればくどくない。要塞においては保存食のピクルスがよく食べられていたため、みな酸味に慣れているというのも一つの理由かもしれないが――特別許可券を使わずとも運が良ければ食べられる罪人のメロピデパンケーキは、今日こんにちでは当たり扱いされる程度のものであった。



さて、メロピデ要塞といえば、いまだフォンテーヌ国民にとっては暗黒面の象徴、悪名高き罪人の掃き溜めである。
そんなメロピデ要塞の名を冠した食事メニューがあったとして、注文するのはよっぽどの変わり者か、バカか、アホに違いない。そして元罪人は絶対に注文しないだろうということも確かだった。
「そもそもこんな名物メニューがメロピデ要塞にあると知られたら、これ目当ての観光客が押し寄せるかもしれないだろう」
「なるほど」
「というわけで別の名前を考えさせたんだがね。『だったらリオセスリ・パンケーキはどうですか』とか言い始めてな……
リオセスリがフォンテーヌ廷でアパートを購入してから、物事はそれなりに円滑に進んでいた。水の上で職を得たがる職員の中から適任者を選定し、アパートの一階を改装を進めながら、野良犬猫の保護活動を以前から行なっていた団体とのやりとりを行い、飲食店営業に必要な資格を取らせ、パレ・メルモニアへ開業許可申請を提出した。最後のは時間がかかるので、気長に待つしかない。
待っている間にメロピデ要塞職員改め保護犬猫カフェ店員たちが取り掛かった仕事の一つが、メニューの策定だ。どんなメニューにするか決めなければ、仕入れ先を選定することもままならない。紅茶、コーヒー、そして軽食を出す奇を衒わないカフェにするつもりだが、店員たちは一つ主張した。
メロピデ・パンケーキをメニューに加えたい、というのがそれである。
まあ看護師長の偉大なミルクセーキやら何が飛び出すかわからないおみくじ付きサービス食よりはいいんじゃないかとリオセスリは許可したが、それを後悔することになったのは、メニューの名前のせいだった。このカフェを経営しているのが公爵リオセスリであることを隠すつもりはないが、だからといってメロピデ・パンケーキなんて名前のままではいけないし、リオセスリ・パンケーキなんてもってのほかだ。元職員たちはメロピデ要塞に馴染みすぎて、その感覚が失せているようだった。
「いいではないか、『リオセスリ・パンケーキ』」
ソファでくつろぎながら話を聞いていた最高審判官ことヌヴィレットは、一体どこが不満なのか、という顔でリオセスリを見つめた。やれやれ、この人の感覚も麻痺している、と肩を竦めるしかない。
「『リオセスリ・パンケーキ』だったら、メロピデ・パンケーキよりもずっと売れないだろうさ」
「そんなことはない」
「いいや、あるね。考えてみてくれ、ヌヴィレットさん。読めないメニューを注文するやつなんていないだろう?」
長ったらしく発音しにくい名前のメニューはやめた方がいい。客が舌を噛んだらおおごとだ――そう嘯くリオセスリに、ヌヴィレットは真面目くさった顔のまま平静な声で返した。
「ならばこれを機に君の名前を周知させるべきだ」
「勘弁してくれ、こんなことで医者を忙しくさせたら訴えられちまう」
「そのような訴えは私が退けるので問題ない」
「あんたが言うと冗談にならないんだよなあ」
最高審判官様の職権濫用に、リオセスリは笑いながら肩にもたれかかってやった。
「俺はレモンパンケーキとかシンプルでいいと思うんだが」
「リオセスリ・パンケーキのほうがよい」
「食べたことないくせに」
「では、君に作ってもらおう」
ヌヴィレットはリオセスリの腰に手を回し、ぐっと顔を近づけた。「材料は何が必要かね」と告げる口調に有無を唱えさせる気はさらさらないらしい。
「小麦粉、ミルク、卵と砂糖、バター……あとレモンがあれば作れるが。俺なんかよりうちの店員に作ってもらった方がいいんじゃないかい?」
「君が作ったメロピデ・パンケーキを食べたい。材料なら揃っているので、今から」
「今から?夜食には早すぎるぞ」
せっかちな最高審判官様に、リオセスリは苦笑した。ディナーを終えて、別に何も食べられないほど満腹というわけでもないが、話の流れ的にせいぜい明日の朝だと思っていたのに。
「ひと汗流した後にでもどうだい?」
「その場合、明朝になる」
「朝まで離してくれない誰かさんのせいかもな」
「君が言ったのだろう。全部終わらせてからやるべきだと」
「パンケーキの名前なんてどうでもいいんだが……
「どうでもいいことではない。君の名前にするべきであるし、食べたことがないせいで名前を決める権利がないのなら、食べなくてはならない」
もしかして、この人に雑談のつもりでパンケーキの話をしたのは失敗だったのかもしれない。リオセスリはちょっとうんざりした。なんて厄介なパンケーキなんだ。キスとかで誤魔化せないかなと頬に口づけてみる。
「今じゃなくていいだろ、な?」
ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音を立てて繰り返す。しかしヌヴィレットは頑として動かず、リオセスリがこれって効果ないのか?と気づいたあたりで視線をよこしてきた。
「リオセスリ殿」
なんでこっちが聞き分けが悪いみたいな顔されてるんだ、キスするのを止めなかったくせに。リオセスリはとうとう諦めて、ソファから立ち上がった。
「はあー……。なんて頑固なお人だ」
「もう少しキスをしても構わないが?」
「意味ないんだろ!作ってくるからちょっと待っててくれ」
「うむ」
と言いつつ、ヌヴィレットも立ち上がってキッチンまでついてくる。おとなしく待っている気はないらしい。

囚人の頃に作っていた適当極まるパンケーキが料理と言えるかは怪しいが、幸いメニューに加えるために分量を見せられたばかりなのでそれに従えば問題ない。小麦粉を計量し、卵を割り入れ、牛乳を注ぐ。当然のように浮かぶダマには見ないふりをすることにした。焼けば食べられる。
フライパンにバターを溶かし、水っぽい生地を流し入れて薄く広げる。片面が焼ければ、フライパンを振ってひっくり返し、もう片面を焼く。それだけだが、バターの香りが漂うと妙に食欲をそそるものである。
「その……それはどうやっているのだろうか?」
一枚焼き上がったところで、後ろでそわそわと見守っていたヌヴィレットが声をかけてきた。
「それ?」
「生地を返すのに、フライパンを振っていた」
「ああ、慣性の法則だな。俺が見つけたわけじゃないから偉そうなことは言えないが」
「ほう……
もう一枚分の生地を入れて、同じようにひっくり返す。リオセスリだって慣れているわけではないので、若干緊張した。失敗したら格好がつかなさすぎる。
「見事だ」
「やってみるかい?」
「いや、見ている方が楽しい」
好奇心に満ちた眼差しに、よりプレッシャーがかかった気がする。ただし、リオセスリは本番に強い方なので、大きなミスなく全てのパンケーキを焼き上げることに成功した。持つべきは強靭な心臓と小器用な手先というわけだ。
さて、パンケーキが焼きあがればあとは盛り付けるだけだ。くるりと巻いたパンケーキを並べて、輪切りにしたレモンを置く。余った部分の果汁を搾り、砂糖をまぶせば完成だ。
「メロピデ・パンケーキだ。どうぞ、ヌヴィレットさん」
「感謝する」
それなりの数が焼けてしまったので、リオセスリも自分の皿を用意してヌヴィレットの向かいに腰を下ろした。ちなみにメロピデ・パンケーキを食べるのは、昼に試食したぶりである。
「以前、モンド発祥の厚みのあるパンケーキを食したことがある。あれは生地も甘かった」
ヌヴィレットがナイフを入れながらそう呟く。
「このパンケーキは砂糖をまぶすだけなのだな」
「そっちの方が少ない量で甘さを感じやすいんだ。要塞でぶくぶく太られても困るからな」
特別許可食堂で供されるメニューのカロリーはきちんと計算されている。特別許可券を使って太る分には勝手にすればいいが、管理下にある範囲の囚人の健康問題は最小限にしたい。なにせ、メロピデ要塞にはランニングコースもないのだから。
「なるほど。ふむ……
上品にパンケーキを口に運ぶヌヴィレットの批評を待つことにし、リオセスリはうっすら微笑みを浮かべた。今更だが、罪人のパンケーキを最高審判官様に食わせるってどうなんだ?と思いながら。
「悪くない。汁気は少ないが」
「もっとレモンを絞るかい?」
「そうすると、味のバランスに問題が生じるだろう。このままで構わない」
生真面目な返答に、リオセスリは笑みを深くした。意地かどうかはわからないが、食べきってはくれるらしい。
リオセスリも自分の皿に手をつけた。昼に食べた方がうまいが、確かに悪くない。シンプルな味付けは失敗しにくくていい、というのが正しい。
黙々と食べ、綺麗に――レモンの輪切れまで完食したヌヴィレットは、「なるほど」とおもむろに口を開いた。
「この料理がメロピデ・パンケーキという名であることに、意味があるのだろう」
「だからって、そのまま使うつもりはないからな」
「うむ……。そうなるとリオセスリ・パンケーキというのが最善ではないかね」
「それも却下だ」
「食べたのだが?」
「命名権は俺にあるんでな」
何せ、カフェのオーナーだ。ヌヴィレットはすこし拗ねたように「話が違う」と低い声で言った。
「ならば私が出資すれば命名権を得られるのだろうか?」
「その場合、出資者への感謝を込めて、『最高審判官様のパンケーキ』になる」
……
「ああ、カフェ・リュテスにはフリーナ様の名を冠したケーキがあったな?それに倣って、『最高審判官様のために』にしてもいいか」
水のように公正な法と、罪人の贖罪のためのメニューなのだから、間違いではない。問題があるとすれば、名前負けしているにも程があることだった。本当にそんな名前のメニューがあるのなら、相応しいものを作らなければならない。
本人が一番喜ぶのはたぶん水なんだが……。ホテル・ドゥボールの白湯にその名前がつけられていないことの奥ゆかしさに思いを馳せながら、リオセスリは行儀悪くテーブルに肘をついた。
「満足しただろ?」
「君の方が頑固だ」
「お褒めにあずかり光栄だ」
「たとえば読みづらさが真の問題であれば、『公爵のパンケーキ』にするといいのではないかね」
「そうすると公爵が甘党だってバレるだろ。賄賂が全部甘いものになっても困る」
「賄賂を?」
「おっと、失言だったか」
「なるほど、賄賂を……
「ヌヴィレットさん?」
なんか変なことを思いついていないか、この人。ヌヴィレットは立ち上がり、テーブルを回ってリオセスリの前に腕をつく。ぐいと顔をあげさせられ、あっという間もなく口づけられた。
唇のやわらかさも、舌の温度も、いつも通りだ。いつもと違ったのは唾液の甘さで、レモンの香りがかすむ程の強烈な味が味蕾を支配する。砂糖をそのまま食べたって絶対にこんなに甘くない。しかも上から口づけられているせいで、流れ落ちてくる唾液を受け止めないことは不可能だった。のどの渇きすらも覚えてしまうほどの甘さに息が詰まりそうになる。
「っ、げほ、ヌ、ヴィレットさん」
細められた曙色の瞳を見上げ、リオセスリはどうにか息を取り戻した。満足そうに笑う龍に手加減はない。
「君が甘味を好いていると知りながら、用意しなかったのはこちらの手落ちだ。次は十分に甘いものを用意しよう」
「甘けりゃいいってもんじゃないんだけどな……
そして、甘いもんがあれば言うことを聞くってわけでもないんだけど。リオセスリが「いつものほうがいい」とねだるとヌヴィレットは不可解そうな顔をした。
「気に入らなかったかね」
「あんたは賄賂をよこすのが下手すぎるみたいだ。ああ、勘違いしないでくれ。最高審判官さんが慣れてるほうが問題だからな」
……つまり?」
「諦めたほうが賢明ってことさ、ヌヴィレットさん」
やわらかく口づけると、「君が賄賂を受け取るのが下手な可能性もある……」という負け惜しみが聞こえてきたが、聡明な公爵としては聞こえないふりをして問題を先送りすることにした。いい加減、すべてを片付けてバスルームに向かいたい気分でもあったので。