来羅
2026-04-11 07:00:00
14873文字
Public サンプル
 

人形夜話サンプル(風信)

6/28(日) 星に願いを 2026 -day1- にて発行予定の観用少女パロ本です。信一が見た目も中身も子供なのでインモラルな内容です。あとサンプルにはありませんが、占と兄貴に特別な繋がり(not恋愛)があったり、このキャラはこんなことしない的なご都合主義な展開があったり、そもそもお前は誰だ状態に別人だったりするので、ご注意ください。本当にご注意ください。
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 愛してる、と言ったのは廟街の店に勤める燕芬、と抱き合う男だった。
 少祖の店は裏通りのひっそりとした場所にあるからか、人目を避けて逢引する恋人たちが時折、店の窓から見えることがある。
 燕芬は洛軍のカフェにもよく顔を出す、信一にも馴染みの女性だ。別れがたそうな男が抱きついて唇を重ね、愛してると告げて離れた、のを見ていた信一に気づいたのだろう。肩を竦めて店に入ってきた。
「覗き見は駄目よ、信一」
 悪戯っ子のように笑って、勝手知ったる店の椅子に腰かける燕芬は、少祖に色目を使わない数少ない女性のひとりだ。ゆえに、信一も嫌いじゃなかった。化粧と油の混じった匂いは廟街で働く女特有のもので、わざわざ香水で誤魔化そうとしない燕芬は誇り高くて好ましい。
 だから客じゃなくとも、信一は店の奥から普洱茶を淹れてきて差し出す。
 少祖は四仔の工房に顔を出しに行っていて、留守を預かる信一の仕事はもっぱら知り合いに茶を出すことくらいしかない。
「ありがと」
 それなりに熱かったはずの普洱茶をいっきに飲み干して、燕芬がふうと大きく息を吐いた。
 その赤い唇に落ちたキス。愛してる、と言われた燕芬はいつもと変わりがない。
 好き、と、大好き、の先にあるらしい『愛してる』。
 知識としては知っているその言葉を、信一は未だによくわかっていなかった。
「ん? なに?」
 紙とペンを持ってきて、信一はすらすらと書けるようになった文字を並べる。
 少祖のように、言わずとも察してくれる人は他にいないので、信一の意思疎通は主に筆談だ。
『我愛你ってなに』
 一瞬目を丸くした燕芬が、ああさっきの、と頷く。
「ずっと一緒にいたいっていう、特別な『好き』のこと」
 ずっと一緒に。
 信一にとっては少祖がそうだ。
 あの男にとっては、燕芬がそうだったんだろうか。
 きょとんと見上げる信一に、苦笑する燕芬が難しいかと頭を掻いた。
「私の『愛してる』は魚蛋妹だけ。あなたの『愛してる』は龍哥でしょ」
 こくりと首を縦に振る。
 でも、燕芬は妹分の魚蛋妹の唇にキスはしない。
 あの男の言った『愛してる』は、だから、きっと違うのだ。
 そう思って眉根を寄せた信一に、燕芬が困った顔で天を仰いだ。
「なんでそんなことに興味持っちゃったかなぁ」
 だって、少祖はモテるのだ。
 もらった手紙は目の前で捨ててくれる。けれども少祖に構ってもらいたくてしかたないといった人間は多いし、その中にはべとりと張り付くような好意をあけすけに向けてくるものもいる。
 嫌な感じのするあれがたぶん、信一や燕芬のものとは違う『愛してる』というやつなのだろう。
「龍哥もアンタを愛してるでしょ」
 うん、と頷きかけてはたと止まった。
 聞いたことはない。少祖はそういうことを口にはしない人だ。
「馬鹿ね」
 笑った燕芬は、けれども艶やかな唇を上げる。
「言わなくても、龍哥がアンタを愛してるのなんて見てるだけでもわかる」
 それでいいじゃない、と言う燕芬だが、それでもそれはおそらく何かが違うのだ。
 信一のすべては少祖のものなのに、『愛してる』のに、このままでは誰かに盗られてしまうような焦りが消えてくれない。
 燕芬が大きく溜め息をついて、小声で毒づいた。
「龍哥、性教育もちゃんとしてやってよね」
 それは、やはり知識としては知っていた。ここは廟街。そういう人間たちの掃き溜めだ。少祖は外の世界とは極力関わらせないようにしているが、十二や洛軍と店の外に出るときにはそういうものも自然と目にしてしまう。
 キスも、セックスも、人間の欲求なのだと十二は言った。
 さも醜いと言わんばかりに顔を顰めた十二は、路地裏で人目もはばからず求め合う男女を冷ややかに見ていた。
 そんな十二を見て、あれはきっと駄目なことなのだと信一は思ったのだ。
 それなのに、燕芬へとキスした男は咎められることなく『愛してる』と囁いていた。燕芬は嫌がってはいなかった。
「あれは私の太客だから……ってそうじゃなくて!」
 ああ、もう、と頭を抱える燕芬が恨めしそうに信一を見た。またこてんと首を傾げた信一に「……可愛いって本当にずるい」と顔を顰める。
「あのね、信一。『愛してる』にはいっぱい意味があるの」
 人を慈しむのも、愛してる。
 ずっと一緒にいたい、愛してる。
 家族や友達への、愛してる。
 欲を伴う、愛してる。
「あなたが聞きたいのはそれ?」
 問われてこくりとまたひとつ。
 信一には欲というものもよくわからない。
「そういうのは大人になる過程でわかるんだけど」
 人形は成長しない。大人になることもない。
 けれども、それなら、十二と見かけたあれは駄目なことじゃなくて、愛してるということだったのか。
「そうね、愛してる人とするものよ」
 普通はね、と続けた燕芬は、ついぞあの男を愛しているのだとは言わなかったことに信一は気づかなかった。
 そんなことが昼間あったからかもしれない。
 長椅子に上半身を預けてうたた寝する少祖の薄い唇が妙に気になった。
 うつくしい人だと思う。
 目覚めたばかりの頃はただ魂の共鳴する唯一無二の人だとしか思っていなかったけれども。
「──────」
 祖哥哥、と呼びかけたくて口をはくはくとさせた。
 歌うために作られた人形ではない信一に、声は備わっていない。
 だからもし声が出たならば、と夢想する。
 信一の呼びかけに、きっと長い睫毛が震える。柔らかな墨色の瞳が揺れる。信一の姿を認めた途端に笑む唇。信一、と呼ぶ低い声。寝起きで少し掠れているかもしれない。まだ夢現を行き来する眠たげな瞳がぼんやりと見つめるかもしれない。
「──────」
 祖哥哥、ともう一度呼びかける。
 声はない。寝ている少祖へは届かない。
 少しだけ開いた唇の間を規則的に呼気が出入りしていた。
 燕芬の赤い紅を塗った唇より、その少祖の薄い唇の方が見ていてドキドキする。
 ドキドキする、と思った。
 『愛してる』にはいっぱいあって。
 人を慈しむのも、愛してる。
 ずっと一緒にいたい、愛してる。
 家族や友達への、愛してる。
 欲を伴う、愛してる。
 少祖への『愛してる』はそのどれもでありたいと思った。少祖の『愛してる』もまたそのどれもが自分であってほしいと思った。
「──────」
 祖哥哥。
 声は出ない。
 少祖は寝入っている。
 そっと顔を近づける。
 昼間見た燕芬と男を思い出した。
 『愛してる』人とするキスは、悪いものじゃない。らしい。
 唇同士をくっつけることに何の意味があるのかわからなかったけれども、こうして見ているだけでもドキドキするから、キスしてみたらもっとドキドキするのかもしれない。
 だからもう少しだけ。あと少しだけ。
 近づけた唇に、少祖の吐息がかかった。
 妙に乾いた唇を舐めて、また少し、近づける。
「──────」
 唇に唇で触れたのは、一瞬のことだった。
 大きな手が頭を撫でるのとは違う。力強い腕が抱きしめてくれるのとも違う。
 柔らかで、生温かくて、しっとりとした弾力は信一の唇を押し返す。
 ドキドキした。
 この胸の中に人間と同じ心臓が詰まっていたら、きっと破裂してしまうんじゃないかと思った。
 薄く開いた唇の中に見える赤い舌が熟れた苺みたいに濡れている。触れたら甘いんだろうか。答えをくれる人はいない。信一は砂糖菓子の甘さしか知らないけれども、赤く濡れたそれが甘そうで、またドキドキする。
 触れてもいいんだろうか。
 指で?
 唇で?
 それとも、この舌で?
 ドキドキする。
 ドキドキする。
「──────」
 もう一度、と顔を近づけた信一は、けれどもその唇が触れる寸前で大きな手の平に遮られていた。
…………信一?」
 困惑した声は少し掠れている。
 いつもより近い距離で見つめ合う。
 キス、したいのだ。
 その唇に触れたい。
 その舌に触れたい。
 ぐっと伸びをした信一に、今度こそ明確に拒否をして遠ざけた少祖が眉根を寄せた。そうして悪いことではないのに、駄目だと言う。
 なんで、と首を傾げても少祖の答えは変わらなかった。
「信一、それは必要のないことなんだ」
 少祖の言うことがちっともわからない。こんなことは初めてだった。それでも唇を近づけようとしても、信一、と低く呼んだ少祖は、しっかりと信一の両肩を掴んで膝の上にあげる。
「お前にはわからないかもしれないが、それは『愛してる』恋人同士がするものだ。誰にでもしてはいけない」
 わかっている。わかっている。
 『愛してる』からしたいのだ。
 でも恋人ってなんだろう。信一はそれがわからない。
 家族。友人。少祖と、信一。
 恋人でなければならないなら、それになればいいのに。
「そうじゃない。信一、……ああ、なんて言えばいいんだろうな……人間は、大人になると誰か……特別に、心から大切に思って、一生を共にしたいと思える相手と恋人になる。お前がしようとしたことは、そういう相手とするべきものだ」
 一言、一言、まるで自分にも言い聞かせているかのようにゆっくりと告げた少祖が、わかるか、と問いかけた。
 わかる。けど、わからない。
 信一にとって、少祖はこの世界でたったひとりの主人だ。心から大切に思っている。一生この人の側にいたいと思う。それと少祖がいう『恋人』と何が違うというのか。
 少祖はそのうちわかる、とは言わなかった。
 人形は成長しない。大人になることはない。
 ──大人。
 信一が、少祖や、十二や、四仔や、洛軍や、燕芬と違うのはそこだ。
 大人になれれば。
 大人になったら。
 判断は早かった。少祖の膝から下りて、テーブルに置いたままになっていた少祖のマグカップを手に取る。
「信一!」
 ぎょっとした少祖が起き上がるより、信一がその中の普洱茶を一口飲み干す方が早かった。
 だって、信一は少祖の全てになりたいのだ。